22.久方ぶりの訪問
二二〇一年十月二十日 一七一四 KYT 日本軍総司令部 休憩室
小和泉は、退屈な四時間を耐え、本当に解放された。
会議が行われる迄の約二週間、病室には引っ切り無しに司令部員が事情聴取に訪れ、気が休まらなかった。
ようやく退院して休暇をもらえるかと思えば、即出勤を求められ、小隊詰所にて同じ様な事情聴取の連続で飽き飽きしていた。
桔梗達も育成筒の中でほとんどの時間を過ごし、脳より直接記憶の読み込みが行われ続けられていた。余計な事を考えたり、暇を持て余さず済むように空気には薄めの睡眠ガスが混入され、会議の前日まで育成筒の中で微睡んでいた。
つまり、小和泉が桔梗達と会うのは作戦以来初めてだった。
「みんな、身体は大丈夫かい。研究所で悪いことはされなかったかい?」
小和泉は、司令部にある休憩所で飲み物を皆に振る舞いながら尋ねた。
「失礼だな。私を悪人にしようとは、良い根性をしている。次の健康診断で小和泉の血を大量に抜いてやろうか。」
小和泉の予想外の方向から若い女性の声がかかった。この声は、聞き知った声だ。
小和泉は声の方向に振り返った。休憩室の入口には白衣を着た若い女性が仁王立ちをしていた。鹿賀山の婚約者である多智だった。医師免許も所持しており、小和泉のかかりつけ医というべきか主治医だった。今回の入院中も多智が小和泉の担当医だった。
「多智が言うと本当に聞こえるから止めてくれないかな。それにしても司令部に来るとは珍しいね。」
多智がコーヒーメーカーを操作しながら、返事をする。
「育成筒から出たばかりの娘共が気になったのでな。小和泉は、すぐに娘共に無茶をしでかすからな。担当医として様子を見に来た。」
小和泉には、それは表向きの理由の気がした。研究馬鹿である多智が無駄話をしに来る訳が無い。それもコーヒーを入れたという事は、長話になると小和泉は判断した。
桔梗達も育成筒から出たばかりでやや筋力が落ちている事を実感していたが、日常生活や軍務に支障をきたすことはない。
桔梗の心配事は、小和泉の部屋がどの様な惨状になっているかだった。恐らく、整理整頓とは程遠い状況になっている事は確信していた。
「次は勝てるのかい?」
唐突の言葉だった。多智から発せられた。小和泉は何に対してか分かってはいたが、あえて尋ねる。
「何に勝つのかな?」
「おいおい、私にまでお行儀よくするつもりかい。まぁ、いい。灰色の狼男、通称、鉄狼に勝てるのか?」
「そうだね。高火力による十字砲火ならば勝てると思うよ。」
「なら、今回みたいに洞窟内で遭遇したらどうするのだ?」
多智は、意地の悪い質問をしてくる。小和泉は、為す術も無く敗退した。勝てる方法が浮かんでいれば、鉄狼は斃している。
「お手上げだね。だから、逃げてきたよ。」
ここで恰好をつけても意味が無い。多智は促成種達から収集したデータを解析している。鉄狼との戦闘の事は、理解しているはずだ。
「小和泉の強化装甲に鉄狼の体毛が付着していた。それを解析中なのだが、小和泉の意見が聞きたい。」
「何が聞きたいのかな。」
「鉄狼を殴った時の触り心地はどうだった?」
「一言で表すと鉄板かな。」
「銃剣で刺した時はどうだった?」
「同じく鉄板だな。」
「首投げをする時はどうだった?」
小和泉は悩んだ。あの時はどう感じた。獣毛の状態はどうだったのだろうか。懸命に記憶を掘り返していく。
「大木の様な硬さを感じたが、あれは筋肉の引き締めによる硬さだったかな。鉄板の堅さは感じなかったかな。」
「参考になった。ありがとう。邪魔をした。」
多智は、満足そうに頷き立ち上がった。
「おいおい、答えは教えてくれないのかい。」
多智は、出口へ歩きながら振り返った。
「憶測では言わない主義だ。実験で確かめてからになる。またな。」
それだけを言うと休憩室から出て行った。
「みんなは、今の会話で鉄狼に関する何か掴めたかな?」
小和泉は、桔梗達に問いかけてみる。答えは期待していない。
「私はありません。」
と丁寧に返す桔梗。
「ねえっす。」
と淡白に返す菜花。
「なし。」
と短く答える鈴蘭。
「ございません。」
とかしこまる舞。
「思いつきません。」
と正直に答える愛。
―やはり、わからないだろうね。分かっていれば、戦っている時にアドバイスをくれたかな。さて、この後は久しぶりに道場に顔を出そうか。師範代は元気だろうか。一つ組手でもして、会議の鬱憤でも晴らすとしようかな。―
小和泉は、少し冷めた紙コップのコーヒーを飲みながら、次の行動を具体的に考えていた。
二二〇一年十月二十日 一八〇四 KYT 中層部 居住区
地下都市の中央には、輸送トラックが数台同時に乗せられる巨大エレベーターから人間が数名乗られる小型エレベーターが幾つも束ねられた交通塔と呼ばれる複合エレベーターが背骨の様に真っ直ぐに走っている。
