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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 18

 それに気が付いたのは、本当に偶然だった。

 何かが近付いている。

 人ではない。鳥でもない。何かが空から急速に、この場へ飛来しようとしているような、そんな気がしたのだ。

 風を切る音を無意識に捉えたのか。

 ただの気のせい、当てにならない第六感だったのか。

 いずれにせよその予感は、叫んだ後で急速に現実味を帯びた。

 視界を縦に割るかのごとく、閃光が降ってきた。その狙いは言うまでもなく、今まさに刀を振り下ろそうとしていた一星に違いなかった。

 一星はギリギリで気付いたようだった。刀を止め、脇目も振らずに飛び下がった。

 直後、光が爆ぜた。

 爆音が鳴り響き、凄まじい地響きで思わずしゃがみ込む。

 目がくらみ、いきなりのことで前がよく見えない。一星は――恐らく無事だとは思うが、安否は分からない。

「一星、無事か?!」

「そんなことより警戒しろ! 新手だ! しかも奴は――」

 その後の一星の言葉を、俺は聞き逃した。いや、確かに聞いてはいたのだが、あまりの内容に記憶が飛んでしまったようだった。

「流石だね。一応、殺す気ではあったんだけどな」

 その声が届いた途端、耳の奥が痛みを覚えた。

「初めまして。あんまり意味はないけれど、初対面ではあるんだし。とりあえず、挨拶からさせてもらってもいいかな、お二方」

 視界が徐々に戻っていく。新たに現れた一人分の影を捉える。

 声の主が、今目の前にいることを感じながらも、どこか違和感がつきまとう。

役職ロール名で失礼。僕は〈ヨアヒム〉。無理に覚えなくていいけど、まあ、名前くらいは記憶できるんじゃないかな」

 その人物の風貌を、言葉で表すのは困難だった。

 一目した瞬間は、若い男のようにも見えた。だが、次の瞬間には老婆のようにも見え、話している途中で幼い少年のようにも見えた。

 声も同じだ。男性のようで、女性のようで、中性的でもあるように聞こえた。

 それは自然体のようで、それでいてあまりにも不自然だった。ともすれば、〈ヨアヒム〉と名乗る擬獣であるのだと説明されれば、信じてしまいそうなほどに。その姿は何もかもがおかしかった。

 誰かがいるのは確かなのに、それが誰だか分からない。まるで、見えないモザイクでも掛かってるかのようだった。

「ああ、無理をしない方がいいよ。さしもの八握剣の継承者といえど、この『隠蔽』は破れない。理由は説明しなくてもいいよね? 僕らだって夜くらいぐっすり眠りたいんだよ。君たちの魔本のような、便利な能力でもあれば話は違ったけれど。まあそこはそれ、メリデメの釣り合いは取れているから文句もない」

 隠蔽、つまり何かの技術、何かの力で、正体を隠しているということだろうか。それもまた、界装具の持つ力ということなんだろうか。

 彼――〈ヨアヒム〉という男性名を頼りに、便宜上男と認識しておくが――は、どうやら笑顔でいるらしかった。

「で、なぜ僕がここに来たのかも、別に説明は必要ないよね。まあ、彼とはそこまで仲がいいわけではないけれど、それでも仲間は仲間だ。仲間を傷付けられて黙っているほど、僕は非道ではないつもりだよ」

 そう語る〈ヨアヒム〉の背後では、海老原先輩がこちらを睨んでいた。まだ伏した状態で、起き上がれるほど回復したわけではないようだ。

「御託はいい。敵だというなら是非もない――二人まとめて掛かってこい」

 一星は、まだ戦う気だ。

 ヨアヒムが、海老原先輩の仲間であることは疑いようがない。直接言わずとも、海老原先輩を助けに来たのも間違いない。

 二対一がずるいとか、フェアじゃないとか、そんなことを言っても仕方がないだろう。これはスポーツの試合ではなく、本物の殺し合いなんだから。どれほど卑怯でも生きていれば勝ち、どれほど正しくても死んでしまえば負け。少なくとも、一星はそういう戦いを挑んでいる。

 海老原先輩を圧倒した一星であれば、二人相手でも勝てるだろうか?

