奴隷商人カールの憂鬱
そこは、とある林道。と、二台の馬車が道を塞いで揉めていた。
――あぁ、面倒ですねぇ。
カールは、そんなことを考えながら、手をつき、白髪交じりの頭を地面にこすりつけていた。
誰だって、土下座などという自らの自尊心を気付つける屈辱的な行為をしたいはずはない。
私もまた、そんな有象無象の一人であるのですが。一体なぜ私がこうやって下げたくもない頭を地面にこすりつけているのか。理由は至って単純です。
「命だけは助けてください!」
久しぶりにこんなに大きな声を出しました。命乞とは、とても体力を使うのですね。
「意外と素直じゃないか。――まぁ君たちが抵抗しないっていうなら、ボクとしてはいいんだけどね。じゃあ、馬車に乗せている人たち解放してくれる?」
カールの前には、幾人の美女を連れた綺麗な顔立ちの青年が立っている。青年はカールの態度を前に構えていた剣を鞘に納めた。
「はい! 仰せのままに」
良い返事もそこそこに、カールは荷台の扉を開け、奴隷の枷を外した。人々は次々と扉から外に出ていき、少年に感謝しながらどこかへ歩いて行く。
はぁ、嫌ですねぇ。こういう方は時折いらっしゃるのですが、営業妨害も甚だしい。
彼らには本当にうんざりです。正義を振りかざすのは自由ですが、押し付けるのは良くない。奴隷たちには自由を与えますが、私達には商品を失わせた。
私達の損害は無視ですか、困ったものですねえ。
あぁ、銀貨三十枚……あっちは五十枚くらいでしょうか……。
私は奴隷商人といえど、担当業務は単なる運び屋なので、奴隷市で競売にかけた経験はありませんが、それでもこの仕事を長くしていると、その奴隷がいくらで落札されるのか、おおよその見当が付きます。
しかしながら、こうやって、金に変換されなかった奴隷が放たれるのは酷く億劫だ。
「……はぁ」
空っぽになった荷台の中をのぞき、カールは深くため息をつく。
「それじゃあ! 君たちもこんなこと早くやめて、まっとうな人間になりなよ」
「えぇ! それはもちろん……」
満足げに笑みを浮かべ、青年は美女たちと馬車に乗り込むと、どこかに走っていった。
「はぁ……面倒なことになりましたねぇ」
再びため息をつくカールに、護衛として雇っていた数人の冒険者が近寄って来た。
「本当によかったんすか? 商品逃がしちまって。あれぐらいのガキだったら、俺たちだけでもなんとかなったでしょ」
「これでいいんですクラッチさん。理由はいくつかありますが――それより、ピーネットさんは知ってますよね? これからどうするか」
「お! カールさん、またあれやるのか!?」
冒険者パーティのリーダーであるピーネットが、何かを察して大きく叫んだ。他の冒険者たちは、そんな彼の態度に不思議そうな顔を向ける。
「そうです例のあれ。ソダさんもいいですね?」
「……あぁ」
荷馬車の上に寝転がっている用心棒のソダは、やる気なく答える。
「で、いくらなんだよカールさん?」
「そうですねぇ。金貨五……いや、十枚ですね」
「おおお! やったぜ!」
「先に五枚渡しておきます。残りの五枚は終わった後に護衛代と一緒に帝都でお支払いします。それでは、他の皆さんに説明お願いします」
「おうよ!」
そういうと、ピーネットは他の冒険者に、これから行われるあることについて説明を始めた。
初めは、ピーネットがどうしてここまで、ウキウキしているのかわからなかったが、ピーネットの話を聞くと、次第に冒険者たちは不気味な笑みを浮かべ始めた。
「それでは、行きますよ」
「行くぞお前ら!」
「うおおおお!」
奴隷商人の一行は空になった荷馬車を揺らしながら、先ほどの青年の馬車を追うように走り始めた。
――あぁ、面倒です。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
――その夜、とある町
カールとピーネット、そしてソダの三人は屋根の上から、道の反対にある宿屋の一室を眺めていた。
「やっぱり、どれもいい女だなぁ――一発やってみてぇ。ソダさんもそう思うだろ?」
「……」
「一発でも二発でも、手を出したら報酬はなしですよ、ピーネットさん……はぁ、嫌ですねぇ。私には他人の夜の営みを覗く趣味はないのですが、窓も閉めずにまぁ」
部屋では、例の青年が幾人の美女と交わっているのが見える。
覗いている三人の態度は様々だ。ピーネットは本能的に股間のものを固くしているし、カールは虫の死骸でも見るかのように嫌悪感が表情に現れている。――ソダはそもそも見ていない。
「他の方は大丈夫ですか? ピーネットさん」
「そりゃもちろん! 配置は済ませてある。あとは合図さえあればいつでも」
「大きな声を出さないでくださいピーネットさん。バレます」
「おっと……これは失礼」
話もほどほどに時間は過ぎていく。その間ずっと三人は部屋をのぞき続けていた。そしてその時はやってくる。先ほどまで激しく交わっていた青年たちは、行為の反動もあって深い眠りに落ちている。
