14 誠意をみせろ
前世の自分の親不孝者っぷりに悔やんでも悔やみ切れないでいた私の正面では、今世の親代わりともいえるボスが腕を組んで口を噤んでしまっていた。
眉間にぐっと皺を刻んで、私の肩を抱く先生を鋭く見据える様は、さながら娘を嫁にやるのを渋るお父さんみたい。
不機嫌さを隠そうともしないボスにびくつきつつも、私はおずおずと口を開いた。
「ボス、あのー……」
「なんだ」
「クロード様の暗殺に失敗したのはしたんですけど、そのー……実は、しっかりナイフで刺しちゃってるんですよね。しかも、あの……めちゃくちゃヤバい毒を塗ったやつを……」
「毒、ということは――アン!」
ボスはたちまち、鋭い視線を正面の先生から窓辺へと移す。
窓辺では、アンが鼻歌を歌いながら鉢植えに水をやっていた。
おっとりと振り返った彼女は、剣呑な様子のボスに微笑んで首を傾げる。
「なぁに、レクターさん。まあまあ、随分怖い顔をしちゃって」
「ロッタに毒を渡したのか。うちの者に毒を融通する時は、私に話を通してからにしてくれと頼んでおいたはずだ」
「あらまあ、そうだったかしら? 年を取ると忘れっぽくなっちゃって、いやぁねぇ」
「あなたは、都合が悪くなるといつもそれだ」
うふふと笑って悪びれる様子もないアンに、ボスは顔を顰めてうんざりとしたため息を吐く。
そんなやりとりを眺めていた先生がにこやかに口を開いた。
「私はたまたま毒に耐性があったため無事でしたが、普通ならば即刻命を落としていたことでしょうね。いやはや、ロッタを人殺しにせずに済んで何よりです」
「毒に耐性があったのが、〝たまたま〟ですか……」
ボスが胡乱げに目を細める。
しかし、やがて一際大きなため息を吐き出すと、組んでいた腕を解いて先生に向き直った。
「偽の指令書を渡した者もその目的も分かりませんが、ロッタが殿下を傷付けたことに変わりはありません。部下の不始末は私の不始末です。誠に申し訳ございませんでした」
「ボ、ボス……ひええっ……」
ボスが誰かに頭を下げる姿なんて見るのは初めてのことで、私はとたんに落ち着かない気分になった。
その原因の一端が自分にもあるのだから余計にである。
私は、テーブルに並んだ焼き立てパンにも手を伸ばせないほどおろおろしてしまう。
先生が宥めるように肩を撫でてくれたが、満面の笑みを浮かべた彼の口から滑り出したのは……
「――もちろん、誠意を見せていただけるんですよね?」
不当要求をオブラートに包んだクレーマーの常套文句だった。
私はぎょっとして先生の顔を見上げ、ボスは口の端を歪めて皮肉げに笑う。
「私のような一介の破落戸を脅迫なさるとは……いやはや、殿下はなかなか悪擦れしたお人だ」
「あなたを同じテーブルに着くに値する方と認めてのことですよ。きっと、お互いにとって有意義な時間になるでしょう」
またもや、先生とボスの空々しい笑みが交差する。
一触即発といった雰囲気に、間に挟まれた私はゴクリと生唾を飲み込んだ。
決して、テーブルの上の焼き立てパンの匂いに釣られてヨダレが出そうなのではない――はずだったのだが……
「ほぉら、ロッタちゃん。ミートパイが焼けましたよ。お好きでしょう? たぁんと召し上がれー」
「――いただきまあっす!!」
唐突に目の前に差し出されたホカホカと湯気を立てる美味しそうな物体に、私の意識は一瞬にして奪われてしまったのである。
大皿にどどんと乗っけられた、ボリューミーな森の魔女特製ミートパイ。
サクサクのパイ生地の中には、ジューシーでちょっぴりスパイシーなフィリングがたっぷりと詰め込まれている。
使われているのが何の肉なのか問うても、アンはいつも微笑むばかりでちゃんと教えてはくれないのだが、私は牛とか豚とか鳥とか……とにかく家畜の肉だと信じているしそれ以外だったら知りたくない。
とにもかくにもアンのミートパイが大好物の私は、顔の前でパチンと両の掌を合わせる。
いただきます、ごちそうさま、といった日本特有の挨拶は、一昨夜に前世の記憶を取り戻して以降、自然と行うようになっていた。
今もまた、いただきます、と告げるやいなや意気揚々とミートパイに齧り付……いたところで、はっと我に返る。
「……ロッタ」
「……君って子は」
向かいからはボス、隣からは先生が、心底可哀想な子を見るような目で私を見つめていた。
彼らの間に流れていたどシリアスな空気を、食い気に負けた自分がぶち壊してしまったことを悟り、サーッと血の気が引く。
ところが、すでに齧り付いていたミートパイの生地がサクリと崩れ、中から肉汁がジュワッとしみ出してきたものだから、私の頬がふにゃりと緩んでしまったのは致し方ないことだろう。
「おいひい……」
「「はあ……」」
先生とボスが、同時にため息を吐いた。
彼らは結局、私のお食事ショーを観賞しながら話を仕切り直すことにしたらしい。
幸いなことに、二人の間に流れていたピリピリとした空気は無くなっていた。
