71.第二十五次防衛戦 足掻く
二二〇二年十一月二十五日 一九三〇 KYT 居住区下層部
指令系統が崩壊した第三大隊は、各中隊長が独自の判断により戦闘を継続していた。
大隊司令部の要請に応じ、救援小隊を派遣した31中隊は攻勢が脆くなり、月人の波に砕かれていった。
司令部の救援不可と菱村と同じ判断を下した34中隊は菱村の32中隊に合流し、簡易塹壕に立て籠もり月人の波を押し返すことに懸命だった。
33中隊が、最初に砕けた防波堤だった。この部隊が陥落した為に月人による大隊司令部への襲撃原因となった。司令系統を失った残兵は、自然秩序ある戦闘行動をとる32・34連合中隊へ各自の判断で戦場を命懸けで走った。凶暴で容赦がない剣と牙と爪の下をくぐり抜け、逆に屠り、辿り着こうとした。
途中で斃れる者も数多だったが、合流を果たした者は、休む間もなく戦闘へ復帰した。
月人の海に一人取り残されることは、死と肩を並べることだった。
33中隊の兵士達が、友軍の下へ命懸けで戦場を横断したのは必然だった。
連合中隊を指揮するのは、先任大尉である菱村だった。32中隊を核として、月人を絶対に接近させない防御陣形を組み、救援を待ち続けていた。
兵士達は、建造物の残骸を組み上げた塹壕を盾とし、必死に月人の接近を阻んでいた。
友軍の兵士が走り寄って来るのを確認すると一丸となって援護射撃を実施した。
しかし、およそ五人に一人が、陣地に辿り着く前に月人に襲われ戦場に倒れた。
倒れた者の中には生きている者もいた。兵士達は塹壕を飛び出し、友軍の兵士を塹壕に引きずり込みたかったが、状況が許さなかった。
射線が一本でも減ると戦線の維持に不具合が生じることは明白だった。
助けに行きたいが行くことができない。そんな焦燥感にも煽られていた。
倒れた者も助けを呼びたいが、呼べば戦友を死の危機に導くことを理解している。だが、確実に背後から月人は迫っており、死の秒読みは始まっている。
息のある兵士は、死体のふりを行い、身動きをせぬ様に恐怖と戦っていた。
死の恐怖が、自然種、促成種を問わず、精神をじっくりと蝕んでいく。額からは脂汗がにじみ、玉の様になると流れ落ちる。死体が呼吸をするはずが無い。無理に呼吸を鎮め様とするが、焦りの為か、緊張からなのか、呼吸が荒くなる一方だった。
やはり、人は死の恐怖に抗う事はできなかった。月人に切り裂かれた足や背中の傷の痛みなど既に感じていない。
頭の中は、月人の足音を感じることで精一杯だった。
―来るな。こっちに来るな。通り過ぎろ。気付くな。―
地面に倒れた兵士達のほとんどの願いだった。
だが、兵士達の願いは報われなかった。肩や背中で激しく息をする人間を見逃す月人では無い。人の命に重みや大切さを感じない月人は、日本軍の火線から逃れながら機械的に処理していく。
ある者は、長剣で心臓を貫かれた。
別の者は、月人の強大な握力により頸椎を折られた。
仰向けに倒れた者は、喉笛を噛み切られた。
容赦なく、月人達は死にぞこないの兵士達を屠っていった。
「やらせるか。」
「近づけさせるな。」
「死ね。」
「クタバレ。」
「月に帰れ。」
「死にくされ。」
「来るな。来るな。」
「獣如きが。」
中隊無線に兵士達の様々な叫びが飛び交う。月人に言葉が通じない事を兵士達は知っている。だが、仲間の為に叫ばざる得なかった。
途切れることなく、じわりと浸透してくる月人に対し、絶え間なく銃撃を加え続ける。アサルトライフルの銃身は真っ赤に加熱しているが、複合セラミック製であるため触らなければ問題は無い。
大容量のエネルギーを溜めこんだイワクラムが、電力をアサルトライフルへ供給し続けている為、弾切れの心配は無かった。しかし、刻々と擦り減っていくのは、兵士達の精神だった。
