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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第一章 星と羽翼
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星と羽翼 13

「なるほど納得」

「なるほどじゃねぇよ」

 明くる水曜日の放課後。さっさと帰ろうとする悠助をふん掴まえて、件のラーメン屋へと連行してきた。

「悪目立ちし過ぎだろ、ついに生徒会にまで目を付けられた! なんでだよ、部活の練習なんて皆一生懸命やってるだろ!」

「いや、サボってる人も多いと思うけど」

「そうだったな、お前は大会前以外は全然練習してなかったな! お前に言った俺が馬鹿だった!」

 天才に常識は通じないのだ。努力の意味がそもそも違う。だから別段、そこを理解させようという訳じゃない。

「にしても、そうだね。生徒会からの勧誘なんて、流石の僕も予想外だったよ。次期団長も面白いと思ったけど、そうか、次期生徒会長っていうのも面白い」

「面白がってんじゃねぇよ。誰かの上に立つなんて俺の性に合わないって、そんなのお前だってよく分かってるだろ」

「どっちにしろ裏方じゃない? 応援団は元より、昨今の生徒会だって、誰かをサポートするのが主な仕事だ。支援サーヴァント型リーダーって知らない? 君にぴったりだと思うんだ」

「知らん。思わん。俺には到底務まらない」

 このやり取りも何度目だろうか。いい加減飽き飽きしている。

 一体俺が何をした? 何を成し遂げた? どこをどう見たら有能だと?

 結果よりも過程を重んじよと、そう考えるのにも限度がある。結果だけを見ることが誤りであれば、過程しか見ないのも誤りだ。頑張っている人間を評価するのは正しいが、結果を出した人間や、結果を出そうとしている人間を、過小評価することなどもっての外だ。

「言いたいことは分かるけど。で、だから今日はサボったわけ?」

「そうだよ。すっげー驚かれたよ。時任先生なんか取り乱して、救急車を呼ぼうとか言い出して」

 すっげーどころか、瞬間的にとんでもない大騒動に発展した。

 ちょっと調子が悪いから、などと言ったのがまずかったのか。仮病なんて初めて使ったから、要領がさっぱり分からなかった。約束があるから、とか言った方が無難だったのだろうか。

 ともあれそうして、俺は人生で初めて、部活動をサボって下校したのだった。

「嫌な汗が流れたわ。未だに心臓が変な風に鳴ってる気がする」

「うん。挙動不審だもんね、今日の一格」

「嘘だろ?」

「さっき右手と右足が同時に前に出てたよ」

「うそだろ……?」

 とんだ不審人物だ。暗くなったら気を付けないと、真面目なお巡りさんに職務質問されかねない。

 注文したラーメンが配膳され、二人して啜り始める。

 思えば、平日に二人でここに来るのは久しぶりではなかったか。入学したての頃に一度来たくらいか。ずっと部活で、そんな暇がなかったから。付き合いが悪いと、悠助を攻める筋合いなど、俺にはなかった。

 本当に少し、やり過ぎだったのかも知れない。他人の目にはずば抜けた努力家に映ったとしても、それだけじゃ何の意味もない。応援がしたくて、そのために頑張ることは大事だとは思うけれど。それだけのために邁進しすぎて、それ以外を蔑ろにしていたのかも知れない。

 来年、二年生に上がれば、そろそろ進路を考える頃合いだ。引退してから始めるのでは遅いのだ。応援団にも応援コンテストはあるし、うちの高校は毎年結構な成績も出してはいるが。それだけに頼って、学業を捨ててしまっては元も子もない。一般的なレールを外れても食っていけるほど、俺は才気溢れる人間ではないのだから。

 やりたいようにやってるだけじゃ、いつかそれすらできなくなる。

 将来、なりたいようになるために。今やりたいことを我慢して、信条に背くようなこともしなくてはならない。そういう時期が、ついに来てしまったのかも知れない。

「ままならないねぇ」

「ホントだよ」

 悠助も、何かを察してくれたのだろうか。

 いつもの言い合いに発展することもなく、口数少なく食事を続けた。

「そう言えば」

 唐突に、悠助が話題を振ってくる。

 見れば、悠助はほとんど食事を終えていた。いつもはほとんど同時に食べ終わるというのに、俺はまだ半分といったところだ。思った以上に、調子が狂っているらしい。

「悠助が見たって女の子、いたよね。どんな子だった?」

「女の子?」

「一昨日、月曜の夜にさ。昨日のお昼に話してくれたでしょ」

 もう忘れたの? と呆れたように悠助は言う。

 実際忘れていた。というか、むしろ悠助が覚えていた方が驚きだ。

 思わぬ夜の帰り道。不思議な少女との邂逅。

 昨日話して、何でもない雑談として処理されて。その工程で、あの話は俺の中で終わったのだ。特異な体験だったかも知れないが、だからと言ってこれ以上引きずるような出来事でもないと、そう思ったからだ。

