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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第一章 星と羽翼
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星と羽翼 14

「どこか静かな場所はないか? 喫茶店か軽食店のような」

 と、八剣は一言目から、そんな要求をしてきた。

 友達でなければ知り合いとも呼べない、そんな相手にどう挨拶したものかと逡巡していたものだから、そう切り出してくれたのは正直ありがたかった。

「悠助、心当たりあるか? このあたり、今の時間じゃどこもうるさいだろ」

「裏通りのロアジは? 店のメニューじゃお通しの水道水が一番美味しいって有名な」

「ああ、そりゃ静かそうだな……」

 というか、既に潰れてやしないだろうか、そんな店は。

 一抹の不安を覚えつつ、三人連れだって歩き始める。そのときさりげなく見た八剣の制服は、直したのか着替えたのか、傷一つ見当たらなかった。

 大体の方角を示してから、八剣はすたすたと先行して歩き出す。その背中はどうにも声を掛けづらく、俺と悠助は後ろで並んでついて行くしかなかった。

「昨日の話なんだけど。竜之介の言うところの、彼女はかわいい系? かっこいい系?」

「あいつの言うところなんて俺に分かるかよ……。見た目は可愛いけど、性格は格好いいって感じじゃないか?」

「一格の好み、じゃあないよね。あまりに平原」

「馬鹿野郎。将来性を見込めば余裕でいける。むしろあり」

「酷い会話だねこれ」

「振ったのお前だからな?」

 そんな俗な雑談をしているうちに、その店に到着した。

 大した距離は歩いていないが、それでも人通りは半分以下にまで減っていた。大通りと駅から少し離れれば、こういった場所はちらほらとある。たまに怖いお兄さんたちがたむろしてたりとか。

 喫茶店『ロアジ』。店名は悠助曰く、どこかの言葉で『憩い』というの意味らしい。

 といっても外観は三階建ての小さな雑居ビルだ、洒落た喫茶店という様相はまったく見えない。築三十年は堅いだろうか、本来白かったのだろうコンクリートは所々薄汚れ、ひび割れている。

 ロアジという店名は、ビルの入り口脇にぞんざいに置かれた木製看板で確認できた。

 看板のみてくれから店内の雰囲気は伝わってこないが、掲示からして地下にあるようだ。矢印を追うと、取って付けたような細い下り階段が備えられている。

「やってんのか? これ」

「オープンって書いてあるから、やってるんじゃない? 僕も入ったことないから分からないけど」

「ないのかよ。有名店なんだよな?」

「有名イコール人気ってわけじゃないし。どっちかって言えば都市伝説っぽい感じ? 誰かが度胸試しに使ったとか使わなかったとか。チキンゲーム・ザ・ロアジ」

「ぼったくりに遭ったって俺に支払い能力ないからな」

 二人で四の五の二の足を踏んでいると、八剣は構わず階段を下りていった。得物を手にしているだけあって流石に度胸がある。

 女子に先行させて、男二人で逃げるわけにもいかない。足の重さを感じながらも、俺と悠助は後を追い、揃って入店した。

 薄暗い店内は、喫茶店というよりバーのような印象だった。

 当然だが窓はなく、弱めの照明が内装を照らしている。うるさくない程度に洋楽が流れているが、メジャーな曲ではないようだった。

 席は三人掛けの小さなカウンターと、四人掛けの丸いテーブル三つが配置されている。調度品に統一感はなく、机も椅子もデザインはバラバラだ。有り物貰い物で数だけ揃えました、という涙ぐましい節約の努力が見て取れる。

 充分な広さがある店ではない。椅子と机をなんとか詰め込んだようで、店内の移動も大変そうだ。他に部屋があるわけでもないのだろう、カウンターの奥に扉が一つあるだけだ。

 ざっと見回して、今入った俺たち三人の他に、人影は二つだけ。

「いらっしゃいませ」

 右手側、カウンターの向こうから、涼しげな声が迎えてきた。

 長身痩躯の体格に、黒いジレベストに赤い蝶ネクタイという、お誂え向きの出で立ちの男だった。声の張りから言って二十代後半から三十代といったところだろうか。黒の短髪をオールバックに固め、髭はなく清潔な感じがする。

