54.暗中飛躍
二二〇二年十一月二十一日 二三一四 KYT 暗室
そこは真っ暗だった。真の闇が全てを覆っていた。部屋の大きさも形も分からなかった。
自分自身が部屋の何処に立っているかのも分からなかった。
自分の掌を見ようとしても闇が広がるだけだった。
―この暗室に来るのは何度目だろうか。相変わらず気持ちが悪くなりそうだ。―
暗室に長時間いれば、上下の感覚も失い発狂しそうになりそうだった。早くこの暗室を出たいと思っていた。しかし、役目を終えるまではこの部屋を出ることは許されない。
いつも暗室に連れて来られる時は唐突だ。いつの間にか眠らされ、気がつけば暗室にいる。
―こちらの都合は何も考えない。いや、逆に予定を完全に把握されているのかもしれない。今まで私が行方不明になったという噂を聞いたことが無いことがそれを証明しているのではないだろうか。―
薬の効果が切れ、目覚めると脳の奥深くに痛みが残る。無視できるレベルではあるが、薬の量が多い時は、吐き気を催す時もあった。この暗室から出るには、仕事を終えない限り解放されない。
「帰月中隊は、極秘裏にセラミック用資材鉱山へ派遣され、月人と戦闘し掃討致しました。損害は軽微でした。
所属不明の増援が有った模様ですが、帰月中隊到着前に増援は全滅しています。この時点で帰月中隊司令部も壊滅したと考えられます。
なお、作戦終了後、帰月中隊は鉱山に取り残された為、菱村大尉の指示により小和泉中尉から鹿賀山大尉へ救援を依頼。
地上での戦闘終了後に救助隊が編成され、翌日の一一三〇までに全員が救出されました。
その後、鉱山は、月人による再侵攻を恐れ、総司令部により物理的封鎖をされました。
なお、鉱山で何を掘っていたかを知る者はおりません。総司令部により情報封鎖されております。
帰月作戦の概略は以上です。」
声の主は若い女性だった。声は部屋に一切反響しないため、部屋の広さを伺うことはできなかった。
「戦闘ネットワークに上がっている通りの報告だな。他には無いか。」
次は、中年の男の声だったが、スピーカーを通しているようだった為、少しノイズが混じる。変声機を使用している可能性が高かった。ただ言えることは、この部屋には居ないことは間違いない。人の気配は無かった。
「菱村大尉と小和泉中尉が、今後は交流をもつと考えられます。お互いに好感を抱いたと観察できました。」
すぐに答えは返らなかった。
―不要な情報だったか。―
女はそう判断した。
「他には無いか。」
「戦術ネットワークから消された事が一点あります。小和泉中尉は、一号標的を複合装甲無しで倒しています。」
「待て。それは有り得ない。月人に対し、自然種が複合装甲無しで戦えるはずが無い。促成種ならば有り得るが、自然種は複合装甲を装備する事により月人と同等の戦力になる。非力な自然種が、素手で月人に勝つとは考えられん。それもただの月人ではなく、一号標的だ。勝てる道理が無い。」
「勝利は、事実であります。鹿賀山大尉の指示により箝口令及びデータ消去が行われました。」
「小和泉中尉と一号標的の戦闘映像は残っていないのか。各ネットワークでは確認できない。」
「データは存在しません。現場にて鹿賀山大尉の副官が全兵士の記録を削除しました。」
「では、状況を口頭で説明をせよ。」
「了解。月人の側頭部を掌打。その場に崩れ落ちたところ、銃剣を口に差し込み蹴り入れました。これにより脳が破壊され死亡したと思われます。」
「たかが掌打で月人が崩れるのか。小和泉中尉が、何かドーピングをしている可能性は無いか。」
「無いと思われます。小和泉中尉は、薬物の接種を忌避される傾向にあります。」
