奥義「紅白梅」
「いや、オレさ、ファーストキスは原宿でサクラちゃんとするって決めてるんだ。それに、サクラちゃんああ見えて結構嫉妬深くてさ。オレが他の誰かとキスしたって知ったら、きっとメチャクチャ怒って口きいてくれなくなると思うんだよね」
「そんなこと!?」
他人にとってはどうでもいいことかもしれない。
くのいちとしては失格かもしれない。
でも、それがカヲルには何より大切なことだった。
「でさあ、その、代償なんだけど、さすがに足とか腕とかはカンベンしてもらえないかな。かわりにオレのできることならなんでもするからさ」
カヲルは、ロカに向かって手を合わせて頭を下げた。ところが――
「合格だよ」
愛嬌いっぱいの声が響く。
「へっ?」
わけがわからず間抜け顔になるカヲルの額を、ロカは軽く小突いて言った。
「だから合格だってばぁ。まあ、追々試の合格だから60点だけどね」
「でも、キスしなきゃいけない試験なんだろ」
「言われるままキにスしてたら不合格。代償に真ん中の足を一本もらうところだったよ」
「だ、騙しやがって。ふぅ、あっぶねぇ……でも、最後まで採点基準がわかんなかったな。くのいちにふさわしい行動ってどういうことだったんだ?」
胸を撫で下ろすカヲルを見て、ロカはにっこりと微笑んだ。
「フフフ、キミはもうわかってるはずさ。睡蓮寺のくのいちがなすべきはただ一つ。男とか女とか、兄とか妹とか、そんな瑣末なことは全部飛び越えて、自分の大事な人のためにたたかうことだよ。そうすれば、かならず不可能を可能にすることができるから」
「なんか、よくわかんないっつうか……でも、合格ってことは『紅白梅』の奥義を教えてもらえるんだよな」
「追々試合格のクセにそれは図々しすぎるよ。無事に帰れるだけで良しとして」
「そんなぁ、せっかくこんな山奥までやってきたのにぃ!」
「『紅白梅』っていうのは単なる女体化の忍法じゃない。陽気を使って、細胞の遺伝子そのものを変化させる。これまで七百年の睡蓮寺流くのいち忍法の歴史の中でも、会得したものは数人しかいないという究極の奥義なんだ」
ロカの言葉に、カヲルは思わず唇を噛んだ。
奥義「紅白梅」は細胞の遺伝子そのものを変化させる――これまで会得してきた忍法は、陽気を使って細胞を活性化させるだけだった。
なるほど、たしかに今のカヲルとは次元の違う忍法らしい。
「でも、キミには素質がある。いつかきっと『紅白梅』を会得できるよ。今日はようやくその一歩を踏み出したってところさ」
「それはそうかもしれないけど……」
ロカの言いたいことはわかる。
でも、『紅白梅』が必要なのは一ヶ月後の水泳大会なんだ。
カヲルは必死で懇願した。
「奥義がないと困るんだ。頼むよ!」
しかし三代目首領の幻影はにっこり微笑んで、バイバイと手を振った。
「大丈夫、今日の試練でキミは十分変わってる。また会える日を楽しみにしているよ」
* * *
気がつくと、カヲルは温泉の中にいた。
あたりに立ち込める濃厚な陽気が、呼吸と一緒にカヲルの体内に入ってくる。
五行山の地脈エネルギーと、温泉に溶け出していたロカの陽気。
二つが混ざり合って、体中にあふれた。
「これが……あたし?」
そう言ってはみたものの、カヲルの身に特に変わったところは見当たらない。
女性らしい乳房があるわけでもなく、股間のナニもそのままだ。
「すでに変わってるって、ぜんぜん変わってないじゃん! これじゃあ、不可能を可能に(=スク水を着用)なんてできっこないないだろ!」
そう叫ぶカヲルの脳内にロカの声が響いた。
《一つ忠告しておくけど、キミの大事な人に危険が迫っているよ》
さっきまでとは違う真剣な口調だ。カヲルの表情がいっきにこわばった。
「それってサクラちゃんのことか!?」
しかし声はその問いには答えない。
《大事な人を守りたかったら、ぜったいにその手を離しちゃダメだからね》
ちょっと間空いちゃいました。
よろしくお願いします。




