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12 レクター・マーロウ



 淡いサーモンピンクに染まった朝焼けの空を鳥が行く。

 大きな翼を広げた黒い影が頭上を過り、いまだ木蔭で微睡んでいた小鳥などは、ぱっと飛び立って逃げた。

 それに構うことなく悠々とはばたく黒い影の正体は、マーロウ一家唯一のカラスの構成員であり、私の姉を自負するハトさんだ。

 彼女の後を追うようにしてボスと落ち合うことになっている森の魔女の家を目指す私は、ふと隣に目をやってため息を吐いた。

 

「ヴェーデン王国の国民の皆さんは、まさか王太子殿下が護衛の一人も連れずに町中を歩いているなんて思ってもみないでしょうね……」

「一般人が王族の顔を至近距離で眺めるような機会はそうそうないからね。よっぽど周囲から浮くような華美な恰好をしていない限りバレることはないよ」


 ハトさんが届けてくれた手紙を確認し、ひとまずボスと会ってくると告げた私に、先生は待ったをかけた。

 暗殺任務に失敗した私が、ボスから叱責あるいは処罰を受けるのではと心配らしい。

 私は、きっと大丈夫だと告げたのだが、先生はどうあっても首を縦に振らなかった。

 結局、王太子殿下の婚約者に祭り上げられてしまった私の今後の身の振り方や、マーロウ一家との付き合い方を話し合うため、先生も直接ボスと会うことになったのである。

 日が上り始める前の暗闇に紛れて王宮を抜け出した私と先生は、朝の喧騒に包まれる大通りを一般人を装って歩いていた。

 万が一、先生の顔を知っている人物に行き当った場合は、お忍びで早朝デート中、とでも言って誤魔化すつもりだ。

 そんな中、私は恋人に甘えるみたいに装って、隣を歩く先生の袖をツンと引いた。


「――先生、気付いてますか? 後をつけられてます」

「どうりで、視線を感じると思った……バイトちゃん、相手が誰だか分かるかい?」

「アルフ・ヴェーデン第二王子――先生の弟君ですよ」

「ふーん、なるほど。だったらおそらく、あれの護衛騎士も一緒だな」


 先生の言う通り、王城から私達を尾行してきたアルフ殿下には屈強そうな若い騎士が随行している。

 私達のように一般人を装ってはおらず、アルフ殿下の貴族然とした身なりや護衛騎士が大仰に腰に提げた剣がやたらと目を引いていた。

 朝の仕度に忙しい人々も、いったい何ごとかと胡乱げな顔をしている。

 内緒話をしやすいように私の肩を抱き寄せた先生は、あんなに目立って何をやっているんだか、と呆れた顔をした。

 

「先生、どうします? 撒いちゃいますか? 私、そういうの得意なんです。今なら、ハトさんもいますし」

「うん、このまま付いて来られては面倒だよね。お願いしようかな」


 先生の返事を聞くやいなや、私は親指と人差し指で丸を作ってピイと指笛を吹いた。

 すると、天高くを飛んでいたハトさんがすぐさま身体を傾けて急降下してくる。

 そのまま私達の頭上すれすれを通過したかと思ったら、背後でバサバサという羽音と、わあっというアルフ殿下の驚いた声が上がった。

 無礼なカラスめがっ、と叫んだ野太い声は護衛騎士のそれだろうか。

 とっさに剣を抜いたせいで、ただでさえ集まっていた周囲の人々の注目が彼らに殺到する。

 ギラリと輝く白刃を、ハトさんが難なく躱して再び空へと舞い上がったのを目の端に捉えつつ、私は先生の手を引いて路地へと飛び込んだ。



 森の魔女ことアンの住処は、王都の外れに位置する国境沿いの森の中にあった。

 王城からもそう遠くはなく、城下町の真ん中をぶち抜いた大通りを突っ切れば徒歩でも一時間ほどで辿り着く。

 こぢんまりとした家は、さながらヨーロッパの片田舎のおばあちゃんちみたい。

 手入れの行き届いた庭では色とりどりの花々が咲き誇り、蝶や蜜蜂が飛び交う長閑な光景が広がっている。ただ、その中にしれっと毒草が交ざっていたりもするのだから、やっぱり魔女の家。油断はできない。

