9.〇一一〇〇六作戦 洞窟潜行
二二〇一年十月六日 〇八一二 作戦区域 洞窟内
小和泉達が洞窟に潜り始めてから一時間が経過しただろうか。時折、床で呻く死に損ねた月人に銃剣で止めを刺しながら行軍を進める。何十体かの月人を処理するが、戦闘予報は相変わらず死傷確率10%を示し続け、下がる気配が無い。
つまり、こいつらは生きてはいるが、すでに戦闘不能である月人は、脅威算定されていないということだろう。
当初の予定では、残敵八十匹程度の月人を相手にすれば良かった。だが、現実は倍の百六十匹を最低でも相手にする必要がある計算になる。今、この洞窟には百人近い兵士が潜っているが、小隊単位の二十人ずつに分散している。ここで月人の集団と遭遇すれば、各個撃破される恐れがある。一旦集合すべきだったが、洞窟の通路は狭く、一個小隊が進むのが精一杯だった。その為、司令部は現状維持のまま進撃を指示していた。
小和泉がふと気温計を確認すると十八度までに下がり、酸素濃度も通常値を示していた。足元に月人の死体も転がっていないところを見ると焼夷剤もこの深度までは効果が無かった様だ。
偵察をするのであれば、地上からの超音波か何かで深度もしっかり調べておくべきだった。すでに作戦が機能していない。作戦失敗といっても過言ではないだろう。
これは司令部の失点だ。その為に戦闘予報が10%になった。生きて帰ることが出来れば、鹿賀山を締めあげてやると小和泉は決意した。
小和泉は試しにライトを消し、温度センサーを起動させる。コンピュータ補正が入り、ライトで視界を確保するよりもクリアな視界が表示される。
小和泉の行動を見ていた1111分隊の全員がライトを消す。小和泉の行動を読み取り、生還率を上げる方法を選んだのだろう。
遅れて、1113分隊と小隊長分隊も小和泉に同調する。111小隊でライトをつけているのは前衛の1112分隊と1114分隊だけになった。
どうせ、カナリア役だ。アドバイスをする必要は無いだろうと小和泉は一瞬考えたが、死傷確率が上がっているのだ。敵に発見されないに越したことは無い。考えを改め小隊長に進言をする。
「小隊長殿。前衛二個分隊にライトを消す指示を出された方が良いと具申致します。」
「いや、このままで行こう。奴らには精々目立ってもらおう。」
「では、背後から襲われた場合、小隊長殿の分隊にて対応を願います。」
「あ~、待て、待て。その何だ。うむうむ。小和泉少尉の言う通りだな。照明を消し、闇に紛れた方が良いな。少尉の進言を採用しよう。1112と1114にはこちらから命令する。」
「進言を受け入れて頂き、誠にありがとうございます。」
「今後も何か気付いたことがあれば、すぐに言ってくれ給え。」
「了解であります。」
111小隊長は、己の身の安全を第一にする性質がある。その為、危険な行為は避け、安全策を第一に取る傾向にある。それが積み重なり、部下の損耗率が低く抑えられ、小隊長にまで昇進した男だった。
ある意味、ただの臆病者ではあるが、己の身に危険が降りかかるとすれば、すぐに対応を改める。上司としては無能に近いが、扱いやすさでは小和泉にとっては理想的だった。
すぐに前衛の1112と1114の照明が消えた。完全な闇に小隊が包まれるが、温度センサーとカメラによって補正された画像により、視界は、昼間と変わらぬ薄暗い映像を全面バイザーに投影されていた。
二十分程、洞窟を進んで行くと時折数匹の月人が前方より迫って来る様になるが、前衛の銃撃に蜂の巣にされる。ライトを消したことは正解だった。あのまま前進していれば、月人による不意打ちを受けていただろう。小和泉の判断は正しかった。
