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8 俺のもの感



「ーーおにぎり! おにぎりが食べたいっ!」

「うん、唐突だねー」


 先生お手製のサンドイッチは、それはもう絶品だった。

 温燻によって濃縮した肉の強い旨味とピクルスやライ麦パンの酸味が、癖の無いチーズのまろやかさによってうまくまとめられている。紫キャベツのシャキシャキとした歯ごたえやパプリカの甘味もアクセントになっていた。

 私は先生の温かい眼差しに見守られつつ、ハムスターよろしくせっせとそれを頬袋に詰め込んでいたのだ。

 だがふと、衝撃的な事実に気付いてしまってその場に崩れ落ちる。


「だって、信じられない! お米を一粒も食べないまま、十九年間も生きてきたなんてっ!!」

「落ち着いて、バイトちゃん」

「お、おにぎり……おにぎり食べたい……おにぎりと一緒に、毎朝先生の作ってくれたお味噌汁が飲みたい……」

「もしかして、俺は今プロポーズをされてる?」


 私が新たな生を受けたこの世界における主食といえば、小麦が一般的だった。

 米もあるにはあるが、極々限られた地域でしか栽培されていないせいもあり、特権階級の人間くらいしか口にできない高級食材という位置付けになっている。

 ならず者集団に使い捨ての手駒として育てられた私みたいな底辺には、到底手が届くはずのない代物だった。

 とはいえ、前世の私は別段白米信仰を謳っていたわけではない。

 主食といえばと問われれば、一応は米だと答えただろうが、パンだって麺だって美味しければ何でもよかったのだ。

 ただ、食べられないと思うと無性に食べたくなってしまうのが人間の性。

 今し方、先生が作ってくれたサンドイッチを独り占めさせてもらったというのに、お腹はまたもやぐーっと鳴り出した。

 すると、私のお食事ショーを観賞しながら燻製肉を肴に朝からワインをちびちびやっていた先生が、苦笑いを浮かべて立ち上がる。


「いいよ、食べさせてあげようじゃないか」

「えっ? 米を? 本当に!? 本当に食べられるんですかっ!? なんでっ!?」

「もう忘れたのかい、バイトちゃん? 今世の君のパートナーにはーー財力も権力もある」

「わあああ! 先生、すごい! カッコイイ! 悪の組織のボスっぽい!」


 そういえば、今世の先生はヒエラルキーのトップもトップ。

 ピラミッドの天辺に君臨する、次期国王様だった。

 つまり、私と違って高級食材であるお米に手の届く位置に立っている。

 悪の組織のボスに例えられたのは若干不服のようだったが、本当にお米をご馳走してくれる気らしい。

 そういうわけで、現物が保管されているという王宮の厨房に向かうため、私達は身支度を整えることになった。

 先生の脇腹の傷は、幸いなことに出血が止まっていた。

 それを清潔なガーゼで覆ってから、傷口が開かないようしっかりと包帯を巻き付ける。

 手当てが終わると先生は寝衣を脱いで、無地の白シャツと黒のズボン、自身の瞳の色みたいな綺麗な青いベストを身に着けた。

 そうして最後に、白地に金糸で刺繍が施されたゴージャスなジャケットを手に取ったが……


「……え? なんで?」


 ジャケットが着せ掛けられたのは、何故だか私の肩だった。

 白いエプロンドレスは取っ払い、侍女のお仕着せのワンピースの上に先生の、というかクロード殿下のジャケットを羽織らされる。

 サイズが合っていないため肩は落ち、着られている感ハンパない私を眺めて、先生は満足げに頷いた。


「うん、いいね。俺のもの感があって」

「俺のもの感」


 壁に掛かった時計を見れば、時刻は間もなく六時になろうとしていた。

 私はブカブカのジャケットを羽織ったまま、上機嫌な先生に連れられて廊下に出る。

 同じ階の住人たる他の王族が起き出すにはまだ早い時間のようで、廊下を行き来していたのは朝の仕度に忙しい侍女ばかりだった。

 王太子殿下の私室の扉が開いたことに気付いて立ち止まった彼女達が、廊下に現れた私と先生を目の当たりにしてぴしりと固まる。

 しかし、さすがはプロフェッショナル。すぐさま我に返り、ささっと壁際に並んで「おはようございます」と声を揃える。

 その前を颯爽と歩いていく先生に、私はおずおずと問うた。

  

