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9 質が悪いにほどがある



 ヴェーデン王国は、建国から二千年を数える世界最古の国家である。

 周囲の国々が栄枯盛衰目紛しく変化を遂げる中、強国に侵略されることもなく国家を維持できたのは、この国が周囲を深い森にぐるりと囲まれた高台の上にあったおかげだろう。

 森の木々に邪魔されて大勢で攻め入るのは難しく、奇襲をかけようにもヴェーデン王国側には眼下の動向が筒抜けだったのだ。

 こうして他国の侵略を免れ長きに渡って引き継がれてきた王朝は、独自の文化を確立していた。

 全体的に見れば西洋チックなインテリアになっているのだが、所々――例えば、ガラスキャビネットや椅子などには雷文や格子模様、透かし彫りなどのオリエンタルっぽいデザインが施されており、前世で言うところのシノワズリみたいな雰囲気になっている。

 そんな中、アンティークな革のソファに腰を下ろした私は、さっきまでの侍女のお仕着せから、今世の先生の瞳の色に合わせたみたいな青いワンピースに着替えていた。

 襟や袖の縁に白いレースをあしらい、胸元にリボンを結んだクラシカルなデザインだ。

 と言っても、そもそもは暗殺目的で王宮に忍び込んだ私が、わざわざ着替えを用意しているはずがない。

 同様に、私物ではない白いパンプスを履いた自分の足を見下ろしつつ、私は小一時間ほど前の出来事を思い返していた。

 青いワンピースも白いパンプスも、女王陛下からの呼び出しを伝えにきた女性が用意してくれた。

 彼女は侍女頭で、クロード殿下の乳母を務めた人物であるという。

 それを聞いた私は、とっさに侍女頭のふくよかな胸元と先生の顔を見比べたものだ。


「……なにかな、その視線」

「いえ、先生があのたゆんたゆんを吸っていたんだと思うと、何だか感慨深くて」

「やめなさい。想像するんじゃない」

「ちなみに私は、ヤギさんのお乳でこの通り元気に育ちました」


 呼び出しの対象には私も含まれていたらしく、「お連れ様を侍女のお仕着せ姿のまま女王陛下にご紹介するなんて、クロード様の沽券にかかわります!」とかなんとか言って、侍女頭は先生の顔を立てるために私を飾り立てたのだ。

 前世の先生は、私と出会った時点ですでに三十歳も超え独り立ちして久しい様子だったし、あまり家庭に恵まれなかったらしく家族の話をすることなんて一切なかった。

 だから、今世の彼に実の息子に対するような慈愛のこもった眼差しを向ける侍女頭の存在が、私には何だかとても新鮮に感じられる。

 先生の方も少なからず面倒を見てもらった記憶があるのだろう。甲斐甲斐しく世話を焼きたがる侍女頭を邪険にはできない様子だった。

 女王の私生児で、父親は平民出の元近衛師団長。五年前の暗殺未遂事件に限らず、嫡出子でないことを理由に今世の先生が理不尽な目に遭う機会が他にもあっただろうと想像するのは難くない。

 そんな中でも、侍女頭や厨房で顔を合わせた総料理長のように、先生の味方といえる人々の存在が心強かった。

 惜しむらくは、親友という位置にあったはずの元近衛師団長カイン・アンダーソンの裏切りだが……


「カインはいいんだ。あいつが親友のふりをしながら、こちらが庶子であることをずっと見下していたのにも薄々気付いていたからね。ここいらで切り捨ててもなんら問題はない」


