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6 暴君予備軍



 開けっ放しにされた扉の蝶番がギイギイと軋む。

 先生はやれやれといった様子で肩を竦めると、ベッドを下りて扉を閉めに行った。

 ちゅっ、と私の頬に唇を押し当ててから……


「ええええ……?」


 頬に残った先生の唇の感触に、私は戸惑いを覚えずにはいられなかった。

 だって、前世の私達は雇い主とアルバイトという関係でしかなかったのだ。

 少なくとも、気軽にほっぺにキスをするような間柄ではなかった……はず。

 今度はしっかりと鍵をかけて戻ってきた先生にそれを確認すると、彼は私の認識を一度は肯定したものの、ただし、と続けて何故だか満面の笑みを浮かべた。


「ハムスターみたいに、俺の作った料理をパンパンに詰め込んだ君の頬を食んでやりたい衝動に駆られることは多々あったんだけどね」

「えっ、私のほっぺ……前世から狙われてた……?」

「ちょっとしたスキンシップもセクハラだと訴えられかねないご時世だったでしょ。上司と部下として、節度を持った接した方を心掛けていたんだよ」

「だ、だったら今世も、是非とも節度を持った接し方を……」


 一つベッドの上で対峙していることに、私は今更ながら気まずさを覚える。

 慌ててベッドを下りようとしたものの、すかさず腰に腕を回して私を押し止めた先生が、まるで出来の悪い生徒に言い聞かせるみたいに続けた。


「さっき俺が言ったことをもう忘れたのかな? 君は今宵、〝私〟ことクロード・ヴェーデンの婚約者となったんだ。俺達はこれから夫婦になるんだよ。自分の妻の頬を食むのに、いったい何の制約があるって言うんだ?」

「そ、それって、決定事項なんですね? いやでも、夫婦間でもお互いの意思は尊重するべきではないでしょうか。ほら、前世でだって、夫婦間でもセクハラや強姦罪が成立する場合があったでしょう? 先生が扱った裁判でも、そういうのありましたよね?」

「そうだね、合意のない性行為は暴力であり犯罪だ。よく覚えているじゃないか、バイトちゃん。えらいえらい」

「ばかにしてます?」


 むっとして唇を尖らせば、先生はさも楽しそうにくすくすと笑いながら、私をぎゅうぎゅうと抱き締める。

 波瀾万丈な今世の生い立ちのせいで、異性と密着したくらいでドギマギするほど初心ではないと自認しているが、こうして当たり前のように抱き締められてしまうと、何だかひどく落ち着かない気分になった。

