応援挽歌 1
座り馴染んだゲーミングチェアに腰を下ろす。小気味良い軋みと共に重心が沈み、浮き足立っていた心も落ち着きを取り戻してきた。
急拵えの自室だったが、居心地は悪くなかった。地下に沈んだ一室に窓はなく、一筋の光も入ってこない。代わりに、喧しい他人の笑い声も、汚らしい車のエンジン音も、不快な一切を遮断してくれる。
部屋の明かりを消しているのは、言ってしまえば気分の問題だ。しかしどうにも、この気分というものは馬鹿にできないと、最近になって分かってきた。
身体のコンディション、心のコンディション。どちらも万全を期して初めて、能力は最大限発揮される。
それは、アスリートでもデスクワーカーでも同じであり。
それは、俺たちのような『異能者』にとっても、同じ事なのだから。
『やあ、〈ゲルト〉。今日も使わせてもらうよ』
若干の電子的ノイズがまとわりついた、若い男の声が聞こえてきた。
周囲を見回す必要もなく、その声に該当する人物はこの場にいない。
サウンドオンリー。俺が組み上げた音声会議なのだから、それは当然のことだった。
その声は、目の前のスピーカーから流れてきたのだ。
俺の作業机の上には、スピーカーを含めたデスクトップパソコンの一式が定位置に配置されており。
三十型のディスプレイには、九つの名前と、それぞれと『回線が繋がっている』ことを示すアンテナアイコンが表示されている。
『おや、少しインターフェースが変わったね。より直感的な操作感になったのかな? 流石は〈ゲルト〉、若きゲームクリエイターはなんでもこなしてしまうね』
開始時間前だというのに、ログインするなりぺらぺらと喋り出すのはいつも〈青年ヨアヒム〉だ。会議中すら一切話さない参加者もいる中で、この男だけは一番の多弁である。
『えーっと、まだ来ていないのは……。あれ、もう揃ってるんじゃない? 一人だけ名前がグレーアウトされてる、この〈シモン〉って誰?』
誰も反応しなくとも、〈ヨアヒム〉は勝手に喋り続けるのだろうが。進行役である俺の一番の仕事は、この男に主導権を渡さないことだ。
今は一分一秒が惜しい。こんな定例会議はさっさと終わらせて、俺は俺の作業に戻りたいのだ。〈ヨアヒム〉などに付き合っていては夜が明けてしまう。
「〈負傷兵シモン〉は、つまり先代〈ならず者ディーター〉だ。今日は不参加」
『ああ、そっか、あの人か。ってことは、今参加してる〈ディーター〉は前回とは中の人違う? やっほー、初めまして。音声いってる? マイク入ってる? ちなみに僕は、初参加のときミュートなのにも気付かず三十分くらい一人で喋り続けてた猛者、〈ヨアヒム〉です!』
初めて通話する相手でも、〈ヨアヒム〉の調子は変わらないらしい。その応答が、誰からも、相槌一つ返ってこなくともだ。
二代目〈ディーター〉が今、通話用の端末の前にいることは、主催の俺には分かっている。呼びかけられているのが自分だというのも、彼には分かっているだろう。要するに、〈ヨアヒム〉に応じて発言する気がないという話だ。
どうやらこの〈ディーター〉も、協調性は最悪な部類らしい。まったく先が思いやられる。
「時間だ。茶番は終わり、会合を始める」
『うーん、残念。みんなもっと喋って欲しいなぁ。僕たち仲間だろ、仲良くしようよ』
「余計なことは喋らなくていい」
やれやれ、と〈ヨアヒム〉は諦めたようだ。
もちろん、これくらいで弁えを覚える扱いやすい人間でないことは、この場のほとんどが理解している。奴は誰より優秀で、誰より子どもじみていると。
ともあれ。また横やりを入れられる前に、さっさと本題に入ることにする。
呼吸を整え、今日の議題をざっと脳裏でなぞる。腹の満ちた猿でも分かる進行をしなければと気を引き締める。でなければ、この会議は永遠に終わらないのだ。
