第8話 勝てなくったって、勝たなくったって
「おーおーおー……あっちいのに熱心だ……」
太陽が、頭上から容赦なく熱を降り注いでくる。
暑さに顔をしかめながら、自分の教室から学内の東の隅にある売店へ足を運んでいると、グラウンドからは熱気あふれる声が聞こえる。
「昼休みなんだから休めよなあ」
京一郎の呟きは、誰に届くこともなく消えた。
かなりの数の学生たちが、グラウンドで拡張顕現による戦闘訓練に励んでいる。
こんな光景は以前ではありえなかったが、ここ最近は普通のものになってしまった。
季節は七月。柳介に勝負を挑まれてから、もう一月が経つ。
学内の雰囲気は、結局、大きく変わった。
ネット上の書き込みが発端となって広がった、武力重視の気風。
それは、やたらと強い電気科の五年生が無差別襲撃をしており、しかも学生会執行部は現有の最高戦力でさえ実力不足でそれを捕らえられない、という事実に後押しされた。
自分の身は自分で守るしかない、それには強くならねばならない。
そんな意識が、平和とのん気でならした中山高専を染め上げてしまったのだ。
「……」
古びたドアを開け、売店に入りスポーツドリンクをペットボトルで二本調達。一本を開けて喉を湿しながら、学内の南西へ足を向ける。
どこかの教室か研究室でカレーを作っているらしく、刺激的な香りが漂ってくる。
かと思うと、二輪研究会がエンジンを吹かしまくるバイクの、強烈な排気ガスの匂いがそれを上書きする。
エンジンオイルのせいか、少しだけ甘さの混じったそれが、京一郎はあまり嫌いじゃない。
プールの前を通り過ぎ、対面にある執行部の本部もスルーして、オムニ6面のやたらと豪華なテニスコートへ入る。
突っ切って反対側の出入口から出れば、そこは高専の森と呼ばれる雑木林だ。生い茂る濃い緑から、ジリジリと蝉の鳴き声がうるさい。
高専及びその近辺に生息する虫は、普通よりも一回り二回り大きい。
まことしやかに、化学科の化学物質が原因で巨大化しているのではないかという噂が流れているが、真偽は不明だ。
鬱蒼とした高専の森の中に、ドスンドスンと重い音が響いている。
「やってるな、紅葉」
「……京一郎」
音は、太い木の枝に吊るしたサンドバッグを、武装した紅葉が叩くものだ。
彼女が本気を出せば、サンドバッグ程度、吊るしている枝ごと簡単に吹っ飛ばしてしまう。
つまり、これはあえてそうしないようにする訓練らしい。制御力を鍛えているとのことだ。
打撃を止め振り向いた彼女の額には、汗で髪の毛が少し張り付いていた。
「調子はどうだ?」
「……こんなものでは、神鳥谷柳介のような技は、まだまだ」
「お前の戦い方はパワーが命なんだろ? 無理に柳介さんみたいにしなくても」
「だけど、今のままじゃ勝てません」
「……勝てなくったって、勝たなくったっていいんじゃねえかなと、俺は思うんだけどな。ほら、これ」
少しだけ温くなったペットボトルを放りながら言うと、受けとった紅葉はかたくなな表情で答える。
「ありがとう。でも、それじゃあこの状況のまんまです。私たち学生会執行部があいつを止められないのなら、自分の身は自分で護るっていう風潮はなくなりません」
「それは……」
「嫌なんでしょう、京一郎は。この学校がこうやって、戦いとかを重視する場になってしまうのは」
「……そうだな」
グラウンドの方角を見ながら、京一郎はため息を吐いた。
「戦う事も強くなる事も大切なんだろう。卒業後の進路も安定するしな。……けど、俺はさ、ただただ無駄に頭を使って、びっくりするくらい馬鹿な事やる、そんな場所が好きなんだ。この学校の、そういうところに惹かれたんだ」
理想の学生像ではないのだろうけれど、京一郎の本音だ。
「自分の好きなことをもっと楽しむために、それから、今まで知らなかったようないろんな楽しみを知るために、俺は高専に来たんだと思う。巧学者として実力をつける、それが重要なのもわかってるんだ、わかってるんだけどさ」
それでも、思うのだ。
楽しい――とても単純なその気持ちが、何より一番ではいけないのだろうか。
「……でも、柳介さんはそう思ってねえみたいだ。この状況が、皆が強くなるのに躍起になってるこの現状が、あの人の願ったものなら」
あの夜に交わした会話を冷静に思い返して、そして今の中山高専の様子を見てみれば、その結論には簡単に至った。
何故かは知らないが、神鳥谷柳介は中山高専生が強くなる事を望んでいるらしい。
京一郎の知る限り、彼はそんな高尚な人物でなく、戦闘力はあるものの自分と同じく楽しければそれでいいというタイプであったはずなのに。
「お前は、でもどっちかっていうと、もっと強くならなきゃいけないっていう柳介さんの思想に賛成の側なんじゃないのか? 訓練も頑張ってるし……」
「……あのですね」
下から睨みつけるように、紅葉は答える。
「……私は、あいつに恨みがあるんです」
「……なんだ、その、悪かったな」
京一郎がそう言うと、ふてくされたような顔で紅葉はそっぽを向く。
――お前はいつも、そうやって、私から京一郎を……!
