94.長蛇作戦 パイプライン
二二〇三年一月二日 〇二一六 OTU 城壁
戦闘予報。
地下都市攻略戦です。不意討ち及び事故に警戒して下さい。
死傷確率は5%です。
それは、長蛇作戦において、初めて出された戦闘予報だった。
ようやく、敵の規模や情報が集約されたのであろう。
死傷確率5%の数字が発表されるのは、久方ぶりの事だった。
安心できる数字が示された為か、戦場全体の空気から死の恐怖が消え、第八大隊の兵士達は落ち着きを取り戻した様だった。
落ち着いたと言っても油断や弛緩した兵士は居ない。ここは最前線のなのだ。何が起こるか分からないことを古参兵達は、十二分に知っている。
831小隊の隣の戦区を担当する82中隊は、建設工事に駆り出され、蟻の様に働いていた。
応援として派遣されて来た工兵隊の指示に従い、憲兵隊と協力し、銀色の太いパイプを城壁へ取り付ける作業を行っている。
あの鬼の憲兵が土木作業に従事しているとは、菜花の目には、何とも可笑しくも滑稽にも見えた。
逆に考えれば、日本軍の人的資源がそこまで欠乏している事を表しているとも言えた。
巨大パイプは、長蛇トンネルから真っ直ぐ城壁へ伸びているのが、待機している城壁から確認できた。
その様な雰囲気の中で831小隊は、城壁上での哨戒任務を続けていた。
―パイプラインは、まるで長い蛇の様です。あら、作戦名の長蛇とは、陣形ではなく、この事でしょうか。軍は最初から計画していたのでしょうか。―
桔梗は、勘ぐっていたが、現実はただの偶然だった。
831小隊が、小休止を始めてから桔梗は、時折十五分間だけの眠りを取るようになっていた。
「桔梗、長時間緊張。正常判断不能。息抜き必要。」
鈴蘭が桔梗へと警告を発したのが発端だった。
「私は大丈夫です。今、休むわけにいけません。」
指揮官が軍務を放棄することはできないと断った。
「それ、判断ミス。すでに判断力低下。隊長は随所で休んだ。」
「錬太郎様のは、サボリ癖で…。」
ようやく、ここにおいて桔梗は、頭脳が回転していないことを自覚した。
小和泉は、小休止を取っていないことが多かったが、逆にこまめにサボっていた。
合間を見つけるとすぐに昼寝をしたり、身体が鈍ると言っては軽い運動をしていた。
別の視点で考えると、あれは小和泉流の体の休め方だったのだと、桔梗は鈴蘭に気づかされた。
ただのサボり癖だと思い、可愛らしいところがあるなと感じていたが、実際はそうではなかった。
最良の体調を維持する為に行動していた事だったのだ。小和泉への愛情が桔梗の目を曇らせていた。
鈴蘭に諭されて、自身の体調が不完全であることにようやく気が付いた。
「鈴蘭の言う通りですね。適度に休息を入れます。何分が理想的ですか。」
「疲れを感じる前に、十五分仮眠。寝なくて良い。目をつぶるだけでも効果有り。」
「わかりました。今から休息します。十五分後に起こして下さい。」
桔梗は城壁に寄りかかると床へと滑り落ちた。菜花が優しく受け止め、床に敷いたポンチョの上に寝かせた。雨除けの薄いポンチョでも床に直接寝るよりもマシだろうと菜花の気遣いだった。
「了解。状況変化、報告する。」
鈴蘭は返事をしたが、桔梗はすでに深い睡眠へ入っていた。
古参兵は、切り替えが早い。小休止を取るとなれば、即座に体が休息に入る。それが戦場を生き残るコツでもあった。
そして、桔梗は、小和泉の様に体を休める様になり、肉体的にも精神的にも疲労が軽減された。
831小隊には、82中隊が何をしているかの説明は、大隊司令部より一切無かった。
命令は、『82中隊群を死守せよ。』だけだった。
群、つまり、工兵や憲兵も防衛対象に含まれる。
工兵達を守備するのは理解できた。しかし、憲兵が最前線に出てくることは、桔梗達には理解できなかった。
ましてや、軍における警察組織であり選りすぐりのエリートである憲兵が、パイプラインの建設工事に従事している事が信じられなかった。
「なぁ、俺の見間違えか。あれって憲兵だよな。」
菜花が分隊無線で問い掛けた。
