第21話 技術者である前に
「え……あ、あの」
「ええっと、どこだ? ええとええと、あった」
豊満でわがままな自らの胸の谷間に手を突っ込んで、何かを探っていたミス・ジャベミイは、やがて二枚の紙片を取り出した。
まずその内の一枚を差し出しながら、彼女は唐突に問うてくる。
「ねえ、神鳥谷柳介。進路はどうするつもりなの?」
「……二週間くらい後に、大学の編入試験を控えております」
先程よりも近い距離に動揺し、妙に丁寧な口調で答えてしまった。
「ああーそうなんだ、ごめんごめん、それじゃ尚更大変だったね……。まあ、じゃあそのお詫びも兼ねてって事で、これ受け取って」
「……これは、ミス・ジャベミイ、貴女の名刺ですか?」
「うん、JABEMEE名義の」
ミス・ジャベミイ、ミス・ジャベミイと今まで呼んできた彼女の本名が記されたそれには、日本拡張顕現技術者教育認定機構の文字列もかっちりとした書体で書かれていた。
「大卒枠でも、その後に院へ行くなら院卒枠でも、なんなら編入試験失敗したら高専卒枠でもいいからさ、うち受けなよ。よっぽど人事がアホでもない限り、君なら採るから。アタシも推薦出しとくし」
「俺がJABEMEEに?」
「うん、向いてると思うよ。……それにさっき言ったように、今回の事を教訓にして審査の方法とか基準とかを変えるよう中で動くつもりだからさ、同じ考えの後輩が入ってくれると助かるんだ」
「……ありがとうございます。よく考えておきます」
「絶対だよ?」
「はい」
何年後かはわからないが、自分は彼女と同じ組織に入る。
うなずく柳介の頭には、なぜだかそんな確信めいた予感があった。
「……あ、ええと」
名刺を受け取ろうと思ったが、両手で麗香を抱きかかえているので上手くいかない。
困っていると、ミス・ジャベミイは少し笑ってそれを柳介の上着の胸ポケットへ入れてくれた。
「熱々だねえ、若さかあ」
「い、いえ、ミス・ジャベミイも自分とそこまで歳は変わらないでしょうに。……それから、自分たちは別に、そういう関係では」
「そうなの?」
「は、はい」
そういう事はしっかりと、社会的にも相手を守れるような立場や収入を手に入れてから覚悟を決めて申し込むべきものだ。
なんて、そんなカビの生えたような価値観を持つ柳介である。
「じゃあ別に、アタシがこれを渡しても問題はないよね?」
ペチン、と。残ったもう一枚の紙片で柳介の頬を優しく叩くミス・ジャベミイ。
「あ、温かい……?」
「ああ、ごめんごめん、ずっとおっぱいのとこに挟んでたから」
「え、あ、そ、そんなつもりでは!」
何がどうそんなつもりではないのかは自分でもわからないが、とにかくそんなつもりではないのだ。
少しの暖かさと共に甘い匂いまで感じ取っていたのだが、口走る前になんとか留めた。
「それで、それは……?」
「アタシのプライベートアドレスだよ。チャットアプリのアカウントも載せてるから、ま、好きな方で連絡ちょうだい」
「……は? …………あの、ミス・ジャベミイ?」
軽やかながらどこか艶かしい気もする手つきで、先ほどの名刺と同じく柳介の胸ポケットにそれを収めるミス・ジャベミイ。
そのまま、自然な動きでこちらの後頭部を両手で抑えた。
「いやあ、城東京一郎くんの爆撃も中々のものだったけど、君の電撃と拳は本当に良くってね……ちょっと忘れらんないんだ」
にいいと、眼を弓なりにしならせて笑う彼女に色んな意味でぞくりとするも、力の強さと雰囲気に呑まれて動けない。
「学生さんとは言え二十歳超えてるって話だし、良いよね? いっただきまー……」
「良いわけないでしょう?」
近づくミス・ジャベミイと柳介の顔の間に、柳介の視界の下方から伸びてきた細い手が差し込まれた。
「国の機関の職員が職務中に何をしているんですか。用が終わったのならお帰り下さい。……教育に悪いんですよ、貴女」
「男の腕で寝たフリかます性悪に言われたくないね」
「はあ? 今起きたんですよ?」
「それで騙せるのは童貞だけだよ?」
抜き身の刀で斬り合うかのような応酬をミス・ジャベミイと交わすのは、柳介の腕に抱かれて眠っていたはずの麗香だった。
眼鏡の奥の眼光が鋭い。
「か、上泉、起きたのなら降ろそう」
