8.桔梗の宣言
二二〇一年九月二十七日 〇一三六 KYT 士官寮
小和泉は風呂に浸かりながら、三年前に桔梗を初めて抱いた日の事を思い出していた。
正気に戻った桔梗とソファに並んで座り、一息ついていると桔梗に幾つかの宣言をされ、それを小和泉は受け入れた。
・何時如何なる時も隊長を愛します。
・一切の束縛は致しません。他の方とご自由にして頂いて結構です。
・明日より同居させて頂きます。家事一切はお任せ下さい。不要になれば、容赦なく捨てて頂いて結構です。
・出来ることならば、二号さんとして扱い、最期を看取って下さると嬉しいです。
小和泉からすれば、結婚しろ。責任を取れなどの言葉の一つもあるかと思っていた。
促成種は、生殖器官を持っているが精子や卵子を造り出すことは出来ない。
男にとって都合が良い事ばかりだ。欲望の塊である小和泉に断る理由は無い。
最期を看取ることにしても、桔梗は促成種で二十年しか寿命が無い。それに兵士であり、寿命を全うできる可能性は低い。
寿命を全うできるかは、小和泉自身も怪しい。同じ戦場に立ち、さらに自然種である為、DNAが調整されていないことによる病気によって短命である可能性もある。
今のところ、小和泉の身体に変調は無いし、先の戦闘を除き、戦闘予報も低確率が続いている。
実際に桔梗は、小和泉が菜花や鈴蘭と関係を持とうが、一切干渉してこない。約束通り、恋人の序列として一番に扱っているためだろう。
この状況であれば、婚約者が小和泉に出来ても宣言通り、愛人の立場を貫くだろう。
ただ、出来た婚約者が愛人を三人も囲っている事を許してくれるかどうかは別の話だが。
風呂から上がり、桔梗が作ってくれたカレーライスを一緒に食べた後、桔梗は小和泉にあてがわれた自室に戻れなかった。いつも通り小和泉の寝室に連れ込まれた。
暫しの後、ベッドの中で小和泉に身体を密着させた桔梗が荒い呼吸をしている。
二人とも肌が上気し、軽く汗ばんでいる。
「僕は、人間のクズだよね~。つくづく思うね。」
「はい、最低の部類に分類されます。否定する要素がありません。」
「なのに、どうして僕にここまで尽くせるのかな?」
「私にはわかりません。ただ、そうしたいからしているだけです。」
「桔梗なりの欲望に忠実なんだね。」
「はい、それは間違いありません。」
「でも、一般的には他の人と仲良くするのは嫉妬の対象にならないのかい?」
「誰でも好きな物がたくさんあります。その順位の二番目に置いて下されば、全く気になりません。」
「なぜ、二番目何だい?」
「私は、隊長よりも早くこの世を去ります。寿命だけでなく、戦闘でも隊長を庇いますから先に逝きます。私が一番では、この世を去った後、隊長の面倒を見る者が居なくなります。ですから、自然種の方と普通に結婚し、子孫を残して幸せに生きて頂きたいのです。」
「本当に僕が桔梗の知らない誰かと結婚しても嫉妬しないのかい?」
「はい。逆に家事などの面倒事をお任せして、隊長を愛する事に専念できます。それに生殖機能が制限されている促成種の私では、隊長の子供を身籠る事は絶対にありませんから、その奥様の子供を可愛がるのも楽しいかもしれません。」
「もしもの話だけど、結婚相手が別れろと言う可能性が高いと思うよ。人間は独占欲が強いのが普通だからね。僕や僕の周りが変わっているだけさ。」
「はい、隊長の周囲は確かに変わっている方ばかりです。隊長の交友関係を皆が共有しているのは通常では考えられませんし、納得している事もありえません。そして、隊長が皆にしている事も皆が知っています。ですから、いつでも切り捨てて頂いて結構です。しかし、そう思いますと、隊長は本当に人間のクズですね。」
「あらら、僕、泣いちゃうよ。」
「その様な神経をお持ちでしたら、とっくの昔に自重されている筈です。」
「そうだね。取り繕っても仕方がないよね。どうも、欲望が強くてね。困ったもんだよ。」