 そもそもこの家はアンが一代で築いたわけではなく、千年近く前から何代も魔女が住んできたという話だ。アン本人によれば、代々の魔女は同じ魂が転生したものであるという。

 そんなことを考えながら森の魔女の家に向かって歩いていると、バサリと羽音が降ってきた。

 アルフ殿下達を撹乱してくれたハトさんが追いついたのだ。

 ハトさんは私達の頭の上をすいっと飛び越えて、真っ直ぐに森の魔女の家に向かう。

 その軌跡を目で追っていけば、玄関扉の脇に置かれた安楽椅子に誰かが座っているのが見えた。

 長い脚を優雅に組んだシルエットは、どう見ても家主の老婆のそれではない。

 ハトさんは足環の着いた足でその肩に止まり、カア、と私を呼ぶみたいに鳴いた。

 と同時に、ロッタ、と耳慣れた低い声に今世の名を呼ばれた私は、ここまで引いてきた先生の手をぱっと離して駆け出していた。


 

「――ボス!」



 安楽椅子に座っていたのは、亜麻色の髪を後ろに撫で付け、サファイアみたいな青い瞳をした美丈夫だった。

 先ほど私達を尾行していたアルフ殿下のように華美ではないものの、きちんとした身なりをしていかにも紳士然としている。

 とはいえその正体は、五年ほど前に実父である先代を殺してトップに伸し上がったマーロウ一家のボス――レクター・マーロウ、その人だった。

 肩にカラスを乗せた姿は、さながら死神のよう。

 彼はならず者の集まりだったファミリーを統制し、一つの組織として確立させた人物でもあった。

 ギッ、と安楽椅子を軋ませて、ボスが立ち上がる。

 その猛禽類を彷彿とさせる鋭い瞳がすいと動いて自分の後ろ――そこにいる先生に向けられたのに気付いた私は、慌てて口を開いた。


「ああ、あのっ! あのですね、ボス! これには、ふっかーい訳がありましてですねっ!!」

「私の記憶違いでなければ、お前が手を引いてきたのはヴェーデン王国のクロード王太子殿下ではあるまいか?」

「あああ、当たりです! 大当たりです! なんだかんだあって失敗しちゃいまして……巡り巡って、今こんな感じですっ!」

「ふむ……まったく分からん」


 私は石造りの階段を一気に駆け上がり、その勢いを殺さぬままボスに飛び付く。

 それを危なげなく受け止めたボスは、呆れたようなため息を吐いた。

 インテリヤクザみたいな風貌で、前世の私だったら絶対にお近づきになりたくないような部類の人間である。

 だが、いかんせん今世では命に関わるレベルで世話になりまくっているため、無性に慕わしく思えてしまう。

 現在三十歳になるレクター・マーロウは、父と呼ぶにはいささか若く、兄にしては貫禄がありすぎるものの、家族みたいな保護者みたいな、とにかく私にとってとても近しく特別な存在だった。

 幸いなことに、任務に失敗したと告げた私に対して彼が怒っている様子はない。

 それどころか、私の頬をムニムニ摘みながら面白そうに言った。


「しかし、珍しいことだ。私の顔を見たロッタの第一声が〝おなかすいた〟ではないとはな」

「しっつれいな! いつもボスに集っているみたいに言わないでくださいよ! まあ、出掛ける前に、せ……クロード様が朝ご飯を作ってくださったから空腹じゃないだけなんですけど」

「朝食を作って……? 王太子殿下が直々に、か?」

「そうそう、そうなんです! クロード様ってばお料理が上手だし、私の腹ぺこ具合にも理解があるんですよ!」


 ――ねっ? と後ろを振り返った私は、とたんにビクリと肩を跳ねさせた。

 いつの間にか、自分のすぐ真後ろに先生が立っていたからだ。


「――ボス、ねぇ……随分と偉くなったものだ」

「……え?」

 