アサルトライフルを連射、いや狙い撃つ余裕も無い為、乱射しつつ、ヘルメットのバイザーに表示される時間を確認する。先の戦闘予報からまだ三分しか経過していなかった。
すでに一時間は戦っているかに感じた。逆に後十五分と言われた事が時間の経過が遅く感じる原因だった。
「援軍はまだか。」
「早く来い。」
「くそったれ。」
「さっさときやがれ。」
兵士達が叫ぶ。だが、時間は皆に平等だった。時間の流れが速くなることも無く、遅くなることも無かった。正確に一秒を刻んでいく。
だが、兵士達の主観ではデジタル表示の数字の変化は、ゆっくりとしたものだった。
戦場そのものは、普通の時の流れを刻んでいた。しかし、兵士達はデジタル時計の棒線が消えて表示されるのは、スローモーションの様に感じていた。生き抜くために、文字通り必死に足掻き続けた。
二二〇二年十一月二十五日 一九四二 KYT 居住区下層部
絶え間なく、アサルトライフルから数百条ものレーザー光線が発射され、障害物ごと月人を貫いていく。それでも月人の海は途切れない。
当初は、大隊規模の攻勢であると考えられていた。現実は、連隊規模の攻勢であった。迎撃した部隊の四倍以上の数だった。攻撃力と防御力で月人に勝る人類は、単純な数の比較はできないが、劣勢を強いられるには十分な敵の数であった。
すでに月人を数百匹は屠っているが、月人の戦意が落ちることは無かった。
人類を殺すことしか頭に無い狂気に満ちた眼が、無数に光り輝いていた。
月人が流す血。人類が流す血。二つが混じりあった血。この赤い血が月人の獣性を猛らせていた。
第三大隊には三百八十名が所属していた。大隊司令部が全滅し、連合中隊には約二百名しかいなかったが、士気は旺盛であった。月人に降伏や捕虜の概念は無い。月人の基本戦略は、皆殺しだけだ。そのため、連合中隊は己の命や精神を擦り減らしながら、月人の猛攻を寄せ付けずにいた。
「おい。十五分経ったが、援軍は見えたか。」
菱村は、副長に尋ねた。菱村の目には、周囲に援軍がいる様には見えなかった。
「いえ、自分も確認できません。各小隊に確認を取りますか。」
一瞬、その考えに乗ろうと菱村は思ったが、すぐに打ち消した。
「いや、味方の士気を下げたくねぇ。ここから見えないのであれば、まだだろう。耐えろ。」
「了解。耐えます。」
そう言うと副長は、部下達に各部隊の連携を再確認させ、防御陣形に穴が出来ぬ様に柔軟な用兵を続けた。
―援軍が時間通りに来ないのはよくあることだが、ここは人類の本拠地だぞ。時間通りに来れねえ訳がねえ。ぼちぼち、兵士共の士気が落ちるじゃねぇか。これ以上の戦闘は、敵に飲み込まれるか。撤退も視野に入れるか。アイツ等なら時間に厳格だと思ったんだがな。―
そう思いながら、菱村は無意識にヘルメットの上から頭を掻いてしまった。
―おっと俺としたことが無意味な事を。―
菱村は、頭を掻く事が出来ない頭上の右手を見つめた。
「第三大隊に告ぐ。周囲の爆発に注意せよ。三、二、一、今。」
第三大隊の無線に冷たく抑揚の無い男の声が前触れも無く介入する。
連合中隊を囲む様に突如、隙間なく爆発が起きた。月人が密集した部分は特に爆発が大きかった。
すぐに天井より光の雨が降り注いだ。光の雨により戦場が昼の様に明るく照らされる。
爆発によって月人の躰は飛び散り、光の雨に貫かれていく月人の姿がハッキリと見えた。
「何だ。何だ。」
「援軍か。」
「どこだ。」
「助かるのか。」
「姿が無いぞ。」
兵士達が混乱し、無線が騒がしくなる。
「馬鹿野郎。目の前の敵に集中しろ。敵、来るぞ。」
菱村の一喝で兵士達の動揺が収まり、無線は沈黙した。
その時、照明一つ無い天井から長細い鉄板が何十枚とぶら下がっている事に気が付いた。
―なるほど。あれなら援軍に気付かない訳だ。アイツ等め。時間ピッタリじゃねえか。―
菱村のスコープに映る援軍の兵士の姿を見てほくそ笑んだ。