アンが淹れてくれたハーブティーで唇を湿らせ、まずはボスが口を開く。
「結局、殿下は何をお望みで? 何でしたら、アリーゼン皇国の内情でもお教えしましょうか。それともボリーニャの首長にまつわる醜聞か……」
「どちらも非常に興味深くはありますが、今は結構です」
アリーゼン皇国はヴェーデン王国と森を隔てて国境を接する隣国、ボリーニャは大陸最多の民族が作った新興国家であり、どちらもヴェーデン王国的には動向が気になる相手のはずだ。
にもかかわらず、それらの情報提供をすっぱりと断った先生に、それではとボスが続けた。
「政敵の失脚をお手伝いすることも可能ですが? いらっしゃるでしょう。いけ好かない大臣や貴族の一人や二人」
「いけ好かない連中の存在は否定しません。ですが、私にとってまったく脅威ではないので、捨て置いて問題ありませんね」
先生は、またもや澄ました顔をして首を横に振る。
するとボスはずずいっと身を乗り出し、内緒話をするみたいに声を潜めて言った。
「しかし、殿下にとって脅威となりうる者もいないわけではないでしょう。――たとえば、弟君のアルフ殿下。彼は、殿下に次いで王位継承権を持つばかりか、女王陛下と王配殿下の間に生まれた嫡出子だ」
「私が、非嫡出子であることで弟に劣等感を抱いているとでも言いたいのですか?」
「いいえ、滅相もない。ただ、弟君の存在はさぞ目障りだろうと客観的な意見を申し上げているだけですよ。この度の不始末のお詫びに、殿下を煩わせるものを排除して差し上げることも可能ですが――如何でしょうか?」
「……なるほど」
私はミートパイをモグモグするのを一時中断し、そっと隣の先生の顔を窺った。
ボスの言う〝排除〟とは、すなわちこの世からの排除――暗殺のことを指す。
アルフ殿下とは一応面識があるため、先生がボスの提案にどう答えるのか気になった。
複雑な家庭の事情のせいで、ヴェーデン王国の王子達の関係も良好とは言い難い。
それでも私は、先生が弟殺しを唆すボスの言葉に頷いたりしたら嫌だなと思った。
少なくともアルフ殿下の方は、先生ことクロード殿下を兄として慕っているように見えたからだ。
そんな私の気持ちが伝わったのかどうなのか。
「せっかくのお申し出ですが、やはり結構です」
先生は、首を縦ではなく横に振った――まではよかったのだが……
「あれ一人くらい、必要とあらば自分の手でどうとでもできますので」
にこやかな顔をしてめちゃくちゃ不穏な言葉を続けたのである。
私は危うくミートパイを喉に詰めそうになって、うっと呻いた。
そんな私の背中を左手でぽんぽんと叩きながら、先生はテーブルに右手を付いて上体を傾ける。
そうして、先にこちらに身を乗り出していたボスに詰め寄った。
「とにかく、ロッタを私にください。それ以外、今の私が貴殿に望むことはございません」
「僭越ながら、殿下。以前のマーロウ一家ならばいざ知らず、私は部下を売るような真似はしないのですよ」
「奇遇ですね。私も、この身に受けた傷の代償としてロッタを差し出せ――なんて無風流なことは言いたくないのです」
「……どうあっても、ロッタを望まれると?」
一歩も譲る気配のない先生に、ボスはとうとう困ったような顔をする。
ただ、ボスもまた譲歩する気がない時は問答さえ許さない人なので、そうでないということは先生の要求を呑むべきか否か迷っているのだろう。
しばしの逡巡の後、ロッタ、とボスが私の名を呼んだ。
「お前はどう考えている?」
この時、すでにミートパイを四分の三制覇していた私が、口をモグモグさせながらそっと隣を見上げれば、今世の先生の端整な顔がにっこりと微笑んでいた。
しかし、その左の脇腹に一昨夜の私が刻んだ傷はまだ塞がり切っていない。
解毒剤によって中和されたとはいえ、彼の身体に入ったのは即死レベルの猛毒だった。
その余韻もさめやらぬまま、先生は今、大陸随一のマフィアと名高いマーロウ一家のボスと対峙しているのだ。
危ない橋を澄ました顔で渡ろうとするのは、前世の彼と同じ。
傷のある左側に私を置いたのは、はたして故意なのか無意識なのか。
口の中のミートパイを飲み込んでから、私は一つ小さなため息を吐く。
そうして、ボスに視線を戻して口を開いた。
「私だって、マーロウ一家の端くれです。誰かに嵌められたとはいえ、クロード様を傷付けてしまったのは私。その代償は自分で払わなきゃですよね――クロード様のお側に置いていただこうと思います」
とたんにボスはすっと目を細め、確かめるみたいに問う。
「側にいて、どうする? 殿下のおっしゃるように、王太子妃の真似事でもする気か?」
「えっと、必要とあらば。くっ付いているのに都合のいい立ち位置ですからね。クロード様を、一番近くでお支えします」
そう言い終わった私が残りの四分の一のミートパイを頰張るのと、先生に横からぎゅっと強く抱き締められるのは同時だった。