「このままで良いわ。それともなに、このままだと都合が悪い事でもあるの?」
「い、いえ」
「うわー、そんなおっかない女やめときな神鳥谷柳介。それに情報科の女は嫁にするべきじゃないって言うだろう? 何から何まで調べ上げられるからね」
「プライバシーを守る分別くらいありますよ。貴女こそ、扶桑准教授の研究室だったという事は化学科でしょう? 化かして騙す手段が豊富な化学科の女、どうかと思いますけどね」
危機は去っていなかったのか。至近距離で行われる丁々発止のやりとりはあまりに胃に悪い。
「……あーあー、早くしろってか」
これ以上続けられたら血を吐きそうな柳介だったが、救いの糸が降りてきた。
ヘリから投げられたロープだ。掴むのは柳介ではなくミス・ジャベミイだが。
「それじゃあね! ばいばい、神鳥谷柳介! 連絡待ってるよ!」
ヘリから伸ばされたロープに身を預け、今日の騒動の発端たる彼女は中山高専のグラウンドから足を離した。
「中山高専のしょくうううううううううん! 今日は帰るけど! あんまりダラダラやってるようなら! また来るかもしんないよ! 気をつけるように!」
飛び去り際、拡声器越しに残していったそんな言葉が耳に痛い学生は沢山いるだろう。
「うちも、基本理念を順守出来る範囲で少しは力をつけるような風潮に変えていかなければならないな。あちらが寄ってくれると言うのだ、それならこちらも寄るのが筋だ」
「へえ、随分入れ込んだものね。惚れ込んだの間違いかな?」
「そ、そんな事は……」
「……ねえ神鳥谷くん、この名刺、頂いても?」
「え? なぜ……い、いえ、どうぞ」
柳介の胸ポケットを開け、紙片を二枚とも取り出した麗香は自分の胸元を見てから小さくため息を吐いたあと、それらを上着の内側から出した手帳に挟んだ。
「なぜって、私もJABEMEEに入ろうと思ってね。職員さんの連絡先は知っておいて損はないでしょう? ああごめんなさい、JABEMEE名義じゃない方の名刺も取っちゃったけど、返した方がいい?」
ここでうなずけるような男であったなら、柳介はこの歳まで純潔を保っていないだろう。
「そうよね、あんな教育に悪い人の連絡先なんて必要ないよね。特に神鳥谷くんは、まあ私の所為だけども、これから必死こいて単位取らなきゃいけないんだから!」
「そうだったなあ……お前もな、上泉」
「……うん。後期フル単かあ、卒研もあるのに辛いなあ」
「俺は一単位だけ戻ってきたが、焼け石に水だ。大して変わ……ん?」
言っている途中で、柳介はある事に気がついた。
「なあ、ミス・ジャベミイやジャベミイ・ラビットに直接落とされた単位は返ってきたんだよな……?」
「ええ、それが?」
「……京一郎は、たしか」
京一郎は自分で単位を捨てる事で、この学校から去っていった。その分の単位は柳介や麗香と同じように戻らない。
しかし、彼が自分で捨てたのは七単位。
一度留年していた彼が退学に届くのは八単位で、残る一単位はたしか、……そう、たしか。
ミス・ジャベミイの単位殺しで落とされたはず。
「……だったら! くっ!?」
振り返って、眩しさに眼を眇める。
その光の塊が現れたのが紅葉の傍だったのは、あのおせっかいな先輩の粋な計らいだったのかもしれない。
「……ん? あれ、俺、実家に強制送還されたはずじゃ」
光の塊から輝度が抜けきって、そこに居たのは、
「おお、柳介さん、お姫様抱っこなんてあんた、いつの間にそんな根性のある男になったんだ……」
「――京一郎!」
「城東くん!」
居なくなったはずの後輩、城東京一郎だった。
「……んん、どういう状況だ? なんだなんだ? 紅葉は寝てるし、おい、起きろ、こんなところで寝たら風邪引くぞ。引くかな? こいつ頑丈だから大丈夫か?」
「【爆撃】さん、もっと優しくしてあげてよ……」
「【爆撃】さん、もっと甘やかしてあげてよ……」
紅葉を介抱している双子の女の子達は呆れ顔でそう言うが、柳介は京一郎がなんだかんだ幼馴染みの女の子に優しく、甘い事を知っている。
『二年遅れて入学してくる人見知りの女の子のために、居場所を作っておいてあげたいから』……それが、京一郎が学生会執行部に入った一番の理由だと知っているのは、柳介だけだ。