彼女があの夜零したそんな言葉が、京一郎の頭にリフレインする。
「なあ、もうすぐ夏休みだろ? つってもまだ一ヶ月半はあるけど」
「……はい」
中山高専の夏休みは、七月下旬が一般的な周りの高校よりもかなり遅目、八月も中旬に差し掛かったころに始まる。
終わるのは九月の下旬なので、長さとしてはそう変わりない。
「そしたら、どっか遊びに行こう。お前の好きなとこ」
「……ほんとですか?」
「本当」
「東京の名前がくっついた千葉県の有名なところでも?」
「いいよ」
お澄まし顔のクールなたたずまいに隠れがちだが、京一郎の妹分は、その実結構な少女趣味でもある。
ああいった所が割合、好きなのだ。
「でも、高専生同士で行くと最悪じゃねえか? 俺、カラフルな食い物飲み物やらサイリウムやらの成分でずっと喋ってる危険性があるぞ」
「そんなの、私だって『ほら、あそこにセンサーみたいのがある』とか『あの裏に配線通してあるんですね』とか言いますよ。お相子でしょう」
「……周りのお客さんには迷惑をかけないようにしよう」
「……ですね」
夢いっぱいの子供達には決して聞かせたくない会話である。
「あと、巧陵祭。去年は京一郎、バイク事故で入院中してましたけど、今年はそんな事ないんですから」
「わかんないぞ、またコケるかも……わかったわかった、そんな眼で睨むな」
ギロリと光った紅葉の瞳に両手を上げる。
巧陵祭というのは秋に行われる学祭だ。異様な盛り上がりを見せるお祭りで、巧学技術者育成学校ならでは催しものも沢山ある。
「極力、安全運転するよ」
「……わかっているならいいです。でも、だったら尚更、神鳥谷柳介の事は早くなんとかしないと。京一郎、神経質なんですから」
「さすが、よくご存知で」
適当そうと言われる事も多い京一郎だが、結構、神経は細い。
なにか気がかりがあると、なかなか目の前のことを楽しめない性質であった。
「……しゃーない、やりたくなかったがあの手を使うか」
「え、なにかいい方法でも?」
「ああ」
間断なくうなずいた京一郎に、紅葉は少々伺うような顔。
「京一郎に言うような事じゃありませんけど、あいつ、生半可な強さじゃ」
「わかってる。けど、いくら強くても結局は柳介さんだからな、やりようなんていくらでもある。お前にも協力して欲しいんだけど、大丈夫か?」
「そんな事聞かないでください」
「だよな、助かる」
出来るなら、柳介には自分から凶行を止めて事情を話して欲しかった。
彼にも彼なりの考えや信念があるはずで、だから京一郎はこの一ヶ月、彼を本気で止めようと手を打ってこなかったのだが。
「もうそろそろ、話してもらってもいい頃だろ」
細かい計画を頭で練りながら、京一郎はそう呟いた。
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