16.〇一一〇〇六作戦 さらなる罠
二二〇一年十月六日 二一三七 作戦区域 洞窟内
月人達の攻撃が途切れ、ようやく11中隊は小休止を取ることができた。小休止を取っていても警戒は怠っていない。ここは敵地だ。いつ攻撃されてもおかしくない。
しかし、二時間にわたる戦闘により精神は擦り減り、疲労困憊だった。少しでも体力を回復させる為、地面に座り食事と水分補給を必要としていた。
まだ、先は長い。全行程の三分の一しか進んでいないにもかかわらず、タイムリミットまで二時間半しかなかった。戦闘が無ければ、何とか辿りつけるかもしれない。
だが、戦闘が発生しないとは誰一人考えていない。そんな希望的な願望など誰も持ち合わせていなかった。そして、二四〇〇に地上に辿り着けないであろうことは理解していたが、言葉に出すのは恐ろしかった。
日本古来の思想に言霊がある。言葉に出す事により、その想いや考えが実現されるという思想だ。
前向きな発言に用いれば良い結果を産み出し、後ろ向きな発言に用いれば凶事を招く。
今の状況で誰が前向きな発言が出来ようか。
二時間も戦闘しながら駆け足を続け、すでに筋肉は疲労で震え、走る事も難しくなっている。
悪態をつく事は幾らでも出来たが、現実になることはさらに恐ろしかった。
ゆえに誰も会話をすることなく、沈黙が11中隊を支配していた。
四十名いた隊員は、数えると小和泉を含め三十二名になっていた。八名の戦友が戦死してしまった様だ。
もしも、中隊から一人ではぐれてしまっても同じだろう。一人では生きられない。月人になぶり殺しにされるだろう。
さらに戦死者の認識票すら回収する余裕が無かった。自分達が生き延びることだけしか思考できなかった。小休止になって初めて隣の戦友が居ない事に気がつく始末だった。
―敗残兵とは、ここまで哀れなものか。―
小和泉でも言葉には出すのは憚れ、心の内に留めた。
幸い1111分隊は健在だった。負傷者も無く、体力及び精神力の低下は他の部隊に比べ軽微だった。
桔梗達は小和泉を囲む様に背を向け、小休止を取っている。恐らく周囲の警戒と小和泉の警護を兼ねているため、背を小和泉に向けているのだろう。小休止をとるだけでも危険と同居している。
小和泉ですら心を休める余裕は無かった。体力の回復、いや呼吸を整えるだけで精一杯だった。続々と現れる月人を斃す事で精一杯だった。
出発前に正規装備を外したのは正解だった。装備を軽量化した為、疲労がこの程度で抑えられていた。正規装備のままであれば、途中で力尽きていただろう。
小和泉は無駄とは理解しつつ鹿賀山と連絡がつけばと考え、大隊司令部への通信チャンネルを開いてみた。モニターには「信号無し」と表示がされるだけだった。
―地上に二四〇〇に到着するのは間に合わないかな。それ以前に地表に到着できるかも怪しいけれど、現状の中隊の士気は、まだ高そうだ。皆が地上にたどり着くという目的意識を共有しているからかな。道半ばまでは、中隊の態を保てそうだね。
ならば、僕の分隊だけは何とか温存しよう。しかし、生き抜く手段が思いつかないな。こればかりは、他の者に聞くわけにはいかないからね。さてさて、どうやって生き抜こうかね。
やはり、味方を盾にするかしかないのかな。しかし、ただでさえ少ない現有戦力を減らすのは下策だよね。―
小休止の間、小和泉は1111分隊の可愛い部下達を生かす方法ばかりを考えていた。
逆に桔梗達三人は、小和泉の無事だけを考え、自身を盾にしてでも生かすと心に決めていた。
「中隊、小休止終了。撤退を再開する。」
中隊無線に中隊長の命令が流れる。地面にしゃがみこんでいた兵士達は素早い動きで立ち上がり、すぐに隊列を整え、動き出した。
結局、下策しか思い浮かばないまま小休止が終了し、死か生へ向かう駆け足が再び始まった。
