星と羽翼 20
兄の姿が、そこにあった。
俺が最後に見たそのときから、さらに立派に成長した、大人みたいな兄の、戦う姿が。
「一格」
兄が、兄さんが、俺の名前を呼んでいる。
弓を携え、弦を引き絞り、矢を撃ち出して敵を射抜く。
踊るように、けれど寸分狂わぬ狙いで、標的を打ち落としていく。
群を為して襲い来るのは、蝙蝠のような翼を持つ怪物だった。
目で追うのがやっとという速度で飛び交う、人の子どもくらいはある怪物は、しかし。兄さんの弓矢に次々と中心を穿たれ、風船のように破裂していった。
矢の一本で、心臓を貫く。どこへ飛んでも、どこへ逃げても、兄さんの狙撃は外れない。
これから進もうとする軌道上を、正確に打ち抜いていく。まるで、兄さんの放つ矢に、怪物の方が吸い込まれているようにさえ見えた。
「見てろ、一格。ど真ん中だ」
そう言って、笑顔を見せてくれた兄さんを思い出す。
自宅から、バスに乗って三十分行った先にある、弓道場で。初めて、弓を番える兄さんの姿を見た。
それから、何十回、何百回と、兄さんの射形を見た。
その足運びに、その呼吸に、その眼差しに魅了され。そして最後に、的の中心に突き刺さった弓矢を見届ける。
大きな声は出せないから。四射的中ののち、手が痛くなるほど強く拍手をした。それが、俺にとって最初の賞賛、最初の憧憬、最初の応援。
「ありがとう、一格」
兄さんが、目の前に立っていた。
いつかの弓道場で。もうしばらく訪れていない、俺たちの思い出の場所で。
「お前の応援が、俺に力をくれたんだ。ここまで頑張ってこられたのは、きっとお前のおかげだった」
そんなことはないと。
俺のしたことは、本当に些細なことで。兄さんが強かったから、兄さんが頑張ったから。兄さんはあんなにも格好良くて、あんなにも凄かったんだから。
「今まで、ごめんな。本当に、本当に、ごめんな」
何を。何を謝ることがあるのか。
謝らなきゃならないのは俺の方だ。
兄さんの役に立てなくて。兄さんのようにできなくて。たくさん、たくさん与えてくれたものを、一つとして返すことができなかったのだから。
「次は、お前の番だな」
それなのに、誇らしげに。それなのに、満足げに。
兄さんは俺に、手にしていた弓を差し出した。
見慣れた和弓とは違う。弓幹には上質な白樺の樹皮、握りに空色の革。その全貌は透き通るようで、まるで雲の上に浮かぶような、不思議なカタチ。
俺にとって、まさに雲の上の存在だった兄さんが、その手に持つにふさわしい、その弓を。
「頑張れ、一格。お前ならきっと大丈夫。お前ならきっと、きっと――」
視界が、光に包まれる。
冬の寒さはどこにもない。
夜の静けさも、寂しさも。俺の心には届かない。
温かくて、心地良い。まるで兄さんが側にいてくれるかのような安心感を胸に、俺は自分の足で立っていた。
痛みはない。
血も止まった。
慣れた所作で腹部に力を込め、そして両の眼を見開く。
そのとき右手に、兄さんから受け取った弓はなく。
代わりに、兄さんの形見のお守りを握りしめていた。
包み紐を解き、中で光る『それ』を取り出す。
いつか拾った石ではない。
それは、不思議な光沢を放つ勾玉。
特徴的な曲線を描き、中心部に空洞の開いた、赤い宝玉。
「一星!」
「一格、それは」
驚愕する一星。
それはなんだ、と。問われたところで、俺にも分からないけれど。
はっきりとした直感があった。
これは、一星が持つべき物だ。
一星の手元で、同じように光を発している、その刀が示している。
「勝て、一星ッ!」
無遠慮に乱暴に、勾玉を投げつけ。
一星が受け取り、迷いなく刀へと合わせる。
脈動。閃光。
刹那にも満たない時の間に、脳裏に爆ぜる光景を識た。
千の時代を遡及し、億の景色が流れ、無限に迫る想いが螺旋を描く。
切り拓いた世界、導き出した答えの所在。人の責務、人の宿業、誓いの顕現。
それは正真正銘、本物の伝説。
定命の霊長が、その短い旅路の果てへと襷を繋ぎ、継承してきた最古の神秘。
光は錆を振り払い。
その刀身に、最盛期の輝きを取り戻す。
長き嵐が止み、降り注ぐ光芒を仰ぐかのごとく。
のちに俺は、その刀の名と由来を知る。
魔を絶ち、正義を掲げるべく生まれた、神の代行者。
悪を斬り、混迷に秩序をもたらした、神造の武装。
八剣 一星が、その天命に従い振るう刃。
尋常ならざる怪物を、一刀のもとに斬り伏せる、その宝刀の名は。
八握剣。
界を装い、神ならざる身にて世界を守護する、原初にして最強の界装具。




