応援挽歌 19
その人は、この倉庫群の外からやってきたようだった。五十メートルほど先で途切れる雑木林を越え、倉庫の間を真っ直ぐに、こちらへと向かってきていた。
「随分と、聞いていた話と状況が違うようですね。弁明の一つも、聞かせてもらっていいんでしょうか――〈ヨアヒム〉君」
真面目さの滲み出る身なり。低いが通りの良い声。不思議な淡い褐色の両目。
やってきた光永 直紀は、丸腰のままヨアヒムに問い掛けた。
「おや、思いの外お早い到着で――生徒会長」
旧知の仲のような親しみを感じる声で、ヨアヒムは応じる。光永会長の素性も、彼は把握しているようだった。
「……光永」
「夜分遅くに、なんて挨拶は要りませんね、海老原先輩」
そして当然、海老原先輩も会長を知っている。戦意を失うまではいかないまでも、出鼻を挫かれたように白けた顔をしていた。
「野宮君も」
「はい」
叱責を覚悟した。
暗がりであることも手伝って、会長の表情からは分かりづらかったが。こちらは約束をすっぽかした形だ。東区のショッピングモール『ウェルゴ』の四階。落ち合う場所は街のほぼ反対側である。
「お迎えに来ました。よくぞ無事で」
しかし予想は外れ、光永会長は柔らかく微笑んだ。
一星にはきっと、怒られるだろうとは思うのだが。その気遣いだけで、俺は光永会長を味方だと判断した。味方で良かったと、安堵していた。
「一星。この人は――」
光永生徒会長の紹介をしようとした俺を、一星は刀を持たない左手で制した。言うまでもない、ということだろうか。
「そして初めまして、八剣 一星さん。お待たせしていますが、少々彼に確認することがあります。刀を収めて、今しばらくお待ちください」
ともすれば一星は、光永会長にすら斬りかかるのではないか。先ほどまでの剣幕はそれほどのものだったが。
横を通り過ぎて前に出る会長を、一星は刀を構えたまま、目だけで見送った。
「そちらが提案してきたルールでしょう。まさかそちらから反故にしようとでも?」
「存外、お堅いことだね。流石は生徒会長さんといったところかな。ここへ辿り着いたのも、堅実な捜査の賜、とか?」
恐ろしいねぇ、などと。真っ当に応対する気などないのだろう。ヨアヒムは軽妙な態度を崩さないままに言って、しげしげと会長の顔を見ている、ようだった。
「分かっているとも。ルールはルール。少し抜け駆けしようとしただけさ。そうだろう、〈ディーター〉」
ディーターと呼ばれた海老原先輩は、不快そうに舌打ちで返した。
「であれば、早々にお引き取り願いましょうか、〈ヨアヒム〉君。勝負は公平に、命のやり取りはもうたくさん。そういう約束だったからこそ、僕らもそちらのゲームとやらに乗ったんです。それが守られないというのなら」
会長の声色が変わる。
先ほどまで殺し合いをしていた、一星や海老原先輩のように。
「その先にあるのはまた、ただの殺し合いだ。そういった勝負をお望みならば、今ここで、僕も相手になりますよ」
倉庫の壁を反響してか、一際大きく会長の言葉が木霊した。
――味方ではある、のだろうけど。
そうだとしても俺には、その言葉が、何も嬉しいとは思えなかった。
「上等だ。てめえ光永、俺は忠告はしたよな。それでも邪魔するっていうなら、お前ら全員――」
「いいよ。じゃ、ここは退こうか、ディーター」
海老原先輩の言葉を遮って、ヨアヒムから意外な言葉が飛び出した。
一星も光永会長も、思いがけない台詞に驚愕を隠せないでいた。勿論俺もそうで、自分の耳がすぐには信じられなかった。
そして、その言葉に一番納得できないのが誰かは、言うまでもない。
「てめえ、舐めてんのか? 勝手に出てきたと思えば好き放題やりやがって、いい加減にしろよ」
「まあまあ、ここは大人になって」
「分かった、じゃあまずはお前から片付けてやるよヨアヒム」
海老原先輩はヨアヒムの胸ぐらあたりを掴んだ。
こうして筋肉質の海老原先輩と並んで見ると、ヨアヒムは若干細身のようにも見えた。それも錯覚なのかも知れないが、なんとなく、海老原先輩の方が大柄であるようだった。
だが。
「それは奇遇だね。僕だって――」
ノイズ混じりで聞こえるヨアヒムの声が低く裏返る。言葉から伝わる冷たい感情が、背筋を走って身体を震わせる。
「君からでもいいんだよ? 別にさ」
大柄で、暴力に訴える先輩よりも。俺には、その言葉を発したヨアヒムの方が恐ろしいと直感した。
「離してもらっていいかな?」
押し黙った海老原先輩に、ヨアヒムは再び声を掛ける。先ほどの一瞬とは打って変わって、その声は明るく朗らかで、好青年然とした口調のように聞こえた。
海老原先輩は腑に落ちなさそうだったが、殴るような勢いで手を離した。