二二〇一年十月六日 二二五四 作戦区域 洞窟内
小休止から一時間、駆け足で何事も無く進んだ。幸いなことに月人に遭遇せずに順調に距離を稼ぐことが出来た。
もしや入口近辺には月人はいないのではと、兵士達の間で気が緩み始めた。14中隊の焼夷攻撃により逃げたのではないかという楽観論が一部の人間の心に染み出してきていた。
人間の集中力は四十分から一時間しかもたないのは自然種であろうと促成種であろうと変わらない。
さらに早朝からの出撃で疲労はピークに達し、敵は月人だけでなく睡魔という恐ろしい敵が現れた。訓練で三日間不眠戦闘演習を行う事はあったが、演習時には小隊や分隊単位で仮眠が取ることが出来た。だが、今回は仮眠を取る事は死に繋がる。睡魔が襲おうが、正気を保ち続けなければならない。戦闘慣れしていない新人であれば、戦場の恐怖で睡魔も吹き飛んだことだろうが、11中隊の面々は古参兵の集まりであり、戦場慣れをしていた。
狼男の爪や牙が目の前を通り過ぎようが、兎女の長剣を銃剣で受け止め様が顔色一つ変えずに対応してきた兵士達だ。でなければ、すでに逃亡兵や錯乱者がでてもおかしくない状況だった。
だが、未だに規律を守っている。疲労と睡魔により進軍速度は落ちたものの、隊列に乱れは無かった。
黙々と駆け足で洞窟の入口を目指し駆け登っていく。
残り一時間でタイムリミットだ。朝、潜る時は現在地まで慎重に進んで三時間だった。
隊員達は、バスに乗り遅れることは必然となっていた。絶対に変えられない決定事項として重く圧し掛かって来た。しかし、洞窟に残るという選択肢は存在しない。
地上にバスが無ければ、歩けば良い。陸軍は歩くのが仕事だ。食料は二日分確保したのは、歩いて食料を節約しながら帰還できるギリギリの量だった。
地下都市KYTに帰還さえすれば、いや、地上に上がり司令本部と連絡さえつけば、迎えが来るだろう。そう、地上に戻れば、死傷確率は格段に下がる。敵の不意打ちも地面の割れ目にだけ気を付ければ良い。割れ目に近づかず、迂回すれば無駄な戦闘と体力の浪費を防ぐことができる。ならば、生還できる確率は悪くないはずだ。地上にさえ出れば。
運が良ければ、地上を走り回る哨戒任務の隊に出会う可能性もある。
11中隊の兵士の心を占めるのは、『地上にさえ出れば』だった。
ただただ、その言葉を反復し前進を続けた。
洞窟の通路が狭まり、11中隊の進軍速度が落ちた瞬間、側壁が鼓膜を破る大音量と共に火柱が上がる大爆発が起きた。
中隊司令部付近に爆発による拳大から頭部程の大きさの破片の石礫が、横殴りの雨の様に撃ちつけ、中隊無線に悲鳴と圧潰音が飛び交う。
小和泉は、反射的に盾になろうと立ちはだかる桔梗達三人を足払いで地面に倒れさせ、その上に覆いかぶさる。深くは考えていなかった。自然の行動だった。
「隊長、どいて下さい。私達が隊長を守るのが使命です。」
「却下です。」
「どけ、隊長!俺の代わりはいくらでも補充できるんだよ!」
「菜花は世界で一人です。代わりはいません。」
「隊長、計算ずく?」
「いや、反射的だよ。」
鈴蘭だけが反応が違った。他の二人と逆に身を少しでも小さく縮め、背中を爆発側に向けている。何やら、小和泉の直感を信じたようだ。
この間にも小和泉達の上を凄まじい勢いで石礫が飛び交い、12中隊の兵士達をなぎ倒していった。
促成種のある者は、複合装甲を着ていない為、脇腹から礫が喰い込みはらわたを周囲にぶちまけていた。
他の促成種は、正面から礫を受けて、身体を貫通して背骨を折られ、上半身だけを背中に倒し身体の断面を晒しながら仰向けに倒れていった。
別の促成種は、爆発点に近かった為、多数の礫を受け半身をゴッソリと抉られながらも、戦友に支えられ立っていたが、事切れていた。
