19.〇一一〇〇六作戦 地上へ
二二〇一年十月七日 〇一三九 作戦区域 洞窟内
小和泉と鉄狼の攻防は、五分以上経過していた。小和泉のスタミナがどこまで持つかは分からない。
桔梗達は、スタミナが切れる前に小和泉の命令を成功させたかった。
四方に散り、煤だらけの洞窟の壁面を丹念に探っていく。中に入れる割れ目が有れば、奥まで入り込み状況を確認していく。
幾つもの割れ目に潜り込むが、期待していたものではなかった。
一瞬、小和泉の攻防に見とれてしまったが、それ以外は警戒と捜索に命をかけていた。
早くしなければ、小和泉が、そしてその次は自分達が…。
もっとも桔梗達1111分隊は、小和泉亡き後の人生は存在しない。弔い合戦を行い、一緒に散るだけだ。だが、小和泉は生きている。桔梗達を生かす為に必死に戦っている。その気持ちに応えなければならない。
鈴蘭が何気なく、上を見た。煤の流れが見える程、濃い部分があった。
それはまるで煙突の様だった。鈴蘭は銃剣を腰から抜くと足場になる様に壁面に刺し、二メートル程上にある割れ目に手をかけた。
一気に自分の身体を引き上げすぐに銃を構える。幅は一人分程の狭い斜め上方に伸びる割れ目があった。
素早く索敵するが、敵の気配は無い。だが、油断はしない。他に分岐があり、そこから敵が現れるかもしれないからだ。壁面にへばり付き、油断なく前進を始める。
身体を引き上げた時に鈴蘭の体の前は煤に汚れた為、うまくカモフラージュとなり壁に溶け込んでいる。壁面や天井に付いている煤の動きを見る限り上へと間違いなく流れている。ただ不要と判断した装備は廃棄していた為、鈴蘭の手持ちの装備と技術では急な割れ目を登れなかった。
「こちら鈴蘭。目標の確率、高し。応援、求む。」
「了解。菜花は鈴蘭を支援せよ。」
桔梗が菜花へ指示する。鈴蘭が動けない様な場所であれば、この中で身体機能が高い菜花を選抜するのが妥当であろう。
「菜花、鈴蘭と合流する。」
菜花は、返事と同時に鈴蘭のビーコンを追いかけ、壁に刺さった銃剣を踏み、軽やかに割れ目に飛び込む。
「で、俺は何すればいい?」
「上へ。」
鈴蘭が指差す、斜め上方へと延びる急な割れ目を菜花は見つめた。
「なるほど。これは俺の仕事だな。落石注意な。援護よろしく。」
そう言うと菜花は、心許ない出っ張りに指を引っかけ身体を引き上げる。続いて、目を凝らし次の出っ張りを探し、身体を引き上げていき、上へと登っていく。割れ目の傾斜により菜花の姿は、鈴蘭の視界から消えていった。
小和泉は半身中段の構えで鉄狼と対峙していた。
現在のところ、呼吸も安定し意識は明瞭であったが、疲労の蓄積により手足に砂袋を提げた様な重さを感じる様になっていた。
―これは、師範代との組み手を思い出すな。―
意外にもこの感想が出て来る余裕に小和泉自身が驚いた。
―ほう、この状況でも心に余裕があるものだな。―
小和泉は、道場で師範代との組手を思い出す。何時如何なる状況に陥っても戦える様に敢えて手足に砂袋を提げて、師範代と一日中組手を続けた。
―確かあの時は、師範代はハンデ無しだったかな。相変わらずズルい人だ。―
その時は、何とか勝った。しかし、その後は軍務に急かされ道場に顔を出していない。かなりご無沙汰だ。
―ふむ、生還すれば道場に顔を出そう。師範代も喜ぶだろう。いや、放置した分、怒るかな。―
小和泉は、鉄狼の単調ではあるが力強い攻撃を捌きながら、生還した時の予定を立てる。まるで一種の走馬灯の様だ。
小和泉の生命の蝋燭は、大きく燃え上がりつつある。最後の輝きだ。この後に待つのは…。
鉄狼の攻撃を際どく避けていた小和泉の複合装甲に鉄狼の攻撃が掠り始める。掠った装甲は抉れていく。まともに受け止めた場合は、間違いなく複合装甲ごと身体を抉られるか、肉体が弾けるだろう。
どうやら、小和泉の意識と体の動きが乖離し始めた様だ。つまり、限界点を超えつつある。
小和泉もそれを自覚した。今までは反撃も有効打になるかと視野に入れて攻撃していたが、有効打は無かった。攻撃が無駄だと分かれば、後は回避に専念する。これであと少しは持ちこたえられるはずだろう。
「こちら菜花。出口発見。鈴蘭のもとへ集合しろ。」
小和泉が待ち望んでいた報告が小隊無線に入る。小和泉の命令は、鉄狼が通れない割れ目を使った出口を見つけることだった。あの単語一言にそれだけの重たい命懸けの意味を含んでいた。1111分隊は、小和泉に公私共に長い時間を過ごしているからこそ、解る捜索命令だと言える。小和泉と付き合いの無い舞と愛に理解するのは、最初から不可能であり期待していなかった。その為、舞は不明瞭な命令を桔梗に確認していた。
「行け。もたない。」
小和泉の命令は、どんどん簡潔になっていく。
「愛、舞、桔梗の順に上がります。」
桔梗が退避を仕切る。小和泉に戦区マップの確認やよそ見をする余裕は無い。
鉄狼の太い腕の振り回しを最小限度の足運びで腕の軌道から逃れる。