 それだけ特徴を並べると、さほど妙なところはない。しかしその男は、この怪しい喫茶店の店員としては非常に『それらしい』格好をしていると言えた。

 目元が、ぎらぎらした装飾で彩られた銀色の仮面で隠されているのだ。

「――?」

 異様の一言に尽きるその仮面が、一瞬記憶に引っ掛かる。既視感、どうもどこかで見たことがあるような。

 単なる記憶違いか。それとも実は由緒ある品で、何かの図鑑にでも載っていた、とか。ともあれ、今すぐ思い出すことは無理そうだった。

「お好きな席へどうぞ。今お水をお持ちしますので」

 姿はともかく、接客態度は普通のようだ。店員に促されるまま、俺たちは入り口付近のテーブル席に腰掛けた。

 もっと奥の席に行きたかったのか、一星はちらりと別の席へ視線を送っていたが。

 残念ながらそちらには先客がいた。無骨なノートパソコンを広げ、新しく入ってきた俺たちには目もくれない、中学生くらいの小柄な少年だった。色白でいかにもなインドア派なので、恐らくは俺たちと同じ目的でやってきたのだろう。

「どうも。初めまして、我らがロアジへようこそ。こちらメニューになります。コーヒーにジュース、軽食にデザート、一通り揃えておりますので」

 ラーメンの後に食欲があるわけもなく、俺と悠助はホットコーヒーを頼んだ。

 一星も同じ注文だったが、加えてパンケーキを頼むようだった。言動からはピンとこないが、やはり女の子らしく甘い物が好きなのだろうか。ちょっと可愛らしい。

「いい店だな。埋もれさせるのは惜しい」

 と、これは一星の言だ。気に入ったようで正直ほっとした。

 別に、店の評価が良かろうが悪かろうが、俺たちには関係ないかも知れないが。外から来たらしい彼女が、この冬樫市を気に入ってくれるなら、住民として悪い気はしないのだ。どんな町でも、必ず誰かが、良くしようと頑張っているのだから。

 もちろん、仮面舞踏会帰りか何かよという怪しいマスクマンについて、今ここで触れることはない。

「まずは自己紹介からね。初めまして、僕は和知 悠助。ぜひ名前呼びでよろしく。そっちのやたらいい声してる一格の友人やらせてもらってます。お勤めはまあ、五年くらい?」

「どんな紹介なんだ、いつもながら」

 いつもに増して剽軽ひょうきんな態度で挨拶をするのが、悠助流の処世術らしい。

 実際、外見にせよ性能にせよ妬みの対象になりやすそうな悠助が、誰かから疎まれるということを見たことがない。本人に言わせれば、別にどうということはないのだそうだが。そんなわけはない、そんなわけがないのだ。

「ゆうすけ」

 名前を復唱する八剣の表情からは、特にこれといった感情は読み取れなかったが。

「のぎへんやぎへんのくちくち、悠久の悠に助けるで、和知 悠助。オーケー?」

「なるほど、いい名だ」

 八剣は腕組みをして、うんうんと頷いた。それはどこか満足げで、口元にささやかな笑みを浮かべていた。

 俺の名前を教えたときもそうだったが。他人の名前を聞くことが、八剣にはそんなに嬉しいことなのだろうか。

 勿論、交友関係を広げるにあたって、名前を知ることがその第一歩であることは間違いないが。それであそこまで満足できるというのは、よく分からない。

「八剣 一星だ。八つのつるぎ、一つの星と書く。私のことも、そうだな、名前で呼んでくれると助かる」

 珍しいけどいい名前だ、などと、悠助も負けじと頷いていた。恐らく相手を真似してのことだろう。

 いい名前という評価には俺も同感で、彼女に似合っているように思う。一等星とか、一番星とか、そんなイメージがもう根付いている。厳格で、直向きで、人一倍の努力ができる、きっとそんな女の子なのだろう。

