11 マーロウ一家
「――もおおおっ、先生!」
先生ことクロード殿下の私室に戻ったとたん、私はたまらず彼に詰め寄った。
その胸倉を掴んでガクガクと揺さぶる。
「私ってば、いったいどちら様の隠し子なんでしょうか!?」
「さあねぇー、どちら様のだろうねー。俺も知らないなー」
「あんな適当なことを言うなんて、先生らしくないですよっ!」
「けど、嘘は言っていないよ? 俺は〝とある国の止ん事無き御方の隠し子ではないかと〟と、あくまで個人的見解を口にしただけであって、断定はしていないからね」
先生は澄ました顔をしてそう答えると、胸倉を掴んだ私の両手を自身のそれで包み込む。
そうして、実に胡散臭い笑みを浮かべて続けた。
「それに、そもそも今世のバイトちゃんは本当の親が誰なのかを知らないんだろう? だったら本当に、どこかの国の止ん事無き御方の落とし胤、という可能性も無きにしも非ず」
「限りなくゼロに近いと思いますけどねっ!?」
「だが、ゼロではない。だったら、やりようによって一を十にも百にも千にもできるはずだよ」
「それって、詐欺師の常套文句じゃないですか! 十万預けてくれたら、百万にも一千万にも増やせますよーってやつ!」
胡乱な目で睨む私に、先生があははと声を立ててさも面白そうに笑う。
「噓も方便と言うだろう? マフィアの秘蔵っ子が未来の王妃になる――なんて、身も蓋もない事実を教えられるよりも、あの人達の精神衛生上、よっぽどマシだと思うけどね」
「あの人達、なんて……ご家族なのにそんな他人行儀な言い方しなくっても……」
「カイン・アンダーソン同様、前世を思い出した今の俺には別段思い入れのない人達だからね。まあ、〝私〟にとっても、彼らは到底気の置けない相手には成り得なかったみたいだけど?」
「王配殿下とアルフ殿下はともかくとして、女王陛下は正真正銘、今世の先生のお母さんでしょう? なのに、あんな風にいちいち心を抉るようなことを言って……反抗期ですか?」
とたんに先生は苦虫を噛み潰すような顔になった。
「あの人を見ていると、無性にイライラするんだよね」
女王陛下がかつて、王太子という地位にありながら臣下の男と通じ、あまつさえ子供を身籠ってしまったこと。
若気の至りとはいえ、あまりにも責任感が欠如した浅はかな行いだ、と先生は冷ややかな声で吐き捨てる。
私は、自分に向けられる声との温度差に首を竦めつつ、でも、と口を開いた。
「そうやって、女王陛下が若気の至りでやらかしてくださらなかったら、私はこうして先生に会うこともできなかったんですよね?」
「うん? まあ、それはそうだけど……」
「もし、相手が先生じゃなかったら……私、きっと昨夜の暗殺任務は成功していたと思うんです」
「そうかもしれないね」
一度成功させたら、その後もきっと暗殺任務が課せられただろう。
私は前世の自分の死に様も、先生が作ってくれた賄いの味も思い出すことなく、何の恨みもない相手の命を糧にマーロウ一家の中で伸し上がっていったのかもしれない。
前世の倫理観をもってすれば、人殺しはいけないことだと思う。
ただマーロウ一家のロッタとしては、外れてしまった出世コースに未練がないと言えば嘘になった。
私は、あーあと大きなため息を吐く。
「十人くらい殺してやっと、幹部として認めてもらえる感じだったんですよね。そうしたら、銀行口座作って、資金貯めて……」
「可愛い顔して物騒なことを言うね、バイトちゃん」
「専属シェフ雇って、美味しいものいっぱい食べて――あっ、おなかすいた!」
「うそだろう!? 朝からあれだけ食べたのに、もう腹が減っただなんて……って、きっかり十二時じゃないか!!」
私のお腹がぐうと鳴るのと、壁掛け時計の長針と短針が真上を指して重なるのは同時だった。
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「せんせー、おなかすきましたー、しんじゃいますー」
「はいはいはい、ちょっと待ってねー」
「おぉーなぁーかぁーすぅーいぃーたぁあああー!」
「分かった、分かったから! ……まったく、食べ盛りの子供を持つお母さんの気分だよ」
しきりに空腹を訴える私に、簡易キッチンの前に立った先生が苦笑いを零す。
彼の前には、今朝厨房からの帰りに料理長がそっと持たせてくれた生ハムの原木が、踵を天井に向けた状態でデデンと置かれていた。
少しも待てないと、ぐーぐー切なく鳴き続ける私のお腹を哀れに思ったのか、先生が生ハムを削いでいたナイフで窓を指して言う。
「バルコニーのプランターでトマトが食べ頃になってるよ。好きなだけ捥いでおいで」
「はーい」
なんと、ヴェーデン王国の王太子はベランダ菜園も嗜むらしい。