「あのー……どうして私、手を繋がれているんでしょうか?」

「王宮はとても広いからね。慣れない君が迷子になってはいけないだろう?」

「迷子になんてならないですよ。昨夜だって、ちゃんと一人で部屋まで行けたでしょう?」

「それでも、だよ。私の可愛いロッタ。君のことが心配で離し難いんだ」


 とたん、あちこちからひゅっと息を呑む音が聞こえてきた。

 空気がざわつくのを肌で感じる。

 朝も早くから見知らぬ女に甘い言葉を囁く王太子殿下に、侍女達が驚くのも無理は無い。

 しかも先生のそれは、彼女達が聞き耳を立てていると承知の上での発言だった。

 想定通りの反応にこっそりほくそ笑んだ先生の悪い顔を、できることなら全世界に配信してやりたい衝動に駆られる。

 とにかく、おびただしい数の視線に辟易した私は、こっそり先生にだけ聞こえる声でぼやいた。


「今世は日陰の身なんで、こんなにじろじろ見られると落ち着かないんですけど。何だか珍獣にでもなった気分……」

「それは仕方がないね。今の君は、これまでの〝私〟を知る人間からすれば、パンダ並みに奇特な存在だろうから」

「確かに、白い上着と黒いワンピースでパンダ配色になってますけど」

「そういうことではなくてね」


 誰も彼もが物問いたげな素振りをしながらも、私達に声を掛ける者は一人もいなかった。

 どうやら先生は、王宮内にて腫れ物に触るように扱われているらしい。

 今をときめく王太子殿下に対してあんまりではないかと呟く私に、それは今世の自分ーークロード・ヴェーデンの自業自得だと先生が苦笑する。


「五年ほど前、食事に毒を盛られたことがあってね。何てことは無い。〝私〟が次の国王となることを不服に思っていた連中の仕業だよ。ちょうど立太子するタイミングだったからね」

「それは……大変でしたね。昨夜の自分の行いを棚に上げて言うようですけど、ご無事でなによりです」

「うん、ありがとう。まあ、そんなこんなで周囲に対して疑心暗鬼になった〝私〟は、警戒のあまり誰にも心を許さなくなってしまったわけだよ。あの事件以来、親兄弟と食卓を囲むこともなくなったし、今もまだ他人の作った食べ物を口にするのは苦手なんだ」

「あー、なるほど……だから私室にミニキッチンがあって、食材が充実してたんですね?」


 五年前の暗殺未遂事件以降、両親や弟さえも極力側に寄せ付けなくなっていた王太子殿下。

 そんな彼が、ある朝いきなり見たこともない女の手を引いて現れたのだ。それを目の当たりにした人々が戸惑うのも無理はない。

 あちこちから突き刺さる視線を鼻で笑った先生は、今世の自身を「尻の青い」とモンゴロイド特有の言い回しで酷評した。こんな求心力もない有様で王太子を名乗るとは片腹痛い、と随分手厳しい。


「けれど、〝俺〟が覚醒したからには上手くやるさ。バイトちゃんも大船に乗ったつもりでいるといい。ヴェーデン国王の財力と権力をもってすれば、君のお腹を無限に満たすのも容易いからね」

