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4.通常偵察

二二〇一年九月十七日 一九二二 KYT 第一歩兵大隊司令部


鹿賀山が司令部の席に戻ると、程なく来客があった。

1112分隊 分隊長の蛇喰じゃばみ れつ少尉だった。中肉中背の糸目にいつも作り笑顔を貼り付けた男だ。蛇喰も小和泉と鹿賀山の士官学校同期の自然種だった。

鹿賀山は、蛇喰に対して好感を持てなかった。もちろん、表面にその様な気持ちは一切出していない。

好感を持てない理由は、蛇喰の小和泉に対する余りにも強い競争心に呆れていたからだ。

蛇喰は小和泉への競争心を誰にも知られていない等と考えていたが、誰の目にも明らかだった。頭脳は悪くないが、優秀という訳ではなかった。いわゆる小人という奴だ。

蛇喰自身の行動が、心の思いを隠そうとする作り笑顔を無駄にしていた。

ちなみに、小和泉は蛇喰を敵にすら感じていない。ただの同僚として扱っている。小和泉が人を嫌いになることは無い。己の役に立つか、味方かが判断基準だ。己の手足や耳になる者には、小和泉から親しくなる。それ以外は、同一扱いだ。にこやかに当たり障りなく付き合うだけだ。

「鹿賀山大尉、よろしいでしょうか。」

「何か。蛇喰少尉。」

「今回の戦闘映像を確認したいのですが、許可を頂けないでしょうか。」

「少尉、目的と理由を述べたまえ。」

「はい、今回の戦闘において1114分隊の戦区が崩れかけましたが、持ち直しに成功致しました。その戦闘詳報は文書にて確認しておりますが、映像も確認したくお願いに参りました。今後の戦闘に我が分隊も生かしたいと考えております。」

「なるほど、却下する理由は無い。そこの端末の使用を許可する。」

「大尉、ありがとうございます。お借り致します。」

鹿賀山がデスクを指差す。すぐに蛇喰はそのデスクに座り、オペレーター用の片耳だけのヘッドセットを耳に着け、端末を操作し始めた。

蛇喰の認識票では、戦闘映像を見る位しか出来ない。司令部の作戦や編成、時系列などへのアクセス権限は無い。

鹿賀山は自分の端末を操作し、蛇喰が操作する端末の内容を鹿賀山のモニターにも表示させた。

やはり、蛇喰は小和泉の分隊の戦闘映像を見ている。


蛇喰は、小和泉は同期の友だと口には出しているが、本音は一方的にライバル視をしている。この様な処でも態度ではっきりと示している。

ただ、蛇喰が小和泉を敵視している理由が、鹿賀山には判らなかった。士官学校時代にも遡っても蛇喰と小和泉の接点は、ほぼ無かった。今までに集めてきた個人情報でも裏は取れている。

蛇喰の士官学校での成績は優秀な部類だったが、小和泉の成績は中程度で目立つ成績では無かった。つまり成績は原因ではない。どこに蛇喰の反感を買う要素があったのだろうか。

小人の考えることは分からない。しばらく情報が集まるのを待つことにしていた。

肝心の小和泉は、蛇喰の事を歯牙にもかけていない。いや、同期である事すら覚えていないだろう。同じ大隊にたくさん居る分隊長の一人という認識程度だろう。

以前、鹿賀山は、蛇喰が分隊長に就任した折に小和泉の邪魔者になるかと危惧していた時期があった。

しかし、蛇喰は、すぐに己の底の浅さを露呈した。蛇喰は、階級が上の者には媚びへつらい、階級が下の者は道具のように扱う軍の階級を絶対視する程度の小さい人間だった。

ならば、これからすぐに出世していく鹿賀山に追い付く事など永遠に出来ない。つまり、鹿賀山の敵にならない。ならば、鹿賀山が己の人生を託せると信じた小和泉の敵ではない。