 ぼそり、と呟かれた言葉の意味が分からず首を傾げていると、背後から先生の右腕がお腹に回ってきて抱き寄せられる。

 先生は人当りの良さそうな笑みを顔面に貼付け、ボスに向かって左手を差し出した。


「レクター・マーロウ殿とお見受けします。お噂はかねがね」

「これはこれは……王太子殿下に名を覚えていただけているとは、一介の破落戸には身に余る光栄でございます」

「といっても、私の暗殺依頼を請け負っていた貴殿にとっては、今こうして握手を交わしている状況は本意ではないかもしれませんが?」

「……いやはや」


 一般的に、握手というのは右手で行うのがマナーである。

 一国の王太子殿下が――そもそも、先生ともあろう人がそれを失念するとも思えず、おそらく左手を差し出したのはわざとだろう。

 ボスもそれを察したようだ。一瞬鋭く目を細めたものの、すぐに笑みを浮かべて先生の手を握った。

 ただし、こちらも左手である。


「あわわ……」


 空々しい笑みが頭上で交差する。

 まさしく一触即発といった雰囲気に、間に挟まれた私はゴクリと生唾を飲み込んだ。

 ボスはけして感情的な人ではないが、一昨夜の出来事――私が、先生ことクロード殿下の暗殺を決行したものの、依頼主であるカイン・アンダーソンに口封じのために殺されかけたこと。結局、無事だったクロード殿下の機転によって私は命を救われ、逆にカインが捕縛されたこと――を知らないのだ。

 ボスが、暗殺に失敗した私の尻拭いのために、今ここで先生の息の根を止めようとしたっておかしくない。

 しかも、背後から抱き込まれた状態の私は、先生の盾にされているように見えなくもないだろう。

 仕事に関してはシビアなものの、部下思いで情の厚いボスのことである。

 殊更目をかけられている自覚のある私は、ボスの右手がいつ暗器を取り出すかとヒヤヒヤしていた。

 ところがである。

 ボスが、ふいに緊張を解いた。

 まるで武器は持っていないし敵意もないとでも言うように、右手を広げて先生の前に掌を晒す。

 さらには、こほんと一つ咳払いをしてから口を開いた。


「そもそもですが――私は殿下の暗殺を請け負った覚えも、それをこのロッタに命じた覚えもございません」

「……は?」

「へっ!?」


 思ってもみないボスの言葉に、私と先生は揃って目を丸くし、思わず顔を見合わせる。

 そんな私達を眺め、ボスはもう一度きっぱりと告げた。


「マーロウ一家は、クロード・ヴェーデン王太子殿下の暗殺依頼を請け負ってはおりません。一家の構成員がヴェーデン王国に潜入していたことも、私は昨日の早朝に報告書が届いて初めて知った次第です」


 ボスが何を言っているのか、まったくもって意味が分からなかった。

 酸欠の池のコイみたいに口をパクパクさせる私に向き直ったボスが、呆れを滲ませた声で続ける。

 

「だいたいだな、ロッタ。一国の王太子暗殺などという大仕事を、人を殺めた経験もないお前に一任するはずがないだろう。己の分を弁えなさい」

「えええ、そんなぁ……。いきなり大仕事を任されたのは、私に対するボスの期待の表われだと思って、はりきってましたのに……」


 思わず天を振り仰いだ私は、背後に立つ先生の「どういうことだ?」とありありと書かれた顔を目の当たりにし、慌てて記憶の糸を手繰り寄せる。

 そもそも私は、数日前までヴェーデン王国とは別の国で強欲貴族相手に美人局任務に当たっていた。そのため、今回の暗殺任務をボスから面と向かって命じられたわけではない。

 しかしながら、マーロウ一家の足環を着けた伝書鳩から、一家の印璽が捺された封蝋付きの指令書を確かに受け取ったのだ。

 私はそれを、当然ボスから送られてきたものだと考えて、疑いさえしなかった。


「ボスじゃないとしたら……じゃあいったい、私は誰の指示でクロード様を殺そうとしたんでしょう……」


 呆然と呟く私に、ボスの肩に止まったハトさんが「アホー」と鳴く。

 そんな時だ。

 ガチャリ、と音を立ててボスの背後の扉が開き、白髪の老婦人が顔を覗かせた。


「あらあらまあまあ、お揃いですこと」


 彼女こそが、目の前の家の主。

 自らが育てた薬草を用いて多くの人々を救う一方で、裏社会で重宝されるようなえげつない毒薬も作る森の魔女アンだ。

 アンは、玄関扉の前にたむろする私達ににっこりと微笑むと、ちょいちょいと可愛らしく手招きして言った。

 

「そんな所で立ち話をしていないで、中に入ってはいかが? ちょうど、パンが焼けたところですよ」


 そんなアンの言葉に、いの一番に返事をしたのは私、ではなく……



 ぐーっ……



 私のお腹の虫だった。

 盛大に鳴いたそれに、ボスと先生が同時に口を開く。


「ロッタ、朝飯をいただいてきたんじゃなかったのか?」

「どんぶり三杯分のご飯、もう消化しちゃったの!?」


 これに返事をしたのも、やっぱり私のお腹の虫だった。




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