 とまあこんな感じで、先生の反応は至極シビアだった。

 一方、本来なら一番の理解者となり最大の味方であるべき存在――先生をこの世に産み落とした女王陛下はというと……


「……」


 自ら呼び出したにもかかわらず、並んで座った先生と私を見て二の句が継げない様子である。

 第九十九代ヴェーデン国王エレノア・ヴェーデンは、金色の髪と青い瞳をした美しい女性だった。先生の黒髪は父親からの遺伝のようだ。

 十八歳で今世の先生を産んだ女王陛下は、すでに四十歳を超えているはずだが、肌も髪も唇も艶やかで随分と若々しい。

 意思の強そうな切れ長の瞳と赤いルージュを引いた唇からは、のほほんとしていた前世の私の母親とは真逆の、バリバリのキャリアウーマンっぽい印象を受ける。

 今着ている総レースなモスグリーンのロングドレスも素敵だが、パリッとしたパンツスーツも似合いそうだと思った。

 そんな女王陛下の隣には、すらりとした同年代の男性が座っている。どこかで見たような銀髪と緑の瞳だと思ったら、昨夜顔を合わせた第二王子アルフ殿下の父親だった。

 王配パウル・ヴェーデンは、数々の優れた文官を輩出してきた名門ボスウェル公爵家出身で、現在宰相を務めている。

 難しい顔の女王陛下とは対照的に、アルカイックスマイルをたたえたその表情からはひたすら温和な印象を受けた。

 そんな王配殿下が、私と目が合ったとたん、にっこりと微笑みかけてくる。

 慌てて会釈を返す私の肩を、先生がぐっと抱き寄せた。

 女王陛下は一つ咳払いをすると、ようやく口を開く。


「ーーカイン・アンダーソンがお前の暗殺を企てたというのは本当のことなの?」

「ええ、事実です。何でも、ミッテリ公爵令嬢と密通した上、共謀して私を亡き者にしようとしたとか」


 当然と言えば当然なのだが、昨夜の騒ぎは女王陛下の耳にも届いたようだ。

 彼女の問いに、先生が淡々とした声で答える。

 すると、先生とそっくりな青い瞳がついと動いて私を捉えた。


「クロードは一緒にいるブロンドの娘に騙されている。その娘こそが暗殺者だ――そう、カインは地下牢で喚いているそうだが?」


 女王陛下の見定めるような鋭い視線に、私はゴクリと唾を呑み込む。

 先生はそんな私の強張った肩を撫でながら、ひどく冷たい表情をして言葉を返した。


「カインが喚いているからどうだと言うのです。陛下はまさか、私自身の言葉より、私を殺そうとした罪人の言葉こそが真実だとでもお思いでしょうか?」

「カインの言葉を鵜吞みにするつもりは毛頭ない。ただ、あれやミッテリの娘がお前を害そうとしたという証拠が……」

「近衛師団に聞き取りもしていらっしゃらないので? 昨夜あの場には副団長も居合わせたはずですよ? 彼以下近衛兵達はカインが私に剣を向けた場面を目撃したと証言しませんでしたか?」

「カインは、お前を誑かしたその娘を排除するために剣を抜いたと主張しているわ」


 先生は、実の母親である女王陛下を〝陛下〟と呼ぶ。

 随分と他人行儀なことだと思いつつ、私は先生に肩を抱かれたまま黙って二人の話を聞いていた。

 女王陛下の隣に座った王配殿下も、穏やかな表情のまま口を閉じている。

 そんな中、女王夫妻が座るソファの傍らから、やたらとチクチクとした視線が突き刺さってくるのに気付いた。

 王配殿下とそっくりな銀髪と緑色の瞳の男――今世の先生の弟にあたる、第二王子アルフ殿下である。

 昨夜は先生に軽くあしらわれて部屋から追い出されたものの、やはり私の存在を快く思っていないのだろう。

 どうして兄上はこんな女を連れているんだ、とでも言いたげな顔には少年っぽさが残り、不満の二文字がデカデカと掲げられている。いかにも腹芸ができなさそうな実直で潔癖な性格のようだ。

 その真っ直ぐすぎる視線が眩しくて、私が目を細めた――その時である。


 バンッ!!


 突如響いた大きな音に、私はとっさに身を竦めた。

 私を睨むのに夢中だったアルフ殿下も、ビクリと身体を震わせる。

 先生が、私を抱いているのと反対の手で目の前のローテーブルを叩いた音だった。


「己の行いを棚に上げ、刑を免れようとする浅ましい男の言葉にまともに取り合おうなんて……馬鹿馬鹿しいにもほどがある。――もしも昨夜、この子諸共私が斬り殺されていたとしても、陛下はカインのその釈明に耳を傾けるのですか?」


 余韻で揺れるローテーブル越しにぐっと身を乗り出し、女王陛下を睨みつけた先生は、相手が怯んだのを察してここぞとばかりに畳み掛ける。


「それとも――陛下は、本当はそれをお望みだったので?」

「何を……何を、馬鹿なことを……」

「陛下にとって、所詮私は若気の至りの末の望まぬ産物。正当な嫡出子であるアルフに王位を継がせるのに、私が昨夜カインに殺されていた方が都合がよろしかったのではないですか?」

「――クロード!」

「兄上っ!!」


 女王陛下とアルフ殿下が悲鳴みたいな声で先生を呼んだ。

 長く伝統を受け継いできたヴェーデン王国では、王位は国王の最初の子に継がせるという決まりがある。

 これは非嫡出子にも適用されるため、前国王は当初、女王陛下のお腹に宿った先生を堕胎させようとしたらしい。五年前、先生の立太子に反対した連中が、即暗殺なんて強行な手段に及んだのもそれが所以。

