251.〇三〇六二〇偵察作戦 帰還への準備
二二〇三年六月二十一日 〇六五二 OSK下層部 第三特殊武器防護隊司令部 記録庫
鹿賀山は、これで最後と決めた本を書庫に戻した。この時間内に二十冊以上は読んだだろうか。
読み飛ばしの速読術である為、細かいことは抜けているだろうが、今まで学んできた歴史と大きく違った。いや、相違があるどころではない。現代の教科書や資料に存在しない歴史だった。
―ずっと人間による民主主義が実施されていたが、月人の襲来により統治機構を中央集権型に変革しなければならなくなったと教わっていた。
いったい、どの時点で正史から偽史に置き換わったのだろうか。
ここでは調べようがないか。まずは、この情報を持ち帰らなくては。
読んだ本は全てヘルメットのカメラで動画として収録されている。現物を持って帰る必要は無い。
後でしっかりと読むこともできる。
そして、あの扉だ。あの中に目的の物が有るのだろう。―
鹿賀山の視線の先には、受付台の奥にある黒光りする金属製の耐火扉があった。人間がそのまま入れる耐火金庫になっているのだろう。
機密書類が保存されているならば、耐火金庫の中で間違いないだろう。
目的は、西日本リニアへ続く階層の隔壁を開く解除番号を得ることだ。
閉鎖された隔壁さえ開くことができれば、侵入した経路を逆にたどり、帰還できる可能性がある。
―やはり、休息は重要だな。小和泉の言う通りだ。今は頭もスッキリし、思考も悪い方向へ落ちない。回転も速く、視野も広くなったような気がする。
そうか、教育における刷り込み、つまり習慣化が歴史認識に対する違和感を発生させなかったのか。ということは、上層部は正史を知っている。いや、隠匿しているのか。
待て。落ち着け、私。上層部も偽史が正しいと信じこまされている可能性も有る。その教育がいつから為されたかは誰にも分からない。
上層部は敵か味方か。困ったな。頭がハッキリしたことで余計な考えが浮かんでしまう。
帰還するまでに態度を決めねばならぬな。
私よ、冷静になれ。今は事実を持ち帰るだけで良いではないか。情報は隠蔽しておくべきだ。報告はいつでもできる。帰還してから考えても遅くない。
まずは、帰還することだ。それに注力すべきだ。
他の者もこの大休止で英気を養えただろう。では、831小隊の帰還を開始しよう。―
「全隊起床。戦闘用意。」
鹿賀山は七時丁度に831小隊全員を起床させ、戦闘準備にかからせた。
兵士達は、起床と同時にキビキビと装備を身に付け、朝食と歯磨きを済ませる。
今から死ぬかもしれないのに歯磨きを行う姿に鹿賀山は兵士達の逞しさを感じた。
―習慣とは恐ろしいものだな。虫歯は全ての健康を害し、治療が困難だ。ゆえに歯磨きの習慣を日本軍は徹底させている。
しかし、今から死地に赴く者に必要だろうか。死ねば、虫歯にならない。後の健康を考える必要など無いのだ。だが、彼らは歯を磨く。つまり生還できると信じている。
これは責任重大だな。この様な状況でも、私の指揮に従えば、生き残れると信じてくれているのか。―
鹿賀山は、何気ない習慣から831小隊の士気は高く、誰もがKYT生還を諦めていないことを知った。ほんの少しばかり、目頭が熱い。
―私はそれに応えられるだろうか。いや違う。実現するのだ。私が皆を死なせない。―
突然、鹿賀山の右肩に背後から手が乗せられた。
「鹿賀山。今度は力み過ぎだよ。複合装甲を装備していても分かるよ。やっぱり、スッキリさせようかい。」
小和泉が肩に乗せた手を前に滑らせ、鹿賀山を背後から優しく抱きしめる。
だが、複合装甲同士、人の温もりも柔らかさも伝わらない。だが、小和泉が心配していることは伝わる。
「不要だ。力が入っていたか。」
「目に見えてね。リラックスしようよ。長い夜は終わったよ。」
