星と羽翼 18
そうして、今に至る。
恐ろしい怪物に遭遇し、決死の戦いを挑む少女を盾に、逃げ出そうとした腑抜けの末路。
誰かの後ろで、さも勇ましく声を張り上げるしか取り柄のない男に、なんとも相応しい無様な結末。
痛みも寒さも、ほとんどなくなっていた。自分の身体に起きていることが、他人事のように思えてならない。突き刺された腹部から、どれほどの血を失っただろう――なんてことが、頭の隅をよぎったくらいだった。
「一格――」
一星は、まだ戦っている。
体力はもう限界だろうに。刀を持つ両腕も、細い両足も、明らかに震えているのに。
強く。雄々しく。一星は、無意味な戦いを続けている。
「一格!」
じりじりと後退してきた一星が、ようやく俺の側までやってきて、何かを――ああ、俺の名前を、呼んでいる。
「しっかりしろ、一格! 一格!」
なんて。
なんて凄いんだろう。この期に及んで、戦いながらもまだ、俺の心配をしてくれる。
なんて優しい。
なんて強い。
そしてなんて、馬鹿なんだろう。
なんでそんなこと、するんだよ。
「もう、いいから」
力が入らない、というか、力を入れる腹に風穴が開いている。そんな状態で、声が届くかも分からなかったが。
「逃げろ」
「一格!」
聞こえないらしい。ダメみたいだ。
俺の流血は相当だ。もう無理だと、もう助からないと、見れば分かるものじゃないのだろうか。
視界がどんどん暗くなる。
眠い、ような。気を失う直前まで走り込んだとき、みたいな。妙な感覚が頭を占めて。それすら、少しずつ、消えていくような――
「諦めるな!」
「――――」
それは。
そんな、一星の言葉が。
「手放すな! 意識を閉ざすな! 死ぬな、生きろ、生きろ、生きろ!」
なんだか、変な心地だった。
俺が、応援されてる。
誰かを応援するしか脳のない俺が、誰かに応援してもらえるなんて。
冗談みたいだ。
笑ってしまう。そうだ、いま身体が無事だったなら、きっと腹を抱えて笑っていた。
応援されるって、こんな気持ちなんだ。
される側の気持ちなんて、ずっと知らなかった。
そんなの分からなかったし、分かる必要なんかないと思ってた。応援団を応援する必要なんて、どこを見回したってないんだから。そんなことをする暇があるのなら、俺たちとともに選手たちを応援して欲しいと、そう思っていたから。
でも、ああ。
確かにこれは、少し嬉しい、かも知れない。
「私が守るから! お前は必ず、私が助けてみせるから! だから頼む、頼むから! 死なないでいてくれ、生きていてくれ、一格っ!」
「一星――」
彼女が、一体どんな気持ちで、俺に声援を送ってくれるのか。それは、やっぱり分からない。
選手の側から逆に応援されるなんて、むしろあってはならないことだとすら、思うけれど。
こんな俺でも。
俺なんかでも。
頑張って欲しいと。生きて欲しいと。そう思ってくれる誰かがいる。それは、こんな気持ちになるのか。
手放したくないと。
死にたくないと。
生きていたいと。
もう少しだけ、頑張ってみようか、なんて。そんな風に、思えるものなんだって。
ああ。
ああ。
ああ――
もっと早くに、知りたかったな。
「――?」
そのとき、唐突に視界が開けた。
幻覚だと思ったし、そうだとしか考えられなかった。一星さえ、予期せぬ出来事に足が止まっているくらいなのだから。
ただ、状況が変わっていることだけは確かだった。
迫り来る怪物を囲うように、火が――炎の柱が四本、立ち上っていた。
ごうごうと猛る光の塊が瞬く間に視界を埋め尽くし、思わずぎゅっと目をつむる。
いつか見た噴出花火のようで、けれど勢力は比較にもならない。瞼の向こう側にあってなお、それは火力というより暴力に近かった。
熱気に頬がひりついて、何かが焼け焦げた臭いが鼻につく。
途切れかけた意識が戻ってくるくらい、それは強烈な現象だった。
火事、いや爆発?
怪物の仕業、ではなさそうだ。あれほど苛烈だった攻撃の音が止まっている。そもそも、炎は怪物を包囲するように燃え上がっていたように思えた。
それを認識した次の瞬間、俺は右腕を引っ張られ、身体ごと持ち上げられていた。
「離れるぞ、一格」
俺の腕を担ぐように、一星は俺の身体を引きずって歩き出した。
体格差があるから、両足はごりごりと地面を擦る。その衝撃で、思い出したかのように腹部が激痛に見舞われたが、なすがままにされるしかなかった。
俺にはもう、一星を払いのける理由も、力も、何も残ってはいないのだから。