地上部分と接続するエレベーターは、頑丈な隔壁に守られ、軍もしくは行政府の許可証が無い者は使用できない。
だが、交通塔の外縁部にある地下都市内の移動用のエレベーターは、居住区内であれば誰でも気軽に利用することができた。もっとも軍事区画や研究区画などの機密区画は、軍の認識票か行政府の許可証が必要だ。
小和泉の1111分隊は、表層部にある司令部から中層部の居住区へと降りてきた。
所属を失った舞と愛は、再編成の手続きを行う為、司令部に残った。
居住区も多層構造になっており、上層部は富裕層が住み、下層部には貧民層が住んでいた。
地下都市は、鉄骨コンクリートで出来た灰色の世界だ。上層部の公園区画以外にまとまった緑は無い。申し訳ない程度に樹木が植えられている程度だ。
ただ、富裕層、貧民層と言っても極端な差がある訳ではない。限られた資源を独占する事は極めて難しく、地下都市への貢献度と言い換えても良かった。
貢献度が高い者は富裕層の区画へ、低い者は貧民層の区画へ住居を割り当てられる。と言っても住居の一人当たりの割り当て面積や公園や緑地の大小の差ぐらいでしかない。この地下都市にはゴミという物は存在しない。全てがリサイクルされる資源である。ゆえに貧民層はチリ一つ落ちていない清潔な街並みである。
地下都市という密閉空間に不潔な空間は存在しない。存在してはならないのだ。
疫病が発生でもすれば、瞬く間に地下都市全域に広がってしまう。そのため、共用部分にゴミが落ちている事は有り得なかった。
交通塔の前にはレンタカーが置かれている。電気自動車で地下都市の空気を汚さぬ様に配慮されている。資源が限られているため、自家用車という贅沢が出来る者はいない。
それは地下都市を運営している行政府の長官だろうと軍の最高司令官であろうと例外は無い。
そもそも地下都市自体が、自家用車を必要とするほど広くは無い。
雨が降らない地下都市では、資源節約の為にレンタカーはオープンカーになっていた。
小和泉はレンタカーに乗り込み、カーナビへ住所を打ち込む。これで目的地まで自動的に運んでくれる。
逆に自分で運転する事は物理的にできない。レンタカーには、操縦装置は一切付いていない。
完全自動運転の世界に手動運転が混じる事は、予測が出来ず危険だからだ。
会議の疲れか、二週間ぶりに小和泉と桔梗達は出会ったにもかかわらず、会話らしい会話は無かった。長い時間、離れ過ぎていた事で桔梗達は、小和泉の事を意識し過ぎていた。
当の小和泉は、これから会う師範代に何をされるか気が気でなく。そちらに思考が向いていた。
小和泉が師範代に勝ったことは数度ある位で圧倒的な強さを誇る。
武術道場は小和泉の亡くなった母親が開いていた。そこで母親から武術を仕込まれ、跡を継ぐはずだった。しかし、小和泉は気の向くままに日本軍に入ってしまい、道場を放置することになってしまった。そこで師範代に全てを任せることにし、現在に至る。
ゆえに小和泉がこの世界で頭が上がらないのが、この師範代ただ一人である。
普段は一ヶ月に一度は顔を出していたのだが、ここ数ヶ月は軍務が忙しく、道場に顔を出すことすらしていない。
もしかすると、小和泉が入院中にお見舞いに来た可能性があることに今さら気がついた。
さらに道場に近づくのは恐ろしく避けたい処となった。しかし、顔を出さない期間が延びる程、小和泉の身が危ういものになることはハッキリしている。
何時、軍に呼び出しをされるか分からない身だ。確実に道場に行ける時に顔を出した方が良いと、自分の身の安全の為に判断したのだった。
桔梗達も何度も道場に顔を出し、武術の手ほどきを受けている。特に菜花は、武術が気に入った様で用事が無ければ、入り浸っていた。
軍の中で菜花の格闘術が優れているのは、この道場通いが影響しているのだろう。
そして、レンタカーは止まった。
目の前に三階建の鉄筋コンクリート製の四角いビルが建っていた。規格品のビルだが、一棟全てを所有しているのは珍しかった。富裕層でもワンフロアかツーフロアを占有するのが相場だ。
狭い地下都市の為、個人に割り当てられる面積は少ない。
地下都市への貢献度を格段に上げなければ、ここまでの高待遇を受けることは出来ない。
小和泉が軍に入る前は、ワンフロアを借りているだけだった。
「師範代は、一体どれだけあくどい事をしているのだろうかね。道場をこんなに大きくするなんてね。想像するだけで背筋が凍る様だよ。」
思わず、道場の規模の大きさに嘆息する。
「隊長、師範代の実力なら当り前すっよ。軍や警察の人間も学びに来ているんで、その点が貢献度に大きく関わっているじゃないっすか。」
道場に入り浸っている菜花が小和泉の嘆息に反応する。
「そうだといいね。じゃあ、入ろうか。」
小和泉は、玄関をくぐり建物へと入っていった。




