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22 アルフ殿下



 穴は、奥に向かってかなり急な傾斜の下り坂になっていた。

 私の身体はゴロゴロゴロゴロ転り落ち、平坦な場所に到達してようやく止まる。

 しばらくは状況が飲み込めず、呆然とその場に座り込んだまま周囲を見回していた。

 辺りは墨で塗り潰したみたいな真っ暗闇。

 体感的には随分地下深くまで来てしまったような気がして、さしもの私も少しだけ不安になる。


「えー……何なんだろう、この穴……」

「……おい」

「ウサギが掘った穴……じゃないよね? この広さだもん」

「おい」 

 

 穴の横幅は、私が目一杯両手を広げて、かろうじて左右の壁に指先が触れるくらいの広さがあった。

 次いで、縦幅も計ろうと頭上に手を伸ばしてみるが、どうやら座ったままでは天井に届かないようだ。

 私はすかさず、地面に手を付いて立ち上がろうとしたのだが……


「うぐっ、そこ鳩尾! ……って、この無礼者! いつまで私の上に乗っかっているつもりだ!」

「えっと、その声はアルフ様? 私の下で何やってるんですか?」

「何やってるんですか、じゃなーい! よくも、この私をクッション代わりにしてくれたな!」

「あらー、やたらと温かい地面で気持ち悪いと思ったら、アルフ様の人肌でしたか」


 とたんに、気持ち悪いとは何ごとか、と憤慨したアルフ殿下が、上に乗っかっていた私を撥ね飛ばす勢いで立ち上がる。

 ところが、その拍子にゴチンと天井に頭を打つけて、即刻地面に逆戻りしてしまった。


「……っ、いたあ!!」

「あらら、天井は低いんでしょうか?」


 アルフ殿下という尊い犠牲を無駄にしないためにも、私は慎重に立ち上がる。

 幸いなことに、天井までは私の背丈ならまっすぐ立っても頭がぶつからないくらいの高さがあった。

 サイズ的にはやはりウサギの巣穴などではなく、人工的に掘られたものだと推測するのが妥当だろう。

 私はそんなことを考えながら、足下に踞ってウンウン呻いているアルフ殿下の頭を手探りで撫でた。

 

「アルフ様、大丈夫ですか? 頭割れてないです?」

「わっ……きっ、気安く触るなっ!」

「あっ、タンコブ! すごいタンコブできてる!!」

「なでなでするなっ! 嬉しそうにするなあっ!!」


 アルフ殿下は子犬みたいにキャンキャン吠えると、頭をブンブンして私の手を振り払う。

 そうこうしているうちに、私はだんだんと暗闇に目が慣れてきた。

 穴はずっと奥深くまで続いているようだ。

 かすかに風が入ってきていることから、この先のどこかで外に繋がっているのだろう。

 一方、今さっき自分達が転がり落ちてきた坂を振り返って、私は無意識に眉を寄せた。

 坂はやはり傾斜が急な上、土が剥き出しになっていて少し力を加えただけでぼろぼろと崩れてしまう。

 元来た道を戻るのは、まず無理だろう。

 そう判断した私は、頭を押さえながらもようやく立ち上がったアルフ殿下に向き直った。


「アルフ様は、この穴の構造をご存知とかではないですか?」

「……ない」

「そうですか。それでは、私はひとまず道なりに進もうと思いますが、アルフ様はどうなさいますか?」

「進むって、この真っ暗闇をか!?」


 アルフ殿下はまだ目が慣れていないのだろう。私の正確な位置が掴めていないらしく、うろうろと視線を彷徨わせている。

 このままでは、またどこかに頭なり何なりをぶつけてタンコブを増やしそうだと思った私は、スカートの右ポケットに手を突っ込んである物を取り出した。

 それを手探りに操作すると、ジュッという小さな音に続いてパッと手もとが明るくなる。

 その拍子に、アルフ殿下がビクリと身を竦めた。


「――わっ、何だ? マッチ!? お前、マッチを持ち歩いているのか!?」

「いけませんか? 人生いつ何時何が起こるか分からないんですから、備えは肝心ですよ」


 煙管を吸うような習慣もないヴェーデン王国では、王子自らがマッチのような火種を扱うことはまずないだろう。貴族の令嬢も然り。

 それなのに、とある止ん事無き御仁の隠し子とされている私がそれを持ち歩いていたため、アルフ殿下は驚いたようだ。

 マッチ棒の先を見つめる眼差しは、意外にも幼子のように無垢だった。

 私はゆらゆらと揺らめく炎が映り込んだ彼の瞳をまっすぐに見つめて問う。


 