「敵方のゲーム参加者がおおかた揃った。知らない奴もいると思うけど、空席だった二つを埋めたのは、『あの』一臣の妹と、そして誠一の弟だ」
ざわり、と。声にならない動揺が通話に混じった。
各々、色々な感情があるのだろう。俺もできれば、二度と口にしたくない名前だった。
『うふふふふふふ。あらあらあらあら』
上機嫌に、あるいは挑発的に。〈シスターフリーデル〉の、甘ったるく艶やかな声が響いた。
脳みそが茹だりそうになるのを、額を小突いて抑える。
「なんだ、〈フリーデル〉。意見があるなら端的に言え」
『いーえ、別に? ただ、〈ヨアヒム〉くんと〈パメラ〉ちゃんは失敗しちゃったのねーって、ちょっと愉快に思っただけよ』
シスターは、その肩書きからは大きく外れた皮肉を、あまりにも楽しげに口走った。
手厳しいね、と〈ヨアヒム〉は笑い返したが、〈村娘パメラ〉の方は沈黙を貫いた。
予想はしていたが、面倒臭いことになりそうだ。そもそも、この一癖も二癖もある参加者の中で、自発的に発言して面倒にならない人間などいない。
唯一の例外が、よりにもよって今回欠席している〈シモン〉なのだ。彼は実に話の早い男である。この珍走団じみたメンツの頭目としては実に有能な逸材だ。
『ううん、いいのよ。〈ヨアヒム〉くんは前の戦いの功労者だもの。貴方を責めたりなんかしたら、それこそ罰当たりというものだわ。だけど……』
終始くすくすと笑声を含ませながら、よせばいいものを〈フリーデル〉は続ける。
『困ったことになったわねぇ。だって、とっても大変だったじゃない? 我らがリーダーが戦線離脱するほどの怪我を負ってまで倒した彼ら、その後継者をまんまと敵戦陣に迎え入れちゃったのよ。その可能性を、私たちは事前に知り得ていたっていうのに』
その記憶は、この場にいるほとんどの者が共有している。
八剣 一臣。
野宮 誠一。
辛くも勝利した『前期のゲーム』で、こちらのメンバーはその半数を失った。いま現在、かつての戦力を取り戻せたとはお世辞にも言い難い。その証拠に今回、本来参加予定のなかった番外戦力の〈フリーデル〉が頭数に入っている。
特に厄介だったのは、野宮 誠一の方だ。
一臣も前評判通りの実力者だったのだろうが、最後の戦い以外は姿を見せなかった。その代わりに最前線で戦い続けたあの誠一という男に、俺たちは幾度となく、煮え湯を飲まされる羽目になったのだ。
『これは誰のせいなのかしら。誰が責任を負うべきなのかしら。ねえ、どう思う?〈パメラ〉ちゃん』
おおよそ、その矛先は見え透いていた。
話を振られた〈パメラ〉は、なおも黙ったままだ。
『あの決戦で、誠一の策を見破ったのは〈ヨアヒム〉くん。最終的に誠一を追い詰めたのも〈ヨアヒム〉くん。ねえ、〈ヨアヒム〉くんの活躍がなかったら、私たちはあの男一人に全滅させられていたかも知れないわ。〈青年ヨアヒム〉じゃなくて、〈英雄ヨアヒム〉と呼び称えるべきだわ』
まさしく英雄譚でも語るように言ってから、〈フリーデル〉は熱っぽい吐息を漏らして、
『ねえ、そうは思わない? 勧誘にも失敗して、貴重な戦力候補を『二人』も敵に奪われちゃった、ただの村娘の〈パメラ〉ちゃん?』
空気が重苦しく沈む。
音声のみの会議とはいえ、そういった空気は如実に伝わってくる。あの〈ヨアヒム〉が言葉に迷っているのだから、恐らく状況は感じている以上に酷い。
それを、〈フリーデル〉は楽しんでいる。言っていることに間違いはない、確かにないのだが。聖職者の名を冠するこの女は、その実生粋の悪魔である。
他人の汚点を嘲笑い、他人の美点に影を指し。他人が懸命に積み上げた石の山を、慈悲深い顔をして蹴り崩す。彼女にとって他人とは、己の欲を満たすための玩具に過ぎないのだろう。
『〈フリーデル〉さん。貴方随分と、誠一さんを警戒していたのね』
静かに。けれどか弱さなど微塵も見せず。〈パメラ〉が初めて口を開く。
