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15 魔女の花



「――分かりました。ひとまず、ロッタは殿下にお預けすることに致しましょう」


 重々しいため息に続いて吐き出された声に、私は先生の腕の中で顔を上げた。

 声の主であるボスは、テーブルに両肘を付いて指を組み、サファイアみたいな青い瞳でじっと先生を見据えている。

 その凍えるような眼差しに、私がゴクリと喉を鳴らしてミートパイと一緒に唾を飲み込む一方で、先生は相変わらず涼しい顔をして、はて、と首を傾げた。


「ひとまず、とはどういう意味でしょう? 私は彼女を預かりたいのではなく、貰い受けたいのですが?」

「何度も申し上げますが、私は部下を売るつもりはございません。この度の失態の代償として私が差し出せるのは、要員派遣という名目で殿下の傷が癒えるまでロッタを貸し出すことのみ。それ以上はできかねます」


 ボスも今度は譲る気がないようだ。

 男も女も子供も、まるで家畜のように平気で競り売りして小銭を稼いでいた前のボスの息子だというのが信じられないくらい、レクター・マーロウは部下を大切にする人だった。

 私はそんなボスを慕わしく思う一方、先生ことクロード殿下を見捨てることもできない。

 先生も先生で、私個人に執着している態でいるが、その真の目的は、私を媒介にして大陸随一と謳われるマーロウ一家との繋がりを持つことのはず。一時的に私を側に置くだけでは意味がないのだ。

 先生は私を人質にするみたいにぎゅうと抱き締め直すと、交渉を続けるために口を開こうとする。

 けれどもボスはそれを手で制し、ただし、と続けた。


「殿下が、ロッタを正式に王太子妃――ひいては未来のヴェーデン国王妃として周囲に認めさせてくださったならば、その時は考えを改めるのも吝かではございません」

「つまりは、ロッタと私の関係自体に異を唱えるおつもりはない、ということでよろしいですか?」

「部下の色恋沙汰に口出しするほど野暮ではないつもりですよ。ただ、私は一時でも一家に属した人間は死ぬまで身内であると考えております。特にロッタは赤子の頃から面倒を見てきた手前、身の丈に合わない婚家で苦労をさせるのは私の親心が許さない――殿下には、私を安心させていただきたいのです」

「心得ました。必ずや、ロッタが私の隣に座ることを誰にも文句を言わせない状態にして、貴殿を安心させて差し上げるとお約束しましょう。その暁には、私も貴殿を〝ボス〟とでもお呼びするべきでしょうか? それとも〝義父上〟?」


 先生の軽口に、ボスはまったく面白くなさそうに「お戯れを」と返した。

 ともあれ、私と正式に婚姻関係を結べば、先生もマーロウ一家と繋がることになる。

 先生が今後ヴェーデン王国王太子、あるいはヴェーデン国王として、マーロウ一家にどれだけ助力を求めるつもりなのか、ボスがはたしてどこまでそれに応えるのかは分からない。

 ただ、少なくとも私達が夫婦である限り、マーロウ一家がヴェーデン王国の敵に回ることはないだろう。

 この交渉の結果に、先生はたいへん満足したようだ。

 髪を一撫でして私を解放し、すっかり冷めたハーブティーに口を付ける。

 ここで、いつの間にかキッチンに行っていたアンが戻ってきた。

 彼女が抱えていた、たっぷりの生クリームとブルーベリーが載ったシフォンケーキに反応して、私の節操のないお腹がキュウと鳴く。

 とたんに、ボスと先生が顔を見合わせてこう言い交わした。


「殿下、一つ条件を付け加えさせてください。どうか、これを空腹にさせないように願います」

「……善処します」





「ロッタちゃんとクロード様が結婚なんて、素敵ねぇ」


 私の胃袋がシフォンケーキを平らげてようやく満足した頃、再び窓辺に立っていたアンが一つの鉢を持ち上げて声を弾ませた。


「そうだわ! お祝いに、魔女の花を贈ろうかしら? ちょうど、もうすぐ咲きそうなのっ!」

「魔女の花?」


 鉢に植えられているのは、長楕円形の葉を互生に付けた植物。

 よくよく見れば、黄緑色の葉も茎も白くて細い毛に覆われている。

 断然花より団子派で、植物にはまったくもって詳しくない私に、アンはにっこりと微笑んで続けた。


「魔女の花は、千年に一度だけ咲くという特別な花よ。私はこれを咲かせるために、何度も何度も生まれ変わりを繰り返してこの場所に存在し続けてきたの。その成果が、今世でようやく見られそうなのよ」


 彼女が愛おしげな眼差しを向ける先には小さな小さな蕾があった。

 葉や茎と同様に産毛に覆われたそれは、なんと二百年も前にやっと付いたものらしい。それから三度死んで三度生まれ変わったというアンの言葉を、私はにわかには信じられなかった。