そう判断してから、蛇喰の行動を監視することを止めた。監視を止めただけであり、警戒はしている。どの様な事も些細な事から大事に至ることがあるからだ。


蛇喰が小和泉をライバル視していなければ、戦闘で疲れている身体を休める事無く、司令部に赴いてまで戦闘映像を見ようなどとはしないだろう。今は小休止中といえども、分隊長が最前線から離れるのは、軍法的に許されても常識で考えれば、受け持ちの最前線で体を休めるべきであろう。

実際に小和泉も小休止中である為、行動の制限は無いに等しいが、大人しく持ち場の塹壕にて待機しており、他の分隊長も同様に持ち場にて待機している。

戦区モニターを確認しても持ち場を離れている士官は、蛇喰だけだ。鹿賀山の蛇喰への評価がまた下がる。

鹿賀山自身の先程の小和泉のお遊びの映像をサーバーから消去するなど、軍的には有り得ない行動だった。ふと、人の事は言えないなと自虐する。

ちなみに蛇喰と小和泉では、色眼鏡なしでも小和泉の方が優秀だと鹿賀山は判断している。

それにしても、すぐに映像を消去しておいて良かった。蛇喰に見られれば、また軍法会議に小和泉がかけられるところだったなと、鹿賀山はポーカーフェイスのまま、安堵していた。


蛇喰は、食い入る様にモニターを見ていた。司令部の様子など、もう目に入って来ない。目の前で動く小和泉の姿が全てだった。憎しみをこめる様に小和泉の行動を追い続けた。

―ふむ、戦術モニターから前線の決壊を考えましたか。私も同じことを考えますね。―

―馬鹿ですか。なぜ、奴は自分から月人に白兵戦を挑むのです。その様な危険な事は、促成種に任せれば済むことです。促成種など二年で育つ使い捨ての人造人間です。大事にする必要はありません。―

―腹だたしい上に信じられません。月人と対等に肉弾戦を行える運動神経ですか。有り得ません。人間離れしています。―

格闘戦が終わり射撃戦に戻ったところで、蛇喰はもう一度最初から映像を見直し始めた。

―戦略は同等。常識的判断は私が上。運動能力は奴が上でしょうか。しかし、奴は運動能力に過信があるようですね。その内、戦死するのも時間の問題でしょう。私は、堅実に実績を積み上げれば、小和泉に勝手に勝つことになりますね。―

―さて、見逃したことは無かったでしょうか。ふ、頭脳明晰な私が見逃す事など有り得ませんね。―

「鹿賀山大尉、ありがとうございました。大変参考になりました。」

「少尉、もう良いのか。」

「はい、問題ありません。部署に戻ります。」

蛇喰が見本の様な敬礼をし、司令部を後にする。鹿賀山も簡単に敬礼を返しておく。

今回も、画像削除に気付かれずに問題無くやり過ごせた様だ。

―小和泉め、これで貸し一つ追加だ。今までの分をまとめて請求してやる。―


二二〇一年九月二十二日 〇八四五 KYT 111小隊控室


戦闘予報。

哨戒時々待機。ところによっては遭遇戦になるでしょう。

死傷確率は10%です。


今回、小和泉に命令された通常偵察の戦闘予報だ。普段ならば死傷確率は5%なのだが、10%に上がっているのは、小和泉の目の前に直立して固まっている男のせいだろう。

小和泉に対して緊張しているのか、これから地下都市の外へ出ることに緊張しているのか、全身を恐怖で震わせている。いや、原因は片方だけでなく、両方が正解かもしれない。このままでは、間違いなく足を引っ張るだろう。

「1114分隊 分隊長 井守准尉。通常偵察の命を受け、ただいまより小和泉少尉の指揮下に入ります。よろしくお願い致します。」

井守は、敬礼をピタリと止めようとするが、恐怖が勝り、手の痙攣が止まらない。

先日は、小和泉の目の前で神経症を発症するという醜態を晒した。次の作戦でも同じことをすれば、強制的に軍を退役させられる。そうなれば、士官学校の学費を全額返さなければならない。

そんな大金を井守に返せる当ては無い。失敗は許されない。それが、重圧となって井守の神経を作戦前から消耗させていた。

「准尉、休んでよろしい。今回の作戦は、装甲車の中から外に出ることは基本的に無い。装甲車の装甲は、今の処一度も月人に破られたことは無い。装甲車の中に居る限り、月人は脅威にならない。まず、落ち着け。だが、例外は何事にも有るから気は抜くな。分かったか?」

