73.第二十五次防衛戦 ある一等兵の戦い
二二〇二年十一月二十五日 一七〇三 KYT 西部塹壕
俺の嫌な気配といおうか。悪い予感が当たった。
どうしても今日の当直任務には、出たくなかった。しかし、軍人であり、それもたかだか一等兵である俺が上官へ悪感がしますので、休みますなど言えるはずもなかった。
その悪い予感は、目の前で続々と増えていく。
地下都市KYTの西部塹壕から顔を出すと荒野を半獣半人が地平線まで埋め尽くしていた。
確実に毛皮の波は、地下都市へ粛々と近づいてくる。
奴らは、怯えも恐怖も持ち合わせていない。破壊衝動と殺人衝動の二つが突き動かしている。
「いいか。お前たち。まもなく砲兵大隊による砲撃が始まる。それが始まれば、月人どもは突進を開始してくるだろう。地雷原をまっすぐ突き進み、この塹壕を飛び越え、地下都市へなだれ込むことが奴らの狙いだ。この塹壕が最終防衛ラインだと心しろ。一匹たりともここを通すな。」
俺の大隊無線に雲の上の大隊長の有難い訓示が流れる。一介の兵士である俺が大隊長の顔など見たことなどないし、興味もない。俺には、特技がなく職業選択の自由が無かった為に、少ない選択肢から兵士を選んだに過ぎない。あと選択できた職業は、工場のラインに立つことだったが、俺の集中力の無さと高給につられ、兵士になったに過ぎない。
誰かの命を守るなどと言った高尚な目的があるわけではない。適当に銃を撃ちまくって、時折、外部に安全な装甲車に乗って遠征する簡単な仕事のはずだった。
現に今まではそうだった。一年前くらいから宇宙人の攻撃が激しくなり、戦友が死に始めた。
こんなはずではなかった。宇宙人狩りを楽しむ程度の仕事のはずだった。
何故、こんな事態になったのだ。
目の前には、宇宙人が地表を埋め尽くしている。こんな数は、従軍して数年間見たことが無い。
幾度も都市防衛戦は参加してきた。だが、その規模は、数千から一万匹程度だった。数で言えば多く感じるが、地下都市の屋上に設置されたハリネズミ陣地があれば、砲撃によりすぐに霧散させてきた。
俺の体に震えが起こる。原因は恐怖だ。死を感じている。こんな震えは初陣以来だ。
今すぐここから逃げ出したい。しかし、長い軍隊生活が身に沁みついた習性は、逃げ出すことを許さなかった。
「砲撃開始。三、二、一、今。」
大隊無線が砲撃開始を告げた。数秒後、俺の頭上を飛び越え、砲兵陣地から無数の光弾が宇宙人の中へ吸い込まれていった。
光弾は、地表に着弾すると同時に四方八方にはじけ飛び、宇宙人どもを焼き尽くしていく。
宇宙人は高温のエネルギー弾を全身に浴び、体を松明の様に燃やし苦痛の為か地表を転がっていく。だが、他の仲間たちは見向きもせず、黙々と前進を続けていやがる。助ける気なんて全く無い。
砲撃によって大きく空いた穴は、宇宙人どもの前進によりみるみる埋まっていく。
奴らは損害という概念が無い。弱いものが死ぬ。そんな単純な行動原理で動く。そして今も人間ならば、恐怖で逃げてもおかしくない迫撃砲による猛烈な砲撃を受けても歩みを止めることは無かった。着々とこの西部塹壕へと近づいて来る。
宇宙人どもの先頭が地雷原へと侵入した。地雷を踏んだ宇宙人が、四肢を吹っ飛ばされていく。
俺が奴らの立場ならば、目の前で戦友が地雷で吹っ飛ばされれば、足は止まる。迂回するなり、対地雷装備をつけた戦車の後ろを行軍したくなる。だが、やつらはお構いなしだ。
次々と躊躇うことなく地雷原へと入っていく。派手な爆発が前線のあちらこちらで起こる。
地雷原の爆発と後方の迫撃砲の爆発が、仲良く死のデュエットを奏でていやがる。
だが、宇宙人の進撃速度は止まらない。逆に速度が上がってきてやがる。
この地雷原の次は、俺がいる西部塹壕だ。迷路のように入り組んだ塹壕は、宇宙人の足止めには最適だった。
近づかれるまでは銃撃により数を減らし、接近されれば速やかに撤退し時限爆弾で敵溜まりに溜まった敵をまとめて吹っ飛ばす。
そんな戦法をとってきた。だが、今回は数が違いすぎる。下がる塹壕など無い。この場で敵を屠り続けしかない。
「111小隊、銃撃戦用意。兵装自由。撃て。」
俺の所属の小隊長が命令を下す。アサルトライフルのガンカメラが表面の毛皮を焦がした宇宙人を捉える。俺は条件反射で引き金を引いた。