 とはいえ、自分自身が前世を思い出した今となっては、生まれ変わりを主張するアンの言葉を完全に否定しきれない。

 きっと一緒のことを思っているであろう先生に、私はそっと話を振った。


「先生、魔女の花って聞いたことあります? 千年に一度咲くって、優曇華の花みたいなのでしょうか?」

「いや、俺も今初めて聞いた。ちなみに、優曇華の花は植物の花ではなくてクサカゲロウの卵だよ――アン、その魔女の花とやらは、どんな効能を持つ薬草なんだろうか?」


 私と同様に花より団子派の先生――ただし、私はまんま団子だが、先生の場合は実利――が、ヴェーデン王国王太子の顔で問う。

 するとアンは、よくぞ聞いてくれましたとばかりに目を輝かせた。


「魔女の花にはね、人の精神に干渉する強い力があるのよ。開花し切った花弁を口に含めばあらゆる未練を断ち切ることができるんですって。しかも、開花後の根には千年の魔力が閉じ込められているの。乾燥させて煎じて飲めば、精神を肉体から引き離すこともできると言い伝えられているわ」

「ふうん、なるほど……さしずめ、向精神薬的な作用を及ぼす強力な毒を有していると考えるべきだろうね」


 スピリチュアルなアンの説明に対し、あくまでも観点がリアルな先生。

 対照的な二人を見比べつつ、私はふと気になったことを口にした。

 

「アンはどうして、千年もかけてその花を咲かせようと思ったんですか?」


 すると、アンは榛色の瞳をきょとりと瞬かせてから、片手を頬に当てて困ったような顔をした。


「何か……どうしても断ち切りたい未練があったんだと思うのよ。自分の力ではどうしようもないような、とてつもない未練が……」

「魔女の花の力で、未練を断ち切りたかったのがきっかけってことですか? じゃあ、その未練っていうのは……?」

「うふふ、何度も生まれ変わっているうちに、だんだん記憶の引き継ぎが曖昧になってきてねぇ……実は、何がそんなに未練だったのかも忘れちゃったのよ」

「わ、忘れちゃったって……」


 魔女の花を必要とした理由さえも忘れてしまったと悪戯っぽく笑うアンに、私は脱力せずにはいられなかった。

 肝心の未練を忘れたのに、それでもアンが今世もまた生まれ変わってここにあるのは、ひとえに魔女の花が咲く姿を見てみたいという好奇心からだという。つまり、千年もの間に彼女の生きる目的はすっかり掏り替わってしまったのだ。


「それで? 実際に花が咲いたらどうする? 来世はもう、魔女としてこの地に住まないつもりなのかな?」

「さあねぇ、どうかしら? 咲いたら咲いたで、今度は種を付けるところを見たくなるかもしれないし……来世のことは分からないわねぇ」


 アンと個人的に契約をしている先生は、今後も彼女がヴェーデン王国の国境の森に住み続けるのかどうかが気になるらしい。

 相変わらず曖昧なアンの言葉に、彼の眉間に皺が寄った。

 その手が、まるで膝に載せた愛猫の毛並みを撫でて苛立ちを誤魔化すように、隣に座った私の髪をやんわりと撫でるのにも甘んじる。

 そんな中、ガタリと音を立てて椅子から立ち上がったのはボスだった。

 

「――その魔女の花とやらの効能はなかなか興味深いが、生まれ変わりなどといった夢物語に付き合っている暇はない。私はそろそろお暇するよ」

「あらま、レクターさんったらつれないわ。ロッタちゃんに毒をあげたこと、まだ根に持っているの?」

「あなたに必要なのは、忘れ草ではなく勿忘草の方ではないか?」 

「うふふ、そうかもしれないわねぇ」


 嫌味にものほほんと笑って返すアンに、ボスは肩を竦めて大きくため息を吐く。

 そうして、先生ことクロード殿下に懇切丁寧な挨拶をしてから玄関に向かい、かと思ったら扉を開いたところで振り返った。

 

「――ロッタ」

「はいっ」


 ボスの呼び声には即座に応えるのが、私にとっての常識だった。

 反射的に席を立って駆け出したため、髪を撫でていた先生の手を振り払うことになってしまったが致し方ない。

 私が側に来ると、ボスは長身を屈めて耳元に唇を寄せた。


「お前に王太子殺しをさせようとした何者かが、いまだヴェーデン王国に留まっている可能性もある。重々気をつけなさい」

「はい。もう騙されたくないので、しばらくの間はボスから面と向かってもらった指令以外には従わないようにします」

「それがいいだろう。ハトを側に置いていくから、もしも手に余るような状況になったら知らせなさい。後始末は私が請け負おう――相手が、クロード殿下であってもな」

「ええっと、殿下は大丈夫です……たぶん」


 曖昧に頷く私に、ボスは目を細めて「だといいがな」と呟く。

 そして、先生の手を振り払った拍子に乱れていた私の髪を、大きな掌で頭の形を確かめるみたいに撫でてから扉を潜った。

 私はしばし、見慣れたボスの背中が遠ざかっていくのを眺めていたが、そのシルエットがようやく森の木々に紛れて見えなくなった頃のこと。すっと背後に何者かが立つ気配を感じ、慌てて後ろを振り返ろうとした。