「でも、愛しています…。」
すぐに、可愛い寝息が聞こえてきた。
作戦終了後に風呂の準備をし、夕食を作り、小和泉の相手をしたのだ。疲労が溜まっていない方がおかしい。
小和泉も睡魔の意向に素直に従った。
二二〇一年十月五日 一〇〇〇 KYT 第一歩兵大隊司令部会議室
第一歩兵大隊に所属する隊員全員が会議室に集められていた。もちろん、小和泉達も呼び出されている。
今回の作戦説明は、先日、小和泉達が発見した月人の前哨基地殲滅戦だった。
概要としては、第一歩兵大隊約三百名があの割れ目に攻め込むことになっている。
無人偵察機を岩穴の中に入れた結果、月人は約四百匹程度であり、道の分岐も少なく歩兵一個大隊で対応できるという結論に至った。
14中隊が割れ目に焼夷剤にて先制攻撃をかけ、岩穴を酸欠と炎の地獄にし、13中隊が割れ目から逃げ出す月人を掃討する。
焼夷剤の火炎と逃げ出す月人が落ち着いたところで、12中隊が岩穴へ榴弾攻撃を行う。ここまでで月人の八割が戦闘不能になっていると司令部は考えている。
そして、残りの月人約八十匹を小和泉が所属する11中隊六十四名と中隊司令部十六名が割れ目に突入し、殲滅するそうだ。
役割分担は、小和泉も納得できるものだった。
危険物の取り扱いに長けた14中隊、銃の命中率が特別高い13中隊、砲兵上りが多い12中隊、近接戦での生還率が高い11中隊。各部隊の長所を生かした作戦だ。
他の中隊が、他の部分で劣っているということではない。基本能力は、全中隊が合格点を獲得している。各中隊の特色を司令部が把握している証拠だ。
気になる戦闘予報は、次の通りだった。
戦闘予報。
特殊戦のち殲滅戦に移行。所によっては血の雨も降るでしょう。
死傷確率は5%です。
悪くない予報だ。三百人が参加し、四百匹の月人を殲滅して十五人が死傷する見込みならば、司令部としても許容できる損害値だ。戦争は、冷酷な引き算の積み重ねだ。育てるのは数年かかかるが、殺されるのは一瞬。
如何に効率よく敵を倒す、つまり味方の損害を少なく敵を引き算していくかが、司令部の本領となる。
小和泉の1111分隊は、11中隊の先鋒を任されるだろう。味方から狂犬部隊と呼ばれるほど、接近戦を得意としている珍しい部隊だ。
各部隊の作戦概要は、各個人の端末にデータが送られてくる。そのデータを確認し、自隊の役割を確認する。あとは、その通りに実行するだけだ。もし、作戦に支障が出た場合でもすぐに端末へ作戦変更がリアルタイムに届く。
会議が終わり、小和泉が立ち上がると1111分隊の三人も即座に立ち上がり、小和泉の後をついてくる。
小隊控室に行き、こちらは、装備を念入りに整備し実戦に備えるだけだ。何度も繰り返されてきた光景だ。小和泉の心の中は、分隊から戦闘予報の5%を出さないことに大きく占めている。分隊での作戦の5%は0に等しいが、大隊での5%は現実味を帯びる。
同じ確率なのに分母が違うだけで損害の有無が確実化する。
さらに前々回の防衛作戦と今回の攻勢作戦ではさらに確率が持つ意味が大きく変わる。
守る場合は、地下都市の砲門群が使用できたが、今回の作戦には砲兵大隊は居ない。純粋な歩兵大隊のみの作戦であり、援護射撃は無い。
小和泉の頭の中でマイナス要因ばかりが浮かぶ。
これで、偵察情報に間違いがあれば作戦の根底が覆る事もある。
とりあえず、与えられた情報を吟味し、最悪を想定し作戦に臨むだけだ。小和泉にとって他の隊の人間に損害が出ようがかまわない。1111分隊だけは、無傷で作戦を終わらせる。
どの様な作戦でも結論は、いつも同じだ。自分が愛する隊員を守る。それが小和泉の行動原理だった。
二二〇一年十月六日 〇五三〇 作戦区域