「それで――私を人気のない場所に連れていって、どうなさるおつもりだったんですか?」

「えっ……」



 先ほどスイーツパラダイスを満喫していた私を、アルフ殿下は誰かが何かしらの用事で呼んでいるなんて曖昧なことを言って連れ出そうとした。

 結局は、先生特製お米カップケーキを追い掛けてお茶会の会場を離れることになったのだが、そのとたんにナイフが飛んできたのだ。

 状況的に見て、二つの出来事が無関係とは考え辛い。

 一番可能性があるとしたら、アルフ殿下自らが誘い出した私を、彼の息の掛かった人間がナイフを使って暗殺しようとした、という筋書きなのだが……


「暗殺なんて考えるものかっ! いくら自分が気に入らない相手だとしても、命を奪う権利なんて誰にもないはずだっ! 私はただ、兄上を誑かすお前の正体を暴こうと……人目のない場所でなら、きっと本性を現すだろうと言われて」

「誰に? 誰に、そう言われたんですか?」

「誰にって――えっ……ええっと、それは……」

「……もしかして、分からないんですか?」


 暗殺に関してはきっぱりと否定したアルフ殿下だったが、私を人目の無い場所に連れ出すよう唆した人物のことになると、とたんに歯切れが悪くなった。

 しまいには、誰だろう? なんてこちらに聞いてくる始末。

 私はじっと目を凝らし、マッチの炎をに照らされたアルフ殿下の表情を観察する。

 彼が嘘をついている様子はなかった。

 何者かが、例えば催眠術で操るみたいにして、彼を使って私を人気の無い場所に誘き出そうとしたとする。

 そこにナイフが立て続けに飛んできたとなれば、犯人の狙いはおのずと知れるだろう。


「……私だ。私が狙われたんだ」


 私は愕然とした思いでそう呟く。

 今世はマーロウ一家の端くれとして、まあまあ褒められたものではない人生を送ってきた。

 先生ことクロード殿下の暗殺指令が偽物だったことが判明し、私を陥れるのが目的だった可能性もある。

 生まれ変わっても我が道を行く先生を側で支えようと決めた時、来世に期待を丸投げするくらいには、今世の安泰は諦めたのだ。

 それでも、私みたいな末端の人間がピンポイントで誰かに命を狙われるようなことはない、と心のどこかで高を括っていたのかもしれない。

 ギラリと光ったナイフの切っ先がまざまざと脳裏に浮かび、それが自分に向けられていたのだと知って背筋が寒くなった。

 一方、マッチの炎を挟んで向かいにあるアルフ殿下の顔色も明らかに優れなかった。

 自分が得体の知れない誰かに手駒のように動かされていたことを悟り、ひどくショックを受けているようだ。

 そんな彼が何だか無性に可哀想に思え、一声をかけてやろうと口を開きかけた、その時だった。

 穴の奥からふっと風が吹いてきて、唐突にマッチが消える。

 と、同時に、ぐーっ! と大きな音が鳴った。

 アルフ殿下がビクッと飛び上がる気配がする。


「な、なな、何だ今の! 今のは何の音だっ!?」

「ただのお腹の音ですよ。そんなにびっくりしなくてもいいじゃないですか」

「腹の音だと!? いや、大鯰の鳴き声だろう!? 大地震がくるんじゃないのかっ!?」

「どっかで聞いたことのある話ですねー。でもそれ、迷信ですから」


 私はなおもぐーぐーと鳴り続ける自分のお腹を宥めつつ、新しいマッチに火を点けた。

 そうしておいて、左のポケットにも物を入れていたことを思い出し、片手を突っ込む。

 出てきたのはクッキーだった。一口サイズが十個、柔らかい布で丁寧に包まれている。

 私はそれを一つ口に含んでから、悩みに悩んだ末、一つをアルフ殿下に差し出した。

 彼は一瞬目を丸くしたものの、すぐに眉間に皺を寄せてツンとそっぽを向いた。


「結構だ。お前からの施しなど受けない」

「あー、それは残念。これ、クロード様が手ずから作ってくださったクッキーなんですけど?」

「あ、あああ、兄上の、クッキー!?」

「せっかくの機会だからお裾分けしようと思いましたのに。いらないとおっしゃるなら仕方がないですね。全部一人で食べちゃおーっと」


 言うなり、パクンとクッキーを頰張った私を見て、アルフ殿下はぐぎぎと歯を食いしばる。

 ついには涙目になり始めた彼がさすがに可哀想に思え、私は結局クッキーを分けてあげることにしたのだった。




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