 いや、無理だ。なぜならさっき、一星自身がそれを否定していたはずだ。

『そんなことより警戒しろ! 新手だ! しかも奴は――』

 しかも奴は――

 その先があまりにも意外すぎて、頭が理解を拒むほどだった。

 そう、一星は確かに言ったのだ。

 演技でもなく、過大評価でもなく、確かに一星は、

『しかも奴は――私よりも強い』

 あのヨアヒムは、自分よりも強いと。確かにそう言ったのだ。

「勇ましいね。最後まで前線に出てこなかった君のお兄さんとは、性格も随分と違うみたいだ。それとも、失敗したお兄さんとはあえて別の戦略を取ったということかな」

 ヨアヒムが繰り返した『兄』という言葉に、一瞬だけ驚いた。なぜここで、兄さんの話が出てくるのかと。

 だがよくよく考えてみれば、ここで言及されたのは『一星の兄』という意味で――

「挑発のつもりであれば」

 凍り付くような、一星の声に心臓が跳ねる。

「無駄なことだ。お前が八剣 一臣とどう戦ったかは知らないが、私には一切関係ない」

 その小さな背中から、抑制された強い感情が伝わる。手にした凶器でもって、今にも斬りかかりそうな気配があった。

「そうか、そうだね。死んだ人間に固執したところで、生産性なんか何にもない。お葬式とかああいったものは、故人のために執り行う体だけど、実際は遺された人向けの式典だしね」

 ほんとに無駄だ。君の言うとおりだ。

 投げやりに放たれたその言葉に、一星はどう思っただろう。

 苛立ったか。悲しんだか。何も感じなかったか。

 少なくとも、俺は。

 俺は、少し――頭に霧が掛かったような気分だった。

「おい、てめえ」

 そこでようやく、海老原先輩が立ち上がった。目立つ外傷はなかったが、両脚の震えから、立っているのも辛そうだった。

「なんだい? あ、僕ヨアヒム。前もちょっと話したけど、会うのは初めましてだったかな」

「勝手にペラペラ喋ってんじゃねぇよ」

 どうやら海老原先輩は、横槍を入れられたことに立腹しているらしかった。仲間と言っても、気心の知れた仲という訳ではないのだろうか。

「まあそう怒らずとも。お節介は承知の上で、それでも助力を申し出たい。なにせ相手は、評判だけで言えば『最強』だ。ここは二人で、確実に潰しておくべきじゃないかと思ってね」

 ヨアヒムの言葉を聞いていると、ファミレスか何かで雑談でもしているような、そんな気軽さを思わせる。

 目眩がしていた。その気軽さで、一星を潰すと――殺すと、言っているのだ。強いとは言え、女の子一人を、大の男二人で。

 それがまかり通るような、彼らはそんな世界の住人なのだ。

「それとも、何かな。復讐は自分の手で成し遂げなくちゃ意味が無い、みたいな格好いいことを言いたいのかな? 〈ディーター〉」

「…………」

 海老原先輩は応えない。目を閉じ、取り戻しつつある調子を確かめるように、一つ深く息をついた。

「知ったような口を叩くんじゃねぇ」

 がちり。

 がちり。

 怒りを代弁するような金属音を鳴らし、海老原先輩の両手が握りしめられる。

「要は、目標に辿り着けばいい。俺は八握剣の持ち主を――八剣 一星を殺す。それが叶わなければ、意味がないんだから。手段も問わない、義理立てもない、使えるものすべて、どんな手でも使って、俺はそこに到達する」

 籠手の色は、深緑。

 より一層力を増したその両腕で、それでもなお全力を賭し、一星と相対すると宣誓する先輩は、

「だけど、お前は気に喰わねぇ。何がヨアヒム、何がディーターだ。外野は大人しくすっこんでゲームでもしてろよ」

 助けに入ったヨアヒムを押し退け、先輩は再び一星と向き合った。

 えぇ、と。ヨアヒムは腑に落ちなさそうな声を上げたが。やがて諦めた風に肩をすくめた。

 これで再び、一星と海老原先輩の一騎打ちになるだろうか。

 いや、それはもうほとんどあり得ない。初手で奇襲を仕掛けてくるような男だ。であれば、海老原先輩の拒絶を無視し、一星の背中を襲うなど当然のごとくやってくるだろう。結局のところ、さっきより数段不利な状況になったことに変わりはない。

 それでも、一星は退く気がない。

 勝ち負けではない。有利不利でもない。彼女が戦場に立つ理由はきっと、彼女の言った『正義』のためだ。

 勝てるかどうかは問題じゃない。相手が誰であれ、どれほどの数であれ、一星は逃げてはいけないんだ。そう覚悟を決めているんだ。

 彼女の後ろ姿は、その意志を雄弁に語っているようだった。

 一星と海老原先輩が、少しずつ間合いを詰める。

 今度こそ。その決着は、どちらかの絶命を意味するのだろう。

 止めなくては。いや、止めようがない。この夜、何度も繰り返した問答が押し寄せて、身動きが取れなくなる。

 そんな俺など気にも留めず、二人はまた、相手の命を奪うために武器を――


「そのくらいにしてもらいましょうか」

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