小和泉は普段の緩い口調ではなく、あえて軍人らしい口調にて井守と対峙した。待機時と戦闘時の精神的不安の落差を少しでも減らす試みであった。

「了解。全身全霊をかけて任務に邁進致します。」

「俺は、落ち着けと言ったはずだ。余分な力を抜け。今日から五日間、その状態ではもたないぞ。」

「了解であります。力を抜きます。」

と、井守は言うが、見た目に変化は無い。

小和泉はため息を一つつき、本人と手元の資料を見比べる。

線が細く、運動神経に関しては期待できない様だ。士官学校の評価を見ても、士官としての知能は及第点だが、体力勝負の兵士としては落第だ。複合装甲の筋力補正に何とか助けられている。度胸に関しては、先の戦闘で戦闘不能になる程だ。期待する方が間違っている。

つまり、この通常偵察で小和泉の下に井守をつけられたのは、実戦経験を踏ませて、使える様にしろというのが、司令部の意向だろうと小和泉は考えていた。

―僕は、楽しみたいのだけどな。今回はお守りか。月人と格闘戦で遊べないな。―

表情はにこやかだったが、小和泉は軽く落ち込んだ。


士官は、促成種では補えない。促成種は、人工子宮の中で一年をかけて、自然種の零歳から十三歳まで一気に育たせる。その後、人工子宮より外に出て、一年間をかけて日常生活から戦闘までのあらゆる知識を脳に直接書き込まれ、それらを自身の身体で訓練していく。その中では、アクシデントはほぼ起きない。カリキュラム通りに進んで行く。

そのため、たった二年の人生経験では教本通りの行動を取るのが精一杯の個体がほとんどだ。

自然種と同じ速度で育成させる労働者・研究者用の寿命が自然種と同じ熟成種にしても、人工子宮から出るのは促成種と同じ十三歳位で、人生経験は短く、促成種と変わらない。

十三歳まで人工子宮に入れておくのは、子育てという労苦と精神的歪みや間違った知識の吸収という弱点を抱えるよりも人工子宮に一任する方が効率良いという結果だった。

結局、人生経験が長く、教本以外の事態に遭遇した場合に臨機応変に対処できるのは、自然種だけだった。自然種を前線に出せるようになるまでには、時間と経費がかかる。そう簡単に替えは利かない。こんな井守の様なポンコツ士官でも軍には必要なのだ。戦闘力は無くとも、判断能力さえあれば、あとは促成種が代行してくれる。

ならば、荒療治でよいだろう。壊れるならば早い方が良い。損害が少なくて済む。

小和泉は方針を固めていた。

「准尉。この作戦中は、狭い装甲車の中に居続けることになる。道も無い荒野を走り続けることになる。貴官に命令をする。この薬を食後に三錠必ず服用する事を義務付ける。」

小和泉の机の引き出しにしまっていた薬のシートを井守に渡す。今回、衛生兵である鈴蘭に用意してもらった物だ。

「この薬は、何の薬でしょうか?」

「酔い止めだ。装甲車は揺れるぞ。用意していないだろう。」

「はい、失念しておりました。感謝致します。」

「では、今すぐ三錠飲め。今日の朝食後分だ。無くなれば鈴蘭一等兵から貰え。彼女は衛生兵だ。」

「了解。」

井守は、ためらわず薬のシートから三錠を押し出すと水無しで一気に飲み込んだ。


二二〇一年九月二十二日 一〇〇〇 KYT南西二十キロ地点


小和泉達は、通常偵察の命令を受け、KYTの南西部の荒野を二台の六輪装甲車で西とされる方向に向け進んでいた。荒野は高低差があまり無く、ただただ広い土色の平野が広がっていた。時折、地割れがあり、落下に注意する必要があった。

