16 御前試合
――ガキンッ!!
金属同士がぶつかり合う音が鳴り響き、擦れたそれらの狭間でわずかに火花が散った。
真上から降り注ぐ太陽の光を浴びて、交差する二つの刀身がギラリと輝く。
鋼と鋼がギリギリと悲鳴を上げていた。
柄を握る二人の男の手には揃って筋が浮き、互いの力は拮抗しているように思われた――が、ふいに片方の刃がもう片方の刀身を滑り、その鍔を強く叩く。
カンッという甲高い音とともに鍔を叩かれた男の手から剣が零れ、石畳に落ちると同時に、勝負あり! と審判の声が響いた。
わあああっ! と周囲から歓声が上がり、勝者を讃える拍手が涌き起こる。
つられてパチパチと両手を打ち鳴らす私とは対照的に、先生がつまらなそうに口を開いた。
「実は学生時代、剣道部だったんだよね」
「えっ、それ初耳! 意外ですね。先生、体育会系出身だったんですか?」
「高校まではね。大学入ってすぐに辞めたけど。バイトちゃんはずっと文化部だったんじゃない?」
「当たりです。クッキング同好会でした。食べるの専門でしたけど」
だろうねと笑い、先生は目の前のテーブルに置かれた果物かごから緑色のブドウを一粒捥いで、私の口に放り込んだ。
皮ごと食べられ、サクサクとした果肉の濃厚な甘さと芳醇な香りはシャインマスカットを彷彿とさせる。
とにかくとっても高級そうな味がするそれをモグモグしていた私はふと、ブドウの粒とよく似たまん丸な緑色を見つけて、先生の袖を引いた。
「先生、ほら。弟さんにもあーんしてあげたらどうですか?」
「ははっ、ご免だね。何が悲しくて、野郎に餌付けなんかしなきゃいけないのかな」
まん丸な緑色は、アルフ殿下の見開かれた瞳だった。
右隣のソファに座った彼は私と先生を見比べて、まるで親鳥に餌をねだる雛みたいに口をパクパクさえている。
その口にブドウを放り込んでやってはという私の提案は、先生によって一笑に付された。
にもかかわらず、彼はもう一粒ブドウを捥いで、再び私の口に突っ込んでくる。
とたんに、アルフ殿下の強い視線が私の顔に突き刺さった。
いや、彼のものだけではない。
おびただしい数の目が自分に向けられているのを感じ、さすがに居心地が悪くて身体を縮こめる。
そんな私の肩を先生が掌で包み込むようにして撫でた。
「ふふ、すっかり注目の的だね、バイトちゃん。皆に手でも振って上げたらどうかな?」
「ううー、他人事みたいに……。誰のせいだと思ってるんですかー」
「もちろん、俺のせいだよ。疑心暗鬼のあまり手負の獣みたいに周囲を威嚇しまくっていた王太子が、ある日突然女の子を連れてきて、膝に抱いて愛でているんだもんね。驚かない方がおかしい」
「分かっててやってるんだから、ほんっっっと質が悪い!」
くつくつと笑って先生が言う通り、彼は今ソファに腰を下ろし、左腿の上に私を座らせている状態だった。
左側なのはたまたまか、それともまだ癒え切っていない脇腹の傷を庇うためか。
ともかく、先生の左手は私の肩を抱き、右手はせっせと食べ物を運んでくれている。
傍目には、まるで猫の子でも愛でているみたいに見えるだろう。
いや、猫であったら問題はなかった。
けれども、排他的なことで知られている王太子殿下が実際愛でているのは、私という人間の女だ。
折しも、彼の婚約者だったミッテリ公爵令嬢のスキャンダルが世間を賑わせている最中である。
ミッテリ公爵令嬢は、暗殺の実行自体には携わっていなかったため、問答無用で地下牢に放り込まれるのだけは免れた。
しかしながら、取り調べの際の診察によって、先生とはまったく関係を持っていないにもかかわらず妊娠していることが判明。不貞を働いたとして、正式に婚約を破棄されていた。
よって、現在フリーに戻っているはずの先生の側に、いきなり私みたいな存在が現れて、周囲が困惑するのも無理からぬことだろう。
しかも、場所が場所だった。
先生が私を抱えて座っているのは、城の敷地内にある闘技場――それを一望できる特等席のソファだ。