 先生ことクロード殿下が生きている限り、女王陛下と王配殿下の間に生まれたアルフ殿下が王冠を戴くことはないのだ。

 夫の子である次男を国王にしたいがために、過去の恋人の子である長男の死を望んでいる――なんて、血も涙も無い母親のように疑われた女王陛下の顔色は、血の気が引いて真っ白になってしまった。

 兄が陥れられる理由にされたアルフ殿下も、ちぎれて飛んでいってしまうのではないかと心配になるくらい、ブンブンと首を横に振っている。

 そんな妻と息子を見兼ねたのか、ここでようやく王配殿下が口を開いた。


「やめなさい、クロード。無用な勘繰りはお互いを傷付けるだけだよ」


 年長者らしい落ち着いた声で諭すように言う。

 ただし、そんなことで攻撃の手を緩める先生ではない。

 女王陛下から王配殿下――実の母親から義理の父親へと矛先を変えただけだった。


「勘繰られたくないのは、殿下の方ではありませんか? 何でも、ミッテリ公爵令嬢の腹には、カインの子がいるらしいですよ。それを私の子だと偽って、いずれ王位に就ける算段だったとか」

「何だって? それは、本当なのかい?」

「危うく、王家の血を一滴も引いていない人間に玉座を奪われるところだったんです。このことについて、殿下はどのようにお考えで? 確か、ミッテリ公爵令嬢を私の婚約者へと推したのは、ボスウェル公爵でしたよね? この度の謀略に、卿はどれほど関わっていらっしゃるんでしょうね?」

「まさか、兄に限ってそんな真似は……」


 ボスウェル公爵は王配殿下の実の兄であり、ミッテリ公爵とは親交が厚いことで知られている。

 先生ことクロード殿下とミッテリ公爵令嬢の婚約が、ボスウェル公爵の顔を立てる形で決定したのも事実だった。

 そのため、ミッテリ公爵令嬢が不貞を働いた上、あまつさえ王家を欺こうとしていたとなれば、それを推したボスウェル公爵家にも嫌疑の目が向けられるのは必須。


「ボスウェル公爵にとって、私の存在ほど目障りなものはないでしょう。私さえいなければ、ボスウェル公爵家の血を引くアルフが国王になれるのですから」

「クロード……」


 ここまでのやり取りを見ていて分かるように、先生ことクロード殿下と他の家族の間には確執がある。

 それを決定的にしたのが、五年前の事件だった。

 当時、クロード殿下が二十歳を迎えて成人したのを機に、女王陛下は正式に彼を王太子に指名し、五年を目処に譲位することを発表した。そのため、平民を父に持つ私生児が次の国王となることを認めたくなかった一部の貴族が、クロード殿下を暗殺しようとしたのだ。

 結局、計画は失敗。犯人も全員捕まって処罰されたらしい。

 ただ、暗殺が成功していれば、血縁者を次期国王にできたであろう王配殿下やボスウェル公爵が捜査の対象とならなかったことにクロード殿下は猛反発し、それを決定した女王陛下に対して強い不信感を抱く結果となったのだという。

 クロード殿下からすれば、女王陛下が私生児である自分を蔑ろにし、夫やその兄――ひいては、正式な嫡出子である弟アルフ殿下の側に味方しているように見えたのだろう。


「いいえ、ボスウェル公爵だけではありません。この国とって、私は所詮望まぬ存在なのでしょう。由緒正しきヴェーデン王国の歴史に私生児の国王が名を残すなんて……きっと、誰も認めたくないんだっ……!!」


 ふいに感情を昂らせて声を荒げた先生は、私をぎゅっと抱き締めて肩に顔を埋めてくる。

 とたんに、向かいのソファに座っていた女王陛下が立ち上がって叫んだ。


「クロード、もうやめなさいっ!! 誰も、お前のことをそんな風に思ってなんていないわっ!!」


 その必死の形相たるや、初見で感じたバリキャリっぽい印象からはほど遠かった。不器用で人間臭くて、それでいてちゃんと先生のことを大事に思っている母親の顔をしていて、私は少しほっとする。

 一方、私をぎゅうぎゅう抱き締めたまま肩に顔を埋めている先生は、小刻みに身体を震わせていた。

 女王陛下達にはそれが、彼が声もなく泣いているように見えたのだろう。

 痛ましげな表情をして、口を噤んでしまった。

 しかしながら……


「……ぷっ、くくっ……女王も形無しだな」

「……せんせい」


 先生がプルプルしているのは、泣いてるのではなく笑いを堪えているせいだ。

 私にだけ聞こえる声で「俺の演技もなかなかだと思わない? 主演男優賞も夢ではないかな」なんて冗談を言う彼に、私はたまらず遠い目をした。

 質が悪いにほどがある。



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