「ん、……んん?」
「起きたか、紅葉」
「……うん、おはよーございます……きょーいちろ……んん!?」
京一郎に頬を突かれて意識を覚醒させた紅葉が彼の顔を認め、とろんとしていた眼を思い切り見開いた。
「きょ、京一郎……?」
「おう、そうだ」
「な、なんで?」
「なんでって……なんでだ?」
京一郎が事情が掴めていないのは当たり前だ、後でしっかり話しておかなければ。
「京一郎……京一郎?」
「おう、京一郎だ。お前の幼馴染みのお兄さんだ」
紅葉が両の手を京一郎に伸ばす。ちなみに、切った左手首の傷は消えている。麗香が電子空間で抜け目なく治していた。
「嘘じゃ、ない……?」
「おう、嘘じゃない、と思う」
「……神鳥谷柳介と、つきあってるの?」
「突然なに言ってんだびっくりするだろお前……いや、仲はいいけども……」
「きょ、きょ、京一郎……」
目の前でしゃがむ京一郎の胸元を掴み、そこへ顔を埋めてくぐもった声で紅葉は言う。
「もう、いなく、ならないで……やだよぉ……いやだぁ……良い子に、するから、神鳥谷柳介とも、仲良くするから……だから、いなくならないで……」
「まあ柳介さんとは出来る限り仲良くして欲しいが、別に強制はしねえよ。あの人痛々しいから、相性の良い悪いはあるだろ」
「京一郎、言葉をえら……ぐぉッ」
思わず文句を付けた柳介の脇腹に麗香が拳を入れてきた。小声で「空気を読んで」と言われたので、大人しく黙っている事にする。
「なんで帰って来れたのかはわかんねえけど、その、なんだ。……悪かったな、紅葉」
バツが悪そうな顔をした京一郎の、そんな言葉が引き金だったのか、
「……――う、うううう、うああああああああああああああッ!」
「ああごめんごめん! 悪かった! 悪かったって! ああー、もう、ああ、お前に泣かれるのは苦手なんだ……」
肩を震わせる紅葉の顔は柳介からはもちろん伺えないが、どんな表情なのかなんて見るまでもないだろう。
「先輩、ここは男の見せ所ですよ!」
「先輩、ここは女の落とし所ですよ!」
双子に囃し立てられ、いよいよ進退極まったと言わんばかりの顔の京一郎は、覚悟を決めたように表情を引き締めると、紅葉の肩に手を置いた。
それを少し押して、彼は幼馴染みの女の子と視線を合わせる。
「きょういちろう……?」
「聞いてくれ、紅葉。なあ、わかってくれ、紅葉。俺の馬鹿な話を飽きずにずっと聞いてくれたのは、お前が初めてだったんだ。そんでここに入るまでずっと、そんなのお前だけだったんだ。お前がいなけりゃ、俺の人生、きっとこんなに楽しくなってない」
「で、でも、きょういちろうが同じような話、できる人、いま、まわりにいっぱいいる」
「それはいるけど、お前の代わりなんていないよ」
その言葉に、紅葉の肩が大きく震えた。
「……もう十年くらい前になるのか? 俺は技術者である前に、技術者を志す遥か前に、ああ、だから、その」
京一郎の顔は真っ赤だ。
普段はそこそこ軽口の彼だが、今は言葉を出すのに随分苦労しているようで。
ちらりと、そんな京一郎と目が合った。
情けないその面がなぜか他人事に思えなくて、気がつけば柳介は麗香を抱える手を少し動かしてサインを作っていた。
困っている後輩を助けてやって、まさか罰なんて当たらないだろう。
「きゃあっ!?」「どわ!?」「ちょ!?」「ひぃ!」……なんて悲鳴がそこかしこで上がる。
誰にも当たったりしないように注意しながら、柳介は空中に強烈な電流を生じさせていた。
光を瞬かせたそれは、その場にいるほぼ全員の眼を眩ませて。
無事だったのは電流を生じさせた張本人である柳介と、執行部でコンビを組んでいた時代に使っていた目眩ましのサインを読み取り、タイミングを合わせて目を瞑った京一郎だけである。
自分の上手く動かない口を、目の前の幼馴染みのそれに押し付けた彼の姿は、誰にも秘密しておいてやろうと思った。
中山高専に巻き起こった日本拡張顕現技術者教育認定機構の審査と、四◯年ぶりのオーバーフロー騒ぎ。
それは結局、最終的に一人の留年者・退学者も出すことなく、ついでに一応ロマンチックと言えなくもないそんなシーンを最後に、その幕を閉じた。




