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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 15

「まずは賞賛しよう。夜闇に乗じることなく、姿を晒したその勇気を」

 一星の言葉を無言のまま受け、黒い男はゆっくりと近付いてくる。

「では名乗れよ。先日は背を向けて悪かった。私も万全ではなかった。だが、互いに都合が悪かったと水に流そう。これでようやく、存分に打ち合える」

 そう言って、一星は刀を――八握剣を掲げて見せた。

 黒い男は、名乗りを上げる素振りも見せない。ただ靴音を響かせ、二十メートル先あたりまで近付いてきていた。

 だが、男の視線は雄弁に、その抑制された激情を訴えかけてきていた。

 まるで仇敵を前にしたような、鋭い眼光で俺たちを――いや、一星を見る。

 そう、男は名乗らなかった。

 名乗らなかったけれど、それでも。

 俺は、その人の名前を知っていた。


「――海老原先輩」


 冬樫高校三年、海老原 鐘。

 昼休み、藤枝先輩と共に話をした、あの海老原先輩に間違いなかった。そのときと違うのは、私服であることと、長い頭髪をすべて後ろに流して固めていること。

 それだけの違いだ。

 何も変わらなかった。ごくごく一般の学生であると、そう言って何も差し支えない。登校して、勉学に、あるいはスポーツに打ち込む、当たり前の日々。普通の学生と比してもそう変わらない風体の、その人を。

 敵だと。

 紛れもない敵なのだと、一星は言ったのだ。

「――てめえは」

 名前を呼ばれ、流石に無視はできなかったのだろう。海老原先輩は俺の顔を睨み、苛立たしげに舌打ちをした。

「そういうことか。光永が本当に待っていたのはあの女どもじゃなく、てめえだったわけか」

 海老原先輩の言うところが、俺にはよく分からない。何のことを言っているのか、誰のことを言っているのか。俺の理解は追い付かないし、先輩も俺に理解させるつもりはないのだろう。

 ただ一つ言えるのは、海老原先輩にとって俺もまた、打倒すべき敵になったということだった。

「それに、その刀」

 次いで、海老原先輩は一星の持つ刀へと視線を移す。

「『万全ではなかった』だと? まんまと嵌められたってことかよ、クソが」

 悪態をく海老原先輩の表情は険しく、ますます敵意を募らせていく。

 率直に言って、嫌な空気だった。

 帯刀した一星は、言うまでもなく臨戦態勢だ。

 そんな一星を前にして、一切臆する様子のない海老原先輩。先ほど倉庫の壁を叩き壊したことを考えても、一星と対立『できる』人であることは間違いない。

 この二人が、このあと大人しく別れてくれるとは、とても思えなかった。

 敵。敵同士だから、喧嘩だってする。

 いや、それは。

 喧嘩なんて言葉で、片付くようなものだろうか。

「一星」

「なんだ。まさか、戦うななどとは言わないだろうな?」

「…………」

 そんなことを、言うつもりはない。でも、だとしたら俺は、何を言おうとしたのか? 何を言おうとして、一星の名前を呼んだのか。

 一体全体、俺の立場で――何を言う資格がある?

 一星を手助けすることも、一星を止めることもできない。後ろに立って、応援するくらいが関の山。そんな俺がどのツラ下げて、一星に物申そうというのだろうか?

 でも。このまま何も言わなければ。何もせず眺めていたら。この二人は、きっと――

「やる前に、聞いておくが」

 俺の思考が追い付かないまま、海老原先輩はこちらの様子を窺うように言った。

「その刀が、八握剣とやらで間違いはないな?」

 然り、と一星は答える。

 相手が名乗らなかった時点で、一星としてももう、多くを語る気はないのだろう。短く、冷たく。その一言は敵意の表れとして、研ぎ澄まされているようだった。

「八剣 一臣かずおみ。その名前に聞き覚えはあるな?」

 然り、と再び一星は答える。ただ先ほどとは違い、わずかにためらいの時間があったような気もした。

「じゃあいい。余計な時間をとらせて悪かった」

 海老原先輩は、一星を睨むのをやめ、天を仰いだ。

 それは、見方によれば、戦意を喪失したかのようでもあった。

 争うことなく。傷つけ合うことなく。

 このまま終わるのではないかと。何事もなく過ぎ去るのではないかと。

 そんな風に期待して。一瞬だけ希望を垣間見て。

 そして。

「これで心置きなく、てめえをぶち殺せる」

 それはいとも簡単に、裏切られた。

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