「どんなって言ってもなぁ。竹刀袋持って、ポニーテールが似合ってて、剣道少女そのものって感じだった、とか?」

 特徴を挙げれば幾つか出てくる。今思い返しても、かなりの美人だったことは確かだ。

「高校生くらい?」

「か、中学生くらいだな。小学生や大学生ではないと思う」

我妻わがつまさんみたいな?」

「ああ、剣道部繋がりで? いや、あの人とは全然違うな。あんな今風の女子って感じじゃないし、背ももう少し低い」

 質問に答えながら記憶を掘り起こしたが、雰囲気の似た人物は出てこなかった。あんなにも張り詰めた雰囲気の女子、身近にはそうそういるものじゃない。

 いかにもな剣道女子だって、胴着を脱げば賑やかな女学生に早変わりだ。そういうギャップが魅力なのだし、多分それが自然体というものなのだろう。あの夜の女の子のような、常在戦場を地で行くような人間に心当たりはない。ああいうのをある種、浮き世離れしているというのだろう。

「というか、いや悠助」

 そう、そんなことよりもだ。

 なぜに突然、悠助は興味を示し始めたのだろうか。

 ほとんど名前しか知らない女子のことより、そちらの方が俺には気になる。

「なに、そういう女子が好みなのか?」

「え? 違うけど。一格は知ってるでしょ、僕の好みの女性像」

「知ってるけど……。ええと、吉田選手だっけ?」

 うん、と悠助満面の笑顔に、こちらは若干後ずさってしまう。

 言わずと知れた霊長類最強女子である。異名からして強い、強すぎる。魅力的なのはよく分かるが、しかし高校一年男子の趣味だとは到底思えない。

「あの筋肉に挟まれて死にたいね」

「そうか。叶うといいな、応援してるよ」

 悠助目当ての女子、残念でした。まずは女子レスリング部を作るところから始めることを勧める。

「で、話戻すけど。じゃあなんだよ、なんか気になるのか?」

「ううん、そうだねぇ」

 なんて言えばいいんだろう? と、珍しく歯切れの悪い悠助だった。

 珍しいこともあるものだ。頭の回転が異常に早い悠助が、黙って考え込むなんて今まであっただろうか。

 悠助の特異性は、端から見ていたり、雑談している程度じゃ分からないだろう。夏の運動大会で暴れたこととか、成績が常にトップだとか、そういう表面的な評価だけでも、理解したというには不足だ。

 多分、悠助と一緒に、ゲームでもするのが一番手っ取り早い。特に『上手い他人のプレイがよく観察できる』タイプのゲームがいい。悠助の凄さは、そういうところで特に光る。

 だから分かる。悠助が、何か迷っているようだということが。

「もしかしたら、なんだけど」

「うん」

 知らず、神妙に頷く。

「僕の知ってる子かも知れないと思って」

 店の外、壁ガラスの向こうの景色に視線を投げながら、悠助は答えた。

 丸い眼鏡の似合う中性的な顔が、店内の明かりに照らされている。明るくはっきりと見える表情は、けれどどこか物憂げだった。

「ふうん?」

 何とも判然としない、予想したような大問題の提示でもない、ありふれた答えだった。ほっとしたような、がっかりしたような、何とも言えない心地になる。

 腑に落ちない気持ち悪さを感じながら、俺は悠助の見る先とは違う方向の窓を眺める。

 外の町は、早くも夜の様相を示しつつあった。

 放課後に遊びに来た学生、仕事帰りのサラリーマン、平日休みを満喫して帰路に就く人たち。ちょろちょろと走り回っているのは塾か習い事帰りの小学生だろうか。

 平日で、駅周りが最も活気付く時間帯だった。隣の定食屋は二組ほどの列を作っており、恐らく今いるラーメン屋にも、多少の待ち行列ができている頃合いだろう。

「待たせた。そろそろ行こう」

 急いで最後の一口とスープを飲み込んで、返事を待たずに席を立つ。

「ポニーテール」

「うん」

「背は低め」

「うん?」

 俺が鞄から財布を取り出している間も、悠助は座ったまま外を見続けていた。

「ワンピースタイプの学生服」

「悠助?」

「竹刀袋」

「おい?」

 ずっと、うわ言のように『あの子』の特徴をなぞる悠助は、正直薄気味悪かったが。

 その表情が、これまた珍しく驚いたように、目を丸くしていたから。何となく察しながら、悠助との視線と同じ窓の外を見る。

「八剣」

「……ああ」

 壁ガラス一枚隔てた向こう側には、明らかに俺たちの方を見る、あの少女――八剣 一星が立っていた。

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