「まあ、一応弁明させてもらうなら」
掴まれていた服を正すような動作をしながら、ヨアヒムは言う。
「そちらのメンバーがあと一人足りていない。ゲームマスターの言葉を借りるなら、アカウントが未登録なんだってさ。だからゲームはまだ始まっていないんだ。反故にするのか、なんて言われても、そもそもまだルールが有効化されてないんだよね」
不誠実ではあったかもね、と。ヨアヒムは悪びれもせず零した。
ヨアヒムの言うところは分からない。海老原先輩への意趣返しか何かで、本当にゲームの話でも始めたのかと思ったくらいだが。
光永会長がそれ以上、追求する様子はなかった。
「それがどうした」
だが、一星は不満げに鼻を鳴らす。
「敵前逃亡をすると? それを私が許すとでも?」
「時間をあげると言っているんだよ。『今期のゲーム』について、あるいは『前期のゲーム』についてだって、君は何も知らないだろう。それじゃ僕らは困るし、そちらだって困るはずだ。現地の残存メンバーと、情報共有くらいしたらいいんじゃないかな?」
そう言われて、易々と頷く一星ではない。刀を強く握り、今にも飛び出していきそうな勢いだった。
「一星――」
流石に、俺も黙ってはいられなかった。
「逃げる相手を追う必要がどこにある? もう少し待てば、殺し合いなんかしなくてもよくなるって、今――」
「敵の言うことを鵜呑みにしろと?」
一星に睨まれ、足下がふらつく。一瞬本気で、下半身を斬られたのではないかと思ったくらいだ。
「ゲームだと? 公平な勝負だと? 我々がやっているのはそのような児戯では断じてない。紛れもない凶器を握り、命を懸ける覚悟でこの場に立っている。――お前のそれは私への侮辱だぞ、一格」
意思を折られそうなほど、その視線に気圧される。一星は俺に――いや、この場で起きた全てのことに怒りを向けている。
けれど、今度こそ負けられない。
一星に、誰かを殺して欲しくなんてないのだ。どうあれ応援すると決めたにせよ、その気持ちだけは揺るがない。
相手が敵で、嘘かも知れないその言葉で。それでも一星が、手を汚さなくてもいい可能性があるのなら。少なくとも、立ち止まる時間くらいあってもいいじゃないか。
「お前だって、誰かを殺したい訳じゃないだろ――一星」
殺すとか。殺されるとか。なんでそんな、軽々しく言うんだよ。
それがどういうことか分かってるのか。
人が死ぬってどういうことか、本当に分かって言ってるのか。
「大事な人と、もう二度と会えないって。話すことが、分かり合うことができないって。それが、どれだけつらいか、本当に分かって、言ってるのかよ」
言っていて、泣きそうになる。
もう二度と、会うことができない。その悲しみを、まさか二度も経験するとは思わなかったから。
でも、だからこそ退けない。
一星が、俺の応援している人が。誰かに、俺と同じ思いをさせるなんて。そんなこと、俺には到底、認められるわけが――
「君さ、何を他人事みたいに言ってるんだ」
ヨアヒムが、言う。
先ほどの、昏く沈んだ、あの声で。
「この期に及んで、一度殺されかけて、まだそんなことを言っているだなんて。驚きを通り越して呆れてしまったよ。まさしくそれこそ、平和ボケというヤツなのか。いやもちろん、充分に普遍的な感覚だとは思うけれど、いざ目の当たりにしてみると、まあ――虫唾が走るよね」
ヨアヒムの手に、何かが握られる。
それは湾曲した弓幹。恐らくは先ほどの奇襲を仕掛けたのだろう、ヨアヒムの持つ界装具で。
「あ――」
待て。
なんでだ。
透き通るような、雲の上に浮かぶような、そのカタチは、まさか。
「ああ、見覚えがあるのかな? そう、君の疑問を早々に解消してあげると」
上質な白樺の樹皮、握りに空色の革。
もう二度と会えない、記憶の中だけの姿によく似合う、その弓は。
「これは、君のお兄さん、野宮 誠一の界装具で間違いないよ」
確信があった。言われるまでもない。実際に目にしたことがなくとも。
あのとき、夢の中で手渡された、兄さんの弓、そのもの。
「なんで、お前が」
「なんで? なんでって、君さぁ。まったく仕方がない。惚けた君に、もっと分かりやすく言ってあげようか。そうじゃなければいつまでも、君の視界は曇ったままなんだ」
ヨアヒムは、どんな表情をしているのだろう。どんな顔で、その言葉を口にしているのだろう。
分からない。分からないが、どうしても気になった。どうしても知りたくなった。だって、その言葉の先が示す事実はそれこそ、どうしようもないほどの行き詰まりで、袋小路で、逃げ場のない――
「野宮 誠一は、僕が殺した」
殺して、奪ったんだと。
ヨアヒムは確かに、そう言った。




