星と羽翼 21
一刀両断。
人知の埒外、人類の天敵とさえ思えた化け物が。野菜か何かのようにあっさりと、真っ二つに分かたれた。
なぜ? いったい何が起こったのか?
目の前で起きたことなのに、そんな問いを何度も反芻してしまうほど、その光景は衝撃的だった。
寒気すら催す、肌を刺すような絶叫は、どう聞いても断末魔で。
逆巻く突風に乗って霧散していく怪物は、どう見ても再生不可能で。
怪物を打ち倒したのは紛れもなく、八剣 一星と、彼女が握る太刀だった。
太刀――それは先ほどの錆び付いたナマクラとは、完全に別物だった。
本来の姿を取り戻した日本刀。街灯もない裏路地で、微かな星光を受けて淡く光る、白銀の刀身がそこにある。
美しい刃紋は、紛れもなく芸術品だった。穏やかに揺れる湾れの刃紋は、まるで流れゆくおぼろ雲。燦々と煌めく匂いは星屑にも似ている。突き抜ける青空と、静かに瞬く星空が同居する鋼の表情。矛盾を飲み込んで調和させる奇跡の顕現。
細くしなやかな刀身はそれでも、小柄な一星が持つにはかなり大きく見える。だが、なぜだろう。先ほどまでとはまったく違って、馴染んで見える。名のある刀匠が、一星のために鍛えた一振りであるかのように合致している。芸術品と呼ぶのなら、持ち主である一星を含めてそう呼ぶのだろう。
何かが変わり、何かが始まった。
きっと、認められたのだ。
一星は、あの刀の、本当の持ち主になったのだ。
「倒した? 勝った、のか?」
時代劇さながらに淀みなく納刀する一星を、最初は呆然と眺めるしかできなかった。
だが、一星の足下に滴る血を見て、それどころではないと駆けだした。
「一星! 怪我の具合は? すぐに病院へ――」
「人の心配をしている場合か、たわけが!」
心配して声を掛けたというのに、恐ろしい形相で怒鳴られた。
理不尽だ、などと抗議の声を上げる間もなく。
「ぎゃあ!」
一星は、俺の服を強引にめくり上げた。
「ぎゃあではないわ! 先刻の傷はどこへやった!」
「どこへって、そりゃあまだ……」
そのままだろう、と言い掛けて、露出した腹部に手をやってみたが。
風穴が開いていたはずの胴体は、血塗れでこそあるものの、まったくの無傷だった。
血塗れというか、べっとりだ。粘性の低い日焼け薬でも塗りたくられたようで気持ち悪いし、外気に晒されてかなり冷える。
「……気のせいだった、とか?」
「そんなわけがあるか。誰がここまで運んできたと思っている。お前は間違いなく重傷で、間違いなく死にかけだった」
なんだ、それは。
いや、確かに俺の意識は、かつてないほどに朦朧としていたけれど。今はその影響も一切なく、むしろ調子がいいくらいだった。ランナーズハイに近い感覚だ。久々にフルマラソンに挑戦したくなる。
「だが、治っているな。完全に」
「そんなことってあるか?」
「稀にある」
「とりあえず寒いんですが」
どこまで本気なのか。一星はようやく手を離して、化け物が消滅したあたりを見る。
その視線の先では、窮屈な路地が居座っているだけだった。
「まだ不明点も多いが、おおよその状況は飲み込めた。進展はあったが、やはり事態は差し迫っている」
一星は、自身の持つ刀を掲げてみせる。
その柄の先端には、いつの間にかあの勾玉が、朱色の紐で括られていた。あるべき場所へと返ったように、馴染み同調した姿に見える。
「野宮 一格、お前に問う」
ふと、一星が真っ直ぐこちらを見据える。
否応なく、最初に逢ったときのことを思い出す。それはつい先日の話で、なのにずいぶん昔のことのように思えた。
「お前は、既に巻き込まれた。引き返せるとしたら、今が最後の機会だろう」
「最後?」
「このまま進めば、先ほどのような化け物に襲われることも、そしてまた死にかけることもあるだろう。今度こそ、その命を落とすかも知れない」
「…………」
根拠のない予言だ。これ以上ないほど真剣な眼差しでも、冗談を言っているのだと思えてならなかった。それほどまでに荒唐無稽で、信じがたい出来事だったから。