猪突猛進は月人の特徴だ。窪地や曲がり角で不意打ちをするという発想が無い様だ。
所詮は、獣なのだろうか。しかし、人間とほぼ同じ脳容積を持ち、骨格や内臓もほぼ類似している事は、今迄に捕虜にした月人から判明している。実際に長剣という武器や月から地球に降り立つ知識と科学力を持っているのだ。今は戦術や戦略と言う概念が無いだけなのだろう。
月人に知恵をつけられると厄介な敵になるのは間違いない。
その為、日本軍は月人を発見次第、殲滅を行う軍事方針を決めている。月人に人類の情報を一欠けらでも与えない為だ。一匹でも取り逃すと禍根を残すことは明白だった。
昨日までは月人への殲滅は上手くいっており、月人との戦争開始より数十年間、戦術や戦略を変えてきたことは無かった。
司令部の手抜きによる作戦失敗の尻拭いは、小和泉達の命をチップに行わざるを得なかった。
静かに光線が数条走り、前衛が月人数匹を屠る。小和泉が戦区モニターを確認しても友軍に損害は出ていない。司令部の調査不備による作戦の綻びを塞ぎつつある様だった。
「111小隊、各隊十五分休憩を取る。1111分隊は哨戒につけ。」
小隊無線から小隊長の声が響く、小和泉達が洞窟に戻って二時間が経過していた。休憩にはちょうど良い時間だろう。
「1111分隊了解。哨戒に入ります。」
洞窟の壁にへばりつく様に分散して各隊が休憩に入る中、小和泉達は小隊の端に進み哨戒に入った。
小和泉としては、他人に哨戒を任せるより自分達で行った方が安心できる。人に生命を握られるのは、性に合わない。それに哨戒任務といえども基本は膝打ちや伏射の姿勢で待機する為、休憩は可能だった。
「さて、みんな哨戒位置に立ったかな。」
分隊無線で呼びかける。
「桔梗よし。」
「菜花よし。」
「鈴蘭よし。」
すぐに三人から返信が入る。
―うちの子達は優秀だね。―
「十五分だけだから、気楽に行こうか。早期警戒はセンサーの方が早いでしょう。ここで休んでおかないと後がつらいよ。」
「了解致しました。水分及び栄養補給してもよろしいでしょうか。」
桔梗から確認が入るが、至極真っ当な要求だ。
「もちろんだよ。僕の勘では、しばらく食事できない様な気がするね。」
「ついに戦闘状態に突入っすか。」
菜花が戦闘状態に突入と言うが、すでに突入している。どうやら、菜花にとっては小競り合いに過ぎないのだろう。
「菜花、戦闘状態、突入済み。大規模攻勢有り、そう言うべき。」
小和泉が訂正を入れる前に鈴蘭が素早くフォローを入れる。
「お、そうか。そう言えば良いのか。いつも悪いね。学が無くって。フォローサンキュー。」
菜花が素直に鈴蘭に感謝を述べる。これが他の部隊であれば、一等兵が伍長に口答えをするなど有り得ない。しかし、小和泉の分隊は、軍隊よりも家族に近い存在だった。
妹が姉を窘める。その様な感じだ。
それが1111分隊の強さになると小和泉は信じ、その様に部下を育ててきた。
実際に狂犬部隊と呼ばれるまでに戦績を残し、鈴蘭が入隊してからの一年以上は、人的損害を出していない。小和泉も注意をする気は無いが、念だけは押しておく。
「みんな、砕けた言い方は、分隊無線の中だけだよ。小隊以上の無線で使っちゃだめだからね。後で怒られるからね。いいかい。」
「「「了解。」」」
三人からの返事が刹那の狂いも無く調和する。
この後は、沈黙が続き十五分間の休憩は何事も無く終わった。
111小隊は、静かに洞窟の奥へと進む。休憩してから二階層ほど下がっただろうか。その間、接敵無し。異様な静けさを洞窟は保つ。
小和泉以下1111分隊の四人は、嫌な予感が脳裏にへばり付き会話が無くなっていた。警戒心の塊と言える程だった。