四十年前には、ここに家々が建ち並び森林や川、丘や山まであり、空は曇天ではなく、青空であったという。一番の驚きが、防護服無しで人類が生活していたという。

今は、その様な面影は一切ない。記録映像を見たことがあるが、小和泉達にとっては、別の星にしか感じられない幻想であり、目の前に広がる荒野が現実だった。


通常偵察は、不毛の荒野を日本軍が定めた区画毎に丹念に捜索しつつ通信ケーブルを敷設しながら、月人の基地や駐屯地を発見する地味な仕事だ。時折、野良の月人に出会い遭遇戦になることもある。

荒れた地面に大きく揺られながら、六輪装甲車二台が走る。

本作戦の編成は、1111分隊と1114分隊の半個小隊だ。小和泉が隊長を、初陣で神経症を負った1114分隊長の井守が副隊長の任についている。

前回の戦闘で井守の不甲斐なさを叩き直す為、小和泉が引率を任されたというのが、正しい認識だろう。通常は分隊単位で装甲車へ乗車するが、今回は変則的な編成に小和泉はしていた。

一号車には、小和泉・井守・菜花・鈴蘭が乗車。二号車には、桔梗と1114分隊員三名が乗車していた。井守が戦闘時に神経症を再度発症し、二号車が戦力外になる事を防ぐためだ。

ちなみに二号車の車長は、先任軍曹である桔梗を指名した。

「こちら二号車、異常なし。一号車に追従中。」

「了解。こちらも異常なし。作戦を継続。」

「了解。」

桔梗から定時連絡が入る。今のところ、遭遇戦も無く、井守も大人しくしていた。

「井守准尉、乗り物酔いは無いか。」

「は、少尉がくださった酔い止めのお陰であります。心地よい位であります。」

だが、井守の表情は普通では無かった。全身の力が抜け、時折、視点が定まらず、呆けている。

「鈴蘭、薬が効き過ぎたかな。」

「隊長。昼食時、無し。今後、一錠。」

鈴蘭がいつも通り、簡潔に管制官の様に告げる。1111分隊以外の者が聞いても要領を得ないだろうと小和泉は思うのだが、鈴蘭の言動を修正する気は無かった。

美少女の変わった個性も有りだなと考えていたからだ。

「やはり、そうか。准尉、昼食時の酔い止めは無しだ。夕食から一錠に変更。分かったか。」

「了解、昼食時は服用無し。夕食時より一錠に致します。」

どうやら、小和泉が酔い止めだと言って渡した鎮痛剤の主成分である覚せい剤の分量が多すぎた様だ。これでは、戦闘に差し支える。量を減らして正気に近づけるしかない。

朝に会った時は、あれ程緊張していた為、三錠が適量であると思っていたが、ここまで薬が効きすぎるとは小和泉は想像していなかった。井守は、薬物への耐性が低い様だ。

促成種ならば、この程度はほろ酔い程度にしか効かない。

出来る事なら薬がもう少し抜けるまで月人と遭遇はしたくないものだなと小和泉を始め、1111分隊の皆は考えていた。


地下都市から離れると空気中に舞う粉塵が電波障害を起こし、無線は使えない。無線が使えるのは、粉塵の濃度にもよるが半径一キロが目安だ。

地下都市と通信するために地道に地下都市から通信ケーブルを網の目状に張り巡らせている。通信ケーブルには一キロ単位で無線機が組み込まれている。通信ケーブルと無線機は非常に頑丈に造られている。

この通信ケーブルが地下都市と連絡を取る為の唯一の手段だ。

通常偵察は月人の探索だけでなく、装甲車の後部に取り付けた直径三ミリの通信ケーブルを大口径のリールから繰り出し、敷設しながらの行軍となる。その為、走行速度は徐行となり、ゆっくりしたものになる。

今回は、前回の作戦部隊が敷設した通信ケーブルの続きからだ。通信ケーブルの終端のジャックと始端のジャックを結合させ、一号車から敷設を始めている。一号車の通信ケーブルが無くなれば、二号車が引き継ぐ予定だ。

