43 馬子にも衣装
霊廟を出た先の廊下には、大聖堂に繋がる二つの扉が並んでいた。
一つは大司教が待つ祭壇の脇に、もう一つは大聖堂の正面に通じている。
王族の結婚式の際は、前者を新郎が、後者を新婦が使う。
私と先生が霊廟を出ると、モアイさんがその扉を閉じ、鍵をかけた。
先生は私の手を引いたままボスの前まで行くと、にっこりと微笑んで口を開く。
「さて、不本意ながら。この一時だけは、どうあってもロッタの手をお返しせねばなりませんね、〝義父上〟?」
「……お戯れを」
初めてアンの家で対峙した時と同じ、まさしく一触即発といった雰囲気に、間に挟まれた私はゴクリと唾を呑み込んだ。
そんな私の手を先生から受け取ったボスが、何を思ったのかいきなり袖に手を突っ込んでくる。
先生は一瞬眉を跳ね上げそうになったが、ボスの手が取り出したものを見て、とたんに呆れ顔になった。
「こらっ! お供え盗ってきちゃダメって言ったでしょっ!?」
「だって、死人に口無し……」
「それ、死者は無実の罪を着せられても釈明できないって例えだから! 死んだら食べられないって意味じゃないからね!?」
「でも、結局誰もお供えを食べられませんよ?」
さっき、比較的新しい石碑の前からこっそりくすねてきたお供え――穀類の粉と砂糖などを練って固めた、落雁みたいな干菓子――は、ボスに取り上げられてしまった。
不貞腐れる私とゲンナリした先生を見て、今度はボスが微笑みを浮かべる。
「恥ずかしながら、これは少々手癖がわるうございましてね。殿下が持て余していらっしゃるようでしたら、このまま大聖堂には向かわずに連れて帰りますが?」
「それこそ、笑えない冗談はよしてください。私が即位に先立って、陛下より騎士団の全権を譲り受けたことをご存知の上でのお言葉でしょうか? 妃を奪われたとあっては、容赦はしませんよ」
「これはこれは……なかなか好戦的な国王が誕生しそうだ」
「平和主義の人間なら、そもそも貴殿と手を組もうなんて考えません」
先生とボスの空々しい笑みが、私の頭上で交差する。
事情を知っているモアイさんも、何も知らないが察しているであろう侍女頭も傍観に徹する中、私一人がおろおろしていた。
やがて懐中時計を確認したモアイさんが、祭壇の脇に通じる扉を開いて、時間です、と先生に声をかける。
先生はポケットからクッキーを取り出し、半開きだった私の口に放り込んで言った。
「祭壇の前で、待っているからね。君のボスが美味しいものをご馳走してくれるって言っても、ついて行っちゃだめだよ?」
「さすがに、そこまで食いしん坊じゃないですよー。……ところで、先生。ポケットに、まだクッキー入ってます?」
「入ってるよ。式が終わったらあげるからね。ちゃんと祭壇まで来るんだよ?」
「それだと、クッキーにつられたみたいじゃないですか。心配しなくても、ちゃんと先生のところに行きますってば」
クッキーをもぐもぐしながらそう約束する私に、先生はやっと安心したのか一足先に扉を潜った。
ちっ、と小さくボスが舌打ちしたように聞こえたのは、きっと気のせいだと思いたい。
ぽっくりぽっくり。
馬なんかがゆっくりと歩く様をそう表現したりするが、木履を履かされた私の歩みもまさにそんな感じだった。
ころんとした形は可愛らしいが、とにかく高くて重くて安定が悪くて歩きにくい。
花嫁がこれを履かされるのは、もしかして、意に添わぬ結婚式から走って逃げられないように、だったりするのだろうか。
私は覚束無い足取りで長い廊下を歩きつつ、自分の手を引いてくれている人をちらりと見上げた。
ボスとこうして二人きりになるのは、あの日――蠱毒に冒された先生の夢にお邪魔して、前世で自分を殺した相手の生まれ変わりがボスであると知って以来、初めてのことだった。
