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冬夜の巫  作者: 真鴨子規
第一章 星と羽翼
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星と羽翼 9

 何者だ、と。

 そう問いかけてきたのは、怪談に登場するお化けや妖怪の類ではなく。先ほど目の前を横切り、そして俺が追いかけてきた、あの女の子だった。

 背は俺よりもずっと低く、だいたい百五十台後半といったところだろうか。見上げ気味の両目は勝ち気で、どちらかと言えば真面目そうな顔だ。とても夜に遊び歩く性質には見えない。

 その実直さを表すかのように、切り揃えられた黒い髪。ポニーテールになった後ろ髪を結わえる赤いリボンは、夜闇の下では血の色のようにも見えた。

 華奢な身体で、少なくとも年上には見えなかったが。真正面で捉えたその表情は険しく、同年代の子どもだとはとても思えないほど、張りつめた雰囲気を醸し出していた。

 服装は、やはり見覚えのない学生服のようだった。ブレザーに見えたそれはワンピース型で、白縁のベルトがウエストマークになった、なんとなく上品そうな出で立ちだった。

 おぞましい化け物どころか、可憐と言っても過言ではない少女。

 初めて顔を合わせたその心情を、一言で言い表すのは難しい。

 目的だった女の子を見つけられて嬉しい。大怪我をしている様子もなくて良かった。そう感じたのは確かだけど。

 ただ、分からなかった。

 女の子が右手に握った、藍色の竹刀袋が。どうして、俺の喉元に突きつけられているのかが。

「なぜ尾行した?」

「いや、それは」

「また私を襲いに来たか? 貴様も奴らの仲間なのか?」

「俺は、いや」

 反射的に両手を上げながら、理不尽に高圧的な質問を浴びせられた。

 尾行したと、言われてみればそうとも取れた。ある意味、この女の子の目には俺こそが、闇夜に乗じての乱暴を企てる暴漢に映ったかも知れない。そう思ってしまって、納得してしまって、つい弁明の言葉を見失ってしまったが。

 そこから続いた言葉は、今度こそ意味が分からなかった。

 また襲いに来た?

 奴らの仲間?

 なんだ、それは。

 何の話だ。演劇か? ゲームか? 昨今流行の漫画かアニメのごっこ遊びか? そういうサブカルチャーに不見識な訳ではないが、この年頃の女子までもが真似したがるほどの有名どころには、とんと心当たりがなかった。

 いや。明朗快活な体育会系の風貌で、非常にマニアックな趣味嗜好を持つ人だって、そりゃいるだろうけど。

「違う、違う違う違う」

 とにかく、何らかの勘違いをされていることだけは分かったから。

 その説明は置いておいて、まず否定の意志を示すことにした。

「女の子が! 危ないんだよ、こんな日暮れに、こんな人気のないところへ、一人で入っていって」

 それに、と。少女の左腕に視線を送る。

 制服の一部が切れている。転んで破れたと言うにはあまりに綺麗に、すっぱりと。あれだけ切れているのなら、肌まで届いて傷ついているのは明らかだった。

「心配で、追いかけてきたと? 見ず知らずの、ともすれば不審人物そのものかも知れない相手を、わざわざ我が身を危険に晒してまで?」

「そうだよ、文句あるか!」

 なりふり構わず、叫ぶしかなかった。

 そりゃあそうだ、俺の行動は意味が分からないだろう。いや、俺自身はそうは思わないけれど。悠助に散々言われて、他人から奇異の目で見られることくらい知っている。

 お前の行いは不可解だ。どうしてそんなにも、他人を優先してしまうのか。自分を蔑ろにして、後回しにして、他人を応援してばかりいるのかと。

 そんなことはないのだ、他人に尽くすことが俺自身の喜びなのだと、それこそが俺の望みなのだと。何度訴えても、誰も理解してくれなかった。そうだとしても、お前のそれはあまりに度が過ぎいているなどと、口を揃えて皆が言うのだ。