背を向けていた促成種は、肋骨を折られながら吹き飛ばされたが、重傷ではあったが、死の危険性は無いようだった。背中は筋肉量が多く、防御力が身体の中では比較的高いのが幸いしたのであろう。
腹を殴られるよりも背中を殴られる方が、人間は強い力に耐えることが出来る。鈴蘭が背中を爆発点に向けていたのは、本能か、衛生兵の知識としての考えだったのだろう。
味方の状況を為す術も無く、見守っている間にも、小和泉達の上には戦友達の熱く赤い奔流が降りかかり、伏せている地面が見る見ると赤く染まり、血の池として広がっていく。
誰もただ一度の爆発でどれほどの死傷者が出たか把握できなかった。
小和泉ですら桔梗達が無事であることを確認するのが精一杯だった。
礫がおさまり、砂塵が舞う中、小和泉はヘルメットのバイザーにこびりついた血を手袋でふき取り、状況を確認した。
手足を失い動かない者。半身を吹き飛ばされた者。上下二つに分かれた者。くの字型に折れ曲がり痙攣している者。様々な怪我を負った者や戦死した者が地面に横たわっていた。その辺りに転がっている手が誰の手か、この足は誰の足なのか、判断がつけられない惨状が広がっていた。
ただ、自然種には被害は少なかった。自然種は、例外なく複合装甲を纏っている。この爆発の威力の礫では装甲をつらぬくことが難しかった。運悪く、装甲が無い関節部分に直撃して動かぬ者も居た。
今回の犠牲者の大半は、複合装甲を纏っていない促成種が占めた。
促成種は、ヘルメットと戦闘服の上に肘当て・膝当て・篭手・脛当ての防具しかつけていない。複合装甲を纏うと装甲の補正力が、逆に促成種の身体能力を阻害し弱体化するために支給されていない。今回は、これが裏目に出た。自然種よりも筋力も速力もある促成種の弱点が露呈した。自然種や月人よりも力が強く、素早く動けても防御力は、自然種と同じだった。
今までの月人との戦闘は、射撃戦で一掃し残った数匹を近接戦で月人を圧倒する力と速度で屠ってきた。その為、防御力の有無は問題にならなかった。
小和泉が、何年も最前線で戦い続けてきたが、月人がこの様になることはあっても、味方がこの様な状況に陥る悲惨な光景は見たことが無かった。
どうやら、小和泉は石礫が飛んでくるのを見て、直感的に桔梗達に危険が及ばない様にかばった様だった。無意識の行動だった。戦闘経験の蓄積による賜物だろう。
「何なんだ。この戦場は何だ。日本軍が遊ばれている。次々と罠にはまる?そんな事があるのか。月人とは、何者だ…。我々が甘く見過ぎていたのか?」
小和泉は、思わず心の中を言葉に吐きだした。
異質、今までと違う存在。昨日までの月人と明確に違う。そんな違和感が小和泉の脳を揺さぶる。幸い、無線には繋がっていなかったため、小和泉の独白を聞く者はいなかった。
そして、答えは出るはずが無い。人類は、未だ月人に対する正確な情報を持っていないのだから。
―呆けている暇はない。すぐに追い討ちが来る。―
我に返った小和泉は、中隊無線で皆に警告を発した。
「すぐに月人の追い討ちが来るぞ。着剣し警戒せよ。」
小和泉の言葉に正気に戻る者が大半だった。怪我人の介抱をしようとしていた者も戦列に戻る。すぐさま、接近戦に備え皆が銃剣を装着し、アサルトライフルを構える。無言の内に指示を出している小和泉を中心に円陣が組まれる。
桔梗達三人もすぐに起き上がり、射撃体勢に入る。小和泉を中心に三方を固めて警戒する。
月人がこの混乱の瞬間を逃すはずがなかった。すぐに小和泉の予想通りに月人が前後から現れ、襲い掛かってきた。
無事だった者が即座に射撃を開始し、月人を近づけさせない。
「連射モードで撃て。洞窟の損壊は気にするな。近づけさせるな。」
小和泉達は応戦に手一杯となる。撃ち倒しても月人は次々に闇から湧き出してくる。途切れることがない。
