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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 9


「あ、藤枝先輩どうも」

「ええ」

 若干バツの悪さを感じつつも、無視するわけにもいかず、声を掛けた。そもそも、顔をこちらに向けていた藤枝先輩には、俺の存在など筒抜けだったのだ。黙ってやり過ごせるはずもない。

 藤枝先輩はというと、何事もなかったかのような様子で腕組みをし、俺を待ち構えていた。位置は一歩も動かず、上り階段の目前である。

「光永君なら上で待ってるわよ」

「え?」

「生徒会室。そのために来たんでしょう?」

 先輩の長い黒髪が背後で揺れ、かさましされたシルエットが威圧感をも増やしている。険しい表情も、見上げてくる鋭い視線も、目下の立場としては身のすくみを感じざるを得ない。

 でも、苛ついているわけではない、と思う。遊びのない言葉選びも、重苦しい声色も、この人は常時こんな感じだ。こちらが何か校則違反でもしていない限り、特に恐れる必要もない。

「はい。先輩も、会長に用事が?」

「私は」

 藤枝先輩は少し間を置いて、

「その、彼とお昼を」

 落ちた視線を追いかけると、先輩は朱色の布に包まれた弁当箱らしき物を提げていた。

 頷き掛けたところで、先輩は「いえ」と何かを否定して、

「今度の生徒総会で、風紀委員会からのスピーチがあって。原稿について相談を、少しね」

「ああ、なるほど」

 若干の歯切れの悪さは気になりつつも、それはそれで納得がいった。

 テスト期間明けは風紀が乱れやすい。年末年始など、長期休暇目前となればなおさらだ。

 浮ついた生徒に釘を刺すべく、テスト直後の生徒総会に風紀委員長が登壇するのは、この高校の通例らしかった。

「お疲れ様です。大変ですね、お昼休みだっていうのに」

「私は、別にいつでもよかったんだけど。光永君の身体が空かなくてね」

 そう言って、先輩は天井を覗き込むように見上げた。

 生徒会の知り合いによれば、光永生徒会長は一年の頃、生徒会の書記を務めていたそうだ。

 特に評価されたのは、事務処理能力の高さだった。生徒会に集まる雑多な情報を、効率的に整理できる人材として、とても重宝されていたと聞いた。

 例えば、全部活動は生徒会に対し、毎月経費報告書を提出している。かつて、そのフォーマットは部活ごとバラバラで、作成に時間が掛かる上に、不備も多かったらしい。必然、その整理にも余計な時間を要した。

 だが、そのフォーマットは今年度になって統一され、しかも手書きからパソコン入力へ変更になった。そのあたりの変遷を提案し主導していたのが、書記時代の光永会長だという話だ。

 時代の移り変わり、などと言えば片付いてしまいそうだが、そう簡単な話ではない。非効率だろうと、それまで当たり前に使っていた手段を差し替えるというのは、少なくない負担を双方に強いる。しかも、パソコンで簡単入力などと言われても、パソコン自体使い慣れていない生徒も先生も大勢いる。新しくすれば何もかも上手く行く、とは限らないのだ。

 だが、応援団の先月の報告書を作った俺の所感で言えば、その辺りの不便さはまったく感じなかった。なにせ、配布されたマニュアルに沿ってパソコンを操作するだけで済んだのだ、不便も何も感じる余地がなかった。せいぜい、テンキーの入力には慣れが必要だなと思ったくらいだ。

 マニュアルは、作成者目線に立った相当に親切な物だ。あれならば、担当者が誰でも同じ結果になるだろう。そして最後のページには、作成者として『光永 直紀』の名前が記されている。

 その光永会長が今現在、事務処理に忙殺されているというのも、イメージとは合致する。経費報告の件など一例に過ぎず、学校内にはまだまだ無駄や非合理が蔓延はびこっている。会長の改革は道半ば、やることも山積みなのだろう。その恩恵を受けるいち生徒としては頭が上がらない。

「立派ですよね、流石の勤勉さというか。本当に、会長になるべくしてなったって感じで」

 俺はお世辞抜きでそう言ったのだが、藤枝先輩は「そうでもないわ」と苦笑いを浮かべた。

「根っからの裏方気質だもの。大勢の前で話すの苦手なのよ、彼。会長選だって、数合わせで立候補させられただけだったのに」

 可哀想なことをしたわ、と。そう言ってかれた藤枝先輩の深い溜め息を、俺は初めて目の当たりにしたのだった。



 

 長話をする気はなかった。昼休みは有限だし、藤枝先輩をいつまでも足止めしておくのも気が引けた。

 ただどうしても、これだけは聞いておきたいと思った。

「さっき話してたのはもしかして、一年の転校生ですか?」

「ええ」

 藤枝先輩は即答で肯定した。

 特に意外なこともない。ちょっと空気の悪いところを見られたからといって、はぐらかしたり、言いづらそうに詰まったりするような性格では、先輩はないだろう。

「知り合い?」

「いえ、折鶴さんはうちのクラスの転校生なので」

 そうなの、と淀みなく答えた藤枝先輩は、少しだけ肩を上下させた。

「何か、校則違反でも?」

「いいえ、道を聞かれただけよ」

「はあ、なるほど」

 その返答は、少しだけ意外だった。とするともしや、剣呑な雰囲気云々は俺の勘違いだったか?

 藤枝先輩の、あまりにはっきりとした物言いを聞いていると、自分の感覚と記憶の方が怪しい気がしてくる。むしろさっきのは、生徒会室へと急ぐ焦りや、緊張からくる思い過ごしだった、のかも知れない。

「彼女も生徒会室に用事があったみたいでね。場所を教えてあげたの」

「あれ、そうなんですか。じゃあ、俺は少し待った方がいいかも知れませんね」

「気にしなくてもいいと思うけど。多分、貴方の方が優先度は上だと思うから」

 生徒会の件でしょう、と先輩は言う。折鶴の要件が分からないから、俺にはなんとも言えないことだったが。

 そもそも、折鶴はなぜ生徒会室へ? 転校して日が浅いうちに、生徒会長に挨拶をするような風習など、聞いたこともないのだが。

「なんなら、私が取り次いでもいいわ」

「え?」

「転校生――折鶴さん? が、まだいるようなら、譲ってもらうようお願いしてみるわ」

 と、藤枝先輩は申し出てくれた。

「いえ、先輩にそこまでしてもらう訳にはいきません。俺一人で大丈夫ですから」

 既に色々とお世話になっている身だ。些細なことでも、手をわずらわせてしまうのは気が引ける。

 藤枝先輩は、気にしなくていいのに、と言ってくれたが。当然そんなわけにも行かず、丁重にお断りすることにした。

「別に、このくらいのことなら、私は構わないのにね」

 そう言って、藤枝先輩は引き下がった。その時の表情は、笑っているように見えて――少し、残念そうでもあった。

 そうしたやり取りを経て、この場を去ろうと踏み出した藤枝先輩の脚が、ぴたりと動きを止めた。

「あ――」


 俺と藤枝先輩を階段の上から見下ろす、そのいわおのような眼差しが。

 俺の胴体を――もう塞がったはずの風穴を、否応なくもうずかせた。



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