41 先生のチャーハン
チャーハンが載ったお皿を近くのテーブルに置くと、私はカップボードからスプーンを二つ取り出して椅子に座った。
そのまま少しの間、カンカンとレードルを鳴らす先生の背中を眺めていたが、目の前で立ち上る美味しそうな香りにはどうにも抗い難い。
案の定、すぐに我慢ができなくなった私は、チャーハンを一匙掬って口に入れた。
あっ、と誰かの慌てたような声が聞こえた気がしたが、私の感嘆のため息に掻き消されてしまう。
「おいひい……」
米やリーキの甘味と旨味、燻製肉の塩味を、まろやかな卵がふんわりと包み込んで一つに纏めていた。
それでいて、中華屋さんのチャーハンみたいにパラパラで、胡椒が効いている。
一口だけのつもりが、二口、三口。
先生のチャーハンが美味し過ぎるからいけない、なんて責任転嫁しつつ、私が夢中でぱくついていると……
「おいっ!」
「……はひ?」
突然、咎めるような声が掛かる。
私が口いっぱいにチャーハンを頰張ったまま顔を上げれば、向いの席にぐっと眉間に皺を寄せてこちらを睨んでいる人物がいた。
今世の先生の弟、アルフ殿下である。
「兄上がまだ席に着いていらっしゃらないのに、先に食い始めるやつがあるか!」
「だって、せっかく出来立てを出していただいたのに、冷ましてしまう方が失礼じゃないですか?」
「だいたい、お前は兄上に対する敬意が足りないんだ! 忙しい御身にもかかわらず、こうして食事を作っていただけることを、当たり前だと思い過ぎなんじゃないか!?」
「そんなことないですよー。日々感謝してますもん。ねー、先生?」
私がテーブルに持ってきたもう一皿のチャーハンは、アルフ殿下の前に置かれていた。つまり、彼の分だ。
それなのに、アルフ殿下は両手を行儀よくお膝に置いたままで、スプーンさえ持とうとしない。
作ってくれた人を待たずに先に料理に手を付けるなんて失礼だ、という彼の言い分は尤もだが……
「食べていいよって言われないと食べられないなんて、犬みたいですね?」
「なっ、なんだとっ!?」
私の言葉に、アルフ殿下はそれこそ犬みたいにキャンキャンと吠えた。
そこへフライパンとレードルを持って、呆れ顔の先生がやってくる。
「ごちゃごちゃ言ってないで、冷めないうちにお食べ。バイトちゃんに〝待て〟ができないのなんて百も承知だよ」
「犬じゃないんですから、〝待て〟なんてしませーん」
「兄上! 私だって犬じゃないですけど、〝待て〟くらいできますよっ!!」
「はいはい、えらいえらい。でも、待たなくていいからとっとと食べな。――ああ、バイトちゃんは一瞬だけ待って。味変しよう」
先生はそう言うと、私のお皿に残っていたチャーハンの上に、レードルで掬った蜜色のあんをかけてくれた。中には、カニの解し身とグリンピースが入っている。
ヴェーデン王国には海はない代わりに大きな川が通っていて、上海蟹みたいな上質の川ガニが採れるのだ。
グリンピースは前世に引き続き今世でもすこぶる子供に嫌われているが、好き嫌いを言っていられない子供時代を送った私は食べられる物は何でも食べる。ただし、パクチー以外。
先生は、まだ手を付けられていないアルフ殿下のチャーハンの半分にも、とろりとあんをかけてやった。
私は、今すぐにでもあんかけチャーハンをかき込みたい衝動をぐっとこらえ、戸惑うアルフ殿下の右手にスプーンを握らせる。
彼は先生と私の顔を見比べてから、ようやくチャーハンに口を付ける――かと思われたが、その前に。
おずおずと口を開いた。
「兄上……その、〝ばいとちゃん〟って、何ですか?」
私は先生と顔を見合わせる。
バイト、なんて単語はこの世界にはないし、私をそう呼ぶ理由を説明するとなると前世の話まで遡る必要がある。別段、前世の記憶を秘密にする必要はないのだけれど、ぶっちゃけ説明するのが面倒だった。
私と先生は、満面の笑みを浮かべてアルフ殿下に向き直る。
「私だけが呼んでいいこの子の愛称だけど、何か? お前は、義姉上とでも呼んだらいいんじゃないかな」
「あ、姉……? これが、姉……!?」
「気軽にお姉ちゃんって呼んで甘えてもいいんですよ?」
「……いや、いい。あねうえ、と呼ばせていただく」
アルフ殿下はとたんにスンとした顔をしてお姉ちゃん呼びを断ると、ようやく先生のチャーハンを口に入れた。
私を不承不承に〝あねうえ〟と呼んだ同年生まれの彼は、この日、一足先に二十歳になった。
先生のチャーハンはその祝いであり、私は御相伴に与っているだけである。
アルフ殿下が珍しく口にした「兄上の手料理が食べたい」というおねだりが聞き入れられた結果なのだが、そもそも先生がそれを許したのには訳があった。
アルフ殿下は、この日の昼間に行われた自らの成人を祝う式典でもって、成人に与えられた権利を行使してこう宣言したのである。
「私、アルフ・ヴェーデンは、王位継承権を永久に放棄するとともに、兄クロード・ヴェーデン王太子殿下に忠誠を誓うこと――そして、ロッタ嬢を王太子妃として支持することをここに明言する」




