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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 20

「穏便に引き下がってもらえて助かりました。いや本当に」

 海老原先輩、そしてヨアヒムが去って行ったのちに。後ろを歩く俺と一星に向け、光永会長が溜め息交じりにそう言った。

「勝ち目はなかったと?」

「ああ、ごめんなさい。貴方を侮ったわけではありませんよ、八剣さん」

 背後から睨みを利かせる一星に対し、会長は両手を挙げて無抵抗を示した。

 一星も、そこまで怒気を露わにといった風ではなかったが。先ほどの戦いを見ていたら、会長が平伏したくなるのも無理はないだろう。

 腫れ物だ、これじゃあ。

「僕は、その……いわゆるところの、雑魚でして。界装具は持っているんですが、そこら辺の擬獣にすら勝てません。あの場で総力戦となれば、僕という足手まといがいるこちらが負けていたでしょう」

 そう言えば、と先ほど見た会長の顔をよくよく思い出してみると、額に脂汗が浮かんでいた。どうも謙遜などではなく、本当に危なかったらしい。

「確かに、あまり強そうには見えないな。身体作りも必要十分といったところで、武術の心得もさほどないのだろう」

 仰るとおりで、と会長はへりくだる。

 なぜ一星は一目で、そんなところまで看破できるのか。そもそも真冬の外套込みの外見だ。まさか足運びだけで判断したということなのか。

 でも、じゃあ。それが分かるなら、なぜ。

「の割には、敵の引き際が潔すぎたな」

「ああ、それは――」

 会長が一呼吸置く間に、ヨアヒムの言葉を思い出す。会長の啖呵――今思えば完全なハッタリだった訳だが――を受け、ヨアヒムは即座に撤退を申し出ていた。会長が雑魚だというのであれば、あの反応はないだろう。

「まあ、彼らと僕はまだ戦っていないので、未知数と見られているのでしょう。慎重、冷静沈着、石橋を界装具で殴って渡るタイプ――あるいは、そういう実力の知れない相手から、よほど痛い目に遭わされたのかも知れませんね」

 ありがたいことですけど、と。会長は自嘲気味に笑っていた。

 会長は、意外にもギャンブラー気質なのかも知れない。一歩間違えたら全滅もあり得たというのに、そこまでの危ない橋をよくも平然と渡ったものだ。

 本当に、意外。そういうことをする人では、ないと思っていたけれど。

「…………」

 ともあれ。そんな風に話しながら、かれこれ十五分は歩いたろうか。あの倉庫群から雑木林に戻り、どこを目指してか直進を続けている。

 足場も視界も悪いもので、一星はともかく、俺は何度もツタやぬかるみに足を取られそうになっていた。

 それでも今は、会長の後をついて進むしかない。たとえその会長が、俺と同じく悪路につまづきながら歩いていても、である。

「とりあえずは、こうして無事に危地を抜けられたことを喜びましょう。もう少し先で、ツナシさんたちがお待ちですので」

 一星は、相変わらず警戒している様子だった。終始皺の寄った眉間は、探し人の名前が出たところで安心などできない、とでも言いたげだ。

 その過剰な警戒心は、きっと俺にも求められているのだろうけど。俺などは警戒のしようもない。過信は危険だと言われたところで、自分を守る手立てすらないのだから。

 過去に何があろうと。

 誰に何を言われようと。

 その事実だけは、どうあれ動かしようがないのだから。

 ……でも。

「一格」

 一星が俺の名を呼んだのは、会長との会話が途切れたタイミングだった。

 それでも不意を突かれたように、俺の返事は一拍置く形になってしまった。

「奴に言われたことを気にしているのか」

 奴、とは。

 それは当然、ヨアヒムのことだろう。であれば、一星が言わんとしていることは聞くまでもない。

 ―― 野宮 誠一は、僕が殺した。

「敵の言うことだ、あまり深く考えるな。嘘にせよ事実にせよ、平静を乱せば思う壺だ。元より、倒すべき敵であることに変わりはないだろう」

 そう言われて、嘘かも知れないという可能性があることに、俺はようやく気が付いた。敵対者、あまりにも許し難い相手の言い分を、なんの根拠もなく信じ込んでいた。冷静さは、確かに欠いているようだった。