『重みが違うわ。殺されかけて、無様に逃げ帰ってきた人が言うと』
『――――!』
ざりざりと、断続的な電子音が入る。許容を超えた大音量や高音が、ノイズとして自動除去された結果だ。
知らず頭を抱える。
果たして〈フリーデル〉は何を言ったのか。誰にも届いてはいないが、大体の方向性は嫌でも分かる。
通話越しでも刺しかねない、〈フリーデル〉の殺意が通り過ぎていく。いや、彼女であれば、実際に刺し殺しに向かってもおかしくはない。恐らく、それほどの剣幕だったのだろう。
この会議の参加者は基本、お互いの素性を知らない。
だが役柄上、〈フリーデル〉は数少ない例外だ。彼女は本当に、散歩にでも出掛けるような気軽さで、今すぐにでも参加者の誰かを殺しに行ける。味方内での衝突がこれまで一度も起きていない、その事実こそが不思議なのだ。
だから、みんな〈フリーデル〉の悪癖はほとんど放任しているし。
だから、そんな〈フリーデル〉をも刺し返す〈パメラ〉も、ある種異常であると言わざるを得ない。
「お前ら、いい加減にーー」
流石に目に余ると、声を上げようとした俺と、まったく同時に。
『うぜぇんだよ、クソやかましい女ども』
また別の男が、会話に紛れ込んできた。
『おや。今のはもしや〈ディーター〉かな?』
目ざとく〈ヨアヒム〉が声を拾う。そして参加者の全員が、新顔〈ディーター〉の二の句に注目する。
必然的に言い争いは止み、それは〈ヨアヒム〉の功績だ。時に調和を重んじるような彼の言動は、どうにも基準が分からないが。自分が中心に場を乱すのはよくても、他人が場を乱すのはよろしくない、ということなのかも知れない。
まさか〈ヨアヒム〉が、〈パメラ〉を庇ったわけでもないだろうし。
『七面倒くさい準備までさせられて呼ばれてみれば、どいつもこいつもくだらねぇ言い合いばっかりしやがって。なあおい、〈ゲルト〉とかいうお前。こんなもの、俺がわざわざ参加してやる意味なかっただろうが』
ただ一人、完全に初参加な〈ディーター〉は、威勢良くそう吠え立てた。いや、初参加だからこそ、怖いもの知らずになれるのだろう。彼と〈パメラ〉では事情が違う。
その無鉄砲さも、俺にとっては僥倖だった。
「そうだな、同感だ。丁度いいから本題に入るが、〈ディーター〉。お前にはいてもらわなくちゃ困る。なんせ今回の会議は、お前の処遇が本題なんだから」
なに、と。不機嫌さをありありと示すように、〈ディーター〉が唸る。
『そーよそーよ。元はと言えば、新しい〈ディーター〉くん。貴方が勝手に動いたせいで、ほとんど無力だったあの二人を覚醒させちゃったのよ。八握剣を破壊するチャンスですらあったのに、それが今やツナシの魔本の庇護下でしょう? 大損よ』
勢いを削がれた〈フリーデル〉が、なおも藪をつつく。
『しかも最初は取り逃がして、二回目は擬獣まで利用したんだって? 例の包帯女に邪魔されたからって、ちょっとお粗末すぎるんじゃない?』
『は? るっせえな、臆病者が雁首揃えてよ』
酷い話だ。リテラシーの低さに頭が痛い。
匿名性や、目の前に相手がいないという状況は、時に人を増長させる。
面と向かって言えないことも、電話やメールであれば言えてしまう。いい意味でも、悪い意味でも。
「〈ディーター〉。俺たちの活動における大義名分は、擬獣に対する自警。確かに、多少の誘導を可能にする術を得てはいるが、おいそれと使っていいかと言えば、それは違う。ここにいる面子だって、決していい気はしないだろう」
擬獣。異形の怪物、死んだ命の寄せ集め、人間の天敵。俺たち異能者が、何をおいても討伐しなければならない化け物。
俺たちは、アレらを狩るものだ。アレらから、街のみんなを守ることが使命なのだと。少なくとも、そうやって俺たちは集っている。
忌むべき敵であっても、他者を害する武器ではない。
『言いたいことはそれだけかよ、〈ゲルト〉』
