175.〇三〇四一四演習 対月人演習
二二〇三年四月四日 一九〇六 KYT 士官寮(東條寺居室)
腰椎負傷にて退場していた8311分隊の舞曹長と右足切断をした8313分隊のクジ一等兵は、四月一日付にて831小隊に復帰していた。
舞は適切な治療により快癒したのだが、クジは失った足を生体移植ではなく義足による治療を選択した。
今の義足は、複合セラミックスの筐体に多数の小型モーターと体圧・温感センサー等を組み込み、神経と制御装置を直接繋ぐことにより細やかな動きが可能となっていた。軍用の義足は、複合セラミックスを主とし、複合装甲にも使用されるほどの強度を持っている。その為、骨材が不要となり中は空洞であった。それは軽量化を目指し、接続部への負担を軽減する目的でもあった。
操作に慣れると自分の身体と遜色なく、動かすことができ、センサーやモーターの電源の入り切りも自由にできるようになる。電源は、日本軍では馴染みとなっているイワクラムである。義足に使う程度では、一個のイワクラムの電力を使い果たすことは、ほぼ無かった。
定期的な手入れの必要性と機械的故障の可能性はあるが、早く日常生活に戻れることが利点であった。
生体移植での治療は、定着するまでに時間がかかるうえ、リハビリにも相当の日数を要する。小和泉も腕を斬り飛ばされた時、リハビリに時間がかかった。
その点、義足の場合は電気信号の調整だけで自由に動かす事が出来る様になるのは、早急に現場復帰できる大きな利点であった。
特に戦力不足の状況では、クジが義足での治療を選択し、早期に復帰してくれたことは、鹿賀山にとっても、分隊長である井守にとっても大変ありがたいことであった。もしも、戦争が落ち着けば、改めて生体移植をするのも可能であり、義足を選んだとしても悲観することは無い。もっとも戦死しなければの話ではあるが。
831小隊の男性陣は、四日目になっても何も気づかなかった。しかし、女性陣は違った。
舞とクジの関係性に変化が生じていることに同じ8311分隊所属の愛が一番に気付き、復帰した日の午前中には女性陣が共有する秘密となった。
事の真偽を質すため、秘密裏に女子会が夜に開催されることとなった。泊まりでは無い。兵舎には門限がある為、時間は限られている。
場所は、女性陣の中でもっとも広い部屋を持つ東條寺少尉の士官寮が選ばれた。
東條寺の部屋は、1LDKの間取りで一人暮らしには十分の広さが有った。物は全て壁や机に対し、直角や平行に置かれ、士官学校の学生寮を思わせる様な片付けぶりだった。いつ、教官が抜き打ち検査に来ても、非の打ち所がない整理整頓であった。東條寺の生真面目な性格が部屋中に表れていた。
残念な言い方をすれば、可愛い小物や曲線を帯びたぬいぐるみなどは全く無かった。
リビングで舞を中心に831小隊の女性陣が半円形に取り囲む。舞の正面に愛が座り、交互に東條寺、桔梗、鈴蘭、カゴと並ぶ。中央に座る舞は、頬を赤く染めつつ、入院中の甘い出来事をはにかみながら言の葉に乗せた。
鈴蘭とカゴ以外は、一言一句に大きな反応を示し、さらに追及する。やはり恋バナはいつの時代になっても盛り上がるらしい。とりあえず、二人は清い関係であることは分かったが、深い関係になるのに時間はかからないだろう。悪い戦況が二人の背中を押すのが目に見えていた。
カゴの目には、皆が無理をしている様に見えた。無理に話題を作り、はしゃぐ。誰かの発言に一喜一憂し、戦争を忘れようとしているかの様だった。
恐らく哀しみを紛らわせたいのだろう。幾らか時間が経過していても戦友を失った悲しみは簡単に乗り越えられない様だった。
ちなみに無性であるカゴが女子会に呼ばれていたのは、女性陣からは女性とみなされ、男性陣からは男性であるとみなされていたからだ。
本人は、その様な些末なことは何も考えていない。どちらの性でも良かった。
宗家こと小和泉の道具として生きていくだけであった。それがカゴの幸せであり、熟成種として植え付けられた小和泉への絶対服従の命令だった。
ちなみに女子会が催されている事は、男性陣は全く知らなかった。小和泉にすら誰も伝えなかった。
カゴもこの様な些末な事柄で宗家を煩わせるつもりは無かった。
いわゆる乙女の秘密は守られた。乙女とは、穢れを知らない若い女性をさすのだが、それを聞いて指摘できる勇気を持つ男性は831小隊にはいない。無謀と勇気を履き違える人物はいない。
ここにいる女性陣は、日本軍の古参兵ばかりなのだから。それも頭に『優秀な』がつく。