「やっと寝ましたか、全く、どれだけ盛んなんでしょうかあの青年は……では、合図をお願いしますピーネットさん」
「あいよ――ポンッ」
ピーネットは松明に火をともし、宿屋の屋根に向かって振って見せた。
それを合図に、屋根の上に潜んでいた冒険者達がロープを垂らし、静かに窓から中へと入っていく。
青年の首を落とし、周りの美女たちに麻酔薬を飲ませる。その間一分と満たず、やることを終えた冒険者達は、再び窓からロープを伝って、今度は美女達を担いで降りていった。
「終わりですね……」
「やっぱり呆気ねぇなぁ。寝込みとかってのはやっぱり面白くねぇ」
ピーネットは不満そうに松明の火を消す。
「私は冒険者制度は良いものだと思います。私もよくお世話にはなっていますしね。しかし、冒険者の方々は少し血の気が多い。そこだけが良くない。戦わなくて済むなら、それが一番です。――さっ、行きますよ」
「……ううん」
ピーネットは何か言いたげだが、口には出さなかった。
三人は屋根から降り冒険者達と合流する。奴隷へと変わった美女らを馬車に詰め、そそくさと街を後にした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
カラカラと車輪は高い音を立てながら、カール達を揺らしていく。空は少しずつ青白くなっていき、朝が近づいてくるのがわかる。
「そういえば、カールさん。なんで初めから、あのガキやらなかったんすか? 最初からやっておけば、元居た奴隷も逃がさないで済んだじゃないすか」
帝都への道すがら、クラッチはカールに疑問を投げかける。それは、青年の要求をすぐに受け入れ、奴隷を解放したことに対する疑問だった。
青年一人に対してこちらは冒険者複数と圧倒的優勢であった自分たちが、どうして寝込みを襲うなどという、まどろっこしいことをしたのか、それがクラッチには不思議だった。
「確かにそうすれば、良かったかもしれません。でも、それは結果論です。そもそも私には、懸念点がありました。あの青年についてです。私があなた方冒険者を雇っている理由をご存じですか?」
「護衛じゃないんすか?」
「名目上はそうですが、それはソダさんがいれば問題ありません。あなた方は言ってしまえば虫よけのようなものです。護衛を多く率いた方が私たちが襲われることも減る。人数は個々の力を知られていなければ、最強の防具です。――しかし、あの青年は私たちの前に立ちふさがった。それだけの実力の持ち主なのか、それともただ正義感の強いだけなのか、あの時点では判断しかねました。なので彼の言うことに従ったまでです。結局、あの青年がどちらだったかは、わかりませんでしたが……それに――おや?」
カールは馬車を止める。一行は正面からこちらに近づいてくる少女に気が付いた。
「これはこれは、最初はあなたでしたか」
「……」
少女は何も答えなかった。
「え!? なんで!?」
クラッチは困惑する。それもそのはず、その少女というのは青年のおかげで逃げることの出来た奴隷の内の一人だったからだ。
「何ら不思議ではありません。私は奴隷を攫ってきたわけではありません。生活が苦しくなったとか、育てられなくなったとか、そんな村や町の自分勝手な人間が私に売って来たのです。一度売られた奴隷らには帰る場所などありません。私たちの手を離れたところで、飢えて死ぬか、魔物にでも食われるのが関の山です。まぁ時折、うまく他の村に受け入れてもらえる方もいますが、そういった方は稀な話です。なので、結局この子のように帰ってくる。次期に気が付いて半分ほど帰ってくると思いますよ」
「……」
クラッチは開いた口がふさがらなかった。声も出せず、ただ目の前で起こっているカールの魔法を理解するので精一杯だった。
「君は良い子ですね。こうやって私たちのところに戻って来れば、君には"帰る場所"が与えられる。まだこんなに小さいのに、自らの置かれている立場をしっかり理解している。君はとても頭がいい。君の主人が君を人間として迎え入れてくれることを私は深く祈ろう」
少女の頭をなでるカールは、その日一番の笑顔を見せた。
「カールさん! これ見てくれよ。あのガキたんまり貯めこんでやがった」
そういうと、ピーネットはジャラジャラと硬貨の入った袋をカールに見せびらかす。それは、あの青年のものだった。
「よかったですね。約束通りそれはあなた方で分けてください」
「思った以上に持ってるが、俺たちだけで分けて本当にいいのかよ?」
「いいんですよ。私は奴隷商人ですから――」
そう。カールは奴隷商人である。
人も殺さず、強盗もしない。野菜や家畜のように人を売るだけの、ただの商人なのだ。
読んでいただきありがとうございます。評価・感想いただけましたら嬉しいです。
誤字脱字も見つかった場合、ご指摘いただけるとありがたいです。