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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第二章 応援挽歌
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応援挽歌 3

「おはよう、悠助、竜之介! 生きてるって素晴らしいよな!」

 と。教室に入って開口一番、今の心情を素直に口に出したのだが。

 両名は一瞬ぽかんとしたあと、とても哀れみ深い視線を送ってきた。

「その、おはよう、野宮君。そういえば、お兄さんが亡くなったんだってね。上手く言えないけど、強く生きて」

「いや竜之介、それは別にいま関係なくてな」

「一格、悲しかったら悲しいと言っていいんだ。僕らは親友だろう?」

「お前はさ悠助、どうしたらそんな台詞が素面でペラペラ出てくるようになるんだ?」

 流石に昨夜のことは話せないと思ったが。だからこの気持ちまで隠し通すのには無理があった。

 生きている。生きている生きている生きている。

 あれは夢ではないのだ。八剣 一星という少女と共に、凶悪極まる化け物と遭遇し、そして生還したのだ。まさに九死に一生を得たというもの。気分が高揚するのは仕方がない。

 起き抜けは少し、兄さんのことを思い出してしまったが。顔を洗って、朝食をとって、晴れた空の下を歩いて学校まで来たら、そんな気分は吹っ飛んでしまった。

「昨日僕と別れたあと、彼女と何かあったのかな?」

「いいや。普通に別れたよ」

「彼女? 別れた? 野宮君、誰か女子に振られたの? それで頭がおかしくなっちゃったの?」

「うん、説明面倒臭いからもうそういうことでいいよ」

 竜之介の顔面が無邪気にも憐憫に染まりきったが、大して気にもならない。

 学校鞄を机に引っかけ、自席に座る。ホームルームの予鈴までもう間もなくというところだった。いつもはもう少し早く教室に入るのだが、今日は応援団の朝練に熱を入れすぎた。一時間以上前から登校しているのに遅刻しました、なんて馬鹿馬鹿しいことにならずに済んだ。

 血がよく巡っている。頭がぐるんぐるんと回転している。昨日からこんな感じで、夜はよく眠れたものだと我ながら感心する。

 しかし今思えば、こんな有様ですら熟睡できてしまうほど、昨夜は疲れていたのだろう。それほどまでに、昨夜のあの出来事は刺激的で、濃縮されていて、常識はずれだった。


『遠からず、お前の疑問には答えよう。ひとまず今日は帰るがいい』


 一星には、色々と聞きたいこともあった。けれど結局、昨日はそのまま別れてしまった。

 あの怪物は何なのか。お守りに入っていた勾玉は何だったのか。錆びていたはずの刀が、新品のように輝いたのはどういう奇跡なのか。八剣 一星とは、一体何者なのか。

 もやもやとする気持ちは確かにある。けれど『答える』と、一星は約束してくれた。

 その約束は決して違えられることはないと、俺はほとんど確信していた。誰より真っ直ぐ、自分の言葉に筋を通す――彼女はきっと、そういう人間だと思ったからだ。

 あるいは、一星の話を聞くことが。兄の死の真相にさえ、たどり着くことができるんじゃないか。そんな風にさえ思っていた。

「元気になったみたいだね、一格」

 予鈴が鳴り、悠助が自席に戻ってきた。俺の前の席だ。奴の長身に乗っかった頭は常々授業の邪魔なのだが、あまり文句は言っていられない。どちらかと言えば、俺も邪魔がられる側の体格なのだ。

「誠一さんの訃報以来、少しおかしかったから。心配していたんだよ」

「……そんなおかしかったか?」

「うん、すごく」

 そう言う悠助の笑みが、まだ少しぎこちない風に感じられて。なるほど深刻だなと、自分の心の不安定さを自覚した。

「悪い。そう言えば、親にも心配されたよ。冬休みには旅行にでも行こうかって」

「いいじゃないか。家族水入らず、少し気張らししてくるといい」

「いや、でも冬休みだって応援団の活動はあるし」

「その流れで断るの、ちょっと空気読めてなさすぎじゃない?」

 呆れるな、と悠助は苦笑していた。

 そんなことを言われても、それが俺の平常運転だ。応援やそのための練習を休んでしまったら、それこそ落ち着かない。俺が俺じゃないみたいになる。

 今朝だってそうだった。声を張り、身体を鍛えているとき、余計なことは考えなくて済む。落ち込み過ぎも張り切り過ぎもないニュートラル。それこそが一番の息抜きになる。

「ああ、そう言えば聞いたかい? 一格」

「なにが?」

「今日からうちのクラスに来るっていう転校生の話」

「……転校生?」

 その単語は、様子を窺うような顔の悠助に言われるまでもなく、一星の姿を連想させた。

「まさかだよねぇ。昨日の今日だよ、彼女だなんてことがあると思う?」

「まさかだろ、それは。そんな漫画みたいな話が現実にあるかよ。というか、ご都合主義すぎて漫画でも却下されそうだ」

 八剣 一星が、今日このクラスに転校してくる。そんなことがあり得たとしたら、それはどういうことなのだろうか。

 偶然、そういうことが起こる可能性はある。しかし普通、転校生が来るなんてことがあれば、もっと早くに噂になっていてもおかしくない。一般生徒である俺たちが知り得る前に、転入手続きをしている先生たちはとっくに把握しているはずだし。そうなれば、話が洩れて出るのも自然なことだ。

 それがもし、本当に今日突然転校が決まって、しかも一年生で、四つあるうち俺たちのクラスに入って来るというのは。そんなものは完全に、狙い澄ましているとしか言いようがない。仮に、本当の偶然で転校生が来るのだとしても、登校初日は年明けになるだろう。何を間違えたら、中間テスト目前のこんな時期に移ってくることになるというのか。