他の隊も四方八方に出動しており、偵察活動と同時に地下都市を中心とした蜘蛛の巣の様な通信範囲拡大が、この通常偵察の任務の一つとなっている。


そして、最重要任務が地下都市KYTの南西五十キロに存在するはずの地下都市OSKとの接触だ。

月の欠片の落下以来、地下都市KYTは孤立している。幸い、地下工場の存在や地下の岩盤からイワクラムが産出される為に今まで生き残ることができた。現在は内政に余裕ができ、外に目を配る事がようやく出来る様になった。

KYTから最も近い地下都市OSKと連絡を取りたいとKYTの行政府は考えていた。

OSKがどの様になっているかは分からない。しかし、OSKは、KYTより規模も大きく、人口が多い地下都市だ。さらに海に面しており、月人達は泳げない為、他の都市と船を使い安全に連絡を取り合っている可能性がある。人類が生存している可能性が高い場所である。

行政府は、すぐにでも一個大隊でも送り込んで連絡をとりたいところだが、残念なことに真っ直ぐにOSKに向かいたくても向えない事情があった。

方位を知る手段が人類には無かった。

方位磁石も空気中の粉塵に含まれる鉄分や磁性体のせいで役に立たない。太陽も人工衛星も粉塵と厚い雲が光と電波を遮り、地表に届かない。

夜も厚い雲が邪魔をし、星と呼ばれるものを観測することは出来ない。

古来より使われてきた方位測定の方法は、全て無意味になっていた。

地殻変動により、地下都市の向きが地盤と共に変わっていることは判明している。建設当時の北が本当の北である保証は無い。下手をすると地軸も変化している可能性もあった。

とりあえず、外に出た部隊が地下都市に帰還するためにケーブルの無線機を三角測量することが、唯一の現在位置が判る方法になっていた。

通信ケーブルと無線機の設置は、面倒ではあるが大切な命綱だ。手を抜くことは死に繋がり、他の部隊も遭難に巻き込む可能性がある。

草一つ生えない荒野で現在位置を見失うことは死に繋がる。地下都市へ帰還する事ができなくなるからだ。地下都市と逆方向に進めば、食料が尽き部隊が全滅する。

通常偵察は、人類の生存圏を広げる重要な役割も同時に担っていた。

その為、通常偵察を行う部隊には、資源が無い中、製造された数少ない貴重な装甲車が割り当てられた。

数匹の月人などは、装甲車の屋根に装備された機銃と銃眼からのアサルトライフルの掃射により一瞬で片が付く。また、月人が装甲車に取り付いたところで装甲車に傷をつけることは出来ないし、動力であるイワクラムの余剰電力を装甲車の表面に高圧電流を流し、感電死させることもできる。

月人と遭遇しても装甲車の外に出なければ問題無い。

だが、何事にも例外があると小和泉は考えている。過去にその事象が発生しなかっただけだ。幸運が続いているだけなのかもしれない。


「二時方向、二キロ、人影五、確認っす。」

周辺警戒を行っていた菜花が報告を上げる。

「全車停車。戦闘用意。詳細の報告を求める。」

小和泉は、小隊無線で全員に告げる。一斉にアサルトライフルを銃眼から車外に突き出す音が車内に響く。

小和泉も機銃操作用のジョイスティックを握り、二時方向をズームする。網膜に投影された映像には月人が五匹居た。

「狼三、兎二確認。他確認できず。」

二号車より桔梗の報告が入る。小和泉は、月人の動きをじっと見つめる。モニターの風力計を見ると小和泉達は風下に居る様だ。月人の視力はそれほど良くない。この距離だと見えていないだろう。月人は、聴覚と嗅覚に優れているが風下に居れば匂いや音が届くとも思えない。