しかし、他の分隊は危機感を感じず、やや弛緩した空気が流れ始め、小隊無線に無駄口が入る様になってきた。ガチガチに緊張するよりは、無駄口を叩く余裕がある方が良いのは分かる。しかし、小和泉にとっては、危うさしか感じない。
だが、小和泉が危険を進言する根拠が無い。作戦が失敗している事は、全員が理解している。それに各種センサーにも戦区マップにも異常は無い。司令部からの新情報も無い。戦闘予報も更新されない。根拠は、小和泉の勘だけだ。
もし、月人が戦術を会得していれば危険だ。緊張が解けている処を不意打ちされると人類側は脆い。小隊内に乱入されれば、フレンドリーファイヤーになるため銃器は使用できなくなり、肉弾戦に限定される。
いくら近接戦に強い11中隊と言われても、あくまでも近接戦だ。肉弾戦とは別物だ。
肉弾戦に持ち込まれれば、すぐに小隊は機能不全に陥り瓦解するだろう。
菜花は無意識に腰の銃剣を時々触り、桔梗と菜花はアサルトライフルから機関部だけ外し、ハンドガンとして使用できる様にしている。ハンドガンの状態であれば、月人と接触状態でも射撃ができる。
完全に部下の三人は、肉弾戦を覚悟している。
小和泉は、部下三人のそんな気配を感じながら、前衛の二個分隊が月人を見逃さずにいることを祈るしかできないことが歯がゆかった。
1111分隊の右側を固める1113分隊と後衛の小隊長分隊は、こちらの動きに気付いていない。
―僕が小隊長であれば、肉弾戦の注意喚起を行うのに。しまったな。少尉に留まるのではなく昇進しておくべきだったかな。これでは部下に被害が出るかもしれないな。―
小和泉は、生れて初めて今迄の行動に後悔をした。
階級が上がれば、仕事と責任が増え、自由が無くなる。
それを回避するために素行不良の証拠を残し、昇進しない様にしていたのが裏目に出てしまった。本来ならば、鹿賀山と同じく大尉になっていてもおかしくない功績をあげてきている。
大尉になっていれば、今回の作戦では小隊長として作戦に参加していただろう。
敵の強さ、いや進化を小和泉は、読み誤っていたのかもしれない。この作戦に生き残れば、愛する部下のためにも昇進を目指そう。何としてでも生き残り、皆を生かす。
しかし、小和泉の決意は遅かったのだ。
突如、大音響と大量の粉塵が洞窟を満たした。
粉塵は煙幕の様に視界を遮り、前衛の1112分隊と1114分隊を掻き消してしまったが、小隊無線には阿鼻叫喚が轟く。
「何が起きた?」
「痛い、痛い。」
「がががが…。」
「う、う。」
「誰か、誰か。」
「何だ?何だ?」
「足が!」
「死にくされ!」
粉塵に巻き込まれた二個分隊自身が、状況を分かっていない様だ。粉塵の外にいた小和泉達には中で何が起こっているか把握する術は無かった。
小和泉達のモニターに上方警報が表示される。
小和泉は、上を確認せずにすぐにその場から身体の位置をずらした。間髪入れず、小和泉が立っていた場所に長剣が突き刺さる。兎女が天井より飛び掛かって来たのだ。
己の勘に従い、小和泉は不意打ちの一撃を無事に避けたが、まともに喰らった人間もいる様だ。小隊無線の中にさらに呻き声や悲鳴が加算される。
地面より剣を抜いた兎女がにじりより、間合いを詰めて来る。どうやら、一対一の肉弾戦に追い込まれてしまった様だった。
小和泉は、分隊モニターを一瞥する。部下三人の生体表示はグリーンだった。取りあえず、奇襲の一撃は避けた様だ。
あまりにも悲鳴と苦痛が満たす小隊無線の音量を下げ、相対する兎女へと意識を集中させる。まずは、己の身を守らなければならない。