薄暗い中、大隊は割れ目から三キロ離れた地点に陣地を敷いた。偵察任務に使用する装甲車及び貴重品である数少ない戦車を半円形に並べ、その中心に大隊司令部が置かれた。今回は、作戦区域が地下都市から近いことと目標が地下の為、通常の索敵任務にあてがわれる装甲車ではなく、幌付きの輸送トラックで大半の人員が運ばれた。
小和泉の属する小隊も輸送トラックで運ばれてきた。貴重品である装甲車や戦車は、司令部の防御用に必要最低限しか配備されていなかった。
トラックから降りた後は、この本部から割れ目まで自分の足で楽しいピクニックだ。
複合装甲にヘルメットを被った小和泉のモニターに作戦配置図が表示される。いよいよ作戦が始まる。
14中隊が移動を開始し、13中隊、12中隊、11中隊と順に出発する。
14中隊が割れ目に取り付くと割れ目の中にイワクラムを液状に加工した物を手際よく流し込んでいく。石油が採掘できない今、イワクラムが全てのエネルギーに置き換えられている。イワクラムの液体は、少しの火花でも発火する危険物だ。静電気や金属の接触による火花などの発生を抑制している緊張状態を強いられる状況でも14中隊は黙々と作業を確実に続ける。
時折、穴から出て来る月人を銃剣で四方から刺し、黙らせる。発砲することも発火をおこす自殺行為だ。14中隊全体の緊張感が、無線を通じ、時折唾を飲み込む音で伝わってくる。
14中隊が素早く割れ目から一斉に撤収する。戦術モニターの表示に発火準備完了の文字が表示される。
「全隊伏せろ」
大隊長からの命令が下るが、すでに小和泉達は最初から伏せている。この様な視界を遮るものが無い荒野で標的になる様に立ちつくす馬鹿はいない。
ヘルメットのバイザーも最大濃度の黒さに調整済みだ。
「点火5秒前。2、1、点火。」
割れ目から数十メートルの火柱が噴き、周辺を煌々と照らし、腹に響く重低音が数秒続く。
爆風は、計算されていたのか偶然なのかは分からないが、真っ直ぐ空へと上がっていくのが、火柱と煙で分かった。モニターの風速計を確認しても変化は無い。
空になったドラム缶を担いでいる14中隊が、後方へと撤収していく。不要になった装備を抱いている戦闘力の無い部隊など邪魔でしかない。
13中隊が伏射の姿勢にて、割れ目が飛び出してくる火だるまの月人を十字砲火にて狙撃していく。
割れ目から這い出してもすぐに13中隊によって、月人達は割れ目への火炎地獄へと叩き落とされる。一匹たりとも逃さない。
しばらくすると、遠くの割れ目から火柱が上がる。地下で通じていたのだろう。業火が地下の通路を舐めつくしていくのが想像に難くない。
火勢も弱まり、曇天が日の出によりほんのりと白み始めると同時に13中隊の背後より迫撃砲を用意した12中隊が割れ目へと榴弾を撃ち込み始める。燃料と動力にイワクラムを使用する為、弾数に限りは無い。割れ目の中で榴弾が炸裂する音が途切れることなく響き、地面が小刻みに震える。時折、徹甲弾も撃ち込まれ割れ目の奥へ奥へと榴弾が炸裂する様に緻密な射撃が続く。
―やっぱり、作戦説明時の偵察マップは役に立たなくなるよな。―
小和泉は、洞窟を破壊していく砲撃を見ながら考えていると同時に戦闘予報が更新された。
戦闘予報。
砲撃戦のち殲滅戦です。月人は60%が無力化されたでしょう。
死傷確率は10%です。
小和泉にとって一番嫌な情報が来た。死傷確率10%。
5%も跳ね上がった。十人に一人が死傷するなど、冗談じゃない。それもこれから殲滅戦で主戦力となるのは、小和泉が所属する11中隊だ。ここから死傷者が出ると考えるのが普通だ。ならば、小和泉達の実際の死傷確率はもっと高いだろう。
作戦が、想定通りに進んでいない証拠だ。作戦ではこの時点で月人を80%無力化していなければならない。それが60%の無力化では計画より20%も討ち漏らしていることになる。
つまり、想定された倍の月人と狭い洞窟内での殲滅戦を繰り広げることが決定した。