恫喝するような〈ディーター〉の言葉に、俺はと言えば白けていた。対面していれば、或いはその気配も感じ取ってもらえたかも知れないのだが。〈ディーター〉は勝手にヒートアップしている様子だ。
『あの化け物を、ゲームの獲物にするんだろ? それが女神さまの言う通りなんだってな?』
「それだけじゃない。それは最終的に、全員の合意で定めたルール。目的を果たすためなら毒を飲むと、全員が手を汚す覚悟で決めたことだ」
『だから、化け物使って、あの機関とかって連中をぶっ殺すんだろ。何が違うんだ、結果的によ』
「大義と尊厳の話をしている」
『だっせえ』
同感だよ。
そんな言葉を飲み込んだ俺を、言い負かしたとでも思ったか。〈ディーター〉は蔑むように鼻で笑った。
『俺の処遇? 好きにやってろよ。俺に命令できるのはあの人だけだ。あの人がいないなら、お前らに付き合ってやる義理もない。勝手にやらせてもらうぜ』
言いたいだけ言って、〈ディーター〉は通話を切ってしまった。
アンテナのアイコンはグレーアウトされ、〈シモン〉と〈ディーター〉の名前が一覧の最下部で仲良く並んでいる。
『災難だったねぇ、〈ゲルト〉。あんまり気にしない方がいいよ』
折角静かになったのに、同情するような〈ヨアヒム〉の声がやかましい。
しかし、言われるまでもない。あんな輩は哀れとしか思わない。ああいった手合いは早死にするのがお決まりだ。そういう役割だと思えば惜しくもない。
『で、〈ディーター〉のことはどうするんだい。僕は別に、新人のワンミスくらいお咎めなしでもいいんだけどさ。〈パメラ〉あたりは気にするんじゃない? そういうの』
『知ったような口を利かないで、〈ヨアヒム〉。でもそうね、組織の腐敗というものは、ああいう末端から始まるものよ。放置は下策ね。相応の処分は必要だと思うわよ、〈ゲルト〉』
一理はあるだろう。無法者の集まりと言われれば否定はしないが、組織として行動する以上規律は必要で、時に罰則を科すこともやむを得ないことだ。
そういう指摘をしてくれるのは、この中では〈パメラ〉くらいだ。〈フリーデル〉は煙たがっていたが、そういう意味では必要な人材であると俺は思っている。
「放置はない。だが、罰を与えて反省するようなら苦労はない」
先ほどのやりとりから、〈ディーター〉の性格はおおよそ掴んだ。そもそも俺以上に、こいつらのパーソナリティを理解している人間はいないと自負している。
制御のできない厄介者も、それならそれで使い道はある。
「やりたいようにやらせる、それだけだ。どうせ『余剰』。前期ゲームの戦利品としては割に合わないが、敵の新戦力の試金石としては申し分ない。〈フリーデル〉、助力が欲しい」
『了解よ、〈ゲルト〉くん。ちょっと時間を貰うけど、お似合いの子を見繕ってあげるわ』
嬉々として〈フリーデル〉が返してくる。煽り屋のくせに沸点の低いこの女も、扱い方を理解すればどうとでもなる。
俺のゲームメイクに不備はない。
前期は不満だらけだった。今期になってようやく、俺の能力はカタチになりつつある。
今度こそ、今度こそ。俺は納得のいくゲームを完成させる。
そのために、誰をどれだけ犠牲にしても。
この街の守護者の座を賭けた、八対八の戦争ゲーム、第二回戦、チーム『VAX』。
八人のプレイヤー。
八人のロール。
八人の役職。
ゲームマスター〈楽天家ゲルト〉。
共犯者〈青年ヨアヒム〉。
狩人〈村娘パメラ〉。
番犬〈ならず者ディーター〉。
妖狐〈シスターフリーデル〉。
罠師〈少女リーザ〉。
観測者〈司書クララ〉。
「そういうことで、問題ないな? 〈ジムゾン〉」
この議題の最後に。
俺は、お目付役の名前を呼んだ。
『はい。よろしいですとも。すべては女神の御心のままに』
霊媒師〈神父ジムゾン〉。
その、恭しく歌い上げるような男の定型句で、この議事は締めくくられた。