小和泉達は、何度も何度もアサルトライフルの引き金を引き続ける。
洞窟が崩れる心配などしていられなかった。11中隊の皆が連射モードで月人を屠っていく。
まだ、榴弾モードを使わないだけの冷静さは持ち合わせていた様だった。
だが、今回の罠により中隊の戦力は一気に激減させられた。
戦力の中心である促成種の多数が倒され、戦闘力が月人と同等の自然種が攻撃の主力となってしまった。
複合装甲で通常より三倍まで引き上げられていてもそれでは月人と同等の力でしかない。促成種には自然種より五倍の敏捷性があるということは、照準を合わせるのも敵の出現に備えるのも促成種が速いということだ。その主力が今は斃された。
月人と同等の力では、数に押し込まれていくのは自明の理だった。
月人の包囲網が縮まるのは時間の問題だった。
小和泉の足元で痙攣していた兵士が戦闘の最中に静かになった。すぐに治療を施していれば、生きていたかもしれない。だが、状況が許してくれない。生者が戦わねば、皆が死ぬことになる。小和泉は奥歯を強く噛み締めながら、迫りつつある月人へアサルトライフルを連射し片っ端から屠っていく。他の兵士達も生き抜く為にアサルトライフルの連射を続ける。
すでにこの場所だけで月人を百匹以上殺しているはずだ。しかし、月人の士気は下がらず、仲間の死体を踏み越えて奥から湧き出してくる。
何とか、中隊に辿り着くまで生きていた月人は居ない。
全ての月人が途中で撃ち倒されていく。しかし、月人は怯まない。まるで薬か催眠術を掛けられたかの様に突撃を繰り返してくる。
普段ならば、落ち着いて確実に月人を葬っていく実力を持つ11中隊であったが、地上へのタイムリミットのことが頭の隅によぎり、戦闘に専念できていない。徐々に月人を近づけさせている。疲労による集中力の低下と罠による多大なる犠牲への平常心の欠落が本来の実力を失わせているのだろう。
確実に月人は、仲間の死体を踏み越え一歩一歩11中隊へ近づいてくる。
小和泉は、桔梗、菜花、鈴蘭と地上に帰ると決めている。味方にどれだけの損害が出ようと関係ない。小和泉の中では、最優先事項なのだ。
指揮系統が壊滅し、誰も指揮しないのであれば、小和泉達が生き残る為に少尉の身であるが、上官を無視してでも中隊を指揮するしかない。戦場における臨機応変だ。
上官が生きているか、正気に戻るかして指揮を執るのであれば、小和泉は指揮権を素直に返すだけだった。ただ、何もせずに蹂躙されるのだけは避けたかった
その為に指揮権を掌握している今、その権利を思う存分に行使し、小和泉達に有利になる様にしなければならない。
「この場所での防衛戦は消耗するだけであり、意味がない。円陣のまま、全軍前進する。地上へ一歩でも近づく。地下都市へ何としても生還するのだ。中隊前進せよ。」
誰も異を唱えることなく、小和泉の命令に従い、ゆっくりと中隊は前進を始める。
誰も倒れている仲間のことを助けると言い出す者は居なかった。一目見ただけで助かる見込みがないと思われた。怪我人を担げば、進軍速度は落ち、戦闘力も下がる。
誰もが理解していた。断腸の思いで動けぬ戦友を見捨てることに同意したのだ。
牛歩の歩みで11中隊は洞窟を進む。月人をなぎ倒し、死体を踏みにじり暗い洞窟を進んでいく。
誰もが涙を流し進んでいく。
誰もが唇を血が出るまで強く噛みながら進んでいく。
誰もが両目を吊り上げ進んでいく。
今ここに居るのは悪鬼だけだ。
己の命が大切なただの暴力装置だ。
軍とは呼べない殺戮集団だ。
皆の共通の願いは、地上へたどり着く。タイムリミットは、もう関係ない。地上にたどり着き、這ってでも街に帰る。そこは死とは程遠い平穏という名の日常が待っている。日常を取り戻す。何としても生きる!
11中隊は、光の剣山を発しながら遅々と前進していった。