戦術モニターを確認すると突入順序は、111小隊から番号順に114小隊が突入することになっている。111小隊内の配置を見れば、1112分隊、1114分隊が前衛、1111分隊と1113分隊が後衛、その後ろに111小隊司令分隊が控えている。
1112分隊は、蛇喰の小和泉への対抗心による志願だろう。逆に1114分隊は、前の戦闘での体たらく振りからカナリア役を司令部に割り当てられた。
罠や不意打ちにより損耗しても痛くない人材と判断されている。
さて、ハリキリ組の1112分隊とビビり組の1114分隊が組んでうまく前衛をこなせるのだろうか。
一瞬、小和泉はそんな疑問を感じたがすぐに訂正した。大隊司令部に居る鹿賀山がそんなちぐはぐな戦闘編成を認める訳が無い。
つまり、1112分隊、いや蛇喰少尉が最初から1114分隊を盾にするつもりだ。蛇喰の進言だろう。司令部も反対する理由が無かった為、認めたのだろう。
井守准尉も貧乏くじを引かされたものだ。いや、自業自得か。先の防衛戦で小和泉が救援に行かなければ、すでにこの世にいない。
何日か寿命が延びただけマシであると判断しよう。
小和泉の戦術モニターに秒読みが表示される。迫撃砲の攻撃が終わり次第、突入するタイミングを表示している。秒読みがゼロになれば、突入だ。
秒読みが二分を切ると迫撃砲の音が止んだ。
戦場に静けさが戻ると洞窟の割れ目から破裂音や悲鳴がかすかに聞こえた。
「1111分隊、装備確認。銃剣装着。イワクラム補充。」
「桔梗、準備よし。」
「菜花、準備よし。」
「鈴蘭、準備よし。」
分隊無線から準備完了の報告を受ける。小和泉が指示を出さなくとも、部下の三人はすでに準備を終えていただろう。
カウントダウンが十秒を切る。
九、八、七、六、五、四、三、二、一、今。
「11中隊、突入。」
大隊長から無線を通じ命令が下りる。地面に伏せていた11中隊が一斉に割れ目に向って走り出す。12中隊、13中隊を追い抜き、小和泉が居る111小隊が一番に割れ目へと突入する。1114分隊がめくら撃ちに洞窟内を撃ち、その背後から1112分隊が手榴弾を奥へと投げ込む。
閃光と爆発が洞窟の音を占めるが、月人からの反応は無かった。
洞窟内は、五十度以上の気温を示し、酸素濃度が通常よりも低下しているが、気密されている複合装甲には影響は無い。明かり一つ無い真っ暗の洞窟をヘルメットに装備されたライトが折り重なった黒焦げの大量の月人の死体を照らし出す。
温度センサーに一度切り替えてみるが、予想通り死体が熱を帯び、空気も熱く、視界が赤く染まり、輪郭の判断がつかない。これでは意味をなさない。古典的だが、ライトに頼るしかなかった。
ライトを点けてしまっては、先制攻撃を取る事は出来ない。敵に居場所を知らせるだけだ。月人は夜目が効き、明かりを持っていない為、人類側に闇は不利だった。
これが死傷確率が5%も上昇した原因なのかもしれなかった。
多量の月人の死体で足の踏み場も無い為、月人の死体を踏みしめつつ、奥へと向かう。足の裏に肉の弾力と骨の固さが入り混じった感触が返って来るが、戦場では普通だ。場合によっては、死体を積み上げて壁にし、その中に自分の身体を埋めることもある。
洞窟の死角ではアサルトライフルの先に付いたガンカメラで先を窺い、安全を確認しながら111小隊は進んで行く。
戦術モニターには、別の洞窟を行く友軍も表示されており、こちらも月人の抵抗もなく順調に奥へと進んでいる様だ。
同士討ちにならぬ様に戦術モニターをこまめに確認しながら、洞窟を下へと潜っていく。壁面と天井は、焼夷剤の為、真っ黒に焼けている。焼夷剤は、洞窟を業火で焼き尽くした様だ。
慎重に下へ下へと小和泉達は降りていくが、戦闘予報に変化は無い。相変わらず死傷確率10%を示している。
この先に撃ち漏らした無傷の月人が、待ち伏せをしているとしか考えられない。
ここは慎重に洞窟を進むしかない。
小和泉達は、必要な緊張を保ちつつ、死が待ち受ける昏き深淵へと潜り続ける。