10 盛られる設定
「カインのことは、ずっと親友だと思っていたのです。それなのに、こんなひどい裏切りを受けるなんて……」
先生は絶好調だった。
私の肩に顔を埋めて嘲笑を隠しつつ、ノリノリで悲劇の主人公を演じている。
「ミッテリ公爵令嬢も酷なことをする……私とカインの関係を知っていながら、彼を誑かしたんですからね……」
「クロード……」
そんな先生にまんまと騙され、痛ましげな表情をして口を噤んでしまった女王陛下に、私は心底同情した。
早急に会話の主導権を握り、都合が悪そうな本題はさっさとすり替え、感情的に畳み掛けることによって相手の心を揺さぶりまくった上で、罪悪感を煽ってこちらに不利な話を追及できなくしてしまう――
今まさに先生が実践しているのは、物事を有利に進めるための手法である。
これがもし法治国家の裁判の場であったなら、原告であろうと被告であろうと、あるいは検事であろうと弁護士であろうと、誰か一人がひたすら持論を展開するなんてことは罷り通らない。きっと、裁判長なんかが口を挟んで話を軌道修正するはずだ。
けれども、第三者のいないこの場は、ただもう先生の独擅場だった。
そもそも女王陛下が先生と私を呼び出したのは、カインとミッテリ公爵令嬢が共謀して王太子暗殺未遂事件を起こしたという話を検証し、彼らを地下牢にぶち込むだけの証拠が揃っているのかどうかを確認するためだったはず。
それに、アルフ殿下から話を聞いていたとすれば、昨夜からいきなり王太子の私室で寝起きし始めた私の正体も探りたかったのかもしれない。
にもかかわらず、女王陛下は結局、先生の一方的な主張を聞かされただけで口を閉ざしてしまった。
代わりに、宰相として公私ともに彼女を支える王配殿下が口を開く。
「クロードには心の整理をする時間が必要のようだね……陛下、今日のところはひとまず休ませてやってはいかがでしょうか?」
「……そうね」
王配殿下も先生の演技に騙されているのか、それとも兄ボスウェル公爵が推したミッテリ公爵令嬢の不祥事が話題に出て分が悪いと思ったのか。
何にしろ、彼の提案によって国王一家の家族会議はひとまずお開きといった空気になる。
先生は女王陛下達に顔を見せないまま立ち上がり、私の手を引いて退室しようとした。
ところがである。
「――ま、待って! 待ってくださいっ!!」
ここに来て待ったの声を上げたのは、一人だけ立ちっぱなしだった人物――アルフ殿下だ。
彼は、とっさに振り返った私と目が合ったとたんに眦を吊り上げる。
そして、ビシッとこちらに人差し指を突き付けて叫んだ。
「カインやミッテリ公爵令嬢のことはさておき――その女が何者なのかは、今ここではっきりさせるべきではないでしょうか!」
いやいや、カインやミッテリ公爵令嬢にとっては、社会的にも物理的にも生きるか死ぬかの大問題なのでさておかれては可哀想だと思うのだけれど……。
そんな感想を抱く私の隣では、先生がチッと小さく舌打ちをする。
そもそも先生は、昨夜の事件や私の素姓について深く追及されるのを避けようとして、芝居を打ってまで早急に家族会議から抜けようとしていたのだ。
なにしろ、私と先生が暗殺者とターゲットとして出会い、お互いに前世を思い出し、今後は手を携えてやっていこうとなってからまだ一夜明けたばかり。口裏合わせが充分とは言えなかった。
アルフ殿下が私に不信感を抱くのだって無理はない。
だって、昨夜まではまったく存在も匂わされていなかった正体不明の女が、次期国王という立場にあるクロード殿下の隣にいきなり現れ、あまつさえ寝所を共にしたのだから。
「確かに……その娘が何者なのかは、私も聞いておかねばなるまい」
アルフ殿下の発言によって、すっかり先生のペースに巻き込まれていた女王陛下まで我に返ってしまったようだ。
彼女の至極当然といえば当然の問いに、先生はさっきの舌打ちとは違って、私以外にも聞こえるように深々とため息を吐く。
そうして、私の肩を抱いてくるりと振り返り……
「この子はロッタ。――ミッテリ公爵令嬢に代わって、私のただ一人の伴侶となる娘です」
特大の爆弾を投下した。
「なっ……伴侶!?」
「あああ、兄上!? どういうことですかっ!?」
女王陛下とアルフ殿下がぎょっとした様子で口々に叫ぶ。
一拍遅れて、王配殿下も口を開いた。
「クロード。その子がどちらのお嬢さんなのか、問うてもいいかい?」
「大きい声では申し上げられませんが、とある国の止ん事無き御方の隠し子ではないかと」
「……なるほど、隠し子。とある国とは?」
「それに関しては黙秘します。万が一この子の存在が明るみに出れば、権力争いに利用しようとする輩が現れないとも限りませんからね」
とたん、王配殿下の緑色の瞳が品定めをするみたいに矯めつ眇めつ私を眺める。
あいにく、こちとら〝とある国の止ん事無き御方の隠し子〟なんて重そうな設定をいきなり背負わされて平静を装うのに必死なのだ。
けれども、この場には私以上に必死な人がいた。