そういえば、前世の先生も事務所のベランダにプランターを並べていたことを思い出す。ちなみに、収穫物を消費したのは専ら前世の私だった。
私はお腹の虫に急かされるように、ふらふらとバルコニーに近寄っていく。
そうして、天井まで届く掃き出し窓をえいやっと開いた――その時だった。
「わっ!?」
バサリ、と大きな音を立てて何かが飛び込んできたかと思ったら、背後から先生の驚いたような声が上がる。
慌てて室内を振り返った私は、大きな音の正体に気付いて顔を輝かせた。
「あああっ! ハトさーんっ!!」
「カア」
先生が皿に盛っていた生ハムを奪ったそれは、黒々とした瞳を私に向けて一声鳴いた。
「ハトって……えっ、何? バイトちゃんの友達?」
「ボスの飼ってる伝書鳩のハトさんです。ハトさん、ごきげんよう。ボスから伝言ですか?」
私がプランターから真っ赤に完熟したトマトを捥ぎながら問うと、ハトさんが返事をするみたいにもう一度カアと鳴く。
とたんに、先生にしては珍しく素っ頓狂な声を上げた。
「いや、どう見ても鳩じゃないよね? っていうか、カラスだよねっ!? カアって鳴いたもんね!?」
「本鳥は自分のことを鳩だと思っているし、実際伝書鳩の仕事をしているので、マーロウ一家では広義で鳩ということになっています。ちなみに〝ハト〟が名前です」
「アバウト過ぎるぞ、マーロウ一家! あと、名付けた人間のセンスを疑うっ!」
「私の名付け親と同一人物ですよー」
カラスといっても、日本でポピュラーな全身黒一色のものではなく、外国なんかでよく見られる黒と灰色のツートンカラー。遠目になら鳩に見え……なくもない。
伝書鳩は鳩の帰巣本能を利用しているが、カラスのハトさん――ややこしい――はとっても頭がいいので、飼い主であるマーロウ一家の現在のボス、レクター・マーロウが指示した相手のもとまで正確に飛んで行って仕事をこなす。
飼育されているカラスの寿命は二十年から三十年と意外に長く、実際ハトさんは生後数ヶ月の私が引き取られた時には既にマーロウ一家の一員だった。
ちなみに、私とハトさんの名付け親はボスである。
そのため、ハトさんから見て私は〝妹〟という位置付けらしく、お腹を空かせている分かるとすぐさま食糧を分けてくれようとする優しいお姉さんカラスなのだ。
今もまた、私のお腹が盛大に鳴いたのを耳にして、居ても立ってもいられなくなったのだろう。生ハムスライスをガバッと一気にくわえて慌てて飛んでくる。
そうして、せっせと彼女に給餌される私を眺め、先生は痛ましげな表情で呟いた。
「俺は、庶子とはいえ一国の王子として生まれ育ったから、幸い食うに困ったことはないけど……今世のバイトちゃんは随分と苦労をしたんだね」
「まあ、前のボスの時代は最悪でしたよね。私ってばいっっっつもお腹を空かせてて……ハトさん達みたいに親切に食糧を分けてくれる相手がいなかったら、生きてこられなかったかもしれません」
「前のボスの時代は、ということは、ボスが代わって待遇は改善されたのかな?」
「そうなんですよー。今のボスは、仕事をしたらちゃんと評価してくれるし、ご飯もお腹いっぱい食べさせてくれます」
バルコニーに足だけ出して座り込んでいた私の隣に、先生が腰を下ろす。
彼はプランターから完熟トマトを捥ぐと、今度はそれをスライスして私の口に放り込み始めた。
ちょうど、ボスの話になったからだろうか。
先生と同じプランターから毟り取ったトマトを一つ食べ終え、嘴から真っ赤な血……じゃなくてトマトの汁を滴らせたハトさんが、今思い出したとばかりにひょいと右足を差し出してきた。
鳩よりずっと鋭い鉤爪を持つその足首には、銀色をした金属製の筒が足環にくっ付ける形で嵌められている。
これは伝書鳩に手紙を持たせる際の通信筒だ。
ハトさんの場合、万が一ボスが指定した人間以外がこれ触れようものなら、即刻トマトの汁ではなく本物の血を見ることになるだろう。
「そういえば、バイトちゃん。カイン達が〝私〟の暗殺依頼をした証拠なんかをボスに送ったって言っていたね。後々恐喝する際の材料として」
「そうですそうです。たぶん、その返事だと思うんですが」
筒の蓋を外して、中から小さく折り畳まれた手紙を取り出す。
掌大の白い紙の上には、見慣れたボスの几帳面な字がびっしりと並んでいた。
「それで? マーロウ一家のボスは何と?」
手紙を強引に覗き込むような無作法な真似はしないものの、まるで情報提供代だとでもいうように私とハトさんの口にドライプラムを突っ込んで先生が問う。
ぎゅっと甘さが濃縮されたそれをモチャモチャと嚙みしだいてから、私は先生の顔を見上げて告げた。
「――ボスも、ヴェーデン王国に来ているそうです。明日の朝、森の魔女の家で落ち合おうって」