そんな中、ふいにボスが口を開く。
「私はな、ロッタ。お前が一等可愛いんだ」
「な、なんですかー、いきなり……えっと、でも、ありがとうございます」
「以前、クロード殿下にも申し上げたが、お前が身の丈に合わない婚家で苦労をさせられるのは私の親心が許さない。もしも、この結婚式がお前の望む結果でないのならば――私は、ヴェーデン王国を敵に回すことも厭わないが?」
「ボ、ボス……」
ボスと二人きりとは言ったが、厳密に言えば先導する侍女頭の存在がある。
ただ、プロの侍女である彼女は、私達の不穏な会話に振り返りさえせずに空気に徹してくれていた。
私はごくりと唾を呑み込んで、改めてボスの顔を見上げる。
それに返る彼の理知的な眼差しには、前世のちんぴら君の面影など欠片も残っていなかった。
目の前にいるのは、頼もしくて賢くて、時々ちょっとだけ怖いけれど、私にはいつだって優しい兄のような父のような人。
その慈愛に満ちた青い瞳を独り占めしていると、彼の前世がどうのと思い悩むなんて馬鹿らしい気がしてきた。
それに、ボスをちんぴら君の生まれ変わりだと恨んだって、あの不本意な死に方が私の前世の結末だった事実は変わらない。
終わったことをとやかく言ったってしょうがないし……
「やっぱり、未練がましいのは性に合わないんですよね」
「うん?」
「えっと、心配しないでください、ボス。私、どこでだって上手くやっていける自信がありますから」
「どこでだって上手くやっていけるのに、わざわざ王太子妃なんて身の丈に合わぬ立場に固執するほど、お前は野心家ではなかろう?」
ボスの言葉に、私は小さく笑って答える。
「だってね、ボス。クロード様ってば、放っておいたらすぐに無茶をして死んでしまいそうなんです」
「……」
「心配だから――私、これからもあの方のお側にいますね?」
「……それが、お前自身の望みなんだな?」
確かめるようなボスの問いに、私ははっきり、はい、と答えた。
侍女頭は相変わらず振り向きさえしないが、私達の会話が聞こえているのは明白だった。
だって、私が先生の側にいると宣言したとたん、それまでしずしずと歩いていたのがスキップに変わったのだから。
一方、ボスはため息を吐くと、今度ばかりは侍女頭に聞こえないよう声を潜めて言った。
「ハトを引き続きお前の側に置いておく。もしも手に余るような状況になったら知らせなさい。後始末は私が請け負おう――相手が、クロード殿下であってもな」
「大丈夫ですってば。ボスの手を煩わせるようなことにはなりませんから」
そう言い切った私に、ボスは目を細めて「だといいがな」と呟く。
そうこうしているうちに、ついに大聖堂の入り口に到着した。
結局、ボスに前世のちんぴら君の記憶があるのかどうかも分からずじまいだが、先生の言う通り、真実を知るのがベストとは限らない。
分からないなら分からないままでいいのかもしれない。そう、思えるようになった。
侍女頭が、入り口の扉に手をかける。
その扉越しにこちらに注目する大勢の気配を感じ、さすがに緊張を覚えて強張る私の頬を、ボスの大きな掌があやすみたいに撫でてくれる。
幼い頃から身近にあった温もりに、ふと私が緊張を和らげた時だ。
「こういう時は、何と言うんだったか……」
今更ながら、私の花嫁衣装をまじまじと眺めたボスが、にやりと悪戯げな笑みを浮かべて口を開いた。
「ああ、そうだ――〝馬子にも衣装〟だな、ロッタ」
「――え?」
〝馬子にも衣装〟
今世には存在しない、前世日本の諺である。
ボスの口からそれが飛び出した、その意味に私の理解が追い付く前に、大聖堂の扉が大きく開け放たれた。




