第3話 拡張顕現
「えー、皆さん、入学して一週間くらい経ちましたがどうでしょうか? 慣れましたか?」
教壇に立ちそう問いかける人物へ、真面目な視線を向けている学生たち。
(いかにも一年生の春って感じの光景だな~)
教室の前方右端、出入口付近に黙って突っ立ちながら、その初々しさに思わず京一郎は苦笑を漏らす。
「あはは、うなずき方がぎこちな~い! まあ、まだ慣れないよねえ、うんうん」
教壇に立つ白衣を着込んだ女性教諭・扶桑准教授は、瑞々しい声音と表情で続ける。京一郎には馴染みの先生だが、いつ見ても年齢不詳だ。
「さて、いよいよ来週のこの時間から毎週三時間ぶっ続けで、化学巧学実習1という実技科目が行われるようになります。そこで、今日は班分けや注意点、服装、スケジュール、レポートについてなどの話をしていきたいと思います……が!」
言葉を一旦切って、ぽんと手を叩いてから扶桑准教授は続ける。
「でもその前に! 基本をざっとおさらいをしてみましょう。はい、じゃあ今日は十五日だから、十五番! そもそも巧学とはなんですか?」
「……あ、ええと、工学に拡張顕現の技術を足したものが巧学です」
出席番号十五番らしい男子学生が返した答えに、扶桑准教授はうなずく。
「はい、結構! 中山巧業高等専門学校の、巧業も同じですね。工業に拡張顕現の技術を足したものです。では、その拡張顕現とはなんですか? 後ろの十六番、答えられる?」
指定された学生が、がたりと席を立って答える。
「はい。拡張顕現とは、工学で定義されている現象や原理、法則、使用する機材や材料、工法など、大きく言って様々な概念を、その名の通り拡張した形で現実に顕現させる技術、です」
「お、そらでスラスラよく言えるね」
「受験の時、覚えました」
生真面目に答える男子学生。
「うんうんそっか、そうだよね。はい、結構」
にっこりと笑う扶桑准教授は、声も仕草も実に若々しい。
京一郎の眼にはどう見ても二十代の、いいところ後半くらいといった感じなのだが、噂によると四十を越えているらしい。
研究している化学物質の作用を自分の身体で確認しており、その効能でああなっているという話が流れているが、怖いので本人に直接聞いた事はない。
「いいかな、その拡張顕現を自在に扱う者を巧学技術者と言います。そして、全国に存在し、主に中学を卒業した者へ門戸を開いている巧業高等専門学校は、若者たちを立派な巧学技術者に育成するための機関です。もちろん、ここ中山巧業高等専門学校もその一つ」
こんな事はもちろんわかっていると思うけどね、と可愛らしい笑顔で扶桑准教授はそう付け足した。
彼女の話を真剣な顔つきで聞く一年生達。
それを見ながら、京一郎は自分にもあんなに純粋で初々しい時があっただろうかと記憶を探った。
結果は、どうにも怪しかった。
「さて、それじゃあ拡張顕現のもうちょっと詳しいお話をし…………」
ピタリと唐突に動きを止める扶桑准教授。
「……? 扶桑センセ?」
戸惑う一年生達の代わりにと、京一郎が声をかけるも動かない。
「おーい、センセ、どうしました?」
「……配合間違えた?」
近づいて目の前で手を振ると、扶桑准教授はいきなりそんな事を言い出した。
「あれ、あのビンって逆だったっけ? いや、前に使ったとき……いや、あれ……あれ、どっちだっけ?」
「そう言われても」
「城東くん、ここに来る前に混ぜて反応待ってたやつ、配合、あれで合ってたっけ?」
「俺が知るはずないでしょう。……なんでそんな唐突に」
「いや、来週のこの実習でも使う予定だからなんか思い出しちゃって……あれ、あれ……あれー……どうだったっけ……? ……あー、ちょっと気になるから確認してくるね」
「は?」
言うが早いか、さっさと扶桑准教授は教室の出入口へ向かう。
「待った待った! 授業は!?」
「任せたわ! そのために城東くんはいるんだから!」
「今日は突っ立ってるだけで良いって話だったでしょ!?」
「んんーう」
「んんーう、じゃない!」
謎の呻き声を残し、京一郎の制止など聞かずに扶桑准教授は去っていった。
「……あー」
呆気にとられた様子の新入生たちを、放っておくわけにもいかない。観念して京一郎は教壇に立つ。
「えー、皆さん。残念ながら、見ていたとおり扶桑先生はちょっと急用が出来たらしいので一旦席を外されました」
マジかよ、みたいな顔と声。教室がざわめいた。
「ただ、一つ言っておきたいのは、扶桑先生が特別に自由な先生というわけではないという事です」
