19 新しい近衛師団
カイン・アンダーソンに代わって新しい近衛師団長に任命されたのは、モア・イーサンだった。
彼が優勝した御前試合からたった十日後のことである。
一方で悔しい思いをしたのが、念願の団長昇格を逃したダン・グレゴリーだ。
それでも彼は、新しい近衛師団長に異を唱えることは決してなかった。
というのも、国有地の石炭を無断で採掘して売った罪で摘発されたグレゴリー伯爵家が、王城への立ち入り禁止――実質社交界からの追放を言い渡されたにもかかわらず、ダンだけはただ一人不問にされたからだ。
今後も副団長としての働きを期待している、と王太子殿下直々に労いの言葉をかけられた彼は男泣き。
改めて、王家ならびに王太子殿下への忠誠を誓い、その恩義に報いるためにも新しい近衛師団長を全力で支えていくと決意したのである。
とはいえ、やはり一般師団からの大抜擢に世間はざわついていた。
そんな中、私は先生ことクロード殿下の私室でモアイさんとの再会を果たす。
「――あなたは、先日馬車駅まで同行させていただいたお嬢さんですね」
顔を合わせたその瞬間。
問うのではなく確かめるようにそう言った彼に、さしもの私も息を呑む。
人となりを探るために城下町で接触した時、私はお忍びで家を抜け出してきた深窓の令嬢を装っていた。
自前の金髪は黒い巻き毛のカツラの下に押し込め、たっぷりの化粧で顔の印象も随分変えていたはずなのだ。
それにあの時、私とモアイさんが接していた時間なんて、三十分にも満たない。
にもかかわらず、彼は確実に私の正体を見抜き、そしていかばかりかの不審を露にした。
さもありなん。
今し方王太子殿下の婚約者として紹介された私が、変装をして城下町に出没していたとあっては、訝しく思うのも当然のことだろう。
下手に隠し立てするのは得策ではないと思ったのか、すかさず先生が口を開いた。
「私が前任のカインで痛い目を見たのは君も知っているだろう。二の舞はご免なんでね。君がどういう人間なのかを知るために、身軽な彼女に偵察を頼んだんだ。気を悪くしないでもらえるとありがたいよ」
「そうでございましたか……自分のどこが、殿下と妃殿下のお眼鏡にかなったのかは分かりませんが、光栄に存じます」
「謙遜しなくていいよ。ロッタが世話になったね。聞くところによると、乗り合い馬車の代金を立て替えてもらったそうじゃないか。私から色を付けて返金しようか?」
「滅相もございません」
場を和まそうとする先生の軽口に、モアイさんの厳つい顔もわずかに緩む。
それにほっと安堵のため息を吐いてから、私もおずおずと口を開いた。
「試すような真似をしてごめんなさい、モアイさん。でも、路地裏に連れ込まれるのは想定外だったので正直助かりました。ところで、あの時の三人組はどうなりましたか?」
「モア・イーサンです。連中には余罪がいくつもありまして、今は拘置所で沙汰を待っているところです。あなた様にお怪我がなくてよかった」
とたん、ちょっと待とうか、と先生が口を挟む。
彼は眉間にぎゅっと皺を寄せて私に詰め寄ってきた。
「三人組って何のこと? 路地裏に連れ込まれたなんて話は初耳だな。どうして、ちゃんと全部報告をしないのかな、君は!」
「だって、結局何もされていませんし、わざわざ報告するほど大したことじゃ……」
「大したことかどうかを判断するのは、君じゃなくて俺だ。今後は全部、何もかも俺に報告するように。いいね?」
「えー」
「えー、じゃない。返事は、はい、だ。 異論は認めないよ」
「はいはいはーい」
その時である。
ぷっ、と小さく吹き出す音が聞こえてきて、私と先生ははたと我に返る。
モアイさんがいるのも忘れ、お互いすっかり素でしゃべってしまっていたのだ。
先生なんて、うっかり一人称が〝俺〟になっていた。
しかしながら、モアイさんは私達のやり取りを訝しむでもなく、にこにこと微笑んでいる。
私と先生は思わず顔を見合わせ、声を揃えて呟いた。
「「……微笑むモアイさん」」
「モア・イーサンです。失礼しました。殿下と妃殿下……クロード様とロッタ様のやり取りが、あまりに微笑ましく思えまして。お二人は仲睦まじくていらっしゃるのですね」
この日、私と先生は頼もしい守り刀を手に入れた。
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「君達は仲睦まじいのだね」
微笑むモアイさん――もとい、微笑みを浮かべてモア・イーサンが口にしたのと同じ台詞を、別の人物から困惑を滲ませた声で投げ掛けられたのは、新しい近衛師団長が決定して最初の週末の午後だった。
近衛師団はいわば王族に専属して守護する護衛集団。その長ともなれば、国政会議やら晩餐会やら国内外を問わず同行して警護に当たることになる。