「そんな曰く付きの女をどうして妻になんてなさるのですかっ!? 兄上を厄介事に巻き込むかもしれないのにっ!!」
アルフ殿下が、再び私をビシリと指差して叫ぶ。
先生はぐっと抱き寄せた私の頭に頬を寄せると、決まっているだろう、と澄ました顔をして答えた。
「たとえ厄介事に巻き込まれようとも、この子に側にいてもらいたいからだ。それとも何か? お前は私が、愛しい人が抱える問題にも対処もできないような無能だと思っているのかな?」
「いいい、愛しいいいっ!? い、いえっ! けして、兄上を軽んずるようなつもりはっ……」
「だったら、口を閉じておいてほしいものだね。お前に、いちいち口出しされるのは煩わしい」
「ぐっ……あ、兄上……」
先生にすげなくされ、アルフ殿下は傷付いたような顔をした。
言葉に詰まった彼と交代するみたいに、今度は女王陛下が口を開こうとする。
彼女が私に向ける眼差しは、アルフ殿下みたいに敵意ビンビンではないが、それでも不信感が色濃く滲んでいた。
女王陛下としても母親としても、先生が独断で選んだ女をおいそれと受け入れるわけにはいかないのだろう。
しかし、先生の方が一枚も二枚も上手だった。
「庶子だ何だと影で嘲笑われながら生きてきた私の気持ちを分かってくれるのは、同じように生立ちに問題があるこの子だけ。実の父を取り上げられた私から、まさか愛しい人まで取り上げるような――そんな無慈悲な真似はさすがになさいませんよね、母上?」
「……っ」
先生に対して少なからず負い目がある女王陛下は、はく、と声もなく喘いだ。
きっと、罪悪感に圧し潰されそうな心地なのだろう。
しかも、散々他人行儀な呼び方をしておきながら、ここにきて〝母上〟だなんて。
前世を知っているからこそ、分かる。
絶対的優位に立って、先生は今、超絶にノリノリだ。
今世の自身の境遇をも刃にして、人の心をぐっさぐっさと抉っていく。
前世ではそれが跳ね返ってきて、うっかり私を死なせる羽目になったということを忘れないでもらいたいものだ。
図らずも、今世もまた先生と生きていくことになるらしい私としては、前世と同じ過ちだけは避けたい。
私はひとまず調子に乗り過ぎている先生を止めようと、おずおずと縋るみたいに見せかけて彼の脇腹に触れた。
ちょうど、昨夜ナイフで突き刺した辺りを、である。
「……っ」
一応はガーゼを当てて包帯をぐるぐる巻きにしているが、傷が塞がるにはまだ早い。
昨夜飲んだ痛み止めの効果もすっかり切れている頃で、きっと傷が痛んだのだろう。
先生は一瞬、恨みがましげな視線を向けてきたが、次の瞬間――
「ああ、安心おし。私の可愛いロッタ。たとえ陛下であろうとも、私と君を引き離したりなんてさせないよ」
「ぴえっ……!?」
私を両腕に搔き抱いたかと思ったら、ちゅううっ、と頬に熱烈なキスをした。
ぎょっとする私に、ぽかんとする女王陛下達。
一人したり顔の先生は、そのまま私を連れて扉へ向かおうとする。
その背に慌てて呼びかける女王陛下の声は完全に裏返ってしまっていて、もはや威厳もへったくれもなくなっていた。
「待って、クロード! 最後に一つだけ聞かせてちょうだいっ!!」
「……まだ何か?」
冷え冷えとした視線を返す先生に、女王陛下はまるで腫れ物にでも触るような様子で続ける。
「その娘の腹に……すでにお前の子がいるのでは、という声があるのだけれど……」
「……へえ? いったい、どこからそんな話が?」
「今朝……その娘の腹を、お前がひどく愛おしそうに撫でているのを見た者がいる、と……」
「……ああ、なるほど」
私は思わず先生と顔を見合わせた。
確かに厨房に向かう途中の廊下で、ぐーぐーうるさい私のお腹を先生が面白がって撫でていたが、どうやらその光景が思いも寄らない誤解を生んでしまったらしい。
どうりで、いやに腹回りがゆったりとしたワンピースを着せられるはずだ、と私が思っていると……
「……ぷっ、はは! あはははっ!」
「せ……クロード様!?」
ふいに、先生が声を上げて笑い出した。
ぎょっとする私を抱き締めたまま、だったら? と挑発するみたいに口を開く。
「この子の腹に私の子がいたら、どうだと言うんです? まさか、結婚式も挙げていないのに子供を作るなんて認められない、などど野暮なことはおっしゃられますまい。――私みたいな私生児を生み落としたご自身を棚に上げて、ねえ?」
ひゅっ、と女王陛下が息を呑んだ。
アルフ殿下も顔を強張らせる。
そんな中、王配殿下の判断は賢明だった。
すっとソファから立ち上がると、つかつかと歩いていって扉を開く。
「引き留めてすまなかったね、クロード。今日はもう部屋でゆっくり休みなさい。気分が優れないようなら、侍医に診せるといい」
「いいえ、結構。侍医よりも、この子に癒してもらいますので」
言外に出て行けと言われた先生は、いっそ清々しいほどの笑みを返すと、私の肩を抱いたまま今度こそ女王陛下の前を辞した。