普通の学校だったらあまりない光景だろうが、ここは生憎と普通の学校ではない。
すなわち、教員も普通ではない。
「『十五分遅れて来たから、今日は十五分早く終わらせる』と言って、毎回五十分授業を正味二十分しかやらないような先生もいますし、教科書に書いてある数式の展開が本当に合っているのかどうか気になって、授業そっちのけでひたすらそれの確認を行って、終わったら満足して帰るような先生もいます」
とかくにマイペースなのだ、この学校の教諭陣というのは。
ちなみに少数派であるマイペースでないタイプの先生は、他の教諭と学生に振り回され、大抵は大変な目に遭っている。
「先輩である俺から言えるのは、慣れてくれという事だけです。どうせ皆も、夏を越える頃にはこの学校に染まっているでしょうから大丈夫です。……ああ、自己紹介が遅れました、俺は化学科三年の城東京一郎です。四年目ですが三年です」
あっ……と、微妙な空気が流れるのは仕方ないとしたものだろう。
「この学校、緩くはありますが甘くはないので、簡単に留年します。気をつけてな。大体、統計的には卒業する時に一年生の時のメンバーから五分の一、四分の一くらいが入れ替わっているものと思ってくれ」
一クラス四十人、つまり八人から十人くらいは落ちるという事だ。
高専は五年制なので、一年に大体二人といったところか。理由は主に成績不振と出席不足。
「俺は去年の秋ごろバイク事故をやらかして、しばらく学校に来れなかったら、さすがにちょっと出席だの点数だの足りなくて留年を……や、まあ、そんな話はいいか」
信号無視の車に横からつっこまれた、かなり大きな事故で、わりと普通に生死をさまよった。
長い入院を終え学校に来てみれば、事情が事情なのでいろいろ便宜は図ってもらえたが、さすがに進級は難しいような状況となっていたのだ。
「で、この時間は同じクラスの奴らは授業をやっているんだけど、俺はもうその単位はとっているので暇していたら、扶桑先生に捕まって皆さんの実習のお手伝いをする事になりました」
執行部の本部室で昼寝でもしていようと思っていたのだが、そうもいかなくなってしまった。一応、ティーチングアシスタントとして給料は出るのが救いである。
「さて、……えー、そうだなあ、化学巧学実習の時間なので、拡張顕現がどういうものか、ちょっと目の前で実演してみましょう」
その言葉に、新入生たちは目を輝かせた。それが眩しくて面映く、少しだけ苦笑。
右手を掌を上にして掲げ、京一郎は諳んじる。
「材料生成《硝酸カリウム、硫黄、木炭》」
京一郎の手のなかへ、淡い光とともに黒い粉末が現れた。それを手のひらに乗せたまま、京一郎は教室中を巡回する。
大方の新入生たちは興味深そうに京一郎が顕現した粉末を覗きこんでくるが、何人かは顔を引き攣らせ、身体を仰け反って距離を取る。
「あー、わかってる子もいるみたいだけど、今顕現したこれは黒色火薬という立派な爆発物の一種です」
「っひぃ!」
京一郎の手に顔を近づけてまじまじと粉末を眺めていた新入生の一人が、弾かれたように離れた。
「ですが、今ここにあるこれは、ちょっとやそっとじゃ反応しません。なぜか? そういう風に拡張して顕現したからです」
教壇に戻りつつそう言って、京一郎は新入生たちを見渡す。
「いいかな、"拡張"顕現なんだ。今みたいな材料生成でいえば、普通の物質をただ生み出すってだけじゃない。もちろんそれだけでも、巧学の存在しなかった時代からすれば異常な事ではあるんだけど、拡張顕現の本質は、そこにはない」
自分の声が教室中に響く。こんな事に慣れてはいないので少し緊張するが、先輩としてびしっとしなければならない。
「今の場合、黒色火薬に極めて反応しにくいという特性を加えて拡張顕現したわけです。もちろん他にも色々やれる事はあります。逆に反応しやすくしたり、爆速を高めたり、爆発に指向性を足したり」
極論を言えば、熱と圧力の代わりに水と氷が出て来るように拡張する事も、できないわけではない。だが、元の性質とあまりにかけ離れているため非常に難しい。
「拡張を、どんな方向でどれだけできるか。それは単純に、その巧学技術者の適性や実力によります」
「あ、あの……」
「ん、なに?」
前から二つ目、廊下側から三列目の女子学生がおずおずと手を挙げた。
女子学生が少ないでお馴染みの高専だが、化学科は比較的多い方だ。
「適性って、得意不得意って事、ですよね? 自分がどんな拡張顕現が得意かって、なにで決まるんですか……? 興味のある事が得意になる、とかですか……?」