「隊長、五時方向三メートル、上方二メートルです。全員退避済みです。」
桔梗が割れ目の位置を報告してくる。
あとは、小和泉がうまくその位置に逃れることができるかだ。
美味い具合に鉄狼が噛みつきを狙ってきた。小和泉はチャンスと捉えた。一か八かの大博打だった。
鉄狼の噛みつきを両手を組んで上から叩き潰す。へそ辺りまで鉄狼の顔が下がるが、ダメージはやはり無い様だ。鉄狼の頭に乗せた両手を支えとし、鉄狼の両肩へ飛び上がる。
鉄狼も逃さじと勢いよく上体を起こした。
小和泉は、鉄狼の勢いと膝にばねを溜めて背後に跳躍する。小和泉の勘では、壁にぶつかる辺りが桔梗の言っていた割れ目であろう。
だが、小和泉が考えた以上の勢いが鉄狼にあった。放物線を描く予定が、直線となり小和泉の身体が壁面に真っ直ぐ激突し、壁面をゆっくりと滑り落ちていく。
小和泉の呼吸が軽く乱れる。複合装甲のお陰でダメージはほぼ無い。だが、小和泉の目論見は、失敗した。うまくいけば、割れ目に飛び込めるか、入口に引っ掛かるはずだった。
小和泉は両足を掴まれた。
―しまった。鉄狼に捕まったか。―
条件反射的に鉄狼の顔があるであろう空間に掌底を繰り出すが、空を舞う。
「桔梗です。隊長を確保。中に引き込みます。」
桔梗の声で小和泉に冷静さが戻った。状況を把握すると割れ目の真上に飛ばされた様だった。
割れ目から手を伸ばした桔梗と鈴蘭が小和泉の両足を掴み、中に引き入れようとしていた。
鉄狼は、割れ目に向かい走っている最中だった。
ならば、抵抗するいわれは無い。両足を引かれるがままに任せ、割れ目に飛び込む。
割れ目の外から雷鳴のような音が聞こえる。
引き込まれ、伏射の姿勢を取らされていた小和泉がアサルトライフルの先端を割れ目の外へ突き出す。
照準用カメラは、鉄狼が壁を何度も叩く姿を映し出した。この割れ目は、狭く鉄狼が入ることは無いだろう。だが、追いかけられるのもここまでにしたかった。
小和泉はアサルトライフルをそっと割れ目の内側に引き込み、じっと機会を窺う。
雷鳴は、入口へ少しずつ近づいて来る。手足を壁面に打ち込み、這い登ってきているのだろう。
雷鳴がハタリと止んだ。久方ぶりの静寂が洞窟を占める。
黒い影が割れ目を覗き込む。怒りと熱情にうなされた血走した目に小和泉は引き金を引いた。
「ぎゃうーん」
その言葉、いや唸りをあげると同時に地面へドサリと落ちる音がした。
「撤収。上がれ。」
菜花が待機中に他の者が登れる様に足場を銃剣で壁面に掘ってくれていた。この足場のお陰で誰もが難なく急斜面の崖を登っていく。
鉄狼が追いかけてくる可能性も考えられたが、別ルートで先回りされれば同じだ。
ここに罠を張る事による時間の無駄よりも早く撤退すべきであろうと小和泉は判断した。
十分程かけ、登るとそこは地上だった。すでに菜花が出口付近の哨戒を終え、警戒している。
見慣れた、何も無い荒野が広がる。
夜空は相変わらず分厚い雲に覆われ、星という物は見えたことが無い。
馴染みの光景をこの目で五体満足で体感できることに対し、小隊全隊に安心感が漂う。
「周辺警戒。報告せよ。」
すかさず、小和泉が規律を引き締める。ここまできて、月人の奇襲を受けるのは避けたい。
「桔梗。敵影見えず。」
「菜花。敵影見えず。」
「鈴蘭。敵影見えず。」
「舞。敵影見えず。」
「愛。敵影見えず。」
五人から同じ返事が返ってくる。敵影が見えないという報告だけなのは、味方も見えないということだ。
やはり、鹿賀山、いや大隊は予定通りに撤退していた。小和泉の目でも地上に動くものは見えない。
結果論だが、大隊から救援部隊が派遣されていても鉄狼に遮られ、被害を今以上に拡大していただろう。鹿賀山の判断は、正しかったのだ。
「まず、この場を離れる。鈴蘭、三点計測し現在地を計れ。すぐに移動だ。」
「三点計測、完了。KYT、南西二十キロ地点。」
「北東のKYTへ向かう。周囲の些細な変化を見逃すな。」
『了解』
五人が声を合わせて返事をし、小和泉を中心に円陣を組む。
現状のままで進軍できれば、朝にはKYTへ着くだろう。
油断はできない。地面の割れ目から月人が飛び出してくる可能性も有る。
最悪を想定すれば、鉄狼が別の出口から追いかけてくるかもしれない。
地上に出た。これは紛れもない事実だ。はっきりと死地から抜け出したとは言えない。だが、地上であれば、射撃に関して制限は無い。榴弾モードやランチャーモードも使用できる。
ランチャーモードであれば、鉄狼に対してもダメージを与えることができるだろう。
生き残れるのであれば、暴発覚悟のイワクラムフルパワーに一撃を叩き込んでも良い。
まず、小隊長として小和泉が先にするべきことがあった。
「こちら1111分隊。司令部応答せよ。1111分隊、司令部応答せよ。」
小和泉は、日本軍司令部へ無線を飛ばす。地上では無線が生きている。救援要請を出すのは当然の権利だろう。
―近くに哨戒任務についている隊があれば、ありがたいのだが。―