「……いや、でも」

 兄さんを、殺した。

 それが仮に、本当に仮に、事実だとして。俺は一体、どうしたかったのか。

 その言葉を聞かされた瞬間のことを思い出す。

 許せないと思ったか――思った。

 ふざけるなと思ったか――思った。

 仇を取ってやると思ったか――いや。

 仇であるアイツを、殺してやると思ったか――いや。

 いや。たとえ冷静さを失っても、論理的な判断力を損なっていたとしても、そこまで強い感情に見舞われた訳ではなかった。それはきっと、俺にとって兄さんが、とうに過去の人間になっていたからだろう。もしかしたらそれすらも、兄さんの思いやりだったのかも知れない。

 そうだ、つまるところ兄さんは、自分の死を偽装して、殺し合いの世界に飛び込んだのだ。家族を、俺を、巻き込まないために。必要以上に悲しませないために。最期まで本当に、本当に兄さんらしい。

 でも、それでも悲しかった。

 兄さんの、輝かしいはずの未来が、奪われてしまったこと。

 それが、誰かの手によるものだったということ。

 仕方ないの一言で、片付けることはできない。あるべき状態ではないと、それは間違いなく感じていることだった。

「罪に問うことは、できないのかな」

 できないな、と。一星は、予め用意されていたかのように即答した。

「界装具の力を行使した殺人を、国の法律で裁くことは難しい。そもそも、異能者を閉じ込めておける檻など、国家権力も持ち合わせてはいまい」

 一星の言うとおりだろう。疑わしきは罰さずがこの国の大原則。仮に相手が自白したとして、証拠不十分での釈放が目に見えている。

 それに、怪物とすら戦えるような能力者を、撃ってはいけない拳銃一つで制圧しろというのも無理な話だ。

「……でも」

 じゃあ見逃すしかないのか?

 罪も罰もないとして、ならば無罪だと。人を殺すことさえ、法律が働かなければまかり通るのだと。そんな暴論に納得できるのか?

 無理やり自分を納得したとして、じゃあ――兄さんは?

 兄さんは、どこへ行くんだ?

「もしも、相手を許さないなら」

 一星を見る。

 一星は強い視線で、前を――どこか遠くを、睨んでいるようだった。

「お前が証明しろ、一格。お前の兄の正義を、お前の兄に代わって。お前自身が、兄の正義を信じるならな」

 正義を、信じるなら。

 そんな大仰な言葉が、この感情に相応しいのかは、俺には分からなかったけれど。

 ただ。法に従い、罪を償わせることができないのであれば。

 俺がなすべきこととは、きっと――

「お話中すみませんが、到着ですよ」

 光永会長が言って、前方を指し示した。

 その先に待ち人はおらず、特別な施設がある訳でもなかった。あくまで、これまで歩いてきた雑木林の延長線。暗がりに溶ける木々が、幽霊のように揺れているだけだった。

「東区のショッピングモールに行くんじゃ、ないんですね」

「出入り口は一つではない、ということです。ご心配なく。どこから通ろうと、目的地へは行けますので」

 出入り口、というのは比喩ではないらしかった。目の前の、何もない空間こそが、目的地への経路であると会長は言うのだ。

「ツナシの魔本の力か」

 一星には心当たりがあったようで、納得したように頷いていた。

「ええ。場所が割れたとしても、許可のない方は通れないそうで。もちろん、お二人は許可済みとのことですので、どうぞこちらへ」

 言いながら、光永会長の姿が忽然と消えた。

 特に何の変哲もない木々の間を、歩いて抜けただけだったはずだが。それがつまり、入り口ということなのだろう。

「行くぞ、一格」

 張り詰めたような声で呟く、一星に続いて。俺もまた、その領域へと足を踏み入れた。

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