しかしながら、この度近衛師団長に就任したモアイさんは一般家庭の出身だ。
上流階級の人々とはほぼ面識がない状態だったため、女王陛下が王族貴族をはじめとする主立った要人を招待してお茶会を開くことで、顔繫ぎできる場を設けたのである。
そういうわけなので、モアイさんは女王陛下と先生ことクロード殿下に伴われて挨拶回りに忙しい。
私はというと、副団長のダン・グレゴリーを侍らせて王太子殿下のための席で待機中である。
ちなみにダンは、数日前の夜に見知らぬキャバ嬢にしこたま呑まされしゃべらされたことをまったく覚えていなかったし、それが私の仕業だったなんて気付いてもいなかった。
とにかく、心酔する王太子殿下から私のお守りを頼まれ、番犬よろしく周囲に睨みをきかせている。
おかげで私は誰にもちょっかいをかけられることなく、目の前のテーブルに広がるスイーツパラダイスを堪能することができていた。
そんな中で私に声をかけてきたのは、番犬さえも牙を収めないわけにはいかない相手――女王陛下の夫であるパウル・ヴェーデン王配殿下だった。
彼の言う“君達”の片方が、今ここにいるダンではなく、ダンを私の側に置いていった先生であることは明白だ。
けれども私は否定も肯定もせず、ただ微笑んで首を傾げるだけに留める。
そんな私を、王配殿下は緑色の瞳でじっと見つめていたが、ふいに自身の背後を振り返って口を開いた。
「こんな素敵なレディとどこで出会ったのか、是非とも教えてもらいたいものだね――クロード」
「聞いてどうなさるおつもりで? 先日申し上げたでしょう? 彼女の素姓を詳しく話すつもりはない、と。もうお忘れですか?」
現れたのは、モアイさんの挨拶回りに付き合っていたはずの先生だった。
王配殿下の横を擦り抜け、庇うみたいに私の前に立つ。
その背中ごしに、王配殿下の声が続けた。
「極北シャンドル公国の大公閣下が、確か彼女と同じ目の色と髪の色だったように記憶しているよ。彼とは留学先が一緒でね。古い付き合いなんだ。ロッタという名に心当たりがないか、一度尋ねてみようかな」
「どうぞご随意に。ただし、先方が正直にお答えくださる保証なんてどこにもありませんがね」
「かまをかけて反応が見られれば十分だと思わないかい?」
「さあ? そうして得られた結果に、何の意味があるって言うんです?」
シャンドル公国は冷たい北の凍土を超えた先にある遠い国。
インターネットが普及していた前世ならともかく、五年前の暗殺未遂事件以降ヴェーデン王国を一歩も出たことのない先生がそんな遥か遠くの国の女と出会うことも、王配殿下が相手の反応を直接目にすることも非常に困難である。
つまり、常識的には出来るはずの無いことを話題に、腹の探り合いをしているだけなのだ。
王配殿下が世間話をするみたいな口調で、そういえば、と続ける。
「カイン・アンダーソンが牢の中でおかしなことを言っていると小耳に挟んだんだが、心当たりはあるかい?」
「あいにく、罪人の戯れ言に耳を傾けるほど酔狂ではございませんよ」
「まあ、そう言うな。カインの戯れ言はなかなか面白いんだ。なんでも、クロードが王太子妃にしようとしているのはマーロウ一家のボスの愛人だ、と」
「――馬鹿馬鹿しい」
とたんに、先生は冷ややかな声で吐き捨てるように言った。
「あなたともあろうお方が、とんだガセネタを掴まされましたね。彼女が? 私の可愛いロッタが? マフィアのボスの愛人ですって? ははっ、カインもどうせならもっと笑える冗談を言えばいいものを。程度が知れますね」
先生が一歩前に出る。
その気迫に押されたのか、王配殿下は逆に一歩後退った。
自身の優位を確信した先生が畳み掛ける。
「そもそも、カインの処遇は私に一任されているはずです。誰とも接触させるなと牢番にはきつく申し付けたはずですが、一体誰がカインの話をあなたの耳に入れたのでしょうね?」
「それは……」
「私は誰を罰すればいいのでしょう。職務怠慢な牢番ですか? それとも、彼を買収してカインと接触した者がいるのでしょうか? では、その者の名を教えてください。捕えて拷問して、誰に頼まれて何の目的でそんなことをしたのかを吐かせねばなりますまい」
「……すまない。カインの件は私の勘違いだったかもしれない」
勝負はすぐに着いた。
分が悪いと察したらしい王配殿下が早々に白旗を揚げたのだ。
先生は容赦なく敗者に退場を命じる。
「ダン、殿下はお疲れのようだ。すまないが、部屋まで送って差し上げてくれないか」
「御意にございます」
王配殿下はため息を吐きつつも、先生の忠犬となったダンに促されて大人しく引き下がるのだった。