 そんな不自然、そんな異常を可能にするのは、金か、コネか、謎の影響力か。はたまた摩訶不思議な超能力のなせるワザか。いずれにせよ尋常なものではない。

「でもまあ、楽しい方に考えればさ」

「ん?」

「彼女みたいな人が、そんなご都合主義的な方法で転校してきてくれたなら。これからなかなか、退屈しない毎日が過ごせると思わない? 一格」

「そりゃあ、楽しい方に考えればなあ」

 退屈な日常が都合良く壊れて、適度にスリルのある非日常に浸りたい。そういう願望が、俺にも少しくらいはあったと思う。今は落ち着いてきたけれど、中学生の頃がピークだったろう。

 でも、俺は知っている。

 命と同じくらい大事なものを懸けて、勝つか負けるかギリギリのところで戦うということ。そんなものは存外どこにでもあって、そういう場所に身を置いている人たちも、実は大勢いるということを。

 勝つために、日々血の滲む努力している人たちも、ちょっと探せば簡単に見つかる。彼らにとって日常とは、決して退屈なものではあり得ない。それを俺は、応援を通じて知ることができたから。

 彼らを知る者として、応援する者として。この日常を、退屈なものだとは言えなくなった――あまりにも、申し訳なさすぎて。

「まあ、どっちでもいいよ。そもそも俺は、別に退屈してる訳でもないし」

「そっか。そうだね、一格には応援があるしね」

 悠助は揶揄するように口元で笑って、やれやれと肩をすくませて見せた。

「なんだよ。お前は退屈してるのか、悠助」

「君ほど打ち込めるものがないから、多少はね」

 ため息混じりにそんなことを言う、悠助の内心は分からない。

 何もせずに退屈だというならば、何かすれば解決するだろうが。

 悠助は、何でもできてしまうからこそ、退屈なのだろうから。

「というか悠助、昨日とは随分と考え方変わってないか? 一星にはあんまり関わるな、みたいなこと言ってなかったか?」

「そうだっけ?」

 驚くほど爽やかにとぼけられて、言葉に詰まってしまった。

「でもほら、本当に転校してくるとなれば、身元不明挙動不審の要注意人物から、クラスメイトの女の子にランクアップするわけだからね。警戒は解いて然るべきじゃない?」

「そうか? そんなに違うか?」

「大違いさ。身分証明って大事なんだよ、この社会」

 よく分からないが。

 ともあれ、悠助が一星を色眼鏡で見るようなことがなくなるのなら、俺としては喜ばしい話だ。

 一星はいい子だ。頼まれなくたって、応援したくなるような努力家なんだ。

 もしもクラスメイトになれるなら。悠助とだって、打ち解けてほしいんだ。

 と、そこで。

「みんなおはよう。さあさ席について。スピーディに朝会終わらせないと、また一限目の授業が遅れてしまうから」

 いつの間にか教室に入ってきた担任の時任先生が、出入り口を閉めつつ声を上げた。

 先生はいつもの癖で、眼鏡を押し上げてから教壇に立つ。化学準備室で珈琲をご馳走してくれたときと違い、角張った眼鏡だった。種類の違う眼鏡をいくつも持っているので、その方面のコレクターであるというのが定説だ。

 クラスメイトはゆっくりと、口々に挨拶を返しつつ着席していく。

 威厳のある先生とはお世辞にも言い難い人だが、しかし親しみやすく、生徒たちからは好感を持たれているのだ。

「トキせんせトキせんせ、転校生来るってマジ? っていうか今もう外にいるよね?」

 と聞いたのは、最前列右側に座る我妻わがつま 竜子りゅうこである。

 我妻さんの通りの良い声で、クラスがしんと静まりかえった。

「あれ、情報早いね。驚かそうと思ったのに。じゃあ早速、入ってきてください」

 時任先生に促され、我妻さんの目の前の扉ががらりと開く。

 わっと教室が沸いた。男子の声が大きかったのは、入ってきたのが可憐な女子だったからだが、女子の方も負けてはいない。

 案の定というか、何というか。入ってきたのは誰あろう、八剣 一星その人だった。昨日との違いは、着ている服が冬樫高校のもの――黒のブレザーと青いチェック柄のプリーツスカートになっていることくらいか。

 相変わらずの厳しすぎる表情で、無駄というものが一つ残らず切り落とされた歩き方で、赤いリボンとポニーテールを揺らめかせて。

 昨日の怪我も大事なさそうだと、俺は一人安堵していた、のだが。

 もう一つ、またしても上がった歓声に、思わず飛び上がりそうになった。

 いま、何が起きたのか。俺には、すぐに理解することができなかった。

「はい、彼女『たち』が転校生です。手前が八剣 一星さんで、そちらが――」

 時任先生が示した、その二人目の転校生は。

 真っ黒なボブカットで、一星とは対照的に穏やかな目元。若干の緊張も見える硬い表情だが、浮かんでいる微笑みからは優しい性分がにじみ出ている。

 一星と比べれば、背丈はわずかに低いくらいだが、体格はさらに華奢だ。気軽に触れたら折れてしまいそうなほどの儚さは、一星とは違う意味での危うさを感じさせる。

 取っ組み合いで一星には敵うまい、というのは誰の目にも明らかだったが。そもそも争いごとがまったく似合わないほど、その雰囲気は柔和一色だった。

 きびきびと一礼をする一星の隣で、その少女は静かに会釈して見せた。

「――折鶴おりづる 美優みゆさんだ。これからよろしく頼むよ、みんな」

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