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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第一章 星と羽翼
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星と羽翼 18

 そうして、今に至る。

 恐ろしい怪物に遭遇し、決死の戦いを挑む少女を盾に、逃げ出そうとした腑抜けの末路。

 誰かの後ろで、さも勇ましく声を張り上げるしか取り柄のない男に、なんとも相応しい無様な結末。

 痛みも寒さも、ほとんどなくなっていた。自分の身体に起きていることが、他人事のように思えてならない。突き刺された腹部から、どれほどの血を失っただろう――なんてことが、頭の隅をよぎったくらいだった。

「一格――」

 一星は、まだ戦っている。

 体力はもう限界だろうに。刀を持つ両腕も、細い両足も、明らかに震えているのに。

 強く。雄々しく。一星は、無意味な戦いを続けている。

「一格!」

 じりじりと後退してきた一星が、ようやく俺の側までやってきて、何かを――ああ、俺の名前を、呼んでいる。

「しっかりしろ、一格! 一格!」

 なんて。

 なんて凄いんだろう。この期に及んで、戦いながらもまだ、俺の心配をしてくれる。

 なんて優しい。

 なんて強い。

 そしてなんて、馬鹿なんだろう。

 なんでそんなこと、するんだよ。

「もう、いいから」

 力が入らない、というか、力を入れる腹に風穴が開いている。そんな状態で、声が届くかも分からなかったが。

「逃げろ」

「一格!」

 聞こえないらしい。ダメみたいだ。

 俺の流血は相当だ。もう無理だと、もう助からないと、見れば分かるものじゃないのだろうか。

 視界がどんどん暗くなる。

 眠い、ような。気を失う直前まで走り込んだとき、みたいな。妙な感覚が頭を占めて。それすら、少しずつ、消えていくような――

「諦めるな!」

「――――」

 それは。

 そんな、一星の言葉が。

「手放すな! 意識を閉ざすな! 死ぬな、生きろ、生きろ、生きろ!」

 なんだか、変な心地だった。

 俺が、応援されてる。

 誰かを応援するしか脳のない俺が、誰かに応援してもらえるなんて。

 冗談みたいだ。

 笑ってしまう。そうだ、いま身体が無事だったなら、きっと腹を抱えて笑っていた。

 応援されるって、こんな気持ちなんだ。

 される側の気持ちなんて、ずっと知らなかった。

 そんなの分からなかったし、分かる必要なんかないと思ってた。応援団を応援する必要なんて、どこを見回したってないんだから。そんなことをする暇があるのなら、俺たちとともに選手たちを応援して欲しいと、そう思っていたから。

 でも、ああ。

 確かにこれは、少し嬉しい、かも知れない。

「私が守るから! お前は必ず、私が助けてみせるから! だから頼む、頼むから! 死なないでいてくれ、生きていてくれ、一格っ!」

「一星――」

 彼女が、一体どんな気持ちで、俺に声援を送ってくれるのか。それは、やっぱり分からない。

 選手の側から逆に応援されるなんて、むしろあってはならないことだとすら、思うけれど。

 こんな俺でも。

 俺なんかでも。

 頑張って欲しいと。生きて欲しいと。そう思ってくれる誰かがいる。それは、こんな気持ちになるのか。

 手放したくないと。

 死にたくないと。

 生きていたいと。

 もう少しだけ、頑張ってみようか、なんて。そんな風に、思えるものなんだって。

 ああ。

 ああ。

 ああ――

 もっと早くに、知りたかったな。

「――?」

 そのとき、唐突に視界が開けた。

 幻覚だと思ったし、そうだとしか考えられなかった。一星さえ、予期せぬ出来事に足が止まっているくらいなのだから。

 ただ、状況が変わっていることだけは確かだった。

 迫り来る怪物を囲うように、火が――炎の柱が四本、立ち上っていた。

 ごうごうと猛る光の塊が瞬く間に視界を埋め尽くし、思わずぎゅっと目をつむる。

 いつか見た噴出花火のようで、けれど勢力は比較にもならない。瞼の向こう側にあってなお、それは火力というより暴力に近かった。

 熱気に頬がひりついて、何かが焼け焦げた臭いが鼻につく。

 途切れかけた意識が戻ってくるくらい、それは強烈な現象だった。

 火事、いや爆発?

 怪物の仕業、ではなさそうだ。あれほど苛烈だった攻撃の音が止まっている。そもそも、炎は怪物を包囲するように燃え上がっていたように思えた。

 それを認識した次の瞬間、俺は右腕を引っ張られ、身体ごと持ち上げられていた。

「離れるぞ、一格」

 俺の腕を担ぐように、一星は俺の身体を引きずって歩き出した。

 体格差があるから、両足はごりごりと地面を擦る。その衝撃で、思い出したかのように腹部が激痛に見舞われたが、なすがままにされるしかなかった。

 俺にはもう、一星を払いのける理由も、力も、何も残ってはいないのだから。

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