本日ヴェーデン王国の城では、半年に一度の御前試合が開催されていた。
腕に覚えのある剣士達が集まり、剣の腕を競うのだ。
試合はトーナメント制で、武器は真剣が使われる。
ただし、御前を血で汚すことはタブーとされているため、刃が狙うのは専ら対戦相手の生身ではなく得物だった。
そうして、今まさに雌雄を決した一戦こそが、本大会の決勝戦。
勝者は金一封に加え、女王陛下直々にお褒めのお言葉を賜ることになる。
対戦相手に一礼し、さっと闘技場の舞台を後にした優勝者は、まだ若い男だった。
肌はよく日に焼けた小麦色で、短く刈り上げた髪は鈍色。彫りの深い顔にはくっきりとした陰影が刻まれ、三白眼なのに加えて薄い虹彩のせいでひどく白目勝ちに見えてしまう。
威圧感があって剣士らしいが、女性や子供受けは良くないだろう。
そんな余計なお世話なことを考えていた私の肩に顎を載せ、ふいに先生が口を開いた。
「あの男、どこかで見たことがあると思ったら……」
「一般師団の分隊長なんですってね。先生、お知り合いなんですか?」
「いや、今世では面識はないんだけどね。前世の高校時代、あれとそっくりな顔の知り合いがいたなと思って。確か、剣道部の主将だった」
「えー、あんなモアイ像みたいに彫りの深い日本人なんていますー?」
モアイ像って! と膝を叩いて先生が吹き出す。
どうやらよほどツボにはまったらしい。
件の剣士が、女王陛下から誉れを賜るために側までやってきたものだから余計にである。
さすがに本人を前にしては失礼だと思ったのか、必死に笑いを噛み殺そうとしたものの失敗。
結局は私の髪に顔を埋めてクスクスと笑う先生に、周囲の人々がぎょっと目を剝く気配を感じた。
やがて、件の剣士が立ち去ると、こほんと一つ咳払いが聞こえてきた。
先生ことクロード殿下の左隣に座っていた、女王陛下のものである。
女王陛下は、何とも言えない顔で私を一瞥してから、先生に視線を移して口を開いた。
「見ての通り、剣の腕が立つ。あの者を、新しい近衛師団長の候補の一人に加えようと考えているわ」
「はあ、陛下のお好きになさればよろしいのではないでしょうか。ところで、候補の一人ということは、他にも名前が挙がっているのでしょう。参考までに、他の候補者の名前を伺っても?」
「候補は他に二名。近衛師団に属するダン・グレゴリーと……フィリップ・モーガンよ」
「……なるほど。前者はともかく、後者の名が挙がった経緯は是非ともお聞かせ願いたいところですね」
先生が殊更冷ややかに言うのも無理はない。
前者のダン・グレゴリーは、王家に長年仕える軍人一家グレゴリー伯爵家の次男で、現在近衛師団で副団長を務めている。私が先生を暗殺しようと忍び込んだ時、カインに続いて現場に駆け付け、カインよりもよっぽど団長らしい冷静さを見せた人物だ。
しかし、後者のフィリップ・モーガンは近衛師団に入ってまだ二年目。これといった功績もなく、格別に人望が厚いというわけでもない。
では何故、フィリップ・モーガンの名が新しい近衛師団長候補のリストに加えられたのか。
答えは明白だった。彼がボスウェル公爵夫人の妹の子、つまりは王配殿下の縁者であるからだ。
結局は、王配殿下の縁者を重用するための出来レースか、と鼻白む。
ところが、この後女王陛下が続けた言葉に、私は思わず先生と顔を見合わせることになった。
「新しい近衛師団長を三人のうちの誰にするか……その決定権はクロード、お前に託そうと思うの」
「……よろしいのですか? 私は、忖度なんて絶対しませんよ?」
「構わないわ。次の国王はお前だもの。自分の守り刀は自分で選ぶべきでしょう」
「そう……ですか。それでは、慎んでお受け致します」
この時点で、新しい近衛師団長候補は実質二人に搾られる。
ダン・グレゴリーと、本日の御前試合の優勝者——モア・イーサン。
「モアイさん」
後者の名を知った瞬間、先生の腹筋が崩壊した。




