星と羽翼 3
「またか、と思っただけだよ」
ひとしきり笑って、笑いすぎでむせるまで笑って、悠助はようやく落ち着きを取り戻した。
どれくらい笑っていただろうか。行きつけのラーメン屋に入って、注文したラーメンが出てくるまでだから、二十分くらいは掛かったように思う。
この男、笑い袋か何かなのか。
「本物なのかコスプレなのか知らないけど。もう寒くなったこんな時期に、あんな格好で出歩いているような人だ。きっと、君が応援したくなるような何かがあったんだろ」
「む」
そう聞いて、悠助が言いたいことがようやく俺にも伝わった。
なるほど、確かに。
要りもしない布教を大人しく受け、差し出された冊子を拒否しなかった理由は、どうもその辺りにあるようだった。
自覚のなかった自分の気持ちを、やたら歯応えのある麺とともに飲み込んだ。
「節操がないっていうのはそういうことだよ。精が出るね、応援団」
「なんだよ、皮肉臭い。いいじゃんか、悪いことじゃないんだし」
揶揄されたような気分になって、見せつけるように口を尖らせる。
そうだ。それは間違いなく、いいことのはずだ。
一生懸命頑張っている誰かを応援したい。
何の取り柄もない俺でも、ほんの少しでも、彼らの力になってあげたい。
彼らが願いを叶え、目標を達成し、成功する様を、遠巻きに眺めて祝福したい。
それは俺の趣味みたいなもので、最も楽しみなことなんだから。
「いいことだろ? 応援って。お前のことだって、何度応援に行ったことか」
「そりゃあ、一格の応援は力になると思うよ、筋金が入っているからね。君くらい熱心に応援されると、鼓舞された側は元気が出るものさ。冗談じゃなく、実力以上の結果が出せる」
悠助は、そのときの情景を思い浮かべるように目を閉じた。
ただ俺には、悠助がいつのことを思い出しているのかが分からなかった。
節操がないなどと、こいつこそよく言ってのけたものだ。
「夏は大活躍だったもんな、悠助。俺は応援団だから、うちの学校の全部の試合に行くのは当然だけど。なんで全部の試合に、お前がスタメンで出てるんだよ」
苦言を呈したくなるのはこっちの方だ。
この世界のジャンルはいつからコメディに振り切れたのか。そう思いたくなるほど、この男は常識外れなのだから。
「アルバイトさ、ただの。呼ばれた先で、僕より上手い人が少なかったから、僕が先頭に立って戦った。それだけのことだよ」
「お前ほど応援のし甲斐がない奴はそうそういないよ。まあ、最低限練習には参加したみたいだからいいけど」
たまったものではない、普通は。
どこの部活にも所属せず。バイト感覚で助っ人要請に応じては、実力でスタメンに入って活躍してくる。
そんなことをされてしまったら。一つの種目を選び、高校生活の三年間をそこだけに費やすと決めた人間の立つ瀬がない。
実際、悠助の介入を切っ掛けに、部活を辞めてしまった上級生も少なくなかったと聞く。
弱い方が悪いんだ。スタメンは自分の力で勝ち取るもので、その競争に負けただけだろう、などと。確かにその通りかも知れないが、だから黙って引き下がることのできる人間が、果たしてどれだけいるだろう。
結果が全てではない。努力してきたという、その過程が大事なのだと。そんな正論を突き付けられた人間が、観客席から、心からの声援を送れるものなのだろうか。
「いいお手本はたくさんあるんだから。それを真似しただけだよ」
大したことはやってない、と。悠助はお決まりとなった持論を、あっけらかんと述べ立てる。
それが、この男が化け物と言われる所以だ。
上級生、コーチ、あるいはプロ――そういった優秀な選手の技を、そっくりそのまま模倣する。その技能において、この和知 悠助という人間の右に出る者を、俺は知らない。
要点を掴む観察眼、その理屈を紐解く理解力。スタイルを選ばない柔軟性と、それらを実現させる抜群の身体能力。
元々の運動神経も良かったが、高校に入ってさらに身長も伸び、フィジカル面もかなり恵まれてきた。
この男は、その才能だけで、ありとあらゆる努力を否定してきたのだ。
幼なじみとして、悠助が活躍すること自体は、当然嬉しいことなのだが。
それによって潰されてしまった人たちを目の当たりにして、素直に喜べない気持ちがあるのも、また事実だった。
「何か一つくらい、なかったのかよ。これ一本に絞って頑張ろうって、思えるような部活は」
残念ながら、と。悠助は涼しい顔で言った。
「忙しくてね……色々と」
なにが忙しいのか。それは誰も、友人の俺でさえ知らないことだった。
実際、今日掴まえるのだって、かなり苦労したのだ。
秋からこっちは特に、悠助はかなり付き合いが悪かった。
「それを言うなら、君こそだよ一格」
ばつが悪そうな顔をしていたかと思えば。いざ反撃とばかりに、悠助が切り出してきた。
「なにが?」
「他人の応援ばっかりでさ。君知ってる? 夏のシーズン、応援番長とかって呼ばれてたの。あの野宮 一格とかいう一年の応援は鬼気迫る勢いで、本当に選手と一緒に戦ってるみたいだって。一年にして、危うく次期団長に任命されかけたんだろ?」
「いいことだろ? 断ったけどな」
そんな噂は知っている。
悠助ほど秘密主義者じゃないし、応援を通して学年問わず知り合いも増えた。そういった声は幾らでも届いたし、悪い噂でないなら気にもならない。
自分のことは一切頓着しないくせに、俺の心配はしっかりしてくる。相変わらず、悠助はいまいち掴み所が見えない。
「頑固者」
「お前もな」
などと言いながら、最後には二人して吹き出した。
既視感が、あまりにもありすぎて。そうだ、こんな言い争いは日常茶飯事だ。まあ、悠助はこんな感じだから、いつも俺が騒いでいるだけなんだが。
教室では毎日会っていたのに、なんだか久し振りに顔を合わせたように思える。
俺と悠助がこんな仲になったのは、小学校の高学年からだったろうか。
特別親しくなった理由を聞かれても、はっきりとした答えは浮かばない。忘れているのか、そもそもそんなものはなかったのか。気がついたらこうなっていたし、なんとなく続いている。本当に、それだけのことだ。
ただ、俺は。文武両道で多才な悠助のことを尊敬していた。何か一つの種目に絞って欲しいというのも、その方が彼の将来に寄与すると思ったからだ。悠助ほどの才能を持って、ただ一つのことに集中して努力を重ねれば、きっと世界一だって目指せるんだから。
悠助の人生は悠助のものだから。たかが友人、たかがクラスメイトという立場で、どれほど口を出していいものかは分からないが。
ただ一つ、自信を持っていえるのは。
たとえ彼が、今後どんな道を選ぶにしても。
世界中の誰よりも。俺はこの男――和知 悠助を、全力で応援しているということだ。
「食い終わったら、今日は夜まで付き合えよな。ホントお前、何度誘っても断りやがって。高校入って早速女でも作りやがったのかって、竜之介と話してたんだぜ」
「男二人で恋バナとか、なに地獄みたいなことやってんのさ。心配しなくても、僕みたいないい加減な人間を好きになる女の子なんて、そうそういやしないよ」
「まったくその通りだな。お前の連絡先を俺に聞いてきた四十六人の女子の話、全員分してやるから覚悟しておけこの野郎」
高校一年、十一月下旬。
冬本番を間近に控えて。俺たちは変わらず、馬鹿みたいに笑っていた。
それが、あまりにも幸せだったから。
そこから先に待つ日々のことを、想像することもできないでいた。