「黒帯のたすき掛け装備。間違いなく、憲兵隊です。お知り合いでも見つけましたか。」
「菜花。一番、お世話になっている。」
「そんなのは、今はいいんだよ。で、あいつら、何してるんだ。」
菜花は、桔梗と鈴蘭からの日頃の素行不良の指摘を聞き流し、今行われていることの説明を求めた。
「見たまま。」
「不明です。死守命令のみしか出ていません。説明は何もありません。」
「じゃあ、隊長達はいつ帰って来るんだ。さすがに長過ぎだろう。」
「それも不明です。大隊司令部に確認しましたが、機密だそうです。逆に錬太郎様の帰還を促されました。」
「で、うちの隊長はどこに行ったんだ。何なら探しに行くぜ。」
「探しに行けるものならば、すでに行動しています。現在地が分からない現状では、捜索に出ることは不可能です。」
「桔梗は心配じゃないのかよ。現在地なんて、ビーコンを辿れば良いだろう。」
「そ、それは。」
桔梗は言い淀んだ。小和泉のビーコンや生体モニターを、桔梗が操作している事は誰にも話していない。桔梗自身も小和泉の現況を知らないのだ。
「菜花。それ、欺瞞情報。桔梗の情報操作。」
鈴蘭が、しれっと事実を言い当てる。桔梗の柔和なポーカーフェイスが悲しみの表情に一瞬崩れた。
「へ、本当なのか。じゃあ、行方不明なのか。生死不明なのか。」
「そうなる。心拍と血圧が一定時間でループ。ビーコンの移動。辻褄合わない。」
鈴蘭は、小和泉の生体モニターを見て、当初から気がついていた。
だが、小和泉と桔梗が言わないのであれば、皆に知らせる必要は無いと判断し、小和泉の希望に合わせていた。
「さすが衛生兵です。ビーコンが速く移動すれば、走ったことになります。そして、走れば呼吸が乱れるのに乱れない、ということでしょうか。どうやら皆の指摘通り、思考能力が落ちていた様です。鈴蘭の言う通り、欺瞞情報です。」
ここまでネタをばらされれば、二人には隠す必要は全く無い。桔梗は正直に認めた。
「錬太郎様に依頼されました。恐らく、地下深くにおられると思います。」
「何で止めないんだよ。それか俺がついて行ったのに。」
「隊長のお願い。皆、断れない。菜花と私も同じ。断れない。」
「くそ。惚れた弱みってやつか。隊長め。帰ってきたら、ぶん殴ってやる。」
菜花は、自分の掌に拳を叩きつけた。
「私、弛緩剤注射。隊長の知らない痛み、教える。」
鈴蘭の童顔に影を差す笑みが浮かぶ。
「ごめんなさい。ごめんなさい。」
そんな二人に桔梗は、謝ることしかできなかった。
そして、二人も桔梗を責めることはしなかった。いや、できなかった。
二二〇三年一月二日 〇五〇一 OTU 長蛇トンネル
大隊司令部では、鹿賀山と東條寺は、工事の進捗状況を確認していた。
遅れがあれば、原因を調べ解消し、各工区の進捗状況が均一になる様に調整していた。
資材は以外にも豊富にあった。先の月人との戦闘で廃棄された一層から持ち出す許可が、行政府より降りていた。
そして、工事の進捗状況は十割に達した。
「菱村少佐、準備完了です。」
鹿賀山は、工事が完了し、計画の最終段階に達した事を報告した。」
菱村は、微睡んでいた様だったが、その報告を聞いてすぐに覚醒した。
「おう。ご苦労さん。誰も素手でパイプに触れるんじゃねえぞ。あっという間に皮膚を剥されるからな。」
「では、注意喚起を戦術ネットワークに流します。」
菱村の言葉に副長が答えた。
「警告後、注入開始だ。」
菱村が命令を下す。司令部要員が一斉に決められた役割を果たしていく。
「警告後、注入開始します。」
「警告、戦術ネットワークにアップロード。アップロード確認。」
「閉塞弁開放。全開確認。」
「液体酸素、流入確認。パイプライン問題無し。」
「地下都市への流入確認。作戦最終段階へ入りました。」
司令部要員が次々と状況報告を上げた。
菱村、副長、鹿賀山、東條寺は、静かに聞いていた。
このO2計画でどれだけの命が奪われるかを考えると、順調に進むことを素直に喜ぶことはできなかった。




