21 三秒ルール
「お前に用があるという者があちらで待っている。案内してやるから付いてこい」
いきなり口を開いてそう告げたアルフ殿下に、私がとてつもなく胡散臭いものを見るような目を向けたのも無理からぬことだろう。
だって彼の台詞はまんま、古今東西の幼い子供が「こういう風に誘ってくる大人には絶対について行っちゃいけません!」と、親や先生なんかにきつく言い含められているやつだ。
今世の私の場合はそれに加えて、「食べ物をくれると言われてもホイホイついていくな」と、再三ボスから諭されてきている。
そういうわけで、私はアルフ殿下の言葉に頷かなかった。
むしろ、初対面から敵意しか向けてこない彼の言葉に、どうして私が素直に従うと思ったのか、甚だ疑問である。
「申し訳ありませんが、この場所にいるようクロード様に言いつけられているんです。相手の方がどなたかは存じませんが、用があるのでしたらご自分からおいでくださるよう、お伝え願えますか?」
「お、お前っ……! この私に使いっ走りをさせようというのか! いったい何様のつもりだ!!」
「いえ別に、何様のつもりでもありませんが……そもそもアルフ様も誰かの使いっ走りで私を呼びにきたんでしょう? ついでじゃないですか」
「口答えするな! お前は大人しく私の言葉に頷けばいいんだっ!!」
私に言い負かされたのがそんなに癪なのだろうか。
とたんに激昂したアルフ殿下が、椅子に座ったままの私の腕を強引に掴んで引っ張ろうとした。
するとその拍子に、先生特製米粉カップケーキが手から離れ、テーブルの端でワンバウンドしてから地面に落ちてしまったではないか。
「あーっ!!」
「な、なんだ!?」
あまりの出来事に、私はたまらず椅子から立ち上がって叫ぶ。
アルフ殿下はそれにビクリとして、あっさりと私の手を離した。
その間も、米粉カップケーキは芝生の上をコロコロコロコロ転がっていたが、やがてお茶会のテーブルから少し離れた場所にぽっかりと空いていた穴に落ちてしまった。
私は真っ青になって、前に立っていたアルフ殿下を押退けて大急ぎでその穴へと駆け寄る。
「わ、わわわ! 私の! 米粉カップケーキがっ!!」
「うるさっ……」
「わたしのこめこかっぷけえきいぃいいいっっっ!!」
「うう、うるさいうるさいっ! どうせ地面に落ちたやつなんて食えないだろうっ!!」
きまりが悪そうに喚き返したアルフ殿下に、私はぐりんっと勢い良く向き直る。
そうして、またもやビクリとした彼をキッときつく睨んだ。
「何言ってるんですか! 三秒ルールが適用されるに決まってるじゃないですか!」
「さ、さんびょうるーる、とは?」
「あれは、せんせ……クロード様が手ずから焼いてくださった、希少で貴重なカップケーキだったのにっ!!」
「兄上が、手ずから……?」
穴の側に座り込んで嘆き悲しむ私に若干引いていたアルフ殿下だったが、兄が作ったというカップケーキを台無しにしてしまったことに罪悪感を覚えたのだろう。
しばしの逡巡の後、おずおずと声を掛けてきた。
「その……穴が繋がっている場所なら、知っているが……」
「どこですか? 案内してくださいっ!!」
こうして結局、私はアルフ殿下と一緒にお茶会の会場から離れることになる。
そんな私達を、給仕係の一人と、近くの樹の上でひなたぼっこをしていたカラスのハトさんが見ていたと知るのは、少し後になってからだった。
米粉カップケーキが落ちた穴は、王宮の庭園に昔から住んでいるウサギ達が掘ったものらしい。
彼らはペットではないので、捕まったら容赦なく捌かれて食材にされるという、なかなかスリリングで殺伐とした毎日を送っている。
その巣穴は、庭園の土の下に縦横無尽に走っており、外れにある石垣にまで通じていた。
米粉カップケーキが転がってこないかと、石垣に空いた穴の中や周辺を隈無く捜索する私を眺め、アルフ殿下がぽつりと呟く。
「三秒なんてとっくに過ぎていると思うが。それに、穴の中を転がってここまで来たとしたら、きっとひどく汚れて……」
「だからなんだって言うんですか? 三秒過ぎてても汚れてても、周りを削って中の方を食べればいいでしょう? そもそも、カップケーキが転がったのはあなたのせいなんですよ? なにを他人事みたいに言ってんですか? いいから這いつくばって探しやがれってんですよ」
「なっ……私を誰だと思っているんだ!」
「クロード様が私のために手ずから焼いてくださった大事な大事なカップケーキを地面に叩き落とした冷酷非道な弟さんですよね?」
ノンブレスで言い切った私の言葉に、アルフ殿下はショックを受けたらしい。
真っ青な顔をして、「兄上……そんなつもりじゃ……」と震えている。
まったくもって役に立ちそうにない彼にやれやれと肩を竦めつつ、私がもう一度石垣に空いた穴を覗き込もうとした、その時だった。
「――っ!?」
目の端で、キラッと何かが光ったような気がした。
本能的に危険を感じた私は、いまだ呆然と立ち尽くすアルフ殿下を引っ張ってその場に伏せさせる。
受身も取れなかった彼が地面に顔面をぶつけて「ふぎゃっ」と鳴いたが、不可抗力だ。
「ぐっ、く……何をするっ!?」
「――しっ、アルフ様。誰かに命を狙われる覚えは?」
「あるもんか! ……た、たぶん」
「んもー、はっきりしないですねー。標的はアルフ様なのか、それとも私か……。とにかく、人が多いところに――」
私がそう言って、お茶会の会場に戻るルートを頭の中に思い描いた刹那のこと。
ヒュッと風を切るような音とともに、キラリと光るものがこちら目がけて飛んでくる。
反射的に身を捩ってその軌道から逃れれば、カツンと音を立てて何かが石垣の隙間に刺さった。
ナイフだった。
例えるなら、忍者なんかが使う苦無みたいな形状をした投擲に特化したナイフだ。
それが、ヒュッ、ヒュッ、と続けざまに飛んでくる音を耳に拾った私は、とっさにアルフ殿下の後ろ襟を鷲掴みにして大きく横に飛んだ。
ぐえっ、とガチョウみたいな声を上げた彼が、その拍子に石垣に手を付く。
するとどうだろう。
ガコッ、と大きな音を立てて石垣に新たな穴が空いたではないか。
「なっ……なんだっ!?」
「わわっ、隠し扉っ!?」
支えをなくしたアルフ殿下の身体は穴の中へ。
そして、彼の後ろ襟を掴んだままだった私も然り。
「わ、わあああっ!?」
「うわーん、とばっちりー!!」
穴は私とアルフ殿下を完全に飲み込むと、ひとりでにぴたりと閉まった。
石垣にカモフラージュした隠し扉の外側に、カンカンッとナイフが突き刺さる音が響く。
それに続いて、チッと誰かの舌打ちと、バサバサッと鳥の羽音が聞こえたような気がした。




