「赤子」
「む!!」
サキの部屋で生ゴミを食い漁っていたソラは、突然その手を止め顔を上げた。
「な、何よ」
サキはたじろいで手を口元へ運ぶ。
「何か、良くない事が起こりますね」
ソラはゴミ袋をかき分け、窓を開けた。
「ちょっと、どうしたのよ急に!?」
「カラスの特性です。このクロウは、近く起こる“不幸”を予め察知できるんです」
そう言って、ソラは頭の上のクロウを指差した。
「それじゃご馳走様でした。また来ます」
ソラは一言言い残すと、窓から外へと飛び出してみせる。
「ちょっと!! ここ三階――」
サキがそう言って窓から顔を出した頃には、ソラはとっくにコンクリートの地面を駆け出していた。
「サキは部屋で待っていて下さい!!」
「…………何者よ、あいつ……」
サキは呆然と、呟く。そして窓を閉め、急いで階段を駆け下りた。
「クロウ! 方角は!?」
「ホクホクセー、2.4キロメートル」
「げっ、遠い」
ソラはベロリと舌を出す。
「仕方ない、飛ぶか」
そう言って、ソラは電信柱の取っ掛りに足を掛ける。するとそのまま電信柱の最上部へと駆け上がり、周囲を見回した。
「よし、行くぞ――」
ソラは足に力を入れた。
「コラァ!!」
瞬間、クロウがソラの頭を思い切り叩く。バランスを崩したソラは電信柱から手を離し、地面へと叩きつけられた。
「――ったあ!! クロウ! 何するんですか」
「トブ、ダメ」
クロウは二枚の羽根で×マークを作る。
「……冗談ですよ、じょーだん」
ソラは不満気に起き上がると、再びコンクリートの地面を走り出した。
「ホレ、ホレ! イソゲイソゲ」
息を切らして走るソラの頭の上で、クロウは急かす様に羽根を叩く。
「だーっ! だから飛んでいくって言ったのに!」
ソラの呼吸は苦しそうに荒れていた。
「クロウ、まだですか!? そろそろ何か――」
言い終える前に、クロウは羽根を天へと向ける。
「ソラ! 上だ!!」
ソラはクロウにつられる様に、天を仰ぐ。
「――――!」
目を凝らすと、マンションの最上階から一人の男が赤ん坊の足を掴み宙吊りにしているのが見えた。
「ぐわっ、ずいぶん本格派な事件」
ソラはしかめっ面をし、クロウの足を掴む。
「トニカク、ナントカシロ!」
クロウはバシバシとソラの頭を叩いた。
「わ、分かってますてば」
そう言ってソラはもう少し進み、ちょうど男の真下辺りへと入る。そこには人だかりが出来ていて、皆不安気な表情で上を見上げていた。
「屋上へは!?」
ソラはその中の一人の肩を掴んだ。
「鍵が掛かっていて……。今、管理人を」
(…………。とは言え、屋上もここも対して変わらんか。むしろ犯人を興奮させるだけだ)
ソラは目を細めて男を見る。男は赤ん坊を振り回し、その頬は真っ赤に紅潮していた。
(仕方ない……)
「……クロウ。人間ってのは、“何をおいてもジンメイ優先”でしたよね?」
「!? お前、何を――」
「行きますよ、クロウ!」
そう言うとソラは、四つん這いでマンションの外壁を駆け上がった。
「ソ、ソラ!!」
遅れてようやく追いついたサキが、驚きの声を上げる。
「な、何!? 一体どうやって――」
「コ、コラ! バカモノ、メダチスギダ!!」
「ふふ、ジンメーユーセンですよ」
ソラは楽しそうに笑った。
ソラは、その細長い指でタイルとタイルの隙間を掴む事によりマンションの外壁を駆け上がっていた。無論、いくら指が細かろうと『普通の』人間に出来る芸当では無い。
「……あ、アイツ――」
サキは呆然と、言葉を失っていた。
「オイ!! 早く金と食料を用意しろ! このガキを落とされてーのか!!」
マンションの一室へと立て篭もった男は、赤ん坊の首筋にナイフを突き立ててそう叫ぶ。両目の焦点は定まってはおらず、麻薬中毒者特有の汗と涎が男の顔を湿らせる。
男は赤ん坊を軽々と振り回した。赤ん坊は一層泣き声を増し、下に集まっている人々は悲鳴を上げる。
「あ?」
その悲鳴は、今までのものと少し違った。
――マンションの屋上から、カラスを頭に乗せた変人が飛び降りた。
「なっ、なんだお前は!?」
ソラは男のいるベランダの縁に飛び降り、ニコリと笑った。
「まったく。立て篭もるのは結構ですけど、赤ん坊を巻き込んじゃダメでしょう」
「う、うわああああっ!!」
男はナイフをソラへと刺した。いや、刺そうとしたが、ソラは体を大きく捻りそれを交わした。
「甘い!」
ソラがナイフを蹴り飛ばすと、それは下にいる人々の元へ落ちてゆく。
「おーい! あーぶなーいですよーっ!」
「ぐっ……お前、一体……!」
男の質問に、ソラは笑みすら浮かべてこう答えた。
「カラスです」
「ひっ…………!!」
男は赤ん坊をベランダの外へ放り投げ、自分は部屋の中へと逃げ込んだ。より一層大きな悲鳴が周囲一体を包み込む。
「うわっ! ちょっと、負け惜しみにも程があるでしょうが!」
ソラは慌ててベランダの縁に立つ。
「仕方ない、クロウ! 行きますよ!」
「……ホ、ホンキカ!?」
「当然!」
ソラは頭の上のクロウの両足を掴み、奇声を上げる。
「シュピーン!!」
一人と一匹の体は光り、そしてそれは一つの『鳥人』となる。人型をモチーフにしたそれの背中からは大きな羽根が生え、その目は赤々と光り輝く。
「ギュワーン!! 『鳥人カラス魔人』!」
ソイツは奇妙なポーズと奇妙な顔面を持ってして、そう叫んだ。
「バカヤロウ! ハヤクイケ!」
「おう!」
鳥人カラス魔人はベランダから飛び出すともの凄いスピードで垂直降下し、赤ん坊の後を追う。
(――――! ソラ!?)
サキは、遠くからその姿をはっきりと捉えていた。
烏合の衆どもの悲鳴の中、地面直前でソラは赤ん坊の体を掴み、そのまま再び高度を上げる。
「もう平気ですよ、赤ん坊」
カラス魔人はニコリと笑い、近隣の一軒家の屋根に降り立つ。
「良かったですね、一生モノの経験です」
「バカ、ハヤクシロ」
その声に急かされ、赤ん坊の頭を軽く撫でるとカラス魔人は逃げる様にその場を飛び立った。
「ドバーッ!!」
ギュワーン! ドビャーッ!!