だけど。違うのだろう。
それはきっと、本当になる。
中身のなくなった、兄さんの形見を握り締める。
あの白昼夢で受け取った、弓の感触を覚えている。
日常から転落したさき。後戻りできない一方通行。
無事に、安寧に、なんとなく、最期を迎えることのできる道を、明らかに外れてしまう崖っぷち。
その先へ行けば、俺は今度こそ死ぬかも知れない。
「それを承知の上でなお、私は」
一星の瞳が揺れる。
その心境は分からない。高圧的な台詞の割に、声はどこか心細そうで、不安がまとわりついているようだった。
見た目通りの、未熟な少女然とした声で。
「私には、お前の力が必要だ」
「――っ!」
それは、まるで告白のように。
狭く遠い、冬空の下で。喧騒から離れた、ただ二人きりのこの場所で。
「一格。私に、力を貸してはくれないか?」
その問いの意味を、一拍置いて理解する。
映画のようだという感想を、すぐさま錯覚だと切り捨てた。
なんだ。珍しいことじゃない。
それはまったく、特別なことなんかじゃない。
こんなことはよくあることだ。何度も経験してきたことだ。
次の試合に、応援に来て欲しい。
今度の勝負に勝ちたいから、力を貸して欲しい。
危険だから何だという。命懸けだから何だという。
変わらない。
何も変わらない。
どうか安心してくれ。心配なんか必要ない。不安がることなんか何もない。
そういう依頼を受けたときの、俺の返答はただ一つきり。
目の前の小さな星が、より高い空で輝けるように。俺は、俺にできる唯一の役目として、声援という羽翼を贈るのだ。
「ああ、請け負った。一星、俺も一緒に戦わせてくれ」
選手が勝利を望む限り、世界の果てにだって駆けつける。
それが、応援団なのだから。
冬夜の巫 第一章『星と羽翼』 ―― 完 ――
何もかもがあのときと違う。
あのときというのは最初に冬夜の巫を書き始めたときで、それはつまり夏夜の鬼よりも前ということで、具体的に言えば十五年以上前の話である。
十五年。うそだろ。某嵐を呼ぶ五歳児が成人するぞ。
当初から八剣一星というメインヒロインは存在していたけれど、野宮一格などという主人公は存在していなかった。なんなら主人公は三人いて、うち二人が合体して一格になった。もう意味が分からない。
十五年も経てば物語など変わって当然と言えばまあ、それはそう。そもそもその間、同じ世界観で夏夜の鬼やらフタツギノヒトカタやら何やらが後先考えず風呂敷を広げたから、本筋だったはずの冬夜がやたら変貌する羽目になった。
などと言えば、なんだお前後悔しているのか、と過去の自分に驚かれるかも知れないが。そんなことは全くない。
私はむしろ、成熟したと思っている。ようやくスタートラインを踏み越えるに値する段階に来たと、私はそう信じてやまない。
私は。私は。
私自身はずいぶんとひねてしまった。閲覧数もブクマ数も感想数も、ポイントサイトで毎日数ポイント(円換算にして一円かそれ未満)ずつ貯めていくポイントと見分けがつかなくなった。ありていに言えば飽きた。書き続けるにあたっての障害、重りにしかならなくなった。
邪魔なもの要らないものをそぎ落としてそぎ落として痩せこけて、ただひたすら完結に向けて進んでいくだけのゾンビのようなもの。すでに死んでいるが故に大成の目はなく、踏破したところで自己満足以上に報われることもない。かゆうまという一発ネタをセルフでこすり続けるだけの、物書きとして居場所のないでくの坊、それが今の真鴨子規。
ゾンビに応援されても選手は喜ばない。というのなら、ゾンビの書いた小説を読者は面白いと思うのか?
分からない。分からないけど、私はこれからも書いていこうと思う。
次回、冬夜の巫第二章『道しるべ』。
今考えた仮称なので、気がついたら変わっているかも知れない。地味すぎるし。もっと腕にシルバー巻くとかさ。




