応援挽歌 6
見慣れた街路樹の枝をくぐる。落葉した木々が届けてくれる日差しもなく、寂しそうな夜空が映るばかりだった。
一星とともに帰路を進み、自宅まであとわずかというところに差し掛かった。
先ほどの一星の言葉通り、擬獣だとか刀だとかの話は一区切りとなってしまった。どころか、気まずい空気が流れ、世話話すら切り出しにくい。
もっと食い入って質問もしたかったが、実際俺も疲れていた。あんな化け物の話、概要だけでも腹一杯だ。新しい情報を得る度に情緒が揺らいで、それだけでも消耗は激しいのだろう。体力にはまだ余裕があるはずなのに、無性にベッドが恋しく思えていた。
「私からも一つ、質問したいことがある」
溜め息を堪える俺に、一星はそんな言葉を投げかけてきた。
「お前が提げていたお守り――兄の形見だと言っていたな。今も持っているか?」
改まって何事かと思えば、その話か。
例のお守りを首から外し、一星に見せる。
中身のなくなった巾着はぺちゃんと潰れ、なんだか頼りない感触だった。
「懐かしいな」
と、そんな感想を零した一星の顔を、俺はついまじまじと見てしまった。
「藍色で、松葉柄。母が作ってくれた背守りに似ている」
「せまもり?」
「子ども服の背中に施す、古い魔除けの一種だ。直接刺繍することもあるが、八剣の家ではこうした巾着を縫いつけていた」
「へえ」
聞き慣れない風習だが、いかにもこの国にありそうな話ではある。彼女の出自は、そうした伝統を守り続ける、由緒ある家系なのだろう。
「じゃあ何か、不思議な力が宿っていたりとか?」
「それはないだろう」
否定が早い。
割とワクワクして質問した俺の期待を、軽々と踏みにじらないで欲しい。
「重要なのは中身だ。お前が知らない間にすり替わった中身が、お前を守ろうと働いていたんだ」
「中身って……」
勾玉。赤い宝玉。
入れ替えたのは兄さんだろう。俺か、両親にか、お守りが渡ることを見越して入れたに違いない。
「…………」
それが、俺を守ってくれた。
守ってくれたんだ。死んでなお、兄さんが。
「野宮 誠一とは、どのような男だったんだ?」
問い掛ける、一星の顔はよく見えなかった。
両目を擦りながら、最後に見た兄の姿を思い出す。
「一言で言えば、天才だよ。成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗、品行方正、将来有望。そんな、どこの漫画のキャラクターなんだって言いたくなるような、凄い人で」
褒め言葉なんか、いくら口にしても物足りない。兄さんは兄さんでしかなく、兄さんを正確に表すことのできる記号は、そんな汎用的な言葉じゃ不適当だ。
でも、ただ。
間違いなく言える、ただ一つの真実として。
「俺の誇りだよ、兄さんは」
過去形にはしない。
一度死のうと。二度死のうと。変わらない。
兄さんは俺の光で、俺の憧れで、道標。昔も、今も、これからも、ずっとずっと変わらない。
「そうか」
相づち一つで終わる、一星の反応が少しもどかしかったけれど。
一星に落ち度は何もない。悪いのは俺の方なんだから。
兄がどんな人格者で、どれほどの人格者なのか。兄を一切知らない人に説明するには、俺は余りに口ベタ過ぎる。それはさっきも思った通りで――
「……?」
兄のことを一切知らない一星が、なぜ兄さんの名前を知っている?
「お前が羨ましいよ、一格」
立ち止まった俺の前へ、数歩一星が歩み出る。
結わえた髪がふわりと揺れて、一星が俺を振り返る。
今日の夜空のような顔をした一星が、静かに俺の顔を見る。
「ではまた明日、教室で。明日もまた付き合ってくれ。今日よりもっと、もう少し、遅い時間まで」
そんな、文字に起こせば色っぽい誘い文句を残して。
一星はいつもの表情のまま、俺の視界から消えていった。
いつもの――まるで、常に誰かと戦っているような、険しい表情で。