「そうだね、そういう場合が多いかな。俺は馬鹿な男子丸出しで、ニチアサ特撮の爆発シーンとかが昔から大好きだったんだけど、おかげで反応したら爆発するタイプのブツを生成するのが得意になったよ」
「あの!」
大きな声を上げたのは、女子学生ではなく、その隣に座る男子学生だ。
なんだか少しばかり、目が輝いている気がする。
(……う)
覚えた嫌な予感は、結局あたった。
「もしかして、先輩があの【爆撃】の京一郎さんですか!?」
「……それを、どこで?」
「入学式の後、校門の近くで二つ名授与委員会って人達が二つ名付き学生一覧っていうのを配ってて! 【爆撃】の京一郎は二つ名付きの中でも最強候補の一角だって!」
「……あんのやろうども無垢な新入生に」
眉間を抑えて低く呻く。
執行部権限でしょっぴきたい所だが、別に校則違反を犯しているわけではないのでそうもいかない。
「あの中二病の塊みたいな連中の話に付き合ってはいけない。先輩からのアドバイスだ、いいな」
「え、は、はい……」
残念そうにうなずく男子学生。彼も中二病の気があるのかもしれない。
二つ名授与委員会とは、学内に蔓延る学生会執行部非公認の組織だ。
非公認であるがゆえに予算はもちろん付かないが、代わりにこちらから何か指図する事も出来ないのが性質の悪さ。
その活動も、強力だったり特殊だったりする拡張顕現を使う学生に、彼らがその痛々しいセンスで考案した二つ名を勝手に授与して、イベントがある度に名簿を作って配り歩くだけ。
一応実害はないと言えばないものなので、迷惑行為で注意するのも少し厳しい。
ただ、二つ名を付けられて、そのセンスに適合できない人間が薄ら寒い思いをするという、それだけではあるのだ。
それだけではあるのだが、京一郎や学生会の会長などは、何とか奴らの活動を止めさせられないものかと本気で頭を悩ませている。
【爆撃】の京一郎、はないだろうと思うのだ。
「えー、さ、話を拡張顕現に戻します」
変な方向に向かってしまった話の舵を取り直したタイミングで、京一郎の手の中から黒色火薬が消えた。
「ちょうどいい。材料生成で生み出したものですが、このように一定時間が経つと消え去ります。顕現がどれくらいの時間保つのかは、生み出す人間が自分の力の及ぶ範囲で設定します」
これは重要な事なので、京一郎は一言ひとことしっかり発音して新入生たちに伝える。
「慣れないものを出すときには、かなり短時間に設定する事が一般的です。万が一意図しない危険なものを生み出してしまったときに、被害を最小限で抑えられるように」
化学科の材料生成は、ともすれば広範囲へ簡単に甚大な影響を及ぼしてしまう。
そのため、細かい配慮が他の科よりも必要だ。
「俺の友人にもクロロアセトフェノン……催涙ガスの一種ですが、これを催涙効果のまったくない無害な性質に変えて拡張顕現しようとして、何を間違ったが、たしかに涙は出ないものの代わりにめちゃくちゃ嘔吐する代物を作って、気管に吐瀉物を詰まらせた挙句に救急車で緊急搬送された奴もいます」
具体的な実例を示され、新入生たちが微妙に顔を青くする。
「この手の事故はいつでも起こりえます。くれぐれも気をつけて実習に臨んで下さい。蘇生の薬は、まだ残念ながら、どんな高名な技術者でも作り出せてはいないので」
いよいよピシリと背筋まで伸びて話を聞く新入生達の姿に、ちょっとばかり脅かしすぎたかなと反省する。
この子達も入りたてとは言え高専生、背筋を伸ばして人の話を聞くなんて、そんな常識的な態度は常の彼らにはありえない。
少し、安心させてやろう。
「まあ、ただ、学内で何かやる分には君たちの身の安全はそこそこ保証されています。成績転換防護の事は聞いていますね?」
京一郎の言葉に、ああそれがあったと言わんばかりの、ほっとした顔でうなずく新入生一同。
「あれが君たちの身体をある程度護ってくれます。さっき話した催涙ガスでしくじった友人は、効果を確かめたいと自分でその防護を無効にしてガスを吸ったので悲惨な事になりましたが、そんなアホな事でもしなければそこそこ安全です」
高専で培われる技術は、一歩間違えなくとも危険なものが多い。
悪いことに、それを扱う高専生の性格にいたっては、一歩や二歩の問題ではなく、危険・異常・変態の三重苦である。
ゆえに、学校は学生を護る術を用意している。
それが成績転換防護、高専生に学内で付与される不可視のシールドである。
種々のダメージ全般を防いでくれる万能の加護だ。