「人を捜しているんだ」

 注文が運ばれてきたあと。そんな風に、一星は重苦しく切り出した。

 恥を忍んで、といった心境だったのだろうか。眉間にしわを寄せ、切実な空気が伝わってきた。

つなし 撫子なでしこという女だ。今朝落ち合う予定だったが、この町に着いてからずっと、連絡が取れずにいる」

 何か知らないかと問われ、俺と悠助は顔を見合わせる。

 聞き覚えのない名前だ。漢数字の『十』を『つなし』と呼ぶこと自体、今初めて知ったくらいだ。確か、同じ漢字で『もぎき』とも読むはずだが、そちらにも心当たりはない。

「お巡りさんに聞いた方が早いかもだよ?」

 悠助の言うとおりだと思ったが、一星は迷わず首を振った。

「一応確認したが、空振りだった。私同様、この町の住人ではないから、詮無いことだが」

「じゃあホテルとかか? 宿泊客名簿が見れたら、まあ探せるだろうけど」

「偽名でも使われていたら、それも難しいだろう」

 そうか、と一瞬納得し掛けたが。

 偽名を使ってホテルに宿泊って、それはどういう状況なのか。

 下手をすれば、なんらかの犯罪に関わっている可能性すらあるのではないか。本名を偽り、身元を隠す。宿泊ではなく、それは潜伏していると言った方が正しい。

 どうにもきな臭さを感じ始める。悠助も同じだったようで、盗み見るような視線だけが交差した。

「ええと。あんまり詮索したくはないんだけど――」

 言ってから、次の言葉が見つからなかった。

 目の前にいる一星自身に、何らかの悪意がある様子はなかった。というか、ないと信じたいと思ったが。

 そのツナシという女性に関しては、名前以外に情報がない。信用するしない以前の問題で、正直あまり深入りすべき状況ではない。

「その人、何してる人かな?」

 俺の言葉を引き継いだ悠助は、珍しく不躾な言い方だった。

「それは言えない」

「じゃあ、君はどうして会おうとしてるの?」

「それも言えない」

 ふうん、と悠助は腕を組んだ。

 一星も、言葉を惜しんでいる自覚があるのだろう。目を伏せ、無言のままにパンケーキにフォークを差し込んだ。

「知らないならいい。手間を取らせた」

 すまなかった、と謝る一星に、俺たちは何も言えなかった。

 手がかりのない人捜しというなら、有効なのは人海戦術くらいで、それなら力になれなくもない、が。

 力になってはやりたい。でも、力になっていいのかが分からない。

 中学生の頃の俺たちだったら、何の疑いもなく協力しただろうか。そうして事を大きくしてから、大人たちに咎められただろうか。

 今の俺たちは、実に微妙な時期だ。

 高校受験を終え、晴れて高校生になれたわけだが。成長して、自由な大人へと向かっていく期待感の裏で、比例するように膨れ上がる不安を抑えられない。

 子どもだから、という束縛はいい加減鬱陶しいけれど。大学は、就職は、その先は。いつかたどり着く将来が視野に入るようになり。それが思いの外『よく見えない』ということに気が付いて、突然重荷を背負わされた気分になる。

 馬鹿騒ぎは嫌いじゃなかった。

 大人が困り果てるような騒動を、起こしたことは流石になかったが。一歩間違えれば、そうなる可能性をいつも持っていた。俺たちは馬鹿なガキだった。

 大人に近付いて。

 角が取れて。

 少しずつ知恵を付けて、小賢しくも慎みを覚え。

 どんどん自分が薄くなっていくような、そんな不安感を覚えるのだ。

 輝かしいはずだった将来にたどり着いたいつかの俺は、かつての夢見がちな子どもだった自分に、胸を張ることができるのだろうか。

「ごめんね。力になれなくて」

 悠助が、ホッとしたような顔で謝った、その横で。

 俺は何も言えなかった。

 いつの間にか飲むようになった苦いコーヒーを、愕然とした気持ちでかき混ぜる。

 俺たちは、俺は、無力になったのだ。

 彼女を助ける、彼女を応援する力を、俺は失ったのだ。

「気にするな。そもそも駄目で元々で、私一人で解決すべき問題だ」

 一星は残念そうな気配一つ見せることなくそう言って、微かに笑みさえ浮かべて見せた。

 でも、困っているじゃないか。

 知らない町で、藁にも縋る勢いで、少し顔を合わせただけの俺を頼って、声を掛けてきたんじゃないのか。

 そう言いそうになって、でも言えなかった。

 鉛でも飲み込んだような、最低最悪の気分だった。

「そう言えば、もう一つ聞きたいことがあるんだが」

 パンケーキを綺麗に食べ終えた一星が、仕切り直すように声のトーンを上げる。

 なんだ、と。俺は食い入るように先を促す。

 何でもいいから、どんなに些細なことでもいいから。

 たとえ無力でも。ほんの少しの助力にしかならなくとも。

 俺はひとえに、彼女の力になりたかった。

「りんご教とは、一体なんだ?」

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