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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 5

「まず大前提だが。私がこれから話すのは、お伽噺や作り話、嘘偽りの類では断じてない。すべて事実であり、どれほど信じ難くとも、それこそが真実なのだと理解して欲しい」

 固まりそうになった首を、無理矢理に動かして頷いた。

 笑い飛ばしてしまいたかったし、頭から否定したい気持ちさえあったけれど。

 どんなに目をそらし、顔を背けたところで。昨日見た光景――あの化け物の存在が紛れもない現実なのだと、俺自身が誰より知っているのだから。

「昨夜、我々が対峙したあの怪物の名は、『擬獣ぎじゅう』」

 擬獣。

 獣(もど)き。

 獣のような、獣を模したナニカ。

 一般的に『獣』と呼ばれる存在と、昨夜の怪物は随分かけ離れていたように思えたが。きっと、だからこそ『擬獣』なのだろう。

「人は、生き物は、死してこの世に思念を遺す。思念とは無念であり、この世界への執着であり、あらゆる生者への羨望――或いは嫉妬、執着、憎悪、殺意。そういった感情が寄り集まり、長い年月を掛けて形成したモノが、擬獣と呼ばれる怪物となる」

 知らず、鳥肌が立つ。

 あのグロテスクな肉塊の、まるで機械のように俺たちを襲ってきた姿を、否応なく思い出す。

 俺たちに落ち度はなかった。

 相手が獣であるならば、襲われるには理由がある。攻撃した、縄張りを犯した、所有物を盗み取った、そういう素振りを見せた。そんな、自然界の掟とも呼ぶべきルールを侵害したとき、彼らは当然のように怒り狂う。それは時に、自分たちよりも大きな人間すらも相手取り、戦うのだ――ただ、生存本能のままに。

 でも、違うのだ。

 擬獣とは、そうではないのだ。

 生きているから殺すのだ。

 生きて、そこにいることが許せないから、殺すのだ。

 擬獣とは、そういうモノなんだ。

「それは――幽霊とか、妖怪とか、ああいったモノなのか?」

 死者の思念、などと言われれば、まず思い付くのはそれだろう。安直かも知れないが、そうやって理解しやすい造形に当てはめたくなるのは仕方がない。

 しかし一星は、そんな俺の内心を見透かしたかのように一瞥して、緩やかに首を振った。

「似て非なる、と言うべきだな。魑魅魍魎ちみもうりょう、妖怪変化として言い伝えられるほとんどは、たいていは創作の類でしかない。昨今語られる怪談話、都市伝説などはその最たるものだ。まあ、本物の擬獣が、それらの原型となった事例くらいは、あったかも知れないが」

「そうか……」

 オバケだのモノノケだの悪趣味なオカルトだの、そんなものを今更怖がりたくなんてなかったが。それすら、ホンモノを前にしてみれば、幾分デフォルメされた姿だったということだ。

 高校生にもなって、臆病にもほどかある、なんて。――ただひたすら、無知なだけだった。本当に怖いものを、知らないだけだったんた。

 暗い夜道を歩くとき、俺たちは細心の注意を払っていたつもりだった。

 でも本当は、目も耳も塞いで歩いていたようなものだったのかも知れない。

「理由も終わりも何もない。永劫、人類を害するために在る天敵。人にとっての悪そのもの。擬獣とはそういう存在で、我々はその悉くを、打倒し尽くさなくてはならない」

 そう締めくくる一星の横顔には、強い使命感があった。

 常在戦闘――揶揄していたつもりはなかったが、多少なり大袈裟だと捉えていた自分が、今では恥ずかしい。

 一星にとって、擬獣の脅威は昔からの現実で、常に警戒するのが当たり前だったんだ。

 今でも信じられない。

 擬獣の存在が、ではなく。

 あのような化け物を。人の天敵だと呼ぶより他にない怪物を。

 この少女は、倒したのだ。

 このか細い腕で。この小さな身体で。

 大の大人でさえ、為す術もなく貪り喰われるだろう敵に、彼女は勝利したのだ。

 誰にでもできることではない、断じて。

 擬獣を敵と定め、打倒できる力を得るために、彼女が積み重ねてきた日々を想う。

「凄いな、一星は」

 それは、そのあまりにも陳腐な褒め言葉は。

 口にした俺自身が、その言葉に驚くくらいに。心の底から飛び出した、素直な本心そのものだった。

 八剣 一星という少女の素性。あの刀が持つ力の正体。そこにどのような事情、どのような背景があろうとも、彼女に対するこの賞賛は、揺るぎない本物だった。

「…………」

 一星は、すぐには反応を返さなかった。

 世辞が過ぎると憤ったのか。俺の語彙力のなさに呆れたのか。あるいはその両方か。

 怒られたとしても、どうしようもないことだ。口の上手い悠助のように、ペラペラと美辞麗句を並べ立てるのは苦手だ。

 でも、だからと言って、口に出さずにはいられない。

 口なら何とでも言える、けど。

 口に出さなくちゃ、この気持ちは伝わらないから。

「たわけ」

 やはり、一星は怒ったように前方を睨んで、ぶっきらぼうにそう言い捨てた。

「そのような、他人事では困るな。擬獣の脅威は、無差別にばら撒かれるものだ。この街の『段階』を考慮すれば、私一人では流石に手に余る」

「はい……」

 勢いで首肯してしまったが、しかしそんなことを俺に言われても困る話だ。

 並々ならぬ努力を越えてきた一星ならばいざ知らず。その他大勢の俺にできることは、一星の後ろで声援を飛ばすくらいだ。

 一星と手分けして、俺も擬獣と戦おう――なんて、考える余地もなく無謀な話だ。一星の盾にすらなれない自信がある。

「まあ、その話はおいおいに。今すぐどうにかしろとは言わんよ」

 うなだれた俺をどう思ったか。一星はそれ以上追求することもなかった。

「この話は終わりだ。知りたいことは他にもあるだろうが、明日にしよう。一度に詰めても飲み込み切れまい」

 そこまで器用なタチではないだろう、と。慰められているようで、どうにも情けない気分になった。

 あんな化け物に、俺が太刀打ちできるわけがない。それはどうしようもない事実だし、足掻きようもない現実だけど。

 それでも、思わずにはいられない。ただ声援を送るだけじゃない。俺にも、もっと違った応援ができたら、どれほど良かったかと。

 そう思った。

 ずっと、そう思っていた。

 そうだ、もしも。もしも本当に、一星の力になれる奴がいるとするなら。

 兄亡きいま、本当の意味で一星を助けられる才覚の持ち主。それは俺の知る限り、たった一人。俺が無力を嘆くたび、アイツのようになれたならと、思い描く万能の天才。

 ああ、俺にも。

 悠助――和知 悠助のような才能が、あったなら。

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