 意味が分からない。そう言いたいのは俺の方だ。

 何も持たない、何者にもなれない俺なんかより。

 可能性に満ち満ちた他の誰かを、優先することの何がおかしい。

「この町で起きている例の事件については、既に知っているらしいな」

「お前、それを知ってて――」

「それを知っていて、お前は飛び込んできたんだぞ」

 それを知っているのなら、どうしてこんなところに駆け込んだのか。

 そう言ってやろうとして、しかし言える立場にないことにもすぐに気が付いた。

 言い訳の余地がどんどん失われて、次の句を選び損なってしまう。

 そもそもに、そうだ。藤枝先輩に注意を促されたとき、まず考えたのが自分のことではなく、悠助のことだったのが、まず順番違いだったのだろう。

 普通の人間は、最初に自己防衛について考えるのだ。

 他人事だった。自分には関わりのないことだと無意識に感じていた――いや、というより。自分自身のことなど、眼中になかったというのが正しい。

「まるで、自分には危険が及ぶ訳もないと、知っているかのようにだ」

 少女の瞳に宿る敵意が、秒ごとに増していくようだった。

「或いは全て、お前自身の手によるものか?」

 なるほど、そう捉えられるのか。

 怯える被害者ではなく、加害者の側であるから。危険を感じず飛び込んできたのだろうと。そう思われたのか。

 いや、でも、待て。

 それは違う、絶対に違う。

 そんなはずはない。そんなの、あるはずがないだろう。

「無理だろ、おかしいだろ。俺が、あの傷害事件の犯人だなんて、そんな訳ないだろ」

 犯人は――いや、犯人と呼ぶのもおかしな話だ。

 傷害事件などとは言っても、怪我は獣に付けられたようなものばかりだったはずだ。

 誰かが、真っ当な人間が。どうやって、爪で引き裂き、牙で噛み砕くような真似ができるというのか。

「……?」

 少女は眉をひそめて、少しだけ首を傾げた。

 何かが、食い違っているようだとは思ったが。その根元を探す余裕なんて、今の俺にあるはずもなかった。

「ともあれ、しらを切るというのなら是非もない。どのみち、これ以上追われるのは本意ではないからな。脚の骨一本は貰い受ける」

「は? いや、だから――」

「冤罪であれば悪いが。せいぜい己の迂闊さを嘆くことだ」

 竹刀袋が、ゆっくりと持ち上がる。

 滅茶苦茶だった。

 ふざけるなと言いたかった。

 感謝なんて求めてない。迷惑がられることも慣れている。

 お前の行動が理解できないと、うんざりするほど言われてきたけど。

 だからって、そんな害意を大人しく受け入れるほど、お人好しの自覚もない。

 こうなったら、殴られようが怒鳴られようが、意地でも元の道へ引きずっていってやろうと。

 そう思った、そのとき。


「――!」


 心臓が破裂したかのごとく、高鳴った。

 胸元が熱い。胸骨、肺、心臓――いや、これは、首から提げた、兄さんのお守りが熱いのか?

 何かの錯覚か。防寒具の上、マフラー越しに押さえたお守りが、激しく鳴動しているかのように感じた。

 熱が脳裏へ伝播し、そして最大級の警笛として耳の奥で鳴り響く。

 まずい。

 いけない。

 この場所に留まっていてはいけない。

 視界が明滅し、背筋が凍り、訳も分からないまま、強迫観念のようなものに突き動かされた。

 すぐそこにある、巨大な倉庫の、その裏に。

 なにか。

 なにかが。

 恐ろしい何かが、すぐそこまで――!

「お前、一体――」

 俺の様子を見、困惑したような声を上げた少女もまた、何かに気を取られたかのように視線を外した。

 だが俺には、そんなことを気にする余裕もなかった。

 竹刀袋を避け、強引に少女の右腕を掴み、一目散に駆け出した。

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