兎女が低く跳躍し、小和泉の心臓を貫こうと長剣を刺し出す。小和泉は半歩、右足を前へ踏み込み、右掌で剣の横面を払い、兎女の体が開いた瞬間に左正拳突きを鎧である獣毛が無い喉仏に綺麗に決める。拳に軟骨である喉仏を潰し、奥にある気管を破る感触を得る。だが、これでは、即死しない。窒息するまでの間、反撃がありうる。左手をすぐに引き、つるべ打ちの要領で体重が乗った右貫手を放つ。狙うは同じ場所。縦に兎女の喉を貫いた貫手は一気に頸椎を握りしめ、肩を基準点に腕へ回転を掛け、一気に頸椎をへし折る。自力で立っていた兎女の体重が右手に圧し掛かり、無造作に地面に投げ捨てた。
―まずは、一匹。―
背面警報が小和泉のヘルメットに鳴り響く。思考せず、身体が勝手に動く。
座り込む様に姿勢を一瞬で地面まで下げると、狼男の鋭い爪が頭上の虚空を薙ぐ。敵がいると思われる部分に手を軸に地面を這い、後ろ回し蹴りを放つ。敵のアキレス腱を刈り取り、狼男が後ろ向きに倒れていく。そして近くには、先程の兎女の長剣が小和泉の視界に映った。
動作は滑らかでそこに思考が挟まる余地は無い。あらかじめ定められていたかの様に長剣は小和泉の手の中に納まり、仰向けに倒れ大口を開けた狼男の口の中を突き進んで行く。
頭蓋骨に当たった処で長剣を捻じり、脳漿を掻き回す。
―二匹目。―
小和泉が剣を突き出した右腕を噛み千切ろうと別の狼男が迫る。すぐに剣を引き、その狼男に刀身を縦に噛ませる。固い物同士がぶつかる甲高い音が、小和泉の耳に響く。
その音を聞いた瞬間には、無意識のうちに小和泉の左膝が狼男の顎を下から蹴り抜いていた。
剣を噛んだ状態だった狼男は、そのまま刀身を上顎と下顎にガッチリと喰い込ませた。痛みに目を見開き、叫びたいのだろうが刃が顎に喰い込み、口を開くことが出来ず、叫ぶことすらできない。
小和泉は、腰の銃剣を抜き、狼男の顎の下へ素早く差し込む。人間と同じ感触を手に感じながら、何の障害も無く一気に脳まで貫き、掻き回す。絶命した狼男の体重で銃剣が折れる前に素早く抜き、銃剣を構える。
―三匹目。―
複数の敵の気迫が、小和泉を覆う様に迫る。この一分に満たない攻防で三匹の月人を屠ったことが、敵意を一身に背負う結果になった様だ。
―まぁ、いいかな。敵の圧力が僕に向えば、桔梗達は少し楽になるでしょう。―
といえども、複合装甲を身に着けて、ようやく月人と互角の力に強化されているが、複数の月人に囲まれつつある現状では、複合装甲の恩恵は感じられないだろう。自力が重要になる。
束の間の休息。じりじりと月人の包囲が狭まる。敵の数は、三匹。正面と斜め後方に各一匹。普通の自然種ならば、パニック状態に陥ってもおかしくない状態だ。
しかし、小和泉は銃剣を右手に垂らし、身体から力を抜いた状態で真っ直ぐにたち落ち着き払っていた。
実際に心拍センサーは、正常値を示し続けている。戦闘前と変化は無い。小和泉の心は、鋼の様に鍛え上げられている。戦闘で判断に悩むことはあっても、心を動揺させることはないだろう。
正面の狼男が動いた。大きく腕を振り爪で小和泉を切り裂こうとする。
腕の軌道から身体をずらし、最小限度の動きで避ける。反撃を入れたかったが、右後方の兎女が長剣を振り下ろしてくる。
銃剣で柔らかく受け止め、刀身を滑らせ左後方の狼男へと軌道を変え同士討ちを狙う。後方の狼男は、己に刃が向ってくることに驚き、攻撃を止め、長剣を爪で受け止めた。
すでに前方の狼男は体勢を立て直しており、小和泉に反撃の時間は与えられなかった。
さらに月人の数が二匹増え、五匹からの攻撃を躱し、いなし、小和泉は避け続ける。直撃を受けぬ様に体軸をずらし、攻撃の流れを読み、防戦を強いられている現在、攻勢に転じる隙は無かった。だが、小和泉に焦りは無かった。
まもなく、状況が変わる事は小和泉にとって必然だったからだ。