女子会の後、女性陣から好奇の目と応援する雰囲気が、クジの身に降り注いだ。舞とクジが共にいると気付けば、気が付けば周囲から人が居なくなるか、距離を取られた。
クジは、まるで阻害されているかの様な居心地の悪さを感じていた。女性陣にはその意図は無い。
ただ、二人きりにし、舞を応援したい気持ちが大きかったのだ。少し空回り気味ではあったが。
しかし、居心地の悪さも舞が身近にいる為、それが苦にならなかったのも事実である。
二二〇三年四月十四日 〇九四八 KYT 西部塹壕
戦闘予報。
対月人演習です。月人は確認されておりませんが、遭遇戦に注意して下さい。
死傷確率は5%です。
小和泉達831小隊は、地下都市KYTの西部塹壕の近くに居た。
正確には、西部塹壕よりさらに西二キロ地点にある大地の亀裂に身を潜めていた。演習開始前の為、小隊は分散配置せず一ヶ所に集合していた。
今回、装甲車は無い。さらにアサルトライフルも持っていない。銃剣、コンバットナイフ、食料、し尿処理パック、気密テント、折り畳みシャベル等の装備も無い。その為、背中にバックパックを背負う必要が無く、非常に身軽だった。水筒は通常通り装備している。水筒から延びるチューブがヘルメットの中に入り、ストローが突き出していた。漏洩防止弁がついており、どの様な姿勢をとってもストローから水がこぼれることは無い。適宜、ストローを吸うことにより、水分の補給が出来た。脱水症状は生命に関わる為だ。
通常装備の代わりに鹵獲した兎女の長剣が全員に支給されていた。刃は落とされていない。もともと切れ味は悪いが、人を殺すには十分な力を持っている。これが唯一の武装だった。
限りなく、月人と同じ装備とし仮想敵を演じるのが831小隊の今回の役割だった。
敵は日本軍第八歩兵大隊第一中隊。そして明日は同じく第二中隊。
新兵を殺さず、無力化するのが任務だった。少しでも新兵の経験値を高めようという目論見であった。
ゆえに鹿賀山は容赦をするつもりは全く無かった。手を抜くことは第八大隊だけでなく、日本軍を危険に晒すことに繋がるからだ。
「総員傾注。まもなく対月人演習を開始する。
作戦会議でも言った事であるが繰り返す。
第八大隊の死傷確率に大いに影響する演習である。一切の手心を加えてはならない。死ななければ、何をしても良い。手足の一本でも二本でも斬り落として構わん。
831小隊の実力を全力で叩きつけ、全てを破砕せよ。
無論、新兵どもを無傷で圧倒し、恐怖を植え付けるのも一興だ。それは、各員に任せる。
なお、我が隊員が負傷することは一切許可しない。負傷した者には、小隊員全員に対し、士官食堂にて夕食を奢らせることにする。兵卒は、士官食堂を本来使用できない。そこを菱村大隊長が特別に取り計らって下さった。なお、831小隊の全員が無傷である場合は、菱村大隊長の驕りとなる。皆、奮起する様に。以上。」
鹿賀山の不意の宴会の話題に皆が湧き踊る。
「よっしゃー。」
「大隊長殿の驕りじゃ。」
「新兵に負ける要素は無い。」
「完勝の未来しか見えない。」
「大隊長を破産させるぞ。」
『オォー。』
一気に小隊無線が騒がしく、熱気を伝えてくる。
だが、小和泉は狂騒に加わらなかった。最初から新兵を完全制圧するつもりであった。
―油断しすぎにも思えるけれど、鹿賀山の判断だし大丈夫かな。
新兵は、本当に戦力にならないだろうな。気配が一般市民の自然種と同じなんだよね。怖さを全く感じないよ。あれじゃ、完全勝利を狙う鹿賀山の気持ちも分かるかな。
さすがに正規兵が纏う空気は、新兵とは一線を画しているな。間違いなく人殺しだね。一人や二人では無いかな。はてさて、総司令部は何を隠しているんだろうね。促成種の新兵教育に。
桔梗と鈴蘭に聞いても答えてくれないし、碌でもない事なのは間違いないのかな。―
「錬太郎様。私達はどうなされますか。」
静かに考え事に耽っていた小和泉に桔梗が声をかける。
小和泉の中では、作戦は決まっていた。
「前衛は、僕とカゴ。後衛は、桔梗と鈴蘭。直接戦闘にて前衛が敵を無力化。その間、後衛が警戒と索敵。一回の戦闘時間は十秒以内を想定。状況により随時変更。無力化後、即時、離脱。これを繰り返す。まぁ、こんな感じでどうかな。」
桔梗と鈴蘭がお互いの目を見つめ、頷く。カゴは微動だにしない。
「かしこまりました。お二人の足を引っ張らぬ様に随伴いたします。」
「頑張る。敵、すぐに見つける。」
「宗家のお考えのままに。」
と三人は賛成した。
単純な作戦だった。忍び寄って叩きのめし、即座に逃げる。
これを第一中隊が全滅するまで繰り返すだけだった。




