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18 モアイさん



 近衛師団の現副団長ダン・グレゴリーは冷静沈着で誠実、それでいて実に人当りのいい男だった。

 フィリップ・モーガンみたいに平民出の父を持つクロード殿下を見下している様子はないし、王家に対する忠誠心も厚い。

 彼こそが、今世の先生の守り刀にふさわしい――私は最初、そう思いかけた。

 ところがである。


「くそうっ! 長男だからって、いつもいつもいつも威張りやがってぇ! 兄さんなんか何の取り柄もないくせに、たった一年早く生まれたってだけで伯爵家の家督も財産も全部手に入れたんだ!」

「うんうん、なるほどなるほどー」

「それだけでは飽き足らず、ここ数年は屋敷の裏山から勝手に石炭を掘り出して儲けてやがる。あそこは国有地だから、許可もなく採掘するのは違法だって再三注意しているのに、一向に聞き入れてくれないし……」

「あらまあ、それは困りましたねー。はいはい、飲んで。もっと飲んでー」


 目を据わらせてくだを巻くダンのカップに、私は度数の高いアルコールを継ぎ足しながらひたすら相槌を打っていた。

 場所は城下町の片隅にある寂れた飲み屋のカウンター。時刻は間もなく日付を跨ぐ。

 漆黒色のカツラを被り、唇には扇情的な真っ赤な紅。胸元なんて、寄せて上げて詰め物をしたおかげで見事な谷間が出来上がっている。

 そんな今宵の私は夜の蝶だ。たまたま、偶然、ゆくりなく、帰宅途中のダン・グレゴリーをキャッチ。

 ただいま、カウンターに並んで座って一緒に酒を飲んでいるところだった。

 とはいえ、結局酒を飲んでいるのはダンだけで、私が口にしているのはソフトドリンクばかりだ。

 一杯目の乾杯の際、こっそりグラスに忍ばせた酔いを助長する薬――森の魔女アン作――のせいで、すっかり出来上がったダンには気づく由もない。

 ちなみに、飲み屋の裏の顔はマーロウ一家の息が掛かった情報屋で、各国に点在して私のような構成員のサポートをしてくれている。

 そういうわけなので、店の主人は私達のやり取りに興味のなさそうな顔をしつつも、度数の高いアルコールをどんどん奥から出してきていた。

 ダンは、決して悪い人間ではなかった。

 ただし、酒に弱いのも口が軽いのも、社会的な評価は減点になってしまう。

 あと、酔いに任せて初対面の相手とパーソナルスペースを詰め過ぎるのもどうかと思う。

 いくら半分以上が詰め物だといっても、断りもなく女の胸に触れようとするのはいただけない。

 私が横から伸びてきた不埒な手を容赦なく叩き落とすと、彼はわっとカウンターに突っ伏して泣き出した。

 そうして、茶色の髪を掻き乱して喚き散らす。


「どうして、思い通りにならないことばかりなんだよっ! 本当なら、俺は五年前には団長に昇進できていたはずだったのに! カイン……あの策士め! 王太子殿下を狙っていた犯人達を泳がせた末、まんまと捕まえて自分の手柄にしやがってっ……!!」」

「――その話、詳しく聞かせてもらえますか?」


 聞き捨てならない台詞に、私は無言で店の主人に目配せをする。

 そして、カウンター奥の棚から出てきたとっておきの酒を、ダンのグラスになみなみと注ぐのだった。



 ******



「――どうか、お気を付けて」


 私が乗り合い馬車に乗り込むのを見届けてそう口にしたのは、もう一人の近衛師団長候補だった。

 泥酔して正体をなくしたダンを尋問し尽くした翌日のこと。

 昼食の時刻を前にして賑わう城下町を、私は貴族の令嬢っぽい華美な服装で歩いていた。

 そんな中、ちんぴら風の男三人に絡まれて路地裏に連れ込まれそうになっていたところを、たまたま、偶然、ゆくりなく、見回りで通りがかったモア・イーサン――モアイさんに助けてもらったのだ。

 一般師団の分隊長を務める彼は、現在二十五歳。

 少々老けてはいるが、先生ことクロード殿下とは同い年である。

 石像彫刻であるモアイ像みたいに厳つく、彫りの深さ故に陰影がくっきりとした顔には威圧感があるものの、意外にも物腰柔らかな紳士だった。

 ちなみに、ちんぴら風の男達は仕込みではなかったので、普通にモアイさんに伸されてお縄に付いた。

 御前試合での優勝は伊達ではなく、剣を抜かないまま三人の男をあっという間に捩じ伏せる姿は圧巻の一言に尽きる。

 慌てて駆け付けた部下に男達を引き渡してから、モアイさんは私を大通りまでエスコートしてくれた。

 さらには……


「いつもは家人が支払ってくれていたものですから……」


 お忍びで家を抜け出してきた深窓の令嬢を装って、私が途方に暮れた顔をして呟くと、さっと代わりに乗り合い馬車の料金まで支払ってくれたのだ。

 そうして、そのまま立ち去ろうとする彼を、私は慌てて呼び止める。


「あの、後でうちの者がお礼に伺います。せめてお名前だけでも……」

「いえ、困っている方の力になるのは当然のことです。どうか、お気になさらず」

「でも……お世話になった方の名も聞かずに帰ったとあっては、きっと父に叱られてしまいます……」

「感謝のお心ならば、私の主君であらせられる女王陛下、ならびに次期国王となられる王太子殿下に捧げてくださいますよう、御父上にお伝えください。私の行いは、それで十分報われますですので」