「いやそんな……さすがに、国王陛下の威光に頼らないと満たされないほど大食らいじゃないですよ」

「とか言って、また腹の虫がぐーぐー言ってるの、聞こえているからね。まったく、昨夜はよくもまあ大人しくしていられたものだよ」

「初めての仕事だったから、さすがに緊張してたんですよ。一夜明けて、やっと気持ちが緩んで……って、お腹刺激しないでもらっていいですか!?」


 面白がった先生が、繋いでいない方の手を伸ばしてきて、私のお腹を円を描くみたいにぐるぐる撫でた。

 とたん、またもやあちこちで息を呑む気配がする。

 それに紛れて、ちくり、と一瞬鋭い視線を感じたような気がしたが、ぐーぐーと忙しないお腹の音を誤魔化すのに忙しかった私は、あいにく構っている余裕がなかった。




 王宮に住まう全ての人々の食事が賄われる厨房は、広い食堂と一緒に独立した棟になっていた。

 王族の私室がある棟とは、一階にある屋根付きの渡り廊下で繋がっている。

 厨房では数十人の料理人達が犇めき合い、ちょうど朝食の仕度でてんてこ舞いな状況だった。

 それでも、いきなり訪ねてきた先生と私に応対してくれたのは、白い口髭を生やした高齢の料理人。王宮の総料理長である。

 総料理長は、先生と私の顔、それからここに来てもまだ繋がれたままの私達の手を見比べてポカンとした様子だったが、せっかちな先生は構うことなくさっさと本題に入った。


「朝の忙しい時間に邪魔をしてすまないが、火口と鍋を一つ借りてもいいかな」

「しょ、承知しました。火口と鍋でございますね。すぐにご用意いたします。……ところで、クロード様がご自身で何かお作りになるのですか? それとも、ええっと……そちらのお嬢様が……?」

「作るのは私だよ。この子は食べるのが専門でね」

「はあ……」


 総料理長の困惑をまるっと無視したまま、先生が続ける。


「とりあえずは塩おにぎりでいいかな。総料理長、米と水と、塩を少々もらえるか?」

「ええ、米と水と塩でございますね。畏まりました」


 米を炊くために使うのは、ダッチオーブンみたいな分厚い金属製の蓋付き鍋だ。

 前世で大学のサークル仲間とキャンプをした時なんかに、似たようなもので炊いたご飯を食べたことがあったような気がする。

 食事に毒を盛られたことをきっかけに、家族と一緒に食卓を囲むこともなくなり、他人の手を経た食事に拒絶反応を覚えて自炊を始めたという先生。

 とはいえ、さすがに食材自体を自給自足するのは不可能なため、結局は誰かが用意したものを使わざるを得ないのだ。

 その誰かというのが総料理長であり、今世の先生が離乳食の頃から世話になっている人物らしい。

 米が炊けるまでの間、先生は私にそんなことを語って聞かせた。

 平穏とは言い難い今世の先生の人生にも、ちゃんと心を許せる相手がいたようだ。そのことを、私はこの時、純粋に喜ばしく感じた。

 やがて米が炊き上がると、熱々のそれを先生が塩を付けた手で綺麗な正三角形に握ってくれる。


「はわ……米粒が立ってて、ツヤツヤ……」

「こら、よだれよだれ。たくさん握ってあげるから、たんとお上がりよ」


 今世の米は、日本人の心の友であるジャポニカ米と比べれば少しだけ固くて粘りが少ないように思うが、味に関しては概ね前世の記憶にある通りだった。

 この世界においては超マイナーな穀物の一種という位置付けで、ピラフやパエリアみたいに基本的には具材を混ぜ込んで調理される。

 そもそもは、白米を食べるという概念自体が存在しないため、側で見守っていた総料理長は塩で握っただけのおにぎりにカルチャーショックを受けている様子だった。

 ともあれ、おにぎりを頬張った私は幸せいっぱい夢心地。

 自然と蕩けて落っこちそうになったほっぺたを、先生がくすくす笑いながらツンツンする。


「本当に幸せそうに食べるね、君は。作り甲斐があるよ」

「だって、おいしいんですもんー。せ……クロード様も食べてみてくださいよ。それで、ほっぺを落っことすといいです」

「じゃあ、君が食べさせてくれるかな? あいにく、米のデンプンと塩で両手がベタベタでね」

「えっ……今、そのベタベタの手で私のほっぺツンツンしませんでしたっけ?」


 総料理長だけではなく厨房中の料理人達が、私達のやりとりに目を丸くしている。

 それに気付いたのは、私が先生の口に塩おにぎりを突っ込む傍ら、自分は三個目を食べ終わった頃だった。

 あれほど騒がしかった厨房が、シンと静まり返っている。

 ゴクリ、と生唾を飲む音がどこからか聞こえた。


「ク、クロード様……クロード様は、そちらのお嬢様のことが……」


 意を決した様子で総料理長が口を開く。

 ところが続く言葉は、あちこちから次々と上がったブシュウウッ!! という鍋から吹き零れる音に遮られて掻き消されてしまった。

 厨房に喧騒が戻ってくる。

 ようやく満腹になった私は、総料理長の名残惜しげな視線を感じつつも再び先生に手を引かれて厨房を後にした。

 


 この国の現国王――エレノア・ヴェーデン女王陛下から呼び出しがかかったのは、私達が先生ことクロード殿下の私室に戻って間もなくのことであった。




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