 そんな私の気持ちを知って知らずか、先生は至極上機嫌な様子で続ける。


「しかしね、バイトちゃん。残念だけど、前世の理屈は今世の俺には当て嵌まらないんだよ」

「えっ? な、なんで……」

「なんたって、ヴェーデン王国は絶対君主制国家であり、俺はその次期君主の座が約束されている。つまりーー俺が未来の法律だ」

「えええ、こわ……とんだ暴君予備軍ですね」


 身も蓋もないことを言う先生に、私はどん引きする。

 持っちゃいけない人に凄まじい権力を持たせてしまうことになるヴェーデン王国の未来が心配になった。

 そんな中、私の肩に顎を載せた先生がふいに小さく呻いた。

 さきほど彼の寝衣に血が滲んでいたことを思い出し、私ははっとする。


「先生……刺した私が言うのもなんですが、大丈夫ですか?」

「まあ、あまり大丈夫じゃないかも。戸棚に救急箱があるんだけど……バイトちゃん、手当てができたりする?」

「一応、人並みにはできますけど。やっぱり、ちゃんとしたお医者様の治療を受けた方が……」

「却下。傷を受けた経緯を誤魔化すのが面倒くさい」


 どうあっても傷を隠し通そうとする先生に、最終的に私は従う他なかった。

 ナイフに塗っていた毒自体は完全に中和されたようだが、刺し傷は生々しく先生の白い肌に刻まれている。

 私は先生の血が染み込んだ自分のハンカチを取り除き、救急箱から取り出した新しいガーゼで傷口を押さえた。

 止血するためとはいえ、ぐっと眉間に皺を寄せて痛みに耐える先生に罪悪感が増す。

 私は慌ててポケットを探って、小さな油紙を取り出す。

 中には、練薬が包まれていた。


「先生これ、すごくよく効く痛み止めなんですけど、飲んでおきます?」

「ああ、うん……もらおうかな」


 薬草を煎じて抽出した成分を、口にしやすいように蜂蜜で煉り固めて飴玉みたいにしたのは、ヴェーデン王国の国境近くの森に住まう魔女アンだった。

 私が先生を確実に暗殺するためにナイフに塗った毒と、制作者が同じなのだ。

 にもかかわらず、あーんと口を開けた先生に、私は柄にもなく怯んだ。


「私が差し出す薬を、そんな何の疑いもなく飲んじゃっていいんですか? 今さっき、自分を殺そうとした相手ですよ? 先生、ちょっと危機感足りなさすぎません?」

「君がくれる薬だから、何の疑いもなく飲めるんだよ。だって、君にはもう私を、クロード・ヴェーデンを暗殺する理由はないだろう? それに――バイトちゃんが、俺にひどいことなんてするはずがない」


 前世の私に対する信頼が、何だかひどくくすぐったい。

 結局、急かされるままに先生の口に練薬を放り込んだ私は、横になった彼に上掛けをかけてベッドを離れようとする。

 ところがぐっと腕を掴んで引っ張られ、気が付けば抱き枕よろしく先生に抱えられてベッドに横になっていた。


「なっ……せ、先生!?」

「血を流したからかな。何だか寒くて人肌が恋しいんだ。責任を取って、バイトちゃんは朝まで俺の湯たんぽを務めなさい」


 先生は至極当然のようにそう宣い、上掛けごと私をぎゅっと抱き竦める。

 これには、さしもの私も赤面した。

 初心ではない。ただ、前世だって今世だって、経験豊富なわけではないのだ。

 できることならがむしゃらに暴れて逃げ出してしまいたかったけれど、先生の傷に障ったらと思うと躊躇してしまう。

 結局は観念して腕の中で大人しくなった私に、先生はくすりと笑った。

 

「うん……なんだか、眠くなってきた。もしかしてさっきの練薬、本当は睡眠薬だったりする?」

「ただの痛み止めですってば。先生、疲れてるんですよ。ゆっくり寝てください」

 

 突然前世を思い出したことによって、今世のこれまでの人生が何だか他人事のように思え、地に足が着かない心地がする。

 それとは対照的に、記憶を共有する先生の存在が私の中でどんどん大きくなっていた。

 先生も、もしかしたら同じ気持ちなのだろうか。

 小さい子を寝かし付けるみたいに私の背中をポンポンしながら、そういえば、と口を開く。


「今世の君の名前を、まだ聞いていなかったな。〝バイトちゃん〟なんて人前で呼ぶわけにはいかないしね」

「私も先生のこと、人前では〝クロード様〟って呼びますね」


 今世の私の名前はロッタ。マーロウ一家のロッタである。

 おそらく適当に付けられたであろうその名前に、私自身さほど愛着はなかった。

 けれど……


「そう、ロッタ……うん、ロッタちゃんか……」


 先生に愛おしむように呼ばれると、とたんに価値のあるもののように思えてくるから不思議だ。

 揺蕩う意識の中で発せられた緩慢とした声が、ロッタ、ロッタ、と舌の上で飴玉を転がすみたいに、何度も私の名を紡ぐ。

 そうして、やがて夢の中に旅立つ瞬間ーー先生は、ふいに柔らかな笑みを浮かべて呟いた。


「かわいいね……ロッタ……」

「……」


 一つ、私は嘘をついた。

 さっき先生にあげた痛み止めーーあれの成分の半分が、実は睡眠薬だったのだ。

 今更先生の寝首を掻くつもりなんてないが、あわよくばこの場から一旦退場しようかぐらいには考えていた。

 実際、私の身体に絡まる先生の腕は、すでに拘束する力を失っている。

 けれども、目の前の無防備な寝顔を見ていると、騙したみたいで罪悪感が半端ない。

 

「明日の朝、目が覚めたら一番に謝ろう……」


 結局私は先生の側を離れるのを断念し、大人しくその腕の中で両目を閉じたのだった。



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