「敵、感知無し。平行移動中。KYT方向へ進軍中。」

鈴蘭が桔梗に続き報告を入れる。

次の定期便の斥候だろうか。話し合いができる相手ではないし、1114分隊も居る。小和泉のお遊びが出来る状況ではない。定石通りに行動を起こすか。

「榴弾モードで機銃掃射用意。他の者は狙撃モードで逃げる奴を撃つ。次の指示を待て。」

ジョイスティックを操作し、機銃を榴弾モードに切り替える。これの直撃を受けた月人はミンチになるはずだ。

「井守准尉が機銃を撃て。」

銃眼からアサルトライフルを突き出していた井守がこちらに顔を向けるが、とろんとした目は、薬が効きすぎている事を表していた。

「了解。機銃手を受け持ちます。」

小和泉は、目の前にあった機銃操作端末を横に座る井守の前へスライドさせる。

「いいか准尉。細かい設定は、済ませてある。照準を合わせて引き金を引くだけだ。俺が撃てと言ったら撃て。」

「了解であります。命令後、直ちに撃ちます。」

小和泉の網膜モニターにも機銃の照準をリンクさせ表示している。後は、十字の中央に月人が来るのを待つだけだ。そして、照準の十字に月人共が重なる。

「撃て。」

井守がゆっくりとした動きで引き金を引くが、命令と同時に二号車からはすぐに榴弾が連射されている。遅れて一号車も榴弾を連射し始める。

「射撃止め。」

二号車は射撃を即座に止めたが、井守はワンテンポ遅れて引き金を離す。

―薬の影響が酷いね。―

と小和泉は、自分が薬を飲ませておきながら他人事の様に思った。

月人の居た地点は、土煙で状況が分からない。

「二号車、接近し状況を確認せよ。一号車は付近を警戒。他の月人の接近に注意せよ。」

「二号車、了解。」

「一号車、了解。」

一号車は、ケーブルを敷設中で自由な行動が取れぬため、寄り道ができない。ケーブル敷設ユニットを切り離せば自由に動けるのだが、そこまでの必要性を小和泉は感じていなかった。

二号車が現場に辿り着くころには、土煙も晴れた。一号車の照準からは、月人らしき姿は見えない。

「二号車、現着。判別不能の死体あり。周辺探索中。」

「了解。死体に機銃掃射。死体に偽装しているかもしれん。他の者は探索続行。警戒を弱めるな。今の攻撃で近くの月人が襲来する事も頭に入れろ。」

「了解。」

井守を除き、問題無く動いている。井守は、初めて月人を斃したことに喜びと恐怖を同時に感じていた。

薬による頭の中から溢れる多幸感。初めて生き物を殺したことによる胸の奥から滲み出す罪悪感。この二つに板挟みとなっていた。

井守の耳元に小和泉の優しい声が囁かれる。

「お前は正しいことをした。月人は、条件反射で人を殺す。先に殺さなければ、自分が殺される。殺すか殺されるかだ。ならば、先に殺せ。それが正義だ。月人を斃せば、褒められる。皆からも称賛を浴びる。月人は発見、即殺せ。」

「私は正しい。月人殺す。先に殺す。それが正義。月人、即殺す。即殺す。即殺す。」

井守の中の生物を殺した罪悪感が急に薄れていく。そして、罪悪感が占めていた心に小和泉が捻じ曲げた達成感が無理やり塗り込まれていく。

「お前は命令守った。命令を達成した。一人前の軍人だ。恐れるものはない。手本を見せてやれ。」

「私は一人前。軍人の手本になる。」

小和泉の囁きと覚せい剤による現実の喪失による洗脳は、効果てきめんだった。

井守の軍人として不安を感じさせる覇気の無さは消え、一人前の軍人として胸を張っていた。数をこなせば、少しは使える士官になるだろう。

「まぁ、こんなものかな。薬が切れたら壊れるかもしれんが、その時は狂戦士の方へ壊してやるか。二号車。念の為、死体を装甲車で何度か轢いておけ。止めは確実にだよ。」

「二号車、了解。」

二号車がすぐに月人の上を何度も前後する。二十トン近い重量がある装甲車に丹念に轢かれては、絶対に生き残れないだろう。

「二号車、隊列に戻れ。全車、状況報告せよ。」

「一号車、敵影見えず。損害なし。」

「二号車、復帰中。敵影見えず。損害なし。」

「状況終了。任務に戻る。一号車発車。」

「一号車、発車。ケーブルの敷設を再開します。」

何事も無かったかの様に小隊は、任務に戻った。

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[気になる点] 鹿賀山は中尉で合っていますか? 3話初登場時には大尉と書いてありますが
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