三点射が宇宙人の体に吸い込まれ、地面に倒れた。すぐに次の宇宙人に照準を合わせようとしたが、その必要は全くなかった。隙間なく並ぶ宇宙人に照準をつける必要は無かったのだ。
俺は、すぐに三点射モードから機関銃モードに切り替えた。
引き金を絞る。アサルトライフルから無数の光弾が、宇宙人の群れに吸い込まれていく。命中率100%なんて馬鹿な数字がモニターの片隅に表示される。
地雷に飛ばされながらも宇宙人どもはまっすぐこちらに向かってくる。どうやら、こちらの発射光を発見し目標にしたようだ。
宇宙人たちが一斉に走り始める。一気に進軍速度が速まった。
俺達も対抗すべく、機関銃モードで宇宙人どもを刈り倒していく。アサルトライフルの銃身が真っ赤に灼熱するが、冷却や交換などする余裕は無い。今は近づけさせないことが重要だ。あの大量の宇宙人が近づけば、俺達に成す術は無い。
右手の人差し指が痛い。引き金を引く指に力が入りすぎていた様だ。そんなことに気が付いたのは、弾が出なくなったからだ。ヘルメットのモニターにアサルトライフルへダイス補充必要と表示されている。
「何だこの表示は初めて見たぜ。これでいいんだろう。」
今までイワクラムのエネルギーが尽きるという経験は無かった。腰のダイスボックスからサイコロ型に加工されたイワクラムを取り出し、アサルトライフルへ装填する。すぐにモニターから警告表示が消えた。
「ええい。死にくされ。」
俺は改めてアサルトライフルの引き金を引き続ける。たくさんの宇宙人がのたうち舞うが、進軍を止めることができない。視野一杯に宇宙人どもが迫る。まもなく地雷原を突破される。
残されている障害物は、地雷原と塹壕の中間地点に設置されている有刺鉄線が頼みの綱だ。これが宇宙人どもの手足に絡まり、進軍を止めてくれることを祈る。
だが、俺の願いは、あっさりと霧散した。宇宙人どもは有刺鉄線に絡まった仲間を足場に進軍を続けた。有刺鉄線に絡まり動けなくなると足場にされ、次の宇宙人が前に進む。そいつが有刺鉄線に捕らえられると同じく足場にされ後続が続く。
悪夢のような光景が目の前に広がる。確実に敵の数は減っているにも関わらず、進軍速度は落ちない。
「ぎゃふ。」
「痛てえ…。」
「死ねや。」
大隊無線に戦友たちの声が流れる様になった。どうやらどこかの塹壕が宇宙人と接敵した様だ。
俺が所属する小隊もまもなく同じ状況になるのだろう。
恐怖でおかしくなったり、逃げ出そうとしても不思議ではない。だが、その様な気持ちにはならなかった。
おそらく、大隊司令部が兵士に対し、興奮剤を遠隔投与したのだろう。ヘルメットの首の付け根辺りに付いている無痛針によって興奮剤を注射されると恐怖を感じなくなり、攻撃性が高まる。
その為か、俺も逃げる気など無く、塹壕に体を張りつかせ、アサルトライフルの引き金を絞り続けていた。
気が付けば、アサルトライフルのガンカメラを使わずとも宇宙人どもの顔が肉眼でハッキリとわかる距離まで迫られていた。
次の瞬間、すさまじい勢いで宇宙人が走りこんでくる。隣にいた戦友の喉を長剣が貫く。
喉を突き破った長剣は、鮮血を纏い鈍い光を放っていた。
俺は、剣を握る兎女と目が合った。即座にアサルトライフルの銃弾を兎女に叩きこむ。兎女の体に無数の銃痕が刻まれる。何発か戦友に当たったが、奴から文句は出なかった。
「そういえば、奴には金を貸していたな。」
不意に戦闘とは関係のないことが脳裏に浮かんだ瞬間、車に撥ねられた様な衝撃を感じた。
俺の躰は宙へ吹き飛ばされ、視界が凄まじい速度で回転する。俺の目に何かが映っているのかは判るが、何が見えているのかはわからない。
地面に叩きつけられ数回転し、仰向けに躰が止まった。不思議と痛みは感じなかった。
―ああ、そうか。興奮剤のせいか。痛くねえな。けどよ、指一本動かねえ。―
俺は、不意に咳き込んだ。口から生温かい液体を吐き出し、ヘルメットの中に溜まっていく。生温かい液体が口から止まる気配は無い。
―頬に当たって気持ち悪り~。―
ドクン。ドクン。
―何だ。耳に聞こえるのは、俺の鼓動か。―
ふと、空が目に入った。生まれてこの方一度も変わらない空だ。分厚くコンクリートの様な色の雲が隙間なく空を覆っている。
トクン。…トクン。
―そういえば、古い映画で見たな。青い青い空を。眩しく明るいのは太陽だっけ。―
…ト、クン。…ト、クン。
俺の視界が暗くなっていく。灰色の空さえ見えない。
―青、空。…見た…かっ…た…。―