「……ですが、問題もあります。万能と言われる成績転換防護ではありますが、その万能は無限ではありません。知っての通り、そして名前の通り、成績転換防護は自分の成績を消費します」
成績転換防護は、なにもない所から発生するわけではない。作動するためのエネルギーが要る。
成績転換防護を作動させるエネルギーは、学生達の持つ成績である。受けた衝撃に対して、その学生の持つ成績の一部を防護の力に転換してガードするのだ。
「強い衝撃を受けるとそれを受け止めるため成績は大きく削られる。防護のエネルギー源に回した教科の成績……すなわち点数が赤点ラインを下回れば、その単位は落ちます」
単位を落とす。
それは高専生にとって本能的な恐怖を喚起させる言葉だ。
新入生たちの顔に浮かんでいた安堵感が、潮が引くように去っていく。
「赤点はご存知のとおり50点。ま~、低くはないですね」
どうにか30点や40点に下がってくれないものかと思う……が。
もし、何かの間違いで。
逆にたとえば60点にでも上がってしまったらと考えると、背筋が震えてくる。
もちろん、そんな事はありえないだろうが。
「落とせる単位の上限は累積7つです。7を越える数落としたなら即留年、留年を同じ学年で2回繰り返せば退学、それがここの掟だ」
この鉄の掟に、例外が発生したことは今まで皆無である。
服装自由、髪色自由、バイト自由、合法品であれば持ち込み制限物なし、勝手に授業を休んでも何も言われない。
そんな高専の奔放さは、この無慈悲なルールを根底に戴いているからこそ許されているのである。
「定期テストで結果を出す事によって稼げる試験点に、わずかばかりの出席点を足したもの、それが成績となりますが、高専生にとってこれは生命そのものと言っていい。だから、何でもかんでも成績転換防護でガードするのは考えものです」
例えばつい昨日の放課後にあった中庭での乱闘騒ぎ、彼らはお互いの攻撃を、成績転換防護で完全にガードしようとすれば出来たのだ。
しかしそうなると、成績が大きく削れてしまう。
なので彼らは、身体に重篤な影響を及ぼすレベルのダメージ分だけは成績転換防護でガードし、残ったダメージは成績ではなく自分の身で請け負うように設定していたのだろう。
大多数の高専生達が、そうしている。
「くれぐれも成績は大切に。成績転換防護についての細かい調整方法もおそらくこれから指導されるでしょうから……」
「ごめーん城東くん! やっぱ配合間違ってなかった! いやあよかったよかった!」
ドアを軽やかに開き、扶桑准教授が教室に戻ってきた。言葉の上では謝っているが、とくに悪びれた様子はない。
「どこまで話した?」
「拡張顕現の実演と、成績転換防護について」
「オッケーありがと! 皆、バイクでずっこけて入院しちゃって留年してはいるけれど城東くんは頼りになる先輩だからね、これからも彼をよくよく頼るように! 学生会の役員でもあるしね!」
教壇に返ってきた扶桑准教授は、そんな事を言いながらバシバシと京一郎の背中を叩く。
「やっぱり学生は学生同士、助け合わなきゃねえ。高専生はマイノリティなんだから」
「まあ、そっすね」
高専は全国に現在57校存在し、そこで約6万人程度が学んでいる。
通常の高等学校、所謂高校が全国に5000校近くあり、約330万人が在籍している事と照らし合わせると、単純な人数比で1対55の圧倒的なマイノリティである事がわかる。
高校が一から三年生までの合計数であるのに対し、高専は一から五年生までの合計数である事を考慮に入れると、この比率はもっと低くなる。
「実習は特にチームワークも大切だしね、皆仲良く、喧嘩なんかしないように! 授業外で拡張顕現使って闘ったりなんかしちゃったら、お互いの成績が削れるだけだよ!」
その言葉に、京一郎は扶桑准教授の隣、深くうなずく。
昨日の連中は、それがどうしてわからなかったのか。
戦闘技術は、巧学において大きな評価基準の一つではある。
だが、だとしても。
頭を使って馬鹿やって、自分の好奇心を全力で満たして。そんな風に生きるのが高専生のあるべき姿だと、京一郎は思っている。
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変な先生が多い、それはきっとどこの高専もそう……。
赤点50点に違和感がある方もいらっしゃるかと思います。ですが、高専はもともと赤点50点だったのです(自分もその世代ではありませんが)。
それを60点に変えたものたちがいるのです……。




