20 米粉のカップケーキ
「はは、たわいないね」
先生は鼻で笑ってそう吐き捨てると、私の隣にドカリと腰を下ろした。
もはや、すごすごと去って行く王配殿下の背中を見送ることもない。
私は目の前のポットからカップに紅茶を注いで先生に差し出した。
「完全勝利ですねー、先生」
「だろう? あー、お茶がうまい」
先生は上機嫌で紅茶に舌鼓を打ちつつ、テーブルの上のスイーツパラダイスからマカロンを一つ摘まみ上げて私の口に放り込む。
間に挟まったベリーのクリームが甘酸っぱくてほっぺが落ちそうになりながら、同じものを齧った先生に向かって、でも、と続けた。
「パウル様は、悪い方じゃないと思うんですけど」
「へえ、何を根拠にそう思うの?」
「勘です」
「勘ねえ……悪いけど、そういう不確実なものは信じない主義なんだ」
前世では、たとえ状況証拠によって依頼人が圧倒的不利であっても、物的証拠がないことを理由に攻めて攻めて攻めまくり、裁判で見事勝利を収めてきた先生らしい物言いである。
まったくもって取り合う気がなさそうな彼に、私はそれでもめげずに主張した。
「だってパウル様、なんだかうちの父に似ているんですもん。あれは悪人にはなりきれない類いの人間ですよ」
「お父さんって……君は確か、赤子の時分にマーロウ一家に売られてそれっきりじゃなかったかな?」
「いえ、今世のじゃなくて前世の父の話です。地方の大学で准教授をしてました」
「ああ、前世……そっちね」
「穏やかで子煩悩ないい父だったんです。私、一人っ子だったんで、随分可愛がってもらいました」
「そう……」
前世の父に思いを馳せる私を、先生はどこか切なそうな眼差しで見つめていた。
前世の私が、親より先に死ぬという最大の親不孝をしでかしたことを知っているからだろう。
先生はよしよしと幼子にするみたいに私の頭を撫でる。
そうこうしているうちに、クロード、と先生を呼ぶ声がした。
彼を呼び捨てにする人間は、現在ヴェーデン王国にはたった二人しかいない。
その一人である王配殿下はダンに伴われて自室に戻ったところなので、今先生を呼んだのはもう一人の人物――今世の彼の母親である、女王陛下以外ではあり得なかった。
先生の眉間に皺が寄る。それは、女王陛下とテーブルを囲んでいる人物を見てさらに顕著になった。
「……おやおや、真打登場かな。ご覧よ、バイトちゃん。あのおっさんの強欲そうな顔。あの狸がボスウェル公爵――王配殿下のお兄さんだよ」
「強欲そうかどうかは分かりませんが、先生があの方のことを嫌っているのはよく分かりました。狸には似てますけど、パウル様とは似てないですね?」
ボスウェル公爵は体格のいい男だった。すらりとした体型の王配殿下とは随分と印象が異なる。
ただ、先生の視線を受けてにかりと浮かべた人好きのする笑みに裏があるようには思えず、私の勘は王配殿下同様悪人ではなさそうだと言っていたが、それを口にするのは憚られた。
とてもじゃないが、先生が取り合ってくれるとは思えなかったからだ。
「甥っ子の醜聞が取り沙汰されている中、よくも堂々と社交界に顔を出せたものだね」
「結局フィリップ・モーガンは、風紀を乱したって理由で近衛師団をクビになったんですよね。再就職先あります?」
先日私が修羅場をセッティングして差し上げたフィリップ・モーガンの件は、その後彼が古い侯爵家の孫娘にまで手を出していたことが発覚して大騒動へと発展した。
モーガン家にとっては、ボスウェル公爵家に縁を切られることが何よりも恐ろしい。結果、実家から勘当されたフィリップは恋人の一人のヒモに成り下がる他なかったという。