 モアイさんはそう告げると、乗り合い馬車の御者に出発するよう告げた。


 

 モア・イーサンは大工の家に次男として生まれ、剣の腕を見込まれて十五歳で騎士見習いになったという。

 彼に野心があったならば、貴族の令嬢と思われる私に恩を売ったことで、出世を夢見たかもしれない。

 下心があったならば、ちんぴらに絡まれて怯えたふりをしていた私の肩の一つでも抱いたかもしれない。

 けれども、結局彼は最後まで名乗らず、頑なまでに礼節を守って私の衣服の端にさえ一切触れることがなかった。



「――というわけですので、私は断然モアイさん推しです。もはや一択です」



 乗り合い馬車を一駅で降りた私は、先日先生と通った路地の奥から城の裏へと周り、こっそり王宮へと戻ってきた。

 そうして私室に一人で居た先生に、さっそく近衛師団長候補として名が挙がっていた三人に対する私見を報告したのだが……


「モアイさんじゃなくて、モア・イーサンね。なるほど、偵察ご苦労様。実に参考になったよ――と言いたいところだけど、その前に。バイトちゃん、ちょっとここに座りなさい」

「ここって……えー? 先生のベッドじゃないですか。セクハラはよくないですよ」

「セクハラ上等! そんなことより、君って子は一体全体どこをほっつき歩いていたんだ! この不良娘めっ!!」

「ぎゃっ!?」


 こめかみに青筋を浮かべた先生に頭を鷲掴みにされ、ベッドに正座させられることになった。 

 私はおそるおそる、先生を見上げて問う。

 

「先生、どうしてそんなに怒ってるんですか? ちゃんと手紙を置いていきましたよね?」

「手紙なら読んださ。〝どうか探さないでください〟って、どう見ても家出娘の書き置きだよねぇ!?」

「あー……えっと、心配しないでくださいって意味だったんですけど……」

「俺に断りもなく姿を消したと思ったら、丸一日帰ってこなかったんだ。心配するに決まっているだろう。ただでさえ、君を嵌めようとしたやつが、まだどこかにいるかもしれないっていうのに」


 先生が苦虫を噛み潰したみたいな顔で言う通り、ボスからの命を装って、私にクロード殿下を暗殺させようとした者の正体は依然掴めていない。

 単純に王太子を消すために私を都合のいい手駒としただけなのか、それとも私自身に何らかの責を負わせるのが目的だったのか、何も分からないのが現状だった。

 後者である場合、今後も私に何らかの災難が降り掛かる可能性がある。先生はそれを心配しているようだ。

 怖い顔をして腕を組んだ先生はまるで、前世において門限を破った私をしこたま叱った時の父みたい。

 私はばつが悪いような心地になりながら、でも、と口を開く。


「カイン・アンダーソンみたいなのに命を預けるのはもう真っ平ですよね? 聞くところによると五年前、彼ってば先生に対する暗殺計画を事前に察知しておきながら、実行に移されるまで見て見ぬふりをしていたそうじゃないですか。実行犯を真っ先に捕まえて、自分がさも優秀であると周囲にアピールするために」

「へえ……それ、誰から聞いたのかな?」

「ダン・グレゴリーです。当時は、カインの出世を妬んだ人達が流したフェイクだと思われていたそうですが、どうやら事実だったみたいですよ。ただ、カインが先生の幼馴染で親友という立ち位置にいたから、無闇に糾弾するのが憚られる空気だったそうです」

「なるほど……カインの裏切りは、起こるべくして起こったということか」


 泥酔して口が軽くなったダンによると、カインにはきな臭い噂が尽きなかった。

 ともに伯爵の称号を持つグレゴリー家とアンダーソン家の間には繋がりがあるらしく、カインはダンの兄が国有地の石炭を無断で採掘して売っていることを黙認する代わりに、決して少なくはない金額の賄賂を受け取っていたそうだ。まさしく、叩けば埃の出る身体である。

 前世の記憶を取り戻す前のクロード殿下は、そんな男を重用していたことになる。

 呆れたような、あるいは自嘲するみたいな先生の顔を見上げ、私は正座をした両膝にグッと拳を押し付けて畳み掛けた。


「今度こそ、信頼できる守り刀をゲットしましょうよ。私も味方が多い方がいいです」

「君はいったい何と戦うつもりでいるのかな?」

「先生がヴェーデン国王となることを阻むもの、全部とですよ。だって、今世も先生の側にいるってもう決めたんですもん。先生が生き易くなることは、すなわち私自身も生き易くなることに繋がります」

「バイトちゃん……」


 きっぱりと言い切った私に、先生は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

 何度も瞳をぱちくりさせる姿は、少しだけ幼く見える。こめかみからはいつの間にか青筋も消えていた。

 と、ふいに先生が私の方へと手を伸ばしてくる。


「俺の側にいるって……その言葉、どうか忘れないで」


 先生らしからぬ縋るような声に、今度は私が豆鉄砲を食らう番だった。

 ところが、その直後……


 ぐー……


 またしても、空気を読まない私のお腹が盛大に鳴く。

 とたんに先生は私の髪をくしゃくしゃと撫でて苦笑いを浮かべた。


「飯にしようか、バイトちゃん」

「はいっ!」




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