 その瞬間、ガッと両手で頭を掴まれて阻まれてしまう。

 犯人は先生だった。

 彼は何を思ったのか、身動きが取れなくなって混乱する私の頭を両手でぐしゃぐしゃと撫で回す。


「うわわっ! ちょっ……な、何? どうしたんですか!?」

「……別に」


 先生はひとしきり私の髪を掻き乱したかと思ったら、今度はそれを手櫛で丁寧に梳り始めた。

 合理主義の先生らしからぬ不毛な行動に、私はひたすら首を傾げる。

 魔女の花の鉢を抱えたアンは、そんな私達を眺めてころころと笑いながら言った。

 

「あらあら、クロード様にも可愛いところがあるのねぇ」




 ******




 太陽が空の一番高い所に上り切る前に、私と先生は森の魔女の家を後にした。

 城へと戻るために大通りを行く私達のすぐ前には、ボスが置いていってくれたハトさんの影が落ちている。

 周囲に突っ立つのが木々から建物へと変わるにつれ、その影は小さく薄くなった。

 正午を前に、大通りに面して入り口を構える食堂は賑わいを見せている。

 道の両側には幾つも屋台が建ち並び、あちこちから漂ってくる料理のいい匂いに、私はゴクリと喉を鳴らした。

 どこからか聞こえてきた「特製ブルスト、焼き立てですよー」の声に、ついに足も止まる。

 ブルストというのは腸詰めのことで、前世日本では屋台なんかでよく見かけられるフランクフルトみたいなやつだ。

 パキリと小気味好い音を立てて弾けた皮の中から香辛料を纏った肉汁が溢れ出す様を想像し、私の喉はさっきよりも大きく鳴った。

 そのまま、屋台の方に吸い寄せられそうになったのだが……

 

「こらっ、余所見しない。寄り道せずにまっすぐ帰るんだよ」

「ふわっ!?」


 ふらりと歩き出そうとしたとたん、ぐっと強い力でその場に押し留められる。

 私はここで、先生に片手を掴まれていたことを思い出した。

 アンの家を出てからずっとである。

 固く繋がれた手をじっと見下ろす私に、先生は片眉を上げて言った。


「言っておくけど、城に着くまでこのままだよ。しっかり捕まえておかないと、君はすぐに俺を置いていってしまうからね」

「何ですか、それ……もしかして、ボスに呼ばれて先生の側を離れたのが気に入らなかった、とかですか? ボスに関しては不可抗力ですよ。マフィアは超絶縦社会。ボスの言葉には絶対服従って決まってるんですもん」

「そんなボスから、自分が俺に預けられたことを忘れないでほしいものだね。今現在、君が従う相手は俺であってしかるべき。違うかな? 違わないだろう? まあ、異論は認めないけど?」

「そんな、畳み掛けなくても……」


 と、ここでふいに話を切った私は、先生の手を掴み返してすぐ側の路地に引っ張り込んだ。

 先生は一瞬目を丸くしたが、大人しく私に付いてくる。

 そうして、薄暗い路地に身を潜めたとたん、目の前の大通りを横切った人物を見て、ああ、と合点がいった様子で頷いた。


「呆れた。あいつ、まだ城下町をうろうろしていたのか……」

「お兄さんのことが心配なんですよ、きっと。先生、愛されてますねー」


 私と先生がさっきまで歩いていた辺りをバタバタと駆けていったのは、アルフ殿下だった。その後を護衛騎士が追い掛ける。

 早朝、こっそり城を抜け出した私達の後を付けてきたものの、途中で撒かれて対象を見失った彼らだったが、いまだ諦めていなかったようだ。

 アルフ殿下の煌びやかな身なりと護衛騎士が腰に提げた剣が、相変わらず周囲の目を引いていた。

 

「あーあ……思いっきり悪目立ちしてますよ、あれ。先生、放っておいていいんですか?」

「むしろ、俺が面倒を見てやるような義理がどこにあるのかな? 勝手に付いてきたんだ。どうなろうと知ったことじゃないね」


 先生はふんと鼻で笑い、実に冷ややかにアルフ殿下達を見送る。

 その時だった。

 私の節操のないお腹がぐーっと鳴る。

 とたんに、先生の表情からは冷徹さが消え、代わりに苦笑いが浮かんだ。


「あっちはともかく、こっちの面倒は責任を持って見るつもりだよ。ちょうどこの奥の抜け道を突っ切れば城の裏に出るんだ。さっさと帰って昼飯にしようと思うんだけど、異論はあるかな?」

「ありませぇん」


 先生は大通りに背を向けると、私の手を引いて路地の奥へと歩き出す。

 その時背後で、バサリと大きく翼がはためく音がした。

 続いて、わあっ、というアルフ殿下の驚いた声と、またしても無礼なカラスめがっ、という護衛騎士の野太い声が聞こえたような気がしたが、私も先生も後ろを振り返ることはなかった。




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