本日のお茶会でも、フィリップのスキャンダルがそこかしこで話題になっていた。親戚関係にあるボスウェル公爵家にまで話が及ぶのも当然のことだろう。
そんな中でも、女王陛下はボスウェル公爵にモアイさんを紹介するようだ。先生も同席させたいらしく、こちらにこいと手招きをしている。
「仕方がない……不本意だけど、ちょっと行ってくるかな」
「いってらっしゃい、先生。次も勝ってきてくださいね」
しぶしぶ立ち上がった先生に、私はとっさに声をかける。
図らずもそれは、前世の先生を裁判に送り出す時にかけていたのと同じ言葉だった。
そうと気付いたのは、彼がひどく懐かしそうに、あるいは愛おしそうに目を細めたからだ。
「行ってくるよ、バイトちゃん。そうそう、カップケーキを厨房のオーブンに入れているんだ。焼き上がったら君のテーブルに持ってくるよう、厨房の者に頼んであるからね」
「――先生のカップケーキ!? 前世振りですね!」
前世で先生がよく作ってくれたのは、米粉のカップケーキ。ふわふわでハチミツ風味の優しい味わいだったのを覚えている。
思わずサムズアップする私に、先生はくすりと笑ってから颯爽と歩き出した。
それからさほどせず、まだホカホカと湯気の上がるカップケーキが私のもとに届けられた。
持ってきたのは、サンタクロースみたいに白い口髭を生やした総料理長。今世の先生が離乳食の頃から世話になり、五年前に食事に毒を盛られて以降も唯一食材の調達を任せていた人物である。
私と再会し前世を思い出してから、先生は頻繁に厨房に通って総料理長とも顔を合わせていた。私の空腹を満たすためだ。
五年前の事件以降、周囲に対して疑心暗鬼になるあまり、誰にも心を許さなくなった先生を心配していたらしい総料理長は、ここ数日の彼を見て表情が柔らかくなったと喜ぶ。
そして、その変化をもたらしたのが私の存在だと言って、とても好意的に接してくれていた。
カップケーキは四つ。米が高級食材とされている世界なので、米粉もまた希少なのだ。
米を主食としていた前世との違いを痛感しつつ、私はカップケーキを一つ総料理長に向かって差し出した。
「はい、総料理長さんもお一つどうぞ」
「わ、私めに? ですが、クロード様はこれをロッタ様のためにお作りになったのでは……」
恐縮して引っ込もうとする彼の手を捕まえて、私は強引にカップケーキを押し付ける。
せっかくの貴重なカップケーキを独り占めしたいのは山々だが、私はさらにもう一つを通りかかった侍女頭――先生の乳母で、総料理長と同じ理由で私に好意的――にもシェアした。
ようは、賄賂である。
彼らに対して自分の心証を良くした上、先生の味方でずっといてもらえるよう、私は身を切るような思いでカップケーキを差し出したのだ。
残るは二つ。
どちらも食べてしまいたくはあるが、作った本人である先生に味見をさせないというのもどうかと思う。
なけなしの理性が働いた結果、私は一つを先生のために残しておくことに決めたのだった。
そうして、自分のためのたった一つのカップケーキを、私は恭しく両手で持ち上げる。
鼻を近づければ、濃厚なバターの匂いの影に、懐かしい米粉の香りがした。
それだけで何だか幸せな気分になるのは、前世のDNAに刻み込まれていた記憶のせいだろうか。
米を作ったどこかのお百姓さんと、少し離れた席に腰を下ろしている先生の背中に、感謝の気持ちを込めて「いただきます」と呟く。
そうして、私はついにカップケーキに齧り付こうとしたのだが…
「……あの、何か?」
「……」
ふいに、ピタリと動きを止めた。
思いもかけない人物が、目の前に現れたからだ。
警戒心を隠す様子もない緑色の瞳。
王配殿下そっくりのそれで私をじっと見下ろすのは、今世の先生の父親違いの弟――アルフ殿下だった。