「そうか。そうなのだな。何としても帰還しよう。」
「ほら、また力が入っているよ。」
「これは気合いだ。力んでいる訳では無い。」
「了解。そういうことにしておこうか。じゃ、またね。」
小和泉は鹿賀山を開放すると自分の分隊へと戻った。
鹿賀山は付き物が落ちたかの様にスッキリとした顔をしていた。そこに疲労も苦悩も無い。生気が漲っていた。
鹿賀山は立ち上がり、耐火扉の前へとしっかりとした足取りで進んだ。
鹿賀山は耐火扉のノブを回すが施錠されており、回ることは無かった。
鍵は、鍵穴に鍵を差し込んで回す形式であった。電子錠は使われていない。恐らく、核攻撃における電磁波や停電に備え、電子機器は使用されていないのだろう。
扉を支えるのは、二ヶ所の蝶番と鍵の三か所だった。鉄製であれば対応方法はある。
「蛇喰少尉、8314分隊でこの扉を開けてくれ。」
鹿賀山は蛇喰に命令を下した。
ここまで特別な仕事を任せていない。そろそろ蛇喰が拗ねることを見越した命令だった。
「この耐火扉ですか。ふむ。この程度なら造作も無いでしょう。皆さん、始めますよ。」
『了解。』
とくに打ち合わせをするでもなく、8314分隊の兵士達三人は、蝶番をアサルトライフルで何度も撃ち始めた。
この鉄製の耐火扉であれば、アサルトライフルの光弾の熱に耐えることはできない。
兵士達は二ヶ所の蝶番に光弾を次々と単射で撃ち込んでいく。近距離で動かない標的に光弾を外すことは恥ずかしいことだと考えていた。ゆえに一射一射を基本に忠実に丁寧に射撃していた。
蝶番は、光弾が着弾する度に赤色度を増していき、熱を帯びていく。徐々に溶け始め、形を崩し始めた。ここまでくると後は簡単だった。自重に耐えられず、耐火扉はゆっくりと前方へと倒れ始めた。8314分隊の兵士達は、百キロはありそうな耐火扉を軽々と受け止める。
自然種の筋力の五倍を発揮できる促成種にとってこの程度の重さは何の問題も無い。物音を立てぬ様に床に耐火扉を静かに置いた。
「鹿賀山少佐。命令通り、扉を開けましたよ。さあ、どうぞ。」
「ご苦労だった。」
鹿賀山は、蛇喰より開錠の報告を受けた。
この間、蛇喰は何もしていない。副官が指示を出し、兵士達が動くのを傍で見ていただけだった。
それで分隊行動が上手く行くのであれば、鹿賀山が口を出すことではない。
士官としては、別におかしい行動では無い。先頭を切って行動する小和泉が異常なのだ。
早速、鹿賀山は耐火金庫の中へと入った。中は意外に狭かった。三メートル四方の部屋だった。三方にスチール製の書架があり、様々な書籍が収納されていた。
地下都市の設計図、各地点の暗号一覧など、地下都市の管理に必要不可欠な宝の山であった。
「舞曹長、愛兵長は隔壁解放に関する資料を調査せよ。」
『了解。』
舞と愛は、敬礼を行うと耐火金庫に入り、必要であろう資料を持ち出し、読書台で解読を始めた。
「蛇喰少尉は、持ち帰る必要があると考える重要文書の持ち出しを任せる。」
「さすがですね。この私に頼むとは。適材適所を少佐は良く分かっておられる。さあ、皆さん。私が指示する資料を集めなさい。」
『了解。』
鹿賀山が耐火金庫から出るのと入れ替わりに8314分隊は中へと入っていった。
蛇喰の性格に難はあるが、能力に問題は無い。むしろ士官として優秀な部類である。
「小和泉大尉は、8312と8313を指揮し警戒を継続せよ。」
「はいは~い。了解。」
小和泉の軽い返事に鹿賀山は眉をしかめるが、注意まではしなかった。
「東條寺少尉は、私に代り831小隊の指揮を任せる。何かあれば、報告を上げるように。」
「了解。隊長はどうされるのですか。」
「もう少し、調べたいことがある。」
東條寺の問いかけに、鹿賀山は書庫へ視線を向けていた。