「ふむ、確かに。小和泉中尉の処方箋を見ても湿布薬が大半だな。鎮痛剤も使用していないのか。
他に報告事項は無いか。」
「ありません。」
「では、御苦労。通常任務に戻り給え。」
男が告げた瞬間、女の顔に風が当たった。その風には刺激臭がかすかに含まれ、肺の奥まで吸ってしまった。意識が朦朧としてくる。足腰から力が抜け、その場に崩れ落ちる。床は怪我をせぬ様に柔らかい素材で覆われている。
―いつものことだけど。この薬、目覚めが悪いのよね…。―
そう女は考えた後、意識が途切れた。
二二〇二年十一月二十二日 一一五七 KYT 特科隊第二控室
第一特科小隊は、特科隊司令部・第一分隊・第二分隊・第三分隊・整備分隊・開発分隊からなる日本軍総司令部直轄の実験部隊だ。
司令部には、特科隊司令である鹿賀山大尉を中心に副官の東條寺少尉と司令部要員六名所属。
実戦部隊には、小隊長の小和泉中尉と部下五名が所属。
司令部護衛の第三分隊には、旧1114分隊だった井守准尉を分隊長とする四名が所属。
整備分隊には、装甲車や地中貫通弾の整備を行う整備兵八名が所属。
開発分隊には、新兵器の開発に携わる研究者四名が所属し、合計三十名が所属していた。
新兵器を扱う部署の為、研究者と実働部隊が情報交換をすぐにできるように日本軍初の混成部隊とされた。この辺りも実験部隊の片鱗がうかがえた。
第一特科小隊の控室は、仮設車両ハンガーにあった。
仮設車両ハンガーは、特科隊の為に設けられた。
実験兵器を扱う為、爆発事故を想定し通常部隊と隔離され、基地内の辺鄙な区画に設けられた。と言うよりも条件が整った空きスペースがそこしか無かった。ハンガーは、装甲車三台と喪失した地中貫通弾発射台を並べてもまだ装甲車が十台は並べられるほどの広さがあった。そのスペースを利用してプレハブ小屋が立てられており、特科隊の控室として使用されていた。
最初は、総司令部の一角に控室があったが、整備兵と研究者からハンガーから遠すぎるとクレームが入り、小和泉からも情報交換にハンガーへ行くのが億劫だと訴えられた。
鹿賀山は、総司令部が持つ最新情報の収集や陳情に便利なため、総司令部からの移動は考えていなかった。
部隊設立から一週間も経過しない内に、整備兵達が勝手にハンガー内にプレハブ小屋を建ててしまい整備分隊と開発分隊が常駐してしまった。すると、小和泉もお偉いさんが揃う総司令部より居心地の良いプレハブ小屋に通いづめる様になった。小和泉達が入り浸る様になると手狭になり、すぐに整備分隊と開発分隊は、プレハブ小屋を拡張し居住性を改善してしまった。
居住性が良くなれば、小和泉達は遠慮しない。拡張工事完了と同時にプレハブ小屋へ常駐した。
女っ気が無かった整備分隊は、女性兵士が増えた状況に喜々とし、プレハブ小屋の改良に着手した。物を作る喜びを知る整備分隊には、良い口実だった。事務室と給湯室しかなかったプレハブ小屋に更衣室とシャワー室がさらに追加された。
整備分隊は、オプションを更衣室とシャワー室に設置していたが、女性兵士つまり桔梗達が使用する前に発覚し、整備分隊全員がハンガーに三時間も正座をさせられる珍事件が起きた。
日本軍内部に様々な噂が流れた。
『整備分隊が機密を漏らした。』
『整備分隊が新兵器を暴発させた。』
『整備分隊がネットワークのデータを消去した。』
『整備分隊がプレハブ小屋を無許可で建てたからだ。』
しかし、正しい情報に辿り着いた者は居なかった。
特科隊から正式な報告は、精神修養の訓練だけだった。この事件は、新兵器開